第32話
「糸って、本当にアウのことが好きなんだ……そうだったんだ……」
「ほへっ?」
唇を奪い、さらに、舌まで突っ込んできた張本人が一人納得している姿を見て正気に戻る。いや、まず正気が分からないので、戻る正気はないのかもしれないが。
「ごめん糸。どう考えても、いきなりキスは失礼だったよね。文句は当然あると思うけど……右肩が限界なので、いったんちゃんと座ってもいい?」
「そうだよね!? 怪我している右肩で私のことを支えちゃってごめんなさい。辛かったよね?」
マカナの腕の中から飛び出してしまいたい衝動を抑え、お行儀よくひとり立ちする。もう、キスされたせいで、平衡感覚すら危ういけど。
からん、ころん。
さっきまでの出来事を消化し、頭を冷やすために、氷を入れて冷えたお茶を二人分用意する。
「お茶ありがとね」
「私も飲みたかったから……それで、なんでわたしにキ、キスしたの?」
落ち着いたと思っていたのに、疑問を口にするだけで、脳裏にマカナの顔を思い浮かべてしまう。お茶に浮かぶ氷よりも、フワフワした感覚が残る。
「えっと……糸が人を恋愛的な意味で好きになるとは思っていなかったんだ。クラスでの恋話にも反応が薄かったし、何よりも糸のお母さんの件があったから」
「うん、おおむねマカナの言うとおりだよ。人の恋愛を否定するまではしないけど、個人的に恋愛全般は苦手……というよりも、はっきり嫌いだね」
おおむねなので、もちろん例外はある。今、目の前で向き合っている人とか。
「たださ、糸は、糸のファザーを家族として愛していたし、アウのことも愛してくれている自負はあったの。だから、オハナ……血の繋がりは無くても、糸と家族になれると思った」
マカナのオハナにかける想いが喉元を焼く。
こんなにもマカナは私のことを想ってくれていたのに、私は気付けなかった……違う、マカナを信じきれなかった。
焚き上がる後悔で、喉を焼くのに火力が充分足りている。
「そうだと思っていたのに、さっき……糸から『好き』だと言われて、頭の中でこんがらがっていたピースが上手くハマっていって……気付いたら…………」
普段のはつらつとした勢いが次第に下がっていき、恥ずかしそうに口元を抑えるマカナを見て、私の焼けていた喉も、今度は乾きに変化する。
勢いで吐き出すように告げたしまった……アレが告白としてマカナに認識されている事実が……とても辛いのです。
仮に、当初の目論見通りいって自分で作ったレシピノートが三十品まで到達し、マカナへ告白したとしても、同じように無様な姿を晒してしたかもしれないけど。
とにもかくにも、乾いた喉を潤すために、口へお茶を含む。
「一応さぁ、確認するけど……糸の好きには、恋愛や性愛的なものも含んでいるよね?」
「ゲホッ、ゲホゴホッ」
お、驚きのあまり体の入ってはいけないところへ、お茶が流れ込んでしまった。
性愛かぁ……マカナの口から性愛という単語が出てきたことに、急に生々しさを感じてしまい、胸の内が淀んでくる。
「大丈夫!?」
「ええ、ゲホゲホ……たぶん、平気。そうね、自分でも、マカナにどんな気持ちを向けているかは分かっていないの。例え、体を重ねたとしても裏切る人は裏切るし…………だけど」
「大丈夫。何を言ってもアウは受け止めるから。信じてみてよ」
勝手に気持ちを向けること自体、マカナへの申し訳のなさから嫌悪していた。私自身がマカナとどうなりたいか、というよりも……
「正直なところ……私がマカナの隣りにいられることを考えたことがないの。なのに……マカナが他の人とキスや……それ以上のことをすると思うだけで、胸が苦しくて、張り裂けそうになるんだ」
弱音を口に出してみて……少しだけ、分かった気がした。
私はマカナが誰かに取られてしまうことを心配するあまり、私がマカナのことを幸せにさせたい……と思うことができなくて、自分のことを許せなかったんだ。
もちろん、他にも弱気になってしまう理由はあると思うけど、マカナと向き合うためには……自信の無さを克服しないといけない。
愛想を尽かれていなければだけどね。
「偉いね糸。今まで頑張ってきてスゴいよ」
「お世辞はいらな——」
「だからさ、これからはアウも糸の悩みや、苦しみ……うんうん、それだけじゃないね。食べた味……どころか五感で感じた全部! 何もかも全部、糸と一緒に分かち合いたいの!! いいでしょ?」
曇って陰をつくってしまっても、すぐに照らしてくれる。マカナのために変わりたいなぁ……自信を持ってマカナの隣りに立ちたいな。
「こんな、こんな……私で、いいのなら。こちらこそお願いします」
頭を下げたら、目から涙が溢れてきそうになる。嬉しさのあまり。そして、情けなさのあまり。
「コレってなんだか……告白よりも、婚約のセリフみたいだね。キスもしちゃったし」
「今ならまだ冗談で終わることができるかもしれないけど……マカナは私でいいの? 私に気を遣って、マカナこそ無理してない?」
信じたいのに、裏切られたくときに傷付きたくない気持ちが、私を覆い隠そうとする。
マカナからすれば家族のように思っていた相手から、いきなり欲望をぶつけられたようなものだ。
「ハハ。流石のアウでも、ファーストキスの相手ぐらいは選ぶよ。それにさ……ウン、今のなしで」
「マカナも初めてだったの!? あと、それに?」
ボディタッチのスキンシップが大袈裟なマカナのことなので、過去にキスぐらいは経験していても仕方がないと諦めていた。
もしも、初めてじゃないと言われたら……金網でゴリゴリにすりおろした食材みたいに、メンタルがボロボロになっていたと思うが。
「えヘ、えへへ。余計なこと言いそうになったから、途中でなんとか踏みとどまったのに……糸は最後まで聞きたい?」
「う〜ん。あえて、マカナの言葉を借りるなら『アウを信じてほしい』かな。どんなことを言おうとしたのか気になるし」
どんなことを言おうとしても、少なくても私よりはマシでしょう。
「えっと、それじゃ……遠慮なしで。恋愛の嫌いな糸が、アウを好きなあまりいっぱいいっぱいになるのを見てさ、溢れそうになっちゃったんだよね、心が」
「ん?」
愛おしそうに、マカナは自分の胸に両手を当てているだけど、マカナが伝えたいことにまだピンとこない。
「糸の作ってくれた弁当。弁当の中に入っているおかずに、たぶん……髪の毛? が入っていたのも、特別想われていたんだなぁ……と実感できたから」
「………………マカナさん」
「いやー最初はさ、糸のお母さんのせいでストレスがマックスになって、抜け毛だと思って心配していたんだけど……頭を抱えて、どしたの糸?」
ごく自然に振る舞っているマカナがおかしいのだろうか。私がおかしいのか、マカナの愛が深いのか……私には分からない。
とりあえず、介錯用に包丁をマカナへ差し出してしまいたい。




