春を見に行こう
翌朝、クニューベル男爵家に侯爵家の馬車の迎えが来た。
(うわ、やっぱ夢じゃなかった……)
昨日はあれから、手紙を書くアルヴィスを置いて帰ってきた。
そして侯爵家で話し合ったコスメティックギルドの結成の話などをしていると──侯爵家から手紙が届いたのだ。
『クニューベル男爵、及び男爵夫人
明日から一週間程、御息女シイラ嬢をお借りしたい。ニ日ほどかけて我が領地オールテア地方に行き、春で彩られた花畑をご覧いただきたい。きっとこれから創るコスメティックのヒントになるでしょう』
三人が思うことはただ一つ。
『体裁の良い誘拐か?』
「……まぁ、なんだ。侯爵家に気に入られて損はないはず」
「お父様、娘を売る気ですか?」
「売ると言うか……売れと喉元にナイフを突き付けられている、というのが適切ではないか?」
確かにごもっともである。
尚且つ、うちはそれに逆らえる立場ではない。
「まぁなんだ……こんなに情熱的な手紙を隠しもせずに寄越すのだから、レーヴライン侯爵は悪い人ではないのだろう」
そしてもう一枚、手紙が入っていた。
それを広げた瞬間──ひいぃと嫌な声が出る。
『親愛なるシイラ
今日あなたがもういないことに気づいて、胸の奥がひどく静かになりました。
怒っているわけではなく、ただあなたの声をもう一度聞きたかった。
ほんのひと言でいい、「またすぐ会おう」という声が聞きたかったのです』
(何なのこのポエム!)
『だけど今、私の心はまるで祭りの前夜のように、心が光で満ちている。
君と歩く春を彩る花畑、肩が触れ合う瞬間、同じ空を見上げるその一秒一秒を、もう想像してしまっている。
馬車の窓から差し込む光の中で、君の横顔をそっと眺める自分を思い浮かべるだけで、世界が少しだけ特別になる気がしている。
私にとっての本当の目的は「君と過ごす時間」だ。早く君の手を取って、何もかも忘れて笑い合いたい。
君は何も持たなくていい。全て私に任せて欲しい』
あまりにダサ……いや、情熱的なポエムに胸焼けを起こして気持ち悪い。
「お父様、寝ます……」
とりあえず全てを忘れて寝ることにした。頭を抱えて自分の部屋へと戻り、ベッドに倒れ込む。
翌朝、夢であってくれと願っていたが──その願いは虚しく、侯爵家の馬車が迎えに来てしまった。
「さぁ可愛い天使、お迎えに上がりました」
馬車が止まり、シイラを見ると一目散に飛んできたのはアルヴィス。
さり気なく手を取ると、指の先に口付けをする。
(何かもう、慣れちゃったな……)
昨日は恐怖のあまり身もよだつ心地だったが、一夜明けた今、不覚にも慣れてしまっているようだ。
とは言え決して居心地の良いものではないが。
そしてアルヴィスは両親にも頭を下げる。
「クニューベル男爵。及び男爵夫人。
この度は御息女シイラ嬢を我が領地にお連れいたします。無事帰れますようこちらも最大限配慮させていただきます」
まさかの“侯爵”が頭を下げていることに、むしろ両親が萎縮している。
そして裏で続々と運び込まれるのは、この家への貢物だろう。
「ご勝手な判断ですが、シイラ嬢及び男爵夫妻には僭越ながら侯爵家からの贈り物をさせていただこう。これから先、社交界で必要なものを揃えさせていただいた」
にしてはやりすぎじゃないだろうか。
皇都一の仕立て屋の箱に入ったドレスやコート、宝石に帽子、ステッキに日傘……どれも男爵家には縁が無かった、社交の際に着飾るアイテムだ。
(いくらかかるんだ……)
恐ろしく身をぶるぶる震わす両親に、アルヴィスは当然と言った顔でこう言った。
「未婚のお嬢様をお借りするので、これは当然だろう」
しかしシイラにとっては一大事だ。
(私の貞操と引き換えってことじゃ……?)
