第33話
お茶のおかわりを二人分持ってきてイスに戻る。
ひとまず髪の毛の件は、マカナに強く害意があったわけでないことだけは謝罪させてもらった。ただ、事実として……マカナには酷いことをしてしまっている。
口や手足どころか、体全てが忙しなく動き続けていた私が気を静めることに成功した頃合いで、話し合いの続きが再開。
「どう、少しは落ち着いてきた?」
「おかげさまで……」
はい、おかげさまで致命傷です。
マカナがおかずの中に、私の髪の毛を混ぜていたことに気付いているのは、なんとなく想定できた……最悪の事態を考えたらおのずと。
確証は持てなかったのだけど、マカナは私の作ったレシピノートを興味深く見ていたし、バレーボール県予選大会の表彰式で料理について聞こうとしていた。
そんな歩み寄ろうとするマカナを見ないふりし、いつバレてしまうのか不安で、気持ちは悪いほうへ、濁りきった底に沈むよう。
「髪の毛を一本入れたぐらいで……ご丁寧に下処理や、味付けも工夫してくれてさ。しかも、糸もアウと同じものを食べていたんでしょ。もう、感心しちゃうよね」
「普通は不快だと思うよ。食べようとしている料理に人の異物が入っていたら……」
私は……途中で手が止まってしまい、食べきることが難しかった。生理的に体が拒絶してしまう。
「アウにとってはこれが普通だね。そりゃ、糸がアウへの嫌がらせ目的なら……間違いなく人間不信になっていたけどさ」
「似たようなものでしょ」
髪の毛が入っていたのは事実なのだから。
「全然違うよ! 糸がアウのことを嫌いでやっていたのなら、ハワイから日本に戻ってきたそのものを、全て否定されていた……と感じていただろうね」
「その感じる違いが……私に分からない。だって、髪の毛をわざと入れていたのは事実でしょう? マカナはもっと、私のことを責めて、怒ってもいいんだよ!」
何でもかんでも許されたら、より一層マカナへ甘えてしまう。マカナは優しいから、それすらも許してくれそうだけど……優しさに甘えてしまう私は、私が一番嫌い。
「……きっと、アウの考え過ぎかもしれないけどさ…………」
大きく笑顔を見せて、それから、少し泣きそうな顔を出して……優しく微笑む。私なんかを安心させようとするために。
「糸が糸のお母さんを嫌っている理由に、アウがハワイから送っていた手紙も関係していたと思うんだ」
「だからあの手紙は——」
出てきた自分の声色に驚き、思わず口を閉ざす。怒気をはらんだこの声は……幼き私を叱りつけていた、あの母の声と似たような雰囲気を覚えてしまう。
「アウ達の家族は糸のおかげで離れ離れにならず済んだ。なのに私は糸へ何年もの間、感謝を押しつけてしまっていた。糸に嫌われる充分な理由だよ」
「なんで! ただマカナは家族で仲良くしていただけじゃん! 当たり前のことなのに! そっちは……なにもわるくないのに……」
ふと、マカナへ手紙を返信しようとした記憶が頭をよぎる。マカナ達、家族三人の写った写真が手紙と一緒に送られてきて、私も写真を送るべきか悩んだとき。
……たしかあのときは、あの人が私達を捨てて一年も経っていなかった。あの人が家から消えたのは分かっているのに、心の中が整理できていなくて…………
「やっぱり……アウの送った手紙で糸を傷付けていたのも事実なのだろうね」
「でも! ……でもッ!!」
