忘れていた最期の記憶
──夕暮れの赤色が部屋に差し込んでいる。
ここはあの屋敷の中の、ゲストルーム。その中でシイラは机に向かいペンを走らせていた。
──あの虹色のダリアを、そのまま閉じ込めたい。
色彩の海の感動が消えないうちに書いておきたいのだ。
容器は部屋に飾っても違和感のないもの……また持ち歩きたくなるようなデザインにしたい。
だから容器は硝子の色付きにして、花弁の彫刻を施したい。そしてその容器に合わせた雰囲気の軟膏を調合する。そうすれば“なりたい雰囲気”の肌色にもなれるはずだ。
これも全て、男爵領にはない花の色彩を見て思いついたことだ。
(中に花弁が舞うような彫刻って、どうなるかな……)
シイラの心は弾んでいた。
今まで可愛いものに縁が無かった分、余計に楽しみにしているのだ。
そしてドアがノックされると、アルヴィスが顔を出した。
「そろそろ夕食だが、大丈夫だろうか?」
「はい、参ります」
シイラは書いていたものをまとめようとしたら、アルヴィスがそれをじっと見つめている。
「明日、硝子工房に出す案だけど、どうでしょうか?」
「……あ、うん、いいのではないかな?」
何だかその言い方に、少し違和感があった。
(いつもの感じじゃないな)
いつもならどんなことでも大げさに感動するのにな……と、なんだか白々しい台詞が無いと物足りなくなってることに気付いた。
そして案内された食堂は、二人分の準備がされていた。
席に着こうとすると、給仕の者より先にアルヴィスが椅子を引いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
座った後も、隣のシイラのナプキンを先に整え始める。
「……自分で、やるわ」
「私がしたいだけだから、気にしなくていい」
ニコッと向ける笑みは眩しくて、また彼の通常運転が始まったようだ。
そしてドアが開くとワゴンに乗せた料理が運ばれ、シェフによる料理の説明が始まる。
「こちらは川魚のソテーでございます。この辺り一帯は水が綺麗なので、川魚の産地としても有名なのです」
わぁ美味しそう、とナイフを取ろうとしたが、先にアルヴィスがシイラの皿を自分の方に寄せる。
そして魚の骨を取り分け始めた。
「少し待って」
「あのー、子どもじゃないです」
「骨が刺さってはいけないからな」
ふん、と得意気なアルヴィスとは反対に、料理長は盛大に焦っていた。
「でも一度は、この魚をあなたに食べさせてあげたかったんだ」
その言葉に料理長はほっと一安心。
シイラも一安心である。
確かにこの魚は川魚独自の臭みがなく、身もふっくらとして非常に美味だ。
そして料理の説明が終わり、アルヴィスと二人きりになったところで、シイラは切り出した。
「ケースが完成したら、一度領地に戻ります」
アルヴィスは豆鉄砲を食らったような顔になる。
でもこれはシイラの想定内だ。
アルヴィスはわずかに目を伏せ、間を置いてからナイフを置いた。
「どうしてだ?」
「ケースに合う軟膏を考えたいと思います。材料が無いから戻らないと」
「戻る必要はない」
声のトーンはそのままで、こう言った。
「侯爵家で作ればいいだろう?」
そしてもう一度ナイフを手にする。
「侯爵家に実験用の設備は揃えさせてある。男爵家の設備に近いものを揃えさせた。材料も取り寄せよう。今夜中に手紙を出せば、帰るまでに届くだろう。それに人材が欲しくば採用しよう」
シイラは混乱している。
正直なところ、離れている間に色々心の整理もできるかと思っていた。なのに隙を与えられない。
(外堀、埋められてる……?)
