ドロテア 1.0一斉パッチ配布
バッカスがジャンに引きずられていった次の日。
領主館の前の広場には不安と恐怖に震える領民が集められた。
その中には足が悪い老人や小さい子どもを抱く女性と家族を捨て置けずに残った若者の姿もあったが、共通していたのは皆、痩せこけているということ。
そして、そんな彼らにとって、領主の交代というのは“搾取者が変わるだけ”の絶望的なイベントでしかなかった。
いろいろな想いが渦巻く中、壇上に立ったエルザは群衆を見渡した。
[群衆スキャン:完了]
[個体数:842名]
[平均栄養状態:欠乏]
[優先タスク:絶望による生産性低下の解消]
エルザは傍らにいる抜き身の剣を携えた不動の姿勢で控えるジャンと背後のアナとリーネに目配せをすれば、三人は頷いた。
それから、エルザは広場の隅々まで届くようにその声を響かせた。
「住民の皆様、通知します」
領民の視線が一斉にエルザに集まる。
エルザはその視線に怯むこともなく、淡々と告げた。
「本日付でドロテア領の旧システムは終了しました。これより、新OS『ドロテア 1.0』へのアップデートを開始します。全住民は、以下のパッチ内容を即座に適用してください」
領民たちは顔を見合わせた。
そして、一気にざわめく。
「…なんだ?オエス?」
「ママ、ぱっちってなあに?」
「しっ…黙って」
誰もかの令嬢の言葉を理解できない。
しかし、次に彼女が口にした数々の言葉は彼らの脳を直接揺さぶったかのように衝撃を与えた。
「…第一の修正項目ーーー税率の適正化。現行の60%から一律15%へと引き下げます。設定ミスにより過剰徴収されていた過去3年分については、食料と金貨による“返還”を本日中に実行します」
エルザの言葉にアナとリーネはバッカスの蔵から回収したばかりの帳簿と金貨の入った袋と食料を入れた箱を荷車に乗せてくる。
言葉だけならず現物を前に広場は水を打ったように静まり返った。
「…15%?15%といったか?」
「キャッシュバック?食料と金貨がもらえるの?」
耳を疑うような言葉に一度誰かが声を音にすれば、さざ波のように困惑が広がっていく。
エルザはアナとリーネに合図を送る。
「アナ、リーネ。子連れや足の悪い老人から順に返還リソースの配分を開始してください」
「はいっ、エルザ様!皆さん、こちらへ!順番に名前を確認して、食料と金貨をお渡しします!」
アナとリーネがてきぱきと列を整理し始める。
バッカスから取り戻した資産が領民たちの手に直接戻っていく光景をだんだんと目の当たりにすれば広場の空気は変わり始めた。
「第二の修正項目ーーー農業プロセスの最適化。これまでの非効率な農作業を禁止します。今日から私が設計した図面やプロセスに従って作業を行ってもらいます」
エルザは一歩前へ出た。
その姿は憐れみ深い聖女とは程遠い、冷酷なまでに完璧な管理者そのものだった。
「これはドロテア領というサーバーの資産価値を最大化するための最も合理的な投資です。あなたたちが飢えて稼働停止することは、私にとってのリソース損失に他なりません」
「お、おい…本当なのか?本当にあんたに従えば…俺たちは…食えるようになるのか?」
最前列にいた痩せこけた老人が震える声で問いかけた。
…騙されない。
そう言いたげに数人の領民が半信半疑の視線をエルザに向ける。
「…私の予測演算によれば、半年後の領地総生産は400%増加します。よって、食えないという選択肢は存在しません。…以上。仕事に戻り、効率的に生きてください」
エルザが壇上を降りようとした。
一部の領民からは歓喜の声が上がる。
しかし、一部の領民からは今までの経験からまだ信用しきれていない様子がみてとれた。
信頼とはゆっくり育つ木である。
これからの言動で着実に彼らの中に根付かせなければならない。
[ログ:一部の領民の信頼度が急速に上昇中]
[警告:一部の住民に“エルザ様を神格化する”という非合理なプログラムエラーが発生しています]
「…全く。人間の感情データはいつも予測から逸脱しますね…」
エルザは頭の中の“領地復興ロードマップ”の進行率が0.1%刻みで進んでいくのを感じながら静かに呟いた。
「お嬢さん。次はどうするつもりだ?まだまだバグは山積みだろう?」
ジャンが不敵に笑いながら問いかける。
エルザは頷いた。
「ええ。次は領地内の農業パッチといきましょう」
集められたときより幾分か希望をもったであろう領民を背後にエルザは次の実行コマンドを入力することにした。




