どうすれば一番になれる?
夜会の喧騒が遠ざかり、馬車は石畳を静かに進んでいく。
シイラはそのままアルヴィスと共に、馬車に乗せられた。
揺れの中で、シイラの頭は次第に冴えてくる。
最初は重くぼんやりしていた頭が、少しずつはっきりとしてきた。
「アルヴィス様?」
ふと彼を見ると、怒ったような──悲しい顔で見下ろしている。
「そろそろ、下ろしてください……」
彼はお姫様抱っこをしたまま、シイラを膝に乗せたまま馬車に座っている。
「ダメだ」
アルヴィスはぴしゃりとそう返す。
「アルヴィス様、この体勢は恥ずかし……」
「これ以上何か言うなら、その口を唇で塞ごうか?」
「……」
いつもの不意に出る戯言が、今日は怖い。
「どうしてあれを飲んだ」
「あんなにきつい酒だって、知らなくて……」
それ以上、彼は何も言わなかった。
またあんな戯言を言ってくれれば、まだ気持ちは紛れただろう。だけど馬車には、沈黙だけが流れた。
そして連れて来られたのは、レーヴライン侯爵家だった。
彼はそのまま抱き上げて、シイラを中に連れて行く。
そして連れて来られた場所は──研究室の隣。
回帰前、アルヴィスと夫婦だった頃に使っていた寝室だった。
中は何も変わっていない。
窓の位置も、ベッドも、机も。
あの頃と同じ、最低限の何もない部屋で──まるで時間が止まっているようだった。
「……どうしてここに」
アルヴィスは答えない。
そのままシイラを、部屋のベッドに下ろした。
「どうしてあんな酒を飲んだ」
彼はベッドの淵に腰掛け、身を乗り出すと、もう一度同じ質問をした。
「あんなに強いお酒だとは思ってなかったの」
「あれは別名“レディ・キラー”と呼ばれる酒だ。酔わした女性を持ち帰る為に飲ませる酒だ」
アルヴィスははぁ、と大きく息を吐く。
「随分盛り上がっていたな」
「だって、ノクティースに留学していたって聞いたんだもの」
ノクティースという言葉が出ると、アルヴィスの目がわずかに動く。
「私はノクティースの文献を読んで薬を勉強したの。今でもノクティースは、私の憧れの場所なの」
「行きたいのか?」
アルヴィスは静かに問いかけた。
「でも男爵家にはそんな留学するお金は無かった……」
シイラは言葉に詰まる。
そして気が付けば、涙を流していた。
「できれば……行きたかった」
それは紛れもない事実だ。
回帰前、ノクティースでの楽しかった日々を忘れたわけではない。
仲間と日々研究に没頭した日々は、何物にも代えがたい、大切な日々だ。
「じゃあ金があれば、行くのか?」
アルヴィスはすかさず問いかける。
シイラは首を振った。
「行かないわ」
そう即答する。
「私は男爵家を守らなきゃいけない。私は男爵家の事業を守らなければいけないの。領民の生活が、私にかかっている」
もうシイラは、ただの貧乏貴族の令嬢ではない。
事業を引っ張っていく“男爵家の顔”とも言えるのだ。
だから今更、ノクティースへ行くなんて考えられない。
するとアルヴィスは、突然顔を伏せた。
肩も小さく震えている。
「……アルヴィス様?」
彼が顔を上げると、驚いた。
紫の澄んだ瞳から──一筋の涙が頬を伝っていたのだ。
「どうして泣くの?」
シイラは戸惑い慌てるが、アルヴィスは答えない。
そしてようやく、口を開く。
「どうすれば」
息を吐くような、小さな声は震えていた。
「どうすれば、あなたが手に入る?」
涙を拭い、アルヴィスは続ける。
「どうすれば、あなたの一番になれる?」
まさかの問いに、シイラは困惑する。
「だから、何でそんなに必死なの?」
彼は全てを手に入れることができるはずだ。
権力も、お金も、全てのものが彼の中にある。
必死に愛を乞うよりも、逃げ道を塞いで──それこそ『しない』と言った囲い込みをすればいいだけだ。
「いつも何かに追われているみたい」
そう呟くと、アルヴィスの瞳が一瞬泳いだのを見逃さなかった。
「だってそうでなければ、あの子が……」
アルヴィスは何かを言いかけて、はっと口を噤む。
(あの子?)
シイラは眉を寄せるが、アルヴィスはすぐに顔を逸らした。
「いや、何でもない……」
首を振ると、額に手を当て、何かを考えている。
「すまない……」
彼はそれだけ言うと、立ち上がった。
そして背を向けて、部屋のドアに向かい歩いていく。
「酔いが冷めたら帰りなさい」
たったそれだけ言うと、部屋を出て行った。
扉が静かに閉まり、シイラだけが部屋に残された。