はぁーっとおもわず大きく息を吐いてしまう。
これも自分が、彼に靡かない素振りをしているからなのだろうか。
「そんなに囲い込まなくても」
その瞬間、アルヴィスの目が一瞬だけ吊り上がった。
ほんの一瞬だけ。
「囲い込む?」
しばらく間を置くと「いや、違うな」と呟いた。
「シイラ、囲いこむというのは誤解だ。安心して欲しい」
またナイフを置き手を伸ばすと、シイラの髪をそっと掬い上げた。
「もし不満があれば領地に帰ればいい。判断はあなたに任せる。絶対に逃げ道は塞がない」
いや、そもそも逃げ道という言葉を使う時点で、自覚はあるんじゃないかとは。
「ただ、私を一番に選んで欲しい。それだけなんだ」
彼の視線は甘いようで……どこか哀しげにも思えた。
だからこそ、シイラははっきりと『帰る』とは言えなかったのだ。
そして一言も発せられないまま、食事が終了した。
食器は下げられ、侍女も退出し二人きり。これからどうしようか……と思っていたら、アルヴィスはシイラの手を取った。
「もう少し、一緒に居てもいいだろうか?」
甘く囁く声。
だがこれは……“お願い”ではないのだろう。
手の甲を包み込んだかと思えば、指が絡まり離れることを許さない。一種の脅迫のようだ。
シイラが頷くと、アルヴィスは夜の庭へ連れ出した。
ほのかな月明かりだけが照らす道を、二人で歩く。
昼間に見た、虹色の花畑はまた違う表情を見せる。
月明かりの下ではどこか夢のように淡く、闇の中に静かに浮かび上がっているように思う。
「夜も綺麗ね」とシイラが呟くとアルヴィスは視線を落として、首を振る。そして「私は別のものに見惚れてる」と、じっとシイラを見つめた。
「私はこの国で手に入らないものはない。金も、権力も、いくらでも手にすることができる。人も、運命も、歴史さえも動かすことができる。それなのにただ一つ、どうしても手に入らないものがある。それは……あなたの心だろう」
固く絡めた指ごと手を持ち上げ、彼はその甲に静かに口づけを落とした。
そして低く甘い声で、囁く。
「あなたの世界が、私だけで満ちていればいいのに」
そっと肩に触れ、抱き寄せられようとしたけれど──シイラはそれを拒んだ。
「どうしてそんなに、必死なの?」
思わずそう問いかける。
逃げ道を塞がないと言っておきながら、彼は選択肢を与える隙もなく迫ってくる。権力を盾に。
──逃げられるわけなんかないのに。
選択肢を与えられているようで、与えられていない。
「失いたくないんだ、二度と」
彼は切なげに目を細める。
その瞳は、淡いアメジストが輝きを放っているようだった。
──えっ?
その時、何かが頭の中にフラッシュバックした。
──あれは最期の記憶?
血まみれの彼は瞳に涙を溜めて、見下ろしている。
淡い紫の瞳から、大粒の涙が流れている。それを最期の力を振り絞って、手を伸ばして拭った。
気がつけば、シイラは涙を流していた。
アルヴィスは「どうした?」と慌てふためく。
「ごめんなさい。なんでも、ない」
俯き涙を拭うシイラを、アルヴィスは抱き寄せる。
今度は拒めなかった。
──あんな顔を思い出してしまったら、拒めないじゃない。
あの映像が本当ならば、彼はどんな思いで最期を見送ったのだろうか。
「あなたの温もりが、何よりも愛おしい」
そう言ってアルヴィスは、強く抱き寄せた。
だが、その力強さとは裏腹に──声には震えが滲んでいた。
そして夜も更け、寝る時間になった。
アルヴィスはシイラをゲストルームの前まで送る。
「おやすみ、私の天使」
そして当たり前のように、手の甲にキスをする。
そのまま手は離れず、名残惜しそうにシイラを見つめている。
シイラはさっきの顔が、ずっと頭から離れない。
──冷たいはずのあなたに、あんな顔をさせていたなんて
シイラは背伸びをすると、アルヴィスに顔を近づけた。
そして頬にそっとキスをする。
「おやすみなさい!!」
呆気に取られている間に、勢いよくドアを閉めた。
(やってしまった……)
なぜか衝動的にやってしまった。
後悔はしていない。
だけどいつまでもいつまでも、心臓の音が煩く鳴り響いていた。




