芽生えはじめた気持ち
そして数日後、思いがけない連絡が届いた。
「えっ、本当に?」
ドロテアから手紙が届いたのだ。
『ペレザンス伯爵家から試作品を買い取りたいという話がきた』という内容だった。
理由は書かれていないけれど──シイラは手紙を見つめたまま、固まってしまった。
こんなに早く、反応があるなんて。
『よろしければ、一緒に行きませんか?』
シイラは早速ペンを走らせ『是非ともお願いします』と返事をした。
それから数時間後。シイラとドロテアは、馬車でペレザンス伯爵家に向かっていた。
早速伯爵家からも、訪問の許可が下りたのだ。
馬車が門をくぐった瞬間、シイラは息を呑む。
大きな噴水が聳え立つ、立派な庭園が目の前に現れた。
そして馬車は邸宅の前に止まる。
玄関ホールに入ると、高い天井から巨大なシャンデリアが吊るされていた。また侯爵家とは違い、石壁の重たく静けさが漂う空気は、伯爵家の積み重ねられた年月の重みが伝わってくるようだ。
そして階段の側にあるのは──青い髪の女性の像が聳え立つ。青い硝子の髪はシャンデリアの光を含み、キラキラと輝いているように見えた。
案内された応接室で待っていると、軽やかな足音が聞こえてくる。
「お待たせしました」
現れたのは、明るい雰囲気の令嬢だった。
長い金髪を可愛く編み込み、くるりとまとめたかんざしには大粒の宝石が光る。
「レイチェル・ペレザンスです」
彼女のハキハキという声が、応接室にひびいた。
「シイラ・クニューベルと申します」
シイラが深々と頭を下げると、意味深に「常々噂はお伺いしています」と肩を竦めた。
アルヴィスのことが噂になっているのだろう。何だか恥ずかしい。
面識のあるドロテアと少し雑談をしたあと、レイチェルがシイラに切り出した。
「そうそう、実はこれがね、気になっているの」
そう言って、彼女は襟の詰まったドレスの襟元を少し下げた。
そこにあったのは──大きな痣だ。
鎖骨の少し上あたりに、親指の大きさほどの痣が広がっていた。
「これは生まれつきなの。だから胸元の開いたドレスが着られなくてね」
社交界では、胸元が開いたドレスが一般的だ。
襟の詰まったドレスはあまりデザインの選択肢も無く、華やかさにも欠けてしまう。
レイチェルはそのことにずっと悩んでいたらしい。
「みんな痣のことは知っているけど、何だか堂々と見せるのは嫌だなって思ってたの。ドロテア様に聞いた時、これで痣を隠せるんじゃないかって」
レイチェルは期待に満ちた目をしている。
これは失敗できないなと腹を括り、シイラはあのコンパクトを出した。
「完全には難しいかもしれませんが……」
レイチェルは「まぁかわいい」と、硝子に花弁が描かれたコンパクトを眺めた。
そして開いたコンパクトを差し出すと、レイチェルは少量を指に取り、慎重に痣の上に伸ばす。
何度か色を重ねていくと、濃い赤紫が少しずつ薄れていった。
「……すごいわ」
完全には消えない。だが遠目ならほとんど分からないほど、痣を薄くすることができた。
レイチェルは鏡を見て目を見開いた。
「これならば胸元の開いたドレスが着れるわ」
彼女の明るい笑顔を見ると、ほっと一安心だ。
シイラはいくつか持ってきたサンプルを見せた。
より彼女の肌色に合うものを選ぶためだ。
「あなたは首筋が白いので、やはりこちらの方がいいかしらね?」
ドロテアは彼女に近付いて、持っているファンデーションの色を見ている。
そのとき、彼女はふとドロテアの顔を見て首を傾げた。
「あれ?ドロテア様、近くでお顔を拝見して気付いたのですが、お顔色が良くなりました?」
ドロテア様はクスリと笑った。
「これもこのファンデーションを使っているの」