泣きわめて駄々をこねる子どものように。今日だけでも何回も恥ずかしい思いをしたのに、でも……それでも、マカナを傷付けたくないの。
今までマカナにとって幸せだった家族の時間を、真っ黒に染まった私のせいで、上書きしたくないよ……
「なのでさ、これでおあいこにしよ」
「へぇ?」
体中で暴れていた炭酸水が、ただの水に変わるぐらい……刹那のごとく、気の抜ける音を口に出した。
「糸とアウは、これから先も長い付き合いになるんだよ。迷惑をかけて、かけられて。お互いに許して。糸もさ、自分自身のことをゆるしてあげて」
「ゆるす……」
——途中で途切れてしまった、マカナへどんな写真を送るか悩んでいた続きの記憶。
どんな写真を送ればいいか分からないあまり泣きそうな私に、『糸は相手のことを思いやれる、よい子だ』と慰めてくれて、お父様も一緒に悩んでくれた。
最終的にお父様が、私のワガママに付き合って、数えきれないほど撮り続けて、苦労して笑顔をつくれた写真に。
なんとか写真を撮り終え、マカナへ送る封筒に手紙と写真を入れたとき、珍しくお父様がポツリと呟いたんだ。
『父さんも悪いところはあったと思うからな……糸も、母さんのことも許してやってな』
それは、今思うと……お父様が自分自身にも言い聞かせていたのかもしれない。でも、あのころの私は母だった人を許すことはできなくて……今も許せずにいる。
「糸が……糸のお母さんを許すことができないのは、仕方がないかもしれない。お母さん本人と直接話すことも……もうできないし」
「そうだね、話す前にあの世へ逃げられちゃった……」
いささか、あの世へ逃げたというには……語弊があるのかもしれない。最期は、曲がりなりにも……親としての責務を果たそうとしたのだから。
私に関係のない話しだけどね。
「それでさ、お母さんのことは許せなくても……糸は自分のことを許すべきなんだよ。向き合いたい人がいるんでしょ? アウの他にも」
おそらく……マカナは、お父様からあの子のことを聞いて、急遽泊まりに来たのだろう。
歪なまま、家族を大事にしないと……愛してあげないと…………糸で絡まり、捻じれ、キツく結んでしまった私を……ほどくために。
「……うん。マカナのほうが大事だけど……あの人がいなくてもお父様がいた私と違って、あのときの私と同じくらいの歳で、頼るべき両親もこの世にいない……妹の…………絹を……愛してあげたいの……」
相羽絹。
この前、麦島さんと参加した被害者支援のボランティアで一緒に料理をした……私が拒絶反応を起こすぐらいに苦手な女の子。
それもそのはず、絹は私と同じ母親から生まれた異父姉妹なのだから。
最初にボランティアで会って、相羽と聞かれただけでは自信が持てなかった。
あの人が亡くなっていたと伝えられ、お父様と一緒にあの人の墓参りへ行ったとき。墓石に刻まれていた相羽という姓を見て、記憶に引っかかりはしたけど。
絹の外見や雰囲気、あの人が亡くなった時期……決め手となったのは、バナナ入りのホットケーキ。これは、料理が苦手なあの人でも、私によく作ってくれたので。
……後でニュースを調べて分かったことだが、あの人と、一緒に蒸発したお父様の元部下は、飲酒運転で突っ込んできた車から絹を庇ったせいで亡くなったそうだ。
あの人は、絹じゃなくて……もし、私だったら。はたして、命をかけてくれたのだろうか?
