第29話
一歩店内に踏み入れると、熱に焼かれて火照った体を冷気がまとい、ぼやけた意識は買い物に集中する。
家の冷蔵庫には残念でもなく食材がほとんどなかった。我が家の冷蔵庫を管理している私が淡い期待を持って確認しても、いつぞや買っていた真アジのみが鎮座。
今日が金曜日でなかったら、作り置きしていた常備菜はあったかもしれないが……そもそも、今週は料理する気力も沸かない日が続いていたので致し方なし。
それでも、夕飯時までの限られた時間でマカナを満足させる食事を出してあげたい…………
「買い物カートの準備よし! どのコーナーから行く?」
「うん、マカナありがと。まずは野菜コーナーから回ってみて、最後に割引き狙いで惣菜コーナーかな」
夕飯の献立はおおむね目処がついている。だけど、明日の朝ご飯はしっくりくるものが思いつかない。
食欲がない私にとっては、スーパーに陳列されている食べ物を見ているだけで……胸と胃がいっぱいになってしまう。
辛いことは後回しにしたい性分。
今は揚げ物を見るだけでも口の中が酸っぱい。本当に惣菜の割引きを狙うと夜になってしまうが、今は適当な理由をつけてでも惣菜コーナーから離れる。
「あれ? カット野菜のほうを買うんだ」
「普段はあまり買わないけどね。今日は調理時間を短縮するために買っちゃう。マカナも冷蔵庫に入っている真アジを見たでしょ。帰ってからアレと格闘するから、時間のリソースを確保しないとね」
今回は時短のために本気を出さないといけない。なので、カット野菜も本気で買う。
カット野菜は割高で内容量も少な目だから、ケチな私は普段なら買わない。マカナが泊まる今日は、到底普段ではないので思い切ってカゴに入れる。
今日みたいに時間が限られているときや、どうしても包丁やまな板を使うのすら辛いときは、下処理されているありがたさが分かってしまう。
例えカット野菜は割高で内容量も少な目だとしても、料理はただ調理するだけではなく下処理や後片付けも全て含んでいる。
そのカットするひと手間が楽になるのだ。値段や量に文句ばかりをつけないで感謝すべきだろう。
「マカナはシッカリめとフワフワの食感。どちらか片方だけを選ぶならどっちが好みの食感?」
「んん……糸が作ってくれるのなら、どちらも好きになると思うのだけど……そういう返答はなしだよね?」
ただ『どっちでもいい』と答えられるより、こうやって悩んで言葉を大切にしていると、誠意を感じられてマカナのことが愛しく思う。
「ふふふっ。真剣に悩まなくても大丈夫だよ。それじゃ……どっちの食感を選んでも味付けのほうは私好みにするから」
マカナの顔色をうかがっている私と違って。
「う〜ん。どちらかと……聞かれたら…………なんとなく、フワフワかな? 決めては語感の響きになるけど」
「充分な理由だよ。うん、フワフワね。豆腐の売り場に向かおうか」
カゴの中に豆腐、卵、ハム、チューブ生姜。とりあえず、今日明日で使う予定のものが次々と積み重なっていく。
「えっと、他には……飲み物どうする? マカナの飲みたいものがあればついでに買っちゃうけど」
「せっかく糸の家に泊まるんだし御櫛原家秘伝のお茶をいただくよ。あっ……もしかして、お茶の作り置きがないから聞いたパターン?」
「比喩抜きで家にお茶は山ほどあるので、心配はご無用だよ」
常備菜はないが、我が家にはお茶だけは常にある。だって、常備しているお茶が少なくなったら、お父様もお茶を作ってくれるので。
基本的にお茶も私が作っているのだけど、私が忙しそうなときは、お父様が代わりに作ってくれる。
使っている茶葉は同じなのに、お父様が作ると味に深みをなんとなく感じられて好き。
まぁ、私とお父様の作ったお茶をシャッフルされて出されたら、どちらかが作ったのか当てられる自信はないんだけどね。