身売りと何が違うのか。
だけどアルヴィスは、そんな考えを見透かしたようにふふっと笑う。
「あなたの貞操はきちんと守ることは約束しよう。ただし……」
「ただし……?」
そして耳元でこう囁いた。
「あなたの同意を得るのなら、その限りではないけれど」
(なっ……)
顔を真っ赤にするシイラに、にやりとからかうような笑みを見せる。
「まぁ同意を得られることを願ってはいるけどね」と言いながら。
そしてシイラを乗せて、馬車は出発して行った。
侯爵家の紋章が刻まれた黒塗りの馬車は、静かな振動を伴って道を進んでいく。
内装は深い紺と金で統一され、分厚い絨毯が足音を吸い込んでいる。揺れはほとんど感じなくて、男爵家との馬車の違いを感じた。
(でもやっぱ居心地悪い……)
護衛でエマルウェルも付いてきているし、侯爵家からも護衛や従者など何人もの人が付いてきている。
だが馬車には当然、二人きり。逃げ場がない。
そしてさっきから、アルヴィスが頬を紅く染めて、上目遣いでこっちを見ている。
そして目が合う度に、にっこりと口角を上げる。
ただそれをひたすら、繰り返しているのだ。
(何か言ってよぉぉー)
もう皇都をとっくに出ているのに、まだ飽きもせずに続いている。
「あ、あの、侯爵様……」
ついに沈黙に耐えきれず、シイラが切り出す。
「侯爵様ではない、名前で呼んでくれないか?」
「へ?」
「“アルヴィス”だ」
「……アルヴィス、様」
「まぁ今のところは、それで勘弁してやろう」
アルヴィスは満足そうに、得意げにふん、と息を吐いた。何だかそれはそれで、イラッとなる。
「あの」
「何だい?」
「何か、お話でも……」
「あぁすまない。君がここにいるという奇跡に感謝し、余韻に浸っていたのだ」
「………」
にしては浸りすぎだろう。
とりあえず、聞こうと思っていたあのことについて口を開く。
「あの、フィリー港について、あなたのお父様から聞きました」
フィリー港の出来事は、回帰前にはなかったことで──自分が回帰したことによる歴史の改変は、ここからだったのではないかと。
そう思っていたことでもあった。
「私はフィリー港のおかげで文献が手に入り、随分助かりました。でもなぜあの地に港を切り開こうと思ったのですか?」
アルヴィスの瞳は、さっきの柔い光から、険しく鋭い光に変わる。
「元々、あの海域では失踪事件が多くてな。それにまだ小さな漁港だった時代から報告書の数字が合わないのが普通ときたもんだ。それで調査を進めていくうち、“他国と関係悪化”を狙う者が海賊に出資していることが何となくわかってきたわけだ」
──それが第二皇子だった。
はっきりとは言わないが、そういうことだろう。
アルヴィスは姿勢を崩して、足を組む。
「第一皇子……いや、現皇帝は自己本位だが気が弱い。他国に戦争をふっかけるほどの根性はないし、ふっかけられたくもない。だから内密に討伐することを唆し、俺が先頭に立った。結果討伐に成功し、俺は褒美として管理権を貰い、侯爵家が出資して国際港に発展させた。侯爵家はいざという時の為に、他国に近い港が欲しかったからちょうど良かった……」
でも次の瞬間、目を細めて──蕩けるような甘い視線を送る。
「でもあなたの役に立ったなら、やっぱりフィリー港は、あなたの為だった」
どうしてそんな結論になるのか。
シイラはどういう反応をしていいかわからず、引き攣った笑顔を浮かべるしかなかった。
アルヴィスのポエ……いや情熱的な手紙は『スペイン人が書く情熱的な恋人への手紙』をキーワードにしてAI(ChatGPT)で出力したのを参考にしてます。




