檻からの脱出
──シイラはネモフィラの庭を歩いていた。
青い花が風に揺れ、波のように広がる。太陽の光が柔らかく花弁を照らしていた。
そしてシイラが振り向いた先に居たのは──青い髪の少女だった。
(あなたは……?)
どこかで見たことがある少女だ。どこか寂しげに微笑んでいる。
手を振る彼女に、呼びかけようとした瞬間──白い靄がかかり、視界が途切れた。
そしてシイラは、ベッドで目が覚めた。
辺りを見回し、ここが侯爵家の別荘であることを思い出す。
そして隣にはアルヴィスが寝ていた。
布団の隙間からわずかに覗く腕には、無駄のない筋肉な浮かび上がっていた。その美しさに、思わず目を奪われる。
この腕に昨日抱かれた。そのことを思い出すと気恥ずかしい。
(綺麗だな)
プラチナブロンドの髪が、朝日に透けて美しい。
思わず前髪に触れて観察していると、不意に寝ているはずの彼が手を取った。
「おはよう、あなたから触れてくれるなんて嬉しいな」
そして抱き寄せて、ちゅっと軽いキスをした。
「ああ、この腕にずっと閉じこめておきたい」
(……!)
恥ずかしい。
だけど彼の腕枕が妙に居心地がいい。
素直に抱き締められることにして、何も纏わない胸部に頭を密着させた。
彼の体温がより鮮明に伝わってくる。
「さすがに今から二回戦は……」
「ち、違います」
慌てて飛び起きたシイラに、アルヴィスはクスリと笑った。
「半分は冗談だよ」
(半分……?)
「無理はさせたくないしね」
そしてアルヴィスも立ち上がると、「湯浴みの準備をさせよう」と言って身を整え始めた。
(あっ)
窓の外を見ると、ネモフィラが咲いていた。
どこまでも続くこの青は、夢で見た光景に近い気がした。
「聖女……?」
ふとレーヴライン侯爵家に伝わる聖女の話を思い出した。
あれは、いつかの、その聖女だったのだろうか。
「どうしたんだ?」
シャツのボタンを留めながらアルヴィスが聞いた。
「夢を見たんです」
「夢?」
「青い髪の女の子が、そこの庭に立っている夢……」
アルヴィスの眉が、わずかに動いた。
「それで?」
「いえ、特に何も……その子が立っているだけ……」
何かを聞きだけなアルヴィスだったが、シイラはそれ以上話せることはなかった。
「あれはいつかの、聖女だったのでしょうか」
「かも……ね」
アルヴィスは素っ気ない態度だったけれど──明らかに動揺しているのがわかった。
(聖女に何かある?)
アルヴィスと聖女に、何か関係があるのだろうか。
しかし今現在、その聖女が現れていない時点で、彼がその血を引いている以外に何かがあるとは考えられなかった。
そして湯浴みを終え、朝食を食べ終えたところで──「準備ができました」と、侯爵家の者が声をかけてきた。
そして勝手に荷物をまとめられると、アルヴィスに抱えられて、馬車の中に押し込まれてしまった。
「あの、アルヴィス様……?」
「何だい?」
「どちらに向かっているのでしょうか?」
「皇都に戻るんだよ」
侯爵家の馬車に乗せられてる時点で、予想はしていたのだが。
「あの、領地に行かなければ……」
「男爵家には手紙を書いたし、領地にはエマルウェルに行ってもらうよ。他に人も派遣させた。問題はないよ」
「でも、その……」
「ファンデーションの売れ行きが好調らしいんじゃなかったっけ?だからギルド申請の書類を仕上げなければいけないんじゃない?」
確かにそうであるが、妙に嬉しそうなアルヴィスの声が耳に障る。
それに、だ。
(これはどうすればいいの……)
ずっとアルヴィスは膝にシイラを乗せている。
移動もずっとお姫様抱っこで……「無理させるわけにはいかない」とぼさいているが、もはやこれは軟禁ではないだろうか。
そして結局一日足らずで、来た道を戻ってきてしまった。
(何で戻ってきてるんだろう……)
日が沈む前に馬車は皇都の街に入っていき、侯爵邸の門を通過。
到着して降りると、「おかえりなさい」の声が出迎えた。
そして『下ろして欲しい』というシイラの願いは聞かれることはなく、抱えられたまま部屋まで連れて来られた。
その部屋は勿論、研究室の隣の寝室だ。
「一応、男爵家から荷物は持ってきたよ」の通り、シイラの愛用品がちらちら見える。
クローゼットを開けると、いつもの服の他にも、沢山のドレスや宝石が並ぶ。
しかもシイラの好みであるデザインなものだから、突き返すのも気が引ける。
「とりあえず今日は私も疲れたし、のんびりしてくれ」
(いや、家に帰るわ!)
