硝子の中の未来
そして迎えた翌朝。
アルヴィスはすごく機嫌が良かった。
見たことのない笑顔と愛嬌だと、ウルフラはシイラにそっと耳打ちする。
(何か、ありましたよね……?)
(言わないで)
この時初めて、あの昨夜のキスを後悔した。
そして馬車では、アルヴィスとは向かい合わずに座らず、隣に並んで座られた。そしてシイラをじーっと上目遣いで見てくる。
(……子犬かしら?)
耳と尻尾をパタパタさせている、構って欲しい子犬に見えてくる。
でもそんな雰囲気に耐えられず、シイラは顔を背けた。
すると手を絡ませるように握ってくるが、それも無視することにした。
「……シイラ」
「はい?」
「私達は恋人ではないのか!?」
なぜいきなりそうなるのか。
顔を歪めるシイラに向かい「まさか、弄んだのか?」と言い放ち、シイラは頭を抱えた。
「アルヴィス様、恋人でなくても挨拶にキスはするでしょう」
「しかしその気にさせるとは。人の心で遊ぶ、困ったお姫様だ」
(……)
相変わらず、彼の戯言にどう反応して良いのかわからない。
「じゃあ聞こう。私に何が足りない?」
「とりあえず……黙っててください、喋らないでください」
頭にはてなマークを浮かべるアルヴィスに、畳み掛ける。
「アルヴィス様は黙っていれば、国一番の美丈夫です。それでいいんです。喋ることで台無しになってるんです」
まさか、という感じでぽかんとしている。
なぜか意外だったのだろう。
「わかった、努力しよう。でも溢れる気持ちを抑えられなかったら申し訳ない」
いや、それは治す気はないんだろうな……と密かに悟った。
(黙っていれば、かっこいいんだよ)
絹のようなプラチナブロンドの髪に、淡い綺麗な紫の瞳。はっきりとした顔立ちの微笑みは甘く、おまけに長身の体は騎士団で鍛え上げた筋肉質。
時代が違えば、きっと彫刻像にでもなっていただろう。どこかの城や教会の彫刻像として永遠に残っていたに違いない。
「恋人でなくても、せめて手は握ったままでもよいだろうか?」
しゅんと小さくなるアルヴィスが、何だか少し可愛く思えてきた。
シイラは返事をしなかったが、彼と同じように指を絡めた。アルヴィスも言葉にはしなかったが、抑えきれない喜びが、口元から滲み出て微笑みになっていた。
そして今日の目的地である、硝子工房に到着した。
侯爵領一番の大きさと言う工房は、広いながらも炉の熱気で満ちていた。
三基ある溶解炉には、それぞれ職人が数人がかりで作業に当たっている。炉の中の溶融硝子は、太陽の欠片のように赤く燃えていた。
そして離れた作業台では、硝子の加工が行われていた。
「すごい……!」
まだ柔らかなガラスが金属の工具で摘まれると、弧を描くように伸びる。そして手慣れた職人の手により、様々な形に変化していく様子が面白い。
そして責任者であるここ一番の職人が現れ、ここの硝子の説明が始まった。
「この工房の強化硝子は帝国一です。薄くても丈夫で、透明度もピカ一なんです!」
彼が熱弁しながら、いくつか作品を持ってくる。
美しい蒼色の花瓶は、まるで海のよう。刻まれた曲線が波のように広がり、淡いグラデーションが光に透けて綺麗だ。
そして『軟膏入れと聞きまして……』と、いくつかケースのサンプルも持ってきてくれた。
予想より少し大きいけれど、大分イメージに近い丸円の形で、つやつやとした真っ平らな面が輝いている。
「かわいい……!」
この表面に模様を施せば、ころんとしたジュエリーボックスのように可愛くなりそうだ。いくつも並べてコレクションするというのを勧めても良いだろう。
だけれど──
「……少し重いわね」
硝子の蓋を捻って開ける構造は、いくら薄い強化ガラスを使っても重い。指がつるつる滑ってしまうこともあり、女性が開けるのにはかなり力がいる。
「ですよね……」と眺めている職人達は、苦笑いしている。
「いくつか案は考えてます。もう少し小さくしたら噛み合う構造が上手く行かなくて、製作の過程でかなりロスが出てしまいまして……だから多少ザラザラした面を側面に持って来ようかなと思っているんですが、そうなると透明度が……」
その時、シイラは別の卓に目がいった。
そこで作られているのは、小さな鏡だ。
「あの、あれは何かしら?」
「あちらは、あの、携帯用の手鏡の作成を行なってます」
職人の手により、手のひらサイズの丸い鏡が、同じサイズの金具にぴったりとはめられていく。
「最近、携帯用の鏡の需要があるとのことで、作り始めました」
その携帯用の鏡は、シイラが知っているただの持ち手付きの手鏡では無かった。
二枚の丸いガラスが金属の金具にはまっており、蝶番でつながれた金属の蓋を開くと、内側の鏡が現れる構造をしている。鏡面は表に出ないので、傷がつく心配のない持ち運び用の鏡だ。
あることを思いついたシイラの目が輝いた。
(これ……合体できない?)
捻る構造ではなく開く構造であれば、簡単に女性でも開けられるだろう。
「あの、こんな鏡付きのケースにできないかしら?」
周囲が静まり、シイラに視線が集中する。
「このようにパカっと開く構造にして、内側の片面は鏡、もう片方は少し深くして軟膏を入れるの。そしたら開けばすぐに使えるし、持ち運びもできるでしょう?」
そこまで言って、シイラも考え混んだ。
「ただ軟膏はもう少し粘着のある……水分が多すぎないものがいいわね。その辺は軟膏の改良の余地は充分あると思うの」
辺りは静まり返る。
沈黙を破ったのは、アルヴィスだ。
「それは実に合理的だと思う」と。
「毎回侍女を呼ばすとも、化粧直しが可能になるのではないか?」
「そうですね、しかも細かな直しならメイクルームを独占せず行えますね」
そうウルフラも賛同した。
職人達は、ざわついている。
「構造的には可能だな……」
「しかし留め具の改良が必要だが」
「丸に拘らずとも、四角形であれば正確なカットが……」
工房の熱気の中、瞳を輝かせた職人達は意見の交換を始めた。
紙を持ってきてデザイン案を描く者、様々なガラス製品を持ってくる者。机を中心に、職人が集まっている。
その中心で意見を述べるのは、シイラだ。
シイラが中心になり、様々な意見が交換されていた。
アルヴィスはその姿を見ながら──ふと、過去を思い出していた。
あの時の彼女は……
夜遅くまで灯りが消えない部屋で、一人で作業に当たっていた。
誰にも頼らず、黙々と──毎日少しづつ調合を変えて、あれに“合うもの”を作っていた。
「やはり持ち運べるようにしましょう。コンパクトミラーに似ていれば誤魔化せるでしょう。でないと……」
まだ流通したばかりのコンパクトミラーを、彼女は一人で改良していた。
──まさか形は違っても、同じものにたどり着くとは。
先程から震えが止まらない。
叫びたい衝動を必死に堪えている。
(今度は……あの先を、共に見られるかもしれない)
失意の中で終わった彼女の思いは……今度こそ叶えられるのかも知れない。
──硝子の中に、幸せな未来があるの信じたい。




