大角問答・人
「驚いたか」
「驚きました」
大角の問いに、宗介は至極素直に肯じた。
何に驚嘆したかと言えば、それは方相長屋の茶室にである。
京風の御簾垣を巡らさせた中庭の一角は、周囲の喧騒を寄せつけず、しんと静謐で満ちてていた。
まるでさくりと切り取られた別世界といった感だが、或いは実際にそうであるのかもしれない。彼岸――妖魅の構築する異空間は、時に仙境や隠れ里と呼ばれるほどに拡大し、安定することがあると聞く。これがその亜種であっても不可思議はない。
だが、もし空間が妖魅の手になるものであったとしても、それは茶室の格をいささかも下げはしなかった。
露地から室内の隅から隅まで、ひとつの美意識に統一されている。
それは茶道の知識を欠く宗介にすら、肌で感じ取れる調和だった。あるべきものがあるべき場所に、ぴたりと納まっている。この感触は、多くの金銭をかけただけで生まれるものではないだろう。
常ならば道場稽古に励む時分に宗介がここを訪ったのは、大角内供に招かれてのことである。
数か月に渡る検分、その結果の申し渡すとの話であった。
「そう鯱張るではないわ。もてなす儂ともてなされるお主があるばかりよ」
雰囲気に気圧された様子の宗介を笑い飛ばすと、大角はずいと茶碗と錦玉羹を押し出した。好きに飲み、そして食らえということらしいが、宗介はますます固くなるばかりである。
茶道具は大変高価と聞き及んでいるのもあるが、宗介の落ち着かなさに拍車をかけるのは、何よりも腰の軽さだ。
刀は置いてくるよう言い含められ、本日の宗介は珍しく丸腰である。
「お主ひとりを呼び出した理由は察しがついておるじゃろう? 今日はお主らの行く末について、語らおうう思うての」
言って大角は瓢を呷った。
宗介に振る舞うは茶だが、自身の喉を潤すは般若湯だ。
「まず確かめおこう。ここの暮らしには馴染んだか」
「はい」
面持ちを切り替えた宗介が、遅滞なく頷く。
頷いてから、付け加えた。
「ここへ来た当初は、悪い夢で目が覚めることが多々ありました。心中の不安が形を取ったんだと思います。でもこの頃はよく眠れます。せん共々、皆によくしてもらっているお陰かと」
「儂の功徳は流石よのう」
「ええと、はい」
「なんじゃ、歯切れの悪い」
「大角さんの功徳も確かにありますが、それよりも、その」
続きを口にせず目を逸らした宗介を、大角が目で促す。
ひと呼吸迷ってから、少年は答えた。
「せんが、隣に居てくれたからかと。郷里に居た頃よりも、ずっと長く、近くなので」
「いや待て宗介。それで熟眠は丈夫として如何なものか」
怪訝顔の宗介に、大角は腕を組み、真面目腐って説いた。
「惚れた女と住み暮らしながら手も握れぬ。悶々と寝苦しくならねば嘘じゃろう」
「大角さん?」
「皆まで言うな、宗介。わかっておるぞ。あの長く流れる黒髪の下から、不意に覗くうなじの白がたまらぬのであろう? だが思えば、今のせんは中身を伴わぬ。衝動のままに衣を剥いたところで、その下には伽藍洞があるばかりか。とすると、いや、これは酷を申した。想い合いつつ触れ合えぬならば、不貞寝を決め込むより他にないのう」
「……大角さん?」
若人の冷たい視線が突き刺さり、大角が不満げに太い眉を寄せる。
「愛欲の話ではないのか」
「そういう話はしていません」
「それはそれで不健全よのう」