「……なのに、……愛してあげたいのに……絹は、私の実の妹なはずなのに……絹には私の嫌いな! あの母親の面影があって、憎しみすら覚えてしまうの。……でも、一番憎いのは……なんにも悪くない絹を嫌っている…………私自身」
別にあの人が死んでほしかったわけではない。
それに、あの人への憎しみはあくまでも、あの人に対してのもの。関係のない絹を憎むのは……絶対におかしい。だからこそ、わたしが……みじめなのだ。
「糸のお母さんが遺したレシピノートの二十九品目……どんなレシピだったか、覚えている?」
「二十九品目?」
いきなり呪物について尋ねられ、嫌々、記憶を掘り起こす。
「たしか、梨を使った……クッキーだったはず。工夫がなにもなくて、すりおろした梨をただクッキーに入れただけの」
二十九品目のクッキーは……あの人が最期に書き記していたレシピ。レシピは書きかけで、途中で飽きて辞めてしまったのを想像するにたやすかった。
「正解だよ。糸はこのクッキーを食べたことある?」
「ある……と思う。マカナはどうして、こんなことを聞いたの?」
あやふやに打ち上げてしまった私の言葉へ、マカナは今までこの瞬間を待っていたかのように表情を変えた。
粘り強くボールを拾い、攻撃の機会をうかがうために辛抱強く耐えてきて。チャンスで、相手の守備が手薄い場所を確実に仕留めきる寸前……
「今度、絹ちゃんと一緒に作る料理——」
目標のために……戻ってきたマカナが、渾身のスパイクを放つ。
「このクッキーを作ろうよ! お母さんの味とは多少変わっちゃうかもしれないけど、糸がアレンジしてさ。もっと、もっ――と美味しいクッキーを作ろう!!」
「本気で言ってる?」
前にボランティアで、絹と一緒に作ったホットケーキだって、間に入っている警察側の要望で、少し変わったレシピを作りたいという話しがあったからだ。
なので、警察側も材料を調達しやすいような、バナナをたまたま採用したまでのこと。
できることならバナナ入りのホットケーキは、否応なくあの人と結び付いてしまうので作りたくなかったのだけど。
「糸ってさ、糸が思っている以上に……結構、気持ちが顔に出ているのだけど、知ってた?」
一応これでも、私は善い人を目指して……第一印象となる表情には、かなり気を遣って生活してきた。なので、マカナの安い挑発にものってやる。
「……なら、今の私の顔は?」
「アウにキスされたのと同じくらい、かわいい顔だよ」
マカナは左手の人差し指と中指を、自身の唇まで近づけた。その仕草を正面から見てしまい、マカナとのキスを思い出し、マカナから顔を背けてしまう。
本当にさっきのキスは……マカナにとってもファーストキスだったの? ずいぶん余裕があって、手慣れ過ぎていない?
「計算が正しいとさ……糸の作っているレシピノート。今日のカツ丼で二十三品目だよね。愛情入りだったし」
「愛情入りって……」
髪の毛のことを、愛情入りと表現されるなんて……
マカナが一緒にいる空間で混入させた私は当然おかしいけど、すんなり受け入れるマカナも、おか……変わっていないだろうか。
「一日一品ずつレシピノートを書いていくと……ちょうど来週の金曜日が、糸の目標だった三十品目の日なの! もちろん、アウも力になるし……どうかな?」
——きっと私は、お母さんのことが許せない。
家族について……私が求めれば、求めるほど、裏切られるのが怖くて…………自分から遮ろうとしていた。
だけどさ……許せなかった私を否定せず、嫌いな私ごと許してくれる……光が届いたんだ。
「マカナ……ありがとう。私より……私のことを大切にしてくれて」
「いいんだよ、糸はもっと欲張ってくれても。髪の毛一本とはいわず、アウのことをグルグルに縛り付けてもいいぐらいだよ。それとも、アウのことを食べちゃう?」
食べる!? マカナを!?
両手を広げ、私を受け入れようとするマカナに、私は脳の処理が追いつかず、テーブルへ倒れるようにへばりつく。
——くぅ〜……
どこからかお腹の鳴った音が響く。食べ物が喉を通らない日々が続いていたので、仕方がない。
たくさん恥ずかしい姿をマカナに見られたので、今更だが、安心した拍子に下限を更新することもあるのだろう。
「さて、なんだか小腹が空いてこない? スーパーで買ってきたフライドポテトを食べようよ」
テーブルにへばりついた私を起こすように、マカナは手を差し伸べる。その差し伸べられた手を、私は取って——
「いいね。私も……久しぶりにお腹が空いてきたから、ふた手間ぐらいかけてガチで作る。味付けは、カレー粉にチーズでいくよ!」
「ヤバイね。夜食で食べちゃいけない罪深さ……ふふっ、アウもとことん付き合うよ」




