その言葉を待っていた
その言葉に、時が止まった。
「……三度目……?」
よくやくシイラから、かすれた声が発せられた。
アルヴィスは静かに頷く。
「ああ、三度目だ」
「二度目じゃなくて……?」
「そうだ」
それは、足元が揺らぐような感覚だった。
いままでの世界の前提が、全て崩れ去ってしまったのだから。
(そんな……知らない一回があるなんて……)
彼の態度からして、シイラにある程度の記憶があることも分かっているのだろう。隠す気は、もうなさそうだ。
それでも彼は、何かを言いかけては止める。
慎重すぎるぐらいに言葉を選んでいるようだ。
「一度目の人生で、私達は愛し合って結婚した。子供も授かったが、皇室側の策略により侯爵家は地まで落ちた。そして時間が巻き戻り、二度目の人生が始まった」
アルヴィスの声は震えている。
そして瞳を潤ませながら、シイラを見つめてこう言った。
「だが二度目の人生では……あなたは一度目の悲しい記憶に耐えることができなかった」
その瞬間、はっとしたことがある。
「……だから私は、ノクティースに逃げた」
アルヴィスは静かに頷く。
「だけれど戻ってきたあなたは……一緒に生きることを、選んでくれた」
シイラは記憶を巡らせる。
確かに回帰前──アルヴィスが言う二度目の人生の、記憶は曖昧ではある。
だけど、はっきりと覚えているのは……いつも彼に怯えていたこと。
「私は……あなたが冷たい人だと、ずっと思っていた……」
ぽつりと呟くと、アルヴィスはようやく少しだけ微笑む。「そう思われても仕方がないからね」と、なぜか否定はしなかった。
しばらくシイラも、考えを巡らせる。
聞きたいことは山ほどある。だけど、これはどうしても拭えない疑問だ。
「どうして私は、その“一度目”の記憶が無いの?」
特にシイラの生まれは“男爵家”であり、これは揺るがない事実だ。本来なら、レーヴライン侯爵家とは結ばれることのない身分差なのだ。
それをどのように乗り越えたのかという記憶が欠けているのは、どうも納得がいかない。
「あなたの記憶の鍵は、別の人が持っている。だから私は干渉できない」
「別の人?」
「あぁ……だからこそ、私が居ないときに、あなたがその『一度目』を思い出すのではないかと不安なんだ」
彼はそっと立ち上がり、シイラの手を取った。
その手は温かいのに、どこか震えていた。
「私達の思い出深い別荘に連れて行ったのは、あなたが“思い出さない”という思い込みがあったからだ。だけどあなたが思い出し始めたことに気が付いた」
(思い出し始めた……?)
深く彼は語らないし、シイラも追及しない。
だけどシイラは確信した。
記憶の鍵に“聖女”に関わっているのだ、と。
「自己満足の為に、あなたを危険に晒すことになってしまった。私のせいで、もし記憶の蓋が開いて、あなたが壊れてしまったら……私も耐えられない」
ぎゅっと握る手に、力がこもる。
にわかに信じれない話ではあるが、何となく彼の今までの態度に、納得してしまうのだ
彼は愛を乞いながらも、ずっと恐怖に怯えていた。今まではその上での行動だったのなら、なぜかしっくりとくる。
「私はこの人生を、あなたを幸せにするために生きてきた。あなたがいつ戻ってきてもいいように、安心できる場所を、用意してきた」
彼はゆっくりと、懐から小さな箱を取り出す。
中には、繊細な輝きを放つダイヤのティアラ──いつかの侯爵家の家宝庫で見たもの が収められていた。
「これは過去二回、あなたが手にしたものだ。今世でも、あなたに持っていてほしい」
差し出されるそれを、シイラは息を呑んで見つめる。
そっと彼の手が動き、ティアラが、シイラの髪に触れる。
その仕草はとても丁寧で、割れ物に触れるようだった。
「たとえあなたが私と結婚しなくても、あなたの頭に輝くのが、一番似合うから」
言い切った彼は、そっと目を細める。
頭に輝くティアラを見つめる表情は、どこか満ち足りていて──何かを諦めているようにも見えた。
そして次の瞬間、シイラは抱きしめられる。
強い抱擁だけど、壊さないように、繊細な手つきで。
「あなたの為に生きてきたのは確かだけど、あなたの幸せは自分自身で選んでほしい」
そして腕の力が、ほんの少しだけ緩んだ。
「もう真実を知ってしまったのだから、一人でじっくり考えてほしい」
手が解かれると、紫の瞳が揺れているのがわかる。
──涙が今にも零れそうなほどに。
そして踵を翻して去ろうとする。
その背中は、決意が見えるようで──同時に逃げているようにも見えた。
次の瞬間、シイラは体が勝手に動いた。
アルヴィスの背中に、しがみつくように腕を回す。
「……ありがとう。私を待っていてくれて」
──どれほどの時間を。
どれほどの思いで。
この人は、待っていたのだろう。
「やめてくれ……」
アルヴィスの声が震えている。
啜り泣く声も、かすかに耳に届いた。
「でもどうしてあなたは、いつも『自分を選べ』って言ってくれないの?」
その瞬間、彼がはっとした顔で振り向いた。
「最後の最後で……あなたは選ばせているようで、怯えている」
彼は何も言わない。
ただただ、息を呑んで立ち尽くしていた。
「私は『今のあなた』しか知らないのに」
──過去には“選択の強要”に似た何かがあったのかも知れない。
だけど、シイラは知っているのは──シイラにとっての真実は、ここにいる彼だけだ。
何かに怯えて、はっきりと言えない……それこそ自分を受け入れた人に対して、受け入れられただけで『選ばれていない』と駄々をこねる彼が目の前にいるだけなのだ。
彼は服の袖で涙を拭った。
そしてシイラの前に、静かに跪いた。
──まるで、誓いを立てる騎士のように。
「シイラ」
彼の真っ直ぐに見上げる瞳は、迷いが消えたようだ。
「私はあなたの為に、今日まで生きてきた。これから先、どんなことがあっても、あなたに人生を捧げたい」
一つ一つ、確かめるように言葉を紡ぎ──はっきりとこう言い切る。
「だから、私と結婚してほしい」
静かに強い眼差しで、シイラを見上げる。
「私を選んでくれないか。私と一緒に、人生を歩んでほしい」
(……ああ)
シイラはようやく分かったのだ。
──自分が何を待っていたのかを。
微笑むシイラの瞳には、涙が溢れていた。
「その言葉が、欲しかったの」
そう言って、彼を抱きしめた。
「その言葉を、ずっと待っていた……」
彼の腕が、いっそう強くシイラを抱き寄せる。
まるで、もう二度と離さないと誓うように。