つまらなげに笑うと、生臭坊主はついでのように言葉を続けた。
「ならば戯れ言はここまでじゃ。過日の続きを改めて問おう。お主、何ゆえに金四ツ目を志す。金四ツ目となり、そののちに何を為す」
太い鼻の上の大きな瞳がくわと開く。眼光が鋭さを弥増した。
「作麼生。巾木宗介、伏せたる山犬よ。汝、生き生きた果て、何事を成し遂げたるや」
「……俺は」
その圧を真っ正面から受け止めて、宗介は大角の双眸を見返す。
「俺は、せんを幸せにしたいです」
回答に淀みはない。
大角の問いを受けた日以来、ずっと考え続けてきたことだ。
「更に問う。お主が思う、せんの幸福とは何か」
重ねられて、宗介は一度目を伏せた。
有体に言って、せんは名刀である。刀身を見せれば、千金を積み上げてでも欲する者が出るだろう。刀としてのせんを厚遇できる人間は、本来ならば世に多いと宗介は思う。
しかし、時勢が悪い。
銘こそなけれ、せんは村正の作風を色濃く宿す刀である。だが今日、村正は世に忌まれていた。
神君縁の者を次々に傷つけた妖刀との風説が流布し、将軍家がこれをが忌むとまことしやかに囁かれているのだ。物の本にも、「村政(原文ママ)の刀を御當家にて禁じ給ふことは後風土記、三河記等に委しく人の知る所也」との記載が見られる。
噂を気にかけるあまり、わざわざ村正の銘を潰して帯びる者まである始末だった。
無論、根も葉もないことである。
徳川の血筋を多く傷つけたというが、千子村正は伊勢桑名にて隆盛した刀匠だ。桑名の地は徳川の拠点であった三河にほど近く、当時より名高かった村正の刀を近隣の武士が帯びる可能性は当然高い。これが刃傷に際し凶器として用いられる確率も、同様に高いが理であろう。
また、本多忠勝の愛槍蜻蛉切、酒井忠次の愛刀猪切を打ったのは三河文珠派――桑名から三河へ移った村正一派との説がある。
両名とも徳川重臣であるが、彼らが村正を忌んだふうはない。
これは家康当人も同様で、彼の死に際し尾張徳川家へ形見分けされた品を記録した『駿府御分物御道具帳』には、少なくともふた振りの村正が確認できる。
一派の作は、いっそ徳川の守り刀と称して不思議がない存在なのだ。
でありながら村正は、妖しの刀として膾炙する。人の目と心を捉えて離さない、魔的な魅力をその刃が備えることの証左とも言えようか。
さておき、今の世の村正に対する扱いは、斯くの如くである。
これではせんの、刀として恵まれた渡世は期待できまい。
それに、何より。
「道場で武談に加わったり、長屋の子供の遊びに交じったり、ここへ来てからのせんはいつも笑顔です。当たり前のように存在を認められて、当然のように話し合えて、笑い合える。そんなごく普通の関わりが、せんはとても楽しいのだと思います」
ために宗介は、刀剣としての重用をせんの幸福から除外する。
実用品として人斬りに用いられるのも、美術品として死蔵されるのも、彼女の願いからは程遠い。
「だけどせんは時折、できないことにぶつかります。たとえば小さな子の手を引いたり、泣いている子を抱き締めたり。触れ合えないとできないことに突き当たるんです。そんな時でも、せんは笑います。寂しそうに、諦めたように微笑むんです。……俺はせんに、あんな顔をさせ続けたくない」
勢い込みかけて、宗介は一度口を結ぶ。
大きく息を吸って吐き、感情を鎮めてから、続けた。
