そして夫婦になった──回想3
アルヴィスの除隊の報せが届いていてから、半月が経過した。
その日はレーヴライン侯爵家の門前に、今か今かと待ちわびる人が集合していた。
そして一台の馬車が止まり、従者が扉を開ける瞬間を、全員が固唾を呑んで見守った。
「アルヴィス、よく戻りました」
従者にもたれ掛かって降りてきたのは、アルヴィスだった。杖に体重を預けながら降りる彼に、ドロテアは泣きながら抱きついた。パルドリックも隣で静かに涙を流し、肩をそっと抱く。
無事戻ることができた喜びと、手足の喪失の悲しみ。その両方が渦巻く帰還であった。
シイラはそれを離れた位置から見ていたが──馬車から降りるあの姿を見ると、一目散に駆け出していた。
「エマルウェル!」
シイラは目を疑うが、考えるよりも先に体が彼に向かって動いていた。
「シイラ、久しぶりだな」
エマルウェルに抱きついて、シイラは声を上げて泣いた。
消息不明だった彼が生きていたのだ。しかも目の前に現れた……それだけで胸が一杯だった。
その様子をアルヴィスは横目で見ながら、ほんの少し口角を上げて微笑む。彼を連れてきて本当に良かったと、心から思う瞬間だった。
だがアルヴィスの帰還というのは──レーヴライン侯爵家の更なる転落の、第一歩でもあった。
「……いや、そんなはずは」
パルドリックは皇室からの起訴状を見て、震えた。
他国への密売に関与したという、身に覚えのない罪をでっち上げられたのだ──。
(ジェイコブ殿下、だ)
ジェイコブが本格的に、潰しにかかってきたのだ。
アルヴィスは拳を握りしめながら、何も打つ手は無い自分の無力さを悔いた。
皇太子オズヴァルトが居なくなった今、誰もジェイコブを止められない。
パルドリックは弁明の機会も十分に与えられないまま拘束され、やがて投獄されてしまう。
そして罪人として、貴族としての地位が剥奪された。
その結果、アルヴィスは望まぬ形で侯爵家当主の座を継ぐことになった。
さらに追い打ちをかけるように、密売疑惑を理由として侯爵家の財産の大半が没収された。
領地だけは辛うじて守れたものの、支援は十分に行き届かず、領地は荒れた。それに便乗して領地に攻め入る者が後を絶たず、侯爵領は戦場へと姿を変えた。
アルヴィスも不自由な体で、杖をつきながら各地を駆け回り、立て直しに奔走した。しかし皇室は容赦なく手を回し、味方する家門が次々と離れていった。
そして決定的な出来事が起きた。
──ペレザンス伯爵家からの婚約破棄だ。
侯爵家に現れたペレザンス伯爵は、婚約破棄の理由として、表向きは情勢悪化や政治的判断を述べた。
だけど最後に突きつけた言葉が、本音だったのだろう。
「さすがに娘を、お体に不便がある方に嫁がせるのは……」
その言葉には、言い返すことはできなかった。
さすがにアルヴィスは、地の果てまで落ち込んだ。
それを支えていたのは──いつも隣に居るシイラの存在だった。
(そろそろ、戻らないとな……)
アルヴィスは仕事が煮詰まると、いつもあの場所に足を運んでいた。
シイラと過ごした、幼い頃の遊び場だ。
そこのベンチに腰掛け、ぼうっとネモフィラの花を眺めるのがいつしか日課になっていた。戦争に行っている間にその場所は、ネモフィラの花が果てまで広がる場所に変わっていた。
青い花が風に揺れる様子は、荒んだ心を落ち着けてくれていた。昔を思い出しながら、そっと目を閉じると──自分が守るものが何なのかを、はっきりと思い出すことができるから。
「そろそろ、戻りましょう」
そしてアルヴィスを迎えに行くのは、シイラの役目であった。
シイラもこの頃、母エミリーの体調が悪化しており……アルヴィスの隣に居ることで、彼に頼られ、彼の温もりを感じることが救いにもなっていた。
シイラは隣で黙ってアルヴィスを支え、アルヴィスは何も言わず、シイラに歩幅を合わせて歩く。
そうやって支え合うことが、二人の新しい日常となっていった。
──そしてその日は、シイラの十八歳の誕生日だった。
「アルヴィス、シイラと結婚しなさい」
ドロテアは二人を呼び出すと、唐突にそう言い放った。
「シイラはちょうど結婚できる年齢になりました。このままではレーヴライン侯爵家は途絶えてしまいます。シイラ、あなたは元貴族令嬢……他の人から見ても、及第点といったところでしょう」
一呼吸置くと、苦虫を噛み締めたような顔をする。
「恐らくアルヴィスの結婚相手は、今後見つからないでしょう。私たちは聖女の名のもとに、血筋を守り続けてきました。この血は絶やしてはならないのです。シイラ、アルヴィスの子を産みなさい」
毅然と言い放ちながらも、ドロテアの目には涙が滲んでいた。
「……それにエミリーを、安心させてあげたい」
そうポツリと呟くように言った。
母エミリーは、徐々に床に伏せる時間が長くなっていた。
だから今更侯爵家を出ても行き場のない、シイラの行く末を心配していた。彼女を安心させるという意味でも、シイラを結婚させたかったのだ。
シイラはドロテアの前にしゃがむと、手を取り頭を下げた。
「仰せの通りに」
それは命令への服従であると同時に、シイラにとっては長年秘めてきた思いが解き放たれた瞬間だった。
そしてアルヴィスは、あのネモフィラの咲く場所へシイラを連れて行った。
強い風が吹き抜け、花弁を大きく揺さぶる。
──それはまるで、これからの二人の道を暗示しているみたいだった。
「これから侯爵家は、さらに落ちぶれるかもしれない。それでも……隣で支えてほしい」
アルヴィスが紡ぐ言葉は、愛の言葉ではなかった。
長年の思いは伝えられることはなく、ただ現実を見据えた、不器用な言葉だけが伝えられた。
シイラは目を細めて、アルヴィスに向かい口角を上げた。
「アルヴィス様、私は幸せ者です。ずっとお慕いしていた方と結婚できるなんて」
アルヴィスは目を伏せ、目頭に溜まる涙を隠した。
「シイラ、君はもう侯爵夫人になる……だから、アルヴィスと呼びなさい」
彼からは一言も、愛を告げる言葉はなかった。
だけどシイラにとっては、それで十分だった。
ようやく彼と、対等な立場になれたのだと──。
「……アルヴィス」
初めて呼ばれた名前に、心の底から湧き上がるものがあった。
改めて、侯爵家を守るために──シイラを幸せにするために生きようと、そう決めたのだった。