少し顔色より明るい色──以前の肌に近い色を使用しているのと、肌の手入れに使うパフを使って広げているのだというのを説明する。
ちなみにパフを使うのはシイラは思いつかなかったドロテアのアイデアだ。
レイチェルはすっかり興味津々に聞いている。
「あの、これ全部欲しいわ。お友達にもお配りしたいの」
結局、持って行った試作品十点を買い取って貰えることになった。
シイラは信じられない!と驚く。
彼女に使ってもらう。それだけで宣伝になると思っていたのに──まさか彼女からも、宣伝してもらえるとは。
そして執事と金額のやり取りを終えると、帰る準備を始める。
準備が終わったシイラを見て、レイチェルがにやりと笑った。
「あなたがアルヴィスを射止めた人なのね」
「え?」
思わず固まる。
昔から交流があるんだろうとは思っていたが、“アルヴィス”と呼び捨てで呼ぶ仲だったのか、と。
「いやー、あの冷血漢が愛を囁くって何の冗談かと思ったわ。私、あの人の表情筋が動いたところ見たことないのよ〜」
レイチェルは楽しそうに言う。
「だから今度、アルヴィスがデレるところを是非とも見たいわ。楽しみにしてるわね」
そして帰りの車内。
全て売れて嬉しい気持ちと同時に、何かが心に引っ掛かる。
沈黙が続いたあと、ドロテアが言った。
「一応言っておくと、レイチェルとアルヴィスには、昔婚約話があったのよ」
シイラは思わずごくりと息を呑んだ。
ドロテアによると──ペレザンス伯爵家はドストラム王家の血を引く家門。昔から親しくしており、歳が近いアルヴィスとレイチェルは婚約者候補だったらしい。
「でもアルヴィスが戦争に行くからと、婚約話を全て白紙にしたの」
戦争から帰還した後も、何度かこの話は出たらしい。
だが結局アルヴィスは『結婚する気はない』と突っぱね続けて、今に至ると。
「誤解のないように言っておくと、正直進まなくてよかったと思っているわ。私たちは聖女の血を引く家系でしょう?だから反皇帝派が担ぎ上げようとしていた……」
──もし婚姻していたら、前皇帝に潰されていた。
はっきりとは言わないが、そういう事だろう。
侯爵家は“持ちすぎた”のだろう。何もかも。
現にはっきり支持を示している現皇帝が即位しても、彼らの“人質”生活は終わらないのだから。
「だから正直、家門で考えてもあなたの方が都合がいいわ。それ以上に私はあなた達を気に入っているけれど」
ドロテアはシイラの頭に手を置いて、柔らかく微笑んだ。まるでそれは、実の子供に向ける笑顔のように。
頭では理解している。
権力闘争と無縁なクニューベル男爵家と婚姻を結ぶことは、皇室にとっても喜ばしいことなのだろう。
侯爵家の立場もわかっている。
──それでも、シイラの胸は重い。
シイラの頭の中に、レイチェルの姿が浮かぶ。
明るく社交性が高い『名門の令嬢』の見本のような彼女の姿。
そしてあの伯爵家の屋敷。
歴史があり、聖女を大切にしている共通点も──。
侯爵家に嫁ぐ者は、ああいう人の方が相応しいのだろう。
(いや、私はアルヴィス様と結婚する気は……)
彼と婚姻を避けるために、今世を生きてきた。
なのに──どうして沈んでいるのだろう。
理由が分からない。
けれどその夜、シイラはアルヴィスのことばかり考えていた。
彼から届いた手紙を、繰り返し読んでは、彼のことを思い浮かべてしまう。
『収穫の大変な時期に、問題が発生してなかなか帰れない』そんな他愛もない話の最後は、こう締めくくられている。
『あなたに会えない日々は、何だか物足りない』
──『早く会いたい』
皮肉にも、シイラも同じ気持ちが芽生え初めていた。
その事にシイラは、気付かないフリをすることにした。