「以前、大角さんは仰っていましたよね。妖魅を斬ってその精気を取り込めば、せんの妖相は強くなる、と。金銭のこともあります。でも俺が金四ツ目になりたい理由は、何よりもそれです」
今のせんが現せるのは、実体のない幽姿である。が、幻体幽姿相の強度を強めれば、肉体と遜色ない現身を得るが叶う。
金四ツ目という生業はこの目的に最適だった。
悪事を働き他に害を為す――つまりは斬ってよい妖魅に巡り合いやすいという点で、特に。
「もちろん、うまい話ばかりでないのはわかっています。金四ツ目の務めは命懸けで、だから骸を晒すばかりになる可能性もあるでしょう。でも、それでも俺は、自分にできる全部をしたい。せんが少しのくすみもなく笑えるようになるのなら、俺は何を差し出したって――」
うつむいた宗介の拳が、ぎゅっと膝の上で握られる。
ふむ、大角は思わしげに鼻息を吐いた。
「魔境よの、宗介」
ぽつりと漏れた言葉に、宗介が顔を上げる。
「全てはせんのため。だが我利と我欲を含まぬ行為の先に横たわるは、遠からぬ破綻よ。それが善意を礎とするものであろうとも、じゃ」
その目へゆっくりと頷いてから、大角は瓢の中身をひと口呷った。
「思え、宗介。もしせんがお主と等しい言葉を述べたなら。お主の幸いのためならば我が身が千々に砕けても構わぬと、そう申したならなんとする」
「……それ、は……」
「思慮が足りぬわ。もしせんの幸福にお主が必要不可欠であったなら、お主の喪失とはつまり、その幸福を永遠に損なうことよ。自己犠牲は尊く、美しく見えよう。じゃが残される者の心を顧みぬなら、それは自慰と何も変わらぬ。他を思うは善し。が、ために己を軽んじるは悪しじゃ」
「……」
思いつめた瞳が数度瞬き、暗い熱情の色を鎮める。
大角の太い指が捨て置かれたままの茶菓子を押し出し、戸惑いののち宗介がそれを受けた。改めて茶を喫し、苦い顔をするところまで見届けてから、大角が優しげな声音を発する。
「三度問おう。その生を以って、お主は何事を願う」
「それでもやっぱり、俺はせんを幸せにしたいです」
平素大人びて思慮深い宗介が、ここで年相応の顔を見せた。
「人を形作るのは縁だと、この頃、俺は思います。ほんのちょっとの触れ合いや、ほんのわずかなやり取りが重なって、石を穿つ雨垂れにも似てゆっくりと、時間をかけて少しずつ、心のかたちを彫り上げていくのだと」
胸の奥にいくつもの顔を浮かべる。
遠く、父母の、兵庫の、郷里の人々の。
近く、大角の、斎藤の、長屋の人々の。
「だけど、俺はいつも上手くできません。好きな相手も嫌いな相手も、関った皆を不幸にしてしまう。だのにそれでも、どうしても手放したくないものがあるんです」
自身の右手首を、ぎゅっと強く左手が握った。
「今も怯えています。俺がせんを不幸へ導くのじゃないかって。せんが、俺のせいで傷つくのじゃないかって。だから違うんです。大角さんは俺の願いを、無私のように評してくれました。でも違うんです。俺は、私欲塗れです」
「その欲、申してみよ」
宗介の心を思い出が過ぎる。それは初めてせんと出会った夜の記憶だった。
――せんって言うのか、名前。
名乗りあぐねるようだったから、助け船のつもりで口出しをした。
それが最初の一歩だった。
――そう、それがわたしの名前。せんが、わたしの名前!
