もう怯えなくていいんだよ
アルヴィスは一気に寝室まで廊下を駆け抜けた。
そして足でドアを開けると、ベッドの上にシイラを下ろす。
「あぁ、君は……やはり天使だ」
ウェディングドレスは、純白のレースに金と銀の細やかな刺繍が輝く。まるでそれは光を纏っているかのよう。
なるべくシンプルなものにしたいというシイラの意向を汲みながら、侯爵家の威厳を損なわないように、最高級の生地を仕立てたものだ。
「大げさよ」
そうため息をつくシイラに、アルヴィスは手を伸ばす。
「天使の輪を外そう」と呟いて、名残惜しそうに、そっとティアラを外した。
「次は天使の羽を……へし折ろうか」
「その言葉は怖いわ」
呆れるシイラに、アルヴィスはクスリと笑いかける。
「君が本当に天使なら、そうするよ」
背中に手を回すと、するりとドレスのリボンが解ける。
そして包みこむような、愛おしさを感じる手付きで、編み上げたリボンを解いていく。レースの生地の隙間を、アルヴィスの角張った指がそっと触れるだけで、肌の表面が熱で粟立つ。
ドレスを脱がされると、真っ白なインナー姿でベッドに投げ出された。
アルヴィスも自分が身に纏うものを、一枚一枚脱ぎ捨ててゆく。昼間にカーテンを引いただけの室内は明るく、彼の肉体美が浮き上がる。
そして彼がそっと抱きしめると、シイラは安心感と多幸感に包まれる。
彼に抱かれることがこんなにも安心するなんて──溢れんばかりの多幸感を胸に、彼ににもたれ掛かって、目を閉じた。
彼に愛されることが幸せで、幸せそのもののような一日だった。
──そして夜も更けるころ、ある夢を見た。
その夢の中でシイラは、鎖に繋がれていた。
──あれ?
──ここは、どこ?
──何でこんな場所に?
耳に響くのは、群衆の罵声だけ。
──やめて、やめて
──だからやめて!
──その子だけは、お願い
──だってその子は、私の愛しい………
そこでぷつりと、夢は途切れた。
「アルヴィス!!?」
シイラは叫びながら飛び起きた。
ここが侯爵家の部屋であることを確認するが、隣を見るとアルヴィスが、居ない。
まだ布団には温もりが、微かに残っている。
「アルヴィス!!」
シイラは裸足のまま──気が付けば、部屋を飛び出して行った。
**
夜の帳が下りた頃、アルヴィスは目を覚ました。先程までの埓情は嘘のように、部屋は静まり返っている。
(寝てる、な)
腕の中のシイラは、安心しきったように眠っている。
それでも脚の間から流れ落ちる白濁が、先程までの激しさを物語っているようだった。
(かわいい)
頬にそっと口付けする。まだまだ口付けしたいが、起きてしまうのは忍びない。
起き上がって水を飲むと、くしゅんとクシャミをする声が聞こえる。
今すぐ人肌で温めたいが、水差しが空になってしまった。
もし起きたシイラが喉が渇いていたら……だけどシイラに風邪を引かせるわけにはいかない。
仕方なく彼女にガウンをかけて、自分もガウンを羽織った。
(そう言えば朝から何も食べていないな)
自分は平気だが、シイラにお腹を空かせてはならない。
何か用意を頼もうと、静かにドアを開けて部屋を後にした。
廊下に出れば、仄かな蝋燭の光のみ。窓から月を見れば、とっくに使用人たちも寝入ってる時間であることはわかる。
仕方なくアルヴィスは、一人で調理場まで向かった。
「アルヴィス様!」
調理場では数人だけ、侍女とメイドが数人、それと料理長が翌日の作業準備に当たっているようだ。
「ベルで呼んでくだされば……」
「シイラを起こすわけにはいかないからな」
あら、と年配の侍女は嬉しそうに微笑んだ。
「すまないが飲み物をお願いしていいだろうか?あと軽く摘めるものがあれば……」
「では果実と菓子をいくつかご用意いたします」
「ノックは不要だ。部屋の前にワゴンを置いておいてくれ」
そう言うと踵を翻して去っていく。
使用人達は暖かな笑顔とお辞儀で見送った。
アルヴィスはゆっくりと廊下を歩きながら、月を見上げていた。
(シイラに、どこまで話そうか)
これから起こりうるであろう出来事は、一度目の人生にも関連する。
しかしどこまで話していいのか、答えは出ない。
(結局、掌で踊らされているだけだったな)
特別意識しているわけではなかったが──日付は恐らく一致しているのだろう。
自分の努力でここまで来たはずだったのに、癪に障る結果になってしまった。そのことには自分で自分に腹が立つ。
(……なんだ?)
遠くで何か騒がしい声が聞こえてきた。
「アルヴィス様!!シイラ様が!」
メイドが血相を変えて走ってくるので、その方向に急いで駆けていく。
(嫌な予感がする)
唾をごくりと呑んだ、その瞬間だった──。
「アルヴィス!!」
そこに見えたのは、廊下で半狂乱になるシイラの姿だった。名前を叫びながら、一心不乱に走っている。
アルヴィスは駆け寄り、抱きしめると──シイラはわぁわぁと声を上げて泣き崩れた。
(アルヴィス……?)
彼女は今まで、そう呼んだことはない。
そしてこの取り乱しようを重ねて考えると……
(記憶が、戻ったのか)
確かに全てが戻ったのだと考えると、彼女の記憶に蓋をする理由は無くなったのだろう。
「アルヴィス……」
腕の中で嗚咽するシイラの頭をそっと撫でた。
シイラは少し落ち着いたのか、呼吸を整えて話し出す。
「夢を、見ました……教会の像が、落ちてきて……私が、拘束されて……エマルウェルが……」
言いかけるシイラを、包み込むように抱きしめる。
「もう言うな」
──恐らくあの最悪な記憶も蘇ったのだろう。
一番蘇って欲しくなかった、あの記憶が。
抱きしめる腕に力が入る。
「ジェイコブは俺が殺した。俺が短剣で、心臓を貫いた……」
言いかけた言葉を遮って、シイラははっと顔を上げた。
「ジェイコブだけじゃない。俺は全員殺したんだ。侮辱した奴全員、殺した。もう、あなたが怯える必要はないんだ。もう、いいんだよ」
シイラの瞳から、大粒の涙が伝う。
そして今度は、シイラの方からアルヴィスを抱きしめた。
「あなたばかりが……また、つらい人生になってしまった」
アルヴィスはそっと、首を振る。
「いいんだよ」と。
「今日から私が、あなたを幸せに、するから……」
そう泣き続けるシイラに、アルヴィスは囁いた。
「私はシイラが生きているだけで、幸せなんだよ」
アルヴィスはいつまでも、いつまでも、シイラを抱きしめていた。
次回から長ーい回想です