そう何度か言いかけたけれど、豪勢な食事に、疲れを癒すマッサージ、寝心地がいいベッド……気が付けば、シイラは侯爵邸で眠ってしまっていた。
そして翌朝。
起きると隣には、安定のアルヴィスの姿がある。
(だから何でだ……)
確かに一夜を過ごした仲であるが、だからと言って毎日同衾を許したわけではない。服を着ていようとも、だ。
シイラが揺すって起こすと「早いね」と言いながら大きな欠伸をした。
「今日のうちにギルドの申請書類を書こうか。そうすれば来月にはコスメティックギルドの結成と、ファンデーションの技術が登録されるはずだ」
「あ、はい……」
「申し訳ないが、それで明後日には文官との面談も設けたい。面談は恐らく複数日しなければならないはずだ」
「……はい」
もはや怒る間もなく、仕事の話が矢継ぎ早に飛んでくる。
思ったより忙しくなるな……そう思っていたのだけれど。
(なんで、侯爵邸から出れないの?!)
侯爵邸に来て何日も経過した。
事務処理に追われているのは間違いないが、なぜか侯爵邸から一歩も出れない日々を過ごしている。
確かに申請書類に面談など、侯爵邸の方が都合が良い。
申請書類は実験のデータも必要だし、面談は侯爵邸だからこそのごますりが通用する。悲しい事実ではあるが。
だけどそれを終わらせようとも、また次から次へと用事がやってくる。向こうからやってくるのだ。
「こちらのデザインはいかがでしょうか?腰のリボンが素敵ですよ」
今シイラが受けているのは、ドレスの採寸とデザインの打ち合わせだ。
一昨日は婚約指輪選び、昨日は式の場所の選定など、なぜかアルヴィスとの結婚について進んでいく。
(だから、まだ結婚は決まってないし、そもそも婚約もしていない!!)
そう叫びたかったけれど、隣に座るアルヴィスはさもそのように振る舞っており、こういう公の場で水を差すのは怖くてできなかった。
そして二人の時に反論しようにも……彼は全く話を聞かない。
「だって婚約については“ギルドの結成についてまとまったら”進めるんじゃなかったのか?」
「『急ぎすぎる』って?だから準備は私が主体で進めているんじゃないか」
「安心してくれ、誓いの言葉は長すぎないものにする」
「式の入場は君の歩幅に合わせて調整するよ」
こんな感じで話にならないのだ。
(夜、寝ている間に逃げ出す……も無理だ)
深夜に抜け出そうかと思ったことはある。だが隣で寝ている彼を起こさずに行くのは相当困難だ。
あれから手は出されていないが、彼はいつも起きるとシイラに抱きついて寝ている。それに起きるとすぐに反応するのは、あの厳しい帝国騎士団での名残りなのだろう。
(誰が囲い込みしないって言ったのよ!)
これを囲い込みと言わずに何と言うのか。そんな怒りが頂点に達そうとしていた。
「シイラ」
「……エマルウェル?」
「戻ったぞ!」
寝入った深夜にも関わらず、エマルウェルが戻ってきた。
エマルウェルはこの光景の異様さ──侯爵邸なのにシイラの部屋のものがあり、なぜかアルヴィスもベッドにいる に一瞬顔を歪めたが、アルヴィスの睨みにより敢えてスルーすることにした。
シイラは飛び起きて支度をする。
「早速報告を聞くわ、いいでしょう?」
そう言うとアルヴィスは「まぁ、いいだろう」と許可を出した。
そして隣の研究室で、二人は話すことになった。
夜の暗い研究室に、二人きり、だ。
「い、今すぐ……」
「今すぐ?」
「今すぐ帰るわよ!!」
「はい?!」
そしてエマルウェルを連れて、ダッシュで侯爵邸の廊下を駆け抜けていった。