直後、ぱっと咲いた笑顔の花に、ただ見惚れた。
もっとこの娘の力になりたいと思った。ずっとこの輝きを見ていたいと思った。
以後の宗介は、恋路に惑い続けると言っていい。
「俺の形を作る一番の縁が、せんです。あの子を、俺の一番大切な人を幸せにできたなら、俺は自分に胸を張れるように思うんです。俺でも善いものになれるんだって、俺にも善いことができるんだって、信じられる気がするんです。そうしたら皆が、もしかしたらせんも、俺を好いてくれるかもしれないと思うんです。やっぱり人のためなんかじゃ少しもない。徹頭徹尾、俺は自分のことだけで……」
「我欲に塗れたるお主は、己が何者たるを願う」
ぐびりぐびりと酒を呷ると、大角は空にした瓢を畳へ置いた。置かれるなりそれは手足を生やして立ち上がる。
が、乾された中身を充填すべく、厨へ駆けんとしたその動きがはたと止まった。にじり口の板戸が行く手を遮っていたためだ。
どうしよう、と言わんばかりの風情で見上げられ、宗介は微笑して腰を上げた。細く戸を開け、出入りの口を作ってのける。すると瓢はちょこりと一礼し、今度こそ目的地へと走り出た。
「……何者かであるべきなら、俺は星になりたい。暗夜、あの娘の行く手を、せめて照らせる星でありたい。いずれ昇る陽の代わりでしかないとしても」
器怪との他愛もないやり取りを経たお陰か、続く宗介の声は、彼らしい落ち着きが戻っている。
その面差しには、己の骨体を見出し始める気色があった。
「汝の領解、聞き届けたり」
腹の底からの回答に、大角は大きな眼を穏やかに細めた。
「ならば宗介、お主はまず縁切りを志すがよかろう」
「縁切り、ですか?」
「うむ。良い縁になれぬと思うなら、悪縁を断ち斬る者となれ。悪しきより善きを守り、過程で愛刀がための精気を集め、願いの通りせんの良縁となれ。己が価値を己に示すを、全身全霊にて成し遂げるがよい」
「それで、いいんでしょうか」
「何の悪いことがあろうか」
ばしんと太い手のひらで少年の背を叩くと、続けてにたりと、大角は人の悪い笑みを浮かべた。
「だが宗介、となればお主、覚悟はしておろうな」
「ええと……どういった覚悟でしょうか」
「無論、血肉を得たせんが、お主の手元を離れる覚悟よ。刀としても女としても、あれは引く手数多となろう。お主とせんの、望む望まざるに関わらず、の」
せんは現在、自ら動く手立てのない物品である。
が、より強い妖相に得て幻体を現せば、実体に等しい我が手にて、己自身を持ち運ぶが叶う。それは彼女が、一個の人間に近い活動の自由を獲得することを意味していた。そして綺麗事を言い続ける限り、この自由を妨げる口実を宗介は持たない。
つまり大角としては、「朝日の代役」を称した宗介の揚げ足を取ってやったつもりだった。
が、笑った。
驚くほど澄んで、宗介は笑んだ。
「もちろん、せんに行きたい先ができたなら、いい巡り逢いがあったなら、それを選んでもらって俺は少しも構いません」
これは予てより、宗介の胸中にあった答えだ。
せんは良い娘だ。常に明るく気立てよく、ただ居合わせるだけで空気が華やぐ。楽しげに煌めく瞳は、涼やかで心地良い声は、宗介の目と心を惹きつけてやまない。その上、折れず曲がらずよく切れる。
大角の言う通り、誰もが魅力的に感じる女性であろう。
そんなせんが自分へ好意めいたものを示してくれるのは、多分、知らないからだ。
宗介の他に、これまでせんを認識する者はなかった。だから彼女は、宗介以外を知らない。比較の対象がないから、自分のような路傍の石を、瑠璃や玻璃と見間違う。
ならばその感情はまやかしだ。
より妖相を強め、より多くと交流を持つようになれば、いずれ破れる幻である。彼女には自分などよりもっと相応しい相手がいるはずだ。たとえば剣に秀で皆に愛される、斎藤百鬼のような。
だから実体の獲得という願いの成就は、宗介にとって別離と同義である。
それでも宗介は、せんの望みを叶えたかった。