「……たしかに冷蔵庫の中を見たときに、お茶がいっぱい冷やしていたような……記憶が」
「うん、御櫛原家の生命線なので。家中の至るところにお茶があるよ」
「えっ!?」
半分ぐらいは誇張表現だけど、我が家にはメインの冷蔵庫の他にサブの冷蔵庫もある。メインと比べたら二回り以上は小さい。
そんなかわいいコンパクトサイズの冷蔵庫なのに、メインの冷蔵庫にある数倍もある御櫛原家のお茶が、所狭しと詰め込められているのだ。
過去にはお父様と私が互いに気遣ってお茶を作った結果、二つの冷蔵庫に入りきれないほどを作ってしまったことも。
「さて、いよいよ本日のメインディッシュを調達しに惣菜コーナーへ参りますか」
「やった!」
大げさに喜びを表すため、左手を一度振り上げたマカナは、買い物カートの手すりに左手を戻し、両手でガッチリ掴む。安全運転は大事。
「ここで一つ、マカナに悲しいお知らせを」
「急になに!?」
ワザと不安を煽ったあまり、マカナの操縦する買い物カートが、目的地の惣菜コーナーに向かう道よりも手前で曲がってしまう。
本来なら寄るつもりがなかったこのエリアは、冷凍食品のコーナー。中に冷凍食品を並べている冷蔵ショーケースから、冷を感じてしまい肌寒い。
「私の経験上、この夕方の時間帯だと……まだお惣菜は割引きされていません」
「えッ?」
「それどころか、ちょうど揚げ物系が揚げたてでの提供になりまして……割引き率は、当然のゼロパーセントOFF。その分、味は揚げたてだから美味しいよ」
私の言葉にさぞマカナは肝や背中を冷やしたことだろう。ここは冷凍食品コーナーということも相まって。
先ほど、胃液が込み上がってきた不快感を隠すために、その場しのぎさでの割引き狙い発言は、自分のことながら発言内容はおかしい。
口の中には酸味が残り続けているが、これ以上買い物が遅くなってしまうと、調理時間の確保もできなくなる。流石に腹を括って惣菜コーナーへ行かないと。
「………………」
「立ち止まって、マカナどうしたの?」
買い物カートを握り締めたまま、マカナは険しいような物悲しい顔つきで私を見つめる。
「……あッ……えっと…………ついでに、ポテトも買っていかない? せっかくのお泊まりだし、映画でも見ながらさ」
私の後ろにある冷蔵ショーケースから、冷凍のフライドポテトを取り出す。一瞬だけ見えた、あまり見たことないマカナの表情は見えなくなった。
「いいね、せっかくだし。オススメの食べ方はある?」
フライドポテトを見て、油っぽい味を想像し胃液が上昇してきた感覚はあるが、カゴの中に入れてしまう。
私は一つ二つ食べて、後はマカナに全部あげてしまえばいい。
「オススメかぁ……無難にケチャップ派なんだけど、カロリーを考えなくてもいいならカレーマヨかな。マヨネーズにカレー粉を混ぜたもの」
「確かに……ポテトとカレー味は合うよね。それにマヨネーズねぇ、想像するだけで罪の味がするよ」
「そうそう。昨日の弁当に入っていたカレー味のマッシュポテトも美味しかったよ」
マカナが私に探りを入れている状況なのは分かっている。
私はマカナに対する抑えきれないこの感情や、亡くなった母関係のことと、隠していることが多過ぎて心当たりしかない。
問題は……どうしてマカナが私に探りを入れているのか。
昨日今日だけでも、私に隠れてお父様と会って、いきなり私の家へ泊まりたいとお願いしたこと。
私にはやましいことばかりあるせいで、マカナが行動へ移すためのキッカケとなりそうなことに検討もつかない。
今日の泊まりはマカナにとって、重大な目的があるのだろう。それが何なのかまでは分からないけど……
どうせ、今の私はまな板の上の鯉。マカナは私を責めて、煮ろうが、焼いたとしても仕方はない。




