不器用だから、愛おしい
そして一言も言葉を交わさぬまま、馬に揺られて日没を迎えた。そして太陽が沈み仄かに明るい空の中、ある屋敷の前に到着する。
(ここは……?)
門を潜った途端、現れるのは──ネモフィラの青い海。
薄明の淡い蒼色の光が、ネモフィラの花びらを照らしている。
そして屋敷の入り口の前で、馬が止まった。
シイラはアルヴィスに抱えられて、馬から降りる。
(なんだろう。不思議な感じ)
まるでどこかで見たような──懐かしい気持ちが蘇る。
「男爵家の屋敷に似てるな」
後からきたエマルウェルが、シイラの後ろでそう呟く。
確かに男爵家の屋敷も、ネモフィラが広がっている。
「でも何か……他でも見た気がするんだよな」
その時なぜか、エマルウェルの横顔が記憶と重なる。
──彼の隣に誰かが居る……?
でもそれは、白い靄となって消えてしまった。
なんだか少し、心がざわざわとなる。
到着した屋敷では、一緒に到着した侯爵家の者がせわしなく動いているよう。
何人もの人が常駐しているわけでは無さそうで、屋敷の暗かった窓に少しづつ光が灯っていくのを、ただぼうっと外から眺めていた。
そして屋敷が整ったらしく、中に案内される。
薄暗い屋敷内では、アルヴィスが蝋燭に明かりを灯して待っていた。
「ここは侯爵家の別荘の一つだ。この辺りで一番安心できる場所だろう」
そして案内されるまま、二階へ続く螺旋階段を上がった。
そしてシイラが案内された客室は、男爵家の部屋と同じようにこじんまりとしている。
だけど不思議と、落ち着く空間だった。
扉が閉まると、ただ重く静かな空気が流れる。
どうして良いかわからず、シイラがとりあえずソファーに座ると、隣にアルヴィスも座った。
「この屋敷はどうだ?」
アルヴィスが沈黙を破った。
「なんだか、落ち着きます……ネモフィラが綺麗ですね」
そう答えると、何故か切なげに目を細めた。
「昨日はすまない」
そうアルヴィスはシイラに向かって、頭を下げる。
「気が気じゃないんだ、あなたがモスウッド・ノワールに取られるんじゃないかって……」
まさかの発言に、シイラは顔をしかめる。
(初対面なのに?)
確かに好意は寄せられているだろう。
でもいくら一目惚れしたとしてもだ。そんな一日で、彼に心を傾けるなんてことは考えられなかった。
「それだけじゃない。あなたがエイステミという自由の国に惹かれるんじゃないか。勉強の為にノクティースに行ってしまうのではないか……ずっと私は、不安なんだ」
アルヴィスは顔を伏せたまま、そう言った。
彼が恐れているのは──シイラが自由になることだろう。
鳥のように自由に飛び立つことだ。
でもシイラは、違和感を拭えない。
「あなたは何でも手に入れることができるでしょう?だから私達を潰して、追い込むことも容易いはず」
──だって回帰前、彼はそうやってシイラを手に入れたはずだ。
「なぜ、それをしないの?」
するとアルヴィスは、当たり前のように言った。
「あなたの心が手に入らないと、意味ないじゃないか」と。
「私の持つ権力は、人を縛るためじゃない。あなたが笑うために使うものだ。だからあなたが心から笑ってくれないと」
彼の伏せた顔が上がり、シイラを見つめる。
「私の持つ全てはあなたのためにある。でも、あなたが自ら私を選んでくれなければ意味がない。あなたが幸せになる為に、私を選んでくれなきゃ意味がない」
その時、シイラに記憶の欠片が流れ込む。
見えるのはアルヴィスが、泣いて縋り付いている姿。
「だって愛しているから」
彼は同じ表情で、同じ言葉を言った。
──どうしてあなたは不器用なのだろう。
余裕ぶって甘い愛の言葉を囁く癖に、いつも心の中は不安で、それを伝える術を持たない。
──そんなあなたが愛おしい。
シイラは気が付けば、彼を抱きしめていた。
アルヴィスは「これ以上はだめだ」と、理性を保とうとする。一度抱き寄せようとしたところで、その手が止まる
──まだシイラに選ばれたわけじゃない。
無理矢理、彼女をモノにしたくない。
でも……
「でも私はあなたを、離したくない」
彼はシイラの手を解く。
そして見つめ合うと──唇にキスをする。
最初は啄むような、優しいキスだった。
だけどシイラが受け入れたとわかった瞬間、キスは激しさを増していく。
(ん、ん……!)
彼の舌が割り入ってくる。
逃さないと言わんばかりに、アルヴィスの舌先が、シイラに絡んで離れない。
──シイラが逃げなかった。
その事実にアルヴィスの思いが溢れて止まらない。
「どうか私を受け入れて欲しい」
彼はシイラを組み敷いて、熱を籠もった瞳で見つめていた。
そして深い口付けと共に──二人は暗闇の中で、一つに溶け合っていった。