せんは宗介の恩人である。命を救われ、心を救われた。
縁が人を形作ると、先に宗介は述べた。自身の心を彫り上げたのが、せんであるとも。
その上、勿来の社という死地において、彼女は長く忌んできた行いをした。己が刀身に血を絡め、宗介の命を救ってくれた。
――せんが笑えば俺の心は温かくなる。なら、俺の幸福とはそれだ。
掛け値なしに、そう思う。
せんは、宗介が呼吸を続ける理由だった。
だから構うことはない。この道の先でいつかせんが取るのが、自分の手でなかったとしても。
彼女には返すべき大恩がある。ならば自分の恋慕など、割り入らせるべくもない瑣末事だ。せんは望むがままの方角へ、足取り軽く微笑みながら歩けばいい。
その優しさに縋りつき、心の自由を、選択の融通無碍を狭めるなどあってはならないことである。
「俺から手を離すことはありません。でもせんが望んだその時は、笑って見送る覚悟があります。その後、開いた胸の穴にのたうつとしても」
それにそもそも、望むべきではないのだ。今以上の幸福なんて。
何故って自分は上手くできない。きっとまた壊してしまう。失くしてしまう。
ならばいっそ別離を受け入れ、得られた一時のぬくもりを、生涯の杖とするのが一等によい。
「それに、あると思うんです。選ばれなかった俺にも、勝手に想うくらいの自由は」
宗介は自分を、愛されるに値する人間と考えない。
けれどせめて、愛するくらいは許されたいと願っている。
「ああん?」
予想外の恬淡とした物言いに、大角が素の野太い声を発した。
宗介とせんの間の思慕は、誰がどう見ても明らかな双方向性のものだ。当然この坊主も、ふたりがわりない仲に至るのを前提として考えている。ゆえに悟ったような、最初から諦めるような宗介の言いに呆気にとられた。
「せんならばとうに……いや」
お主を選んでおろう、と続けかけてから、大角は我が顎を擦った。ちかりと刹那、思案を巡らす。
巾木宗介は、著しく自己評価が低い少年だ。方相長屋に住まわってすぐに役割を欲したもこのためであろうと大角は見る。有用を証しを立てねば、自分などすぐさまに捨てられてしまう。そのような思考が染みついているのだ。
聞いた過去から察するに、これこそが宗介の傷である。
そこへ加えて宗介は、他との関わりが希薄な少年だ。ほとんど初めて得た真っ当な関係性の対象がせんなのだから、そこに過度の賛美が生じるも致し方なしと言えようか。
唸り声を発したところへ、瓢がとてとてと駆け戻ってきた。ぐいと掴んで、まずは一献。
長く抑圧され続けてきた芽は、なかなか真っ直ぐ伸びるものではない。そこへ言葉を尽くすのは、過ぎた水遣りに等しい。ただ根腐れを招くばかりとなろう。こうした心へ入用なのは時の薬だ。
手の甲で口を拭うと、大角はぎらりと白い歯を見せる。
「覚悟はあれども覚悟しきれぬ。お主はそれほどせんを好くと、そういう理解でよいのじゃな?」
「曲解では?」
「んん?」
「それにほら、せんの気持ちもあることですから」
「んんん?」
「……わかりました」
にたにたと凝視されて、宗介がついに根負けした。
「ここだけの話にしてください」
「うむ。儂の口は巌の如しよ」
「その通りです。認めます。のぼせ上っています。分不相応な望みだけれど、一生涯、隣に居て欲しいと思ってます。せんを笑顔にするのは、他の誰でもなく俺がいい」
言い募るうちに膝を進めた大角が、がっしりと肩を組んだ。
大きな顔を寄せ、大きな双眸をぎょろりと動かす。
「つまり、愛欲の話であるな?」
「いやだから!」
「んんんん?」
「……あんなに綺麗で透き通った娘を、俺なんかが」
宗介の心象において、せんは新雪に似る。
成熟した知性を備えながら、時に童女ののように稚い。無垢で無邪気で、ああもふわふわとやわらかなものへ踏み跡をつける行為は、罪悪感を強く伴う。
「手折るつもりはないと申すか。観音信仰が過ぎよるわ。あまり崇め奉るでないぞ、宗介。敬するは遠ざくると等しき仕業よ。そも生の行きつく果てが死であるように、男女の行きつく先とはそこじゃ。加えて――」
思わせぶりに言葉を切って、大角は宗介の顔を眺めた。
「お主がそれを拒むとあらば、せんは不都合を被るのう」
「どういうことですか!」
声を大にした宗介へ、宥めるが如く大角は手のひらを向ける。
そして物の道理を説くが如くに語った。
「妖相を強めれば強めただけ、妖魅はその維持により多くの精気を要する。角力取りの大食らいと同じ理屈よ」
この言葉に嘘はない。
妖魅が人と関わるのは、概ね己を保つのに必要な精気を獲得するためである。彼らは人の感情の揺らぎを、魂のうねりを向けらることで、自らの存在を確立するのだ。
恋慕や愛情、敵意に殺意といったわかりやすいものを手始めに、崇拝、恐怖、絶望、賛美、憧憬。己へ向けられた、強い志向性を持つ感情を糧として、妖魅は自己をその方角へ先鋭化していく。
言ってしまえば神霊的存在が信仰を求めるのも、付喪神が褒められたがりの性質を備えるのも、元をただせば同根なのだ。
斯様に獲得され、成長した力とかたちの維持には、当然ながら代償を要する。自身へと向く心の供給を失えば、神も魔もただ零落の一途を辿ろう。
が、大角のこれはただの誇張だ。
陰陽相和合す房中術は、世に知られた業である。
また、人の心を糧とするが妖魅だ。であるからして、愛情を注ぎ合う交歓は妖相賦活の一手と言えなくもない。
現在のせんのような非実体ならともかく、肉に等しき身を得たのちならば、通常の飲食で活力はおよそ賄えよう。第一せんには、宗介よりの強烈な存在承認がある。
「つまりのう、宗介。現身に近しき幻体を得たならば、せんはより多くを喰らわねばならぬ。もし都合よく手ごろな、斬ってよい妖魅が現れれねば、その間せんは痩せ細る。折角高めた妖相も散逸しゆくというわけじゃ。これを防ぐには――」
「防ぐには?」
釣り込まれて宗介が問い、待ち構えていた大角が、くは、と邪悪に笑う。
「お主が毎夜、可愛がってやるが早道よ」
「…………な、何を言って!」
「何をも何も、只今お主が想像した通りのことよ。少しは助平心が動いたか」
赤面して慌てふためく宗介へ呵々大笑を浴びせたのち、悪僧は己の法螺を明かしてのけた。
「何というか大角さんは、もう本当に徳が高い」
「気づきが遅きに失したのう」
宗介の皮肉へ悪びれることなく返し、大角はどっかと座り直した。
「目下儂が示したは、お主とせんの間柄にも様々な形があるという道理よ。天地の間にも、同じく千差万別の解があり、悟りがある。いずれを掴み取るか、或いは何とも似ない新たな行方を見出すか。それはお主の心ひとつとなろう」
不意に無限のような選択肢を提示され、宗介は息を呑む。
宗介のこれまでは、いわば敷設された街道だった。目的地は強制され、その上、平坦ではなかったけれど、何も考えずただそこを歩めばよい安堵があった。
そこへ大角は、膨大な行き先を投げて寄越した。
選ぶこと自体に不慣れな宗介にとって、自由とは不安の別名に等しい。
「儂はお主に、何者たるか、何者たらんとするかを問うた。が、それは急いて答えずともよいことじゃ。何ゆえ己が生まれ落ちたか。命とは、その答えに至るための長い旅路よ。だが見出した真理とて、道行くうちに変ずるものよ。幸福のかたちもまた、それに似ようて」
宗介の肩を、大角は太い十指で掴んで前後へ揺らした。
「ゆえに問え。己に問い続けよ。思案なく他に従がうでは、荷を運ぶだけの驢と差異がない。意志を持ち意図を備え、時に律とて知恵により破れ。常にしなやかにあることよ。柳は決して雪折れをせぬ」
揺さぶりを止めると大角は、言葉を咀嚼する時を若人へ与える。
しばしののちに、付け加えた。
「この長舌もまた、大角の目を通した道理じゃ。だがひとつ、ただひとつだけ覚えおくがよい。世というものはな、宗介。お主が思うよりずっと、やわらかに仕立てられておるぞ」
「――はい」
応じる目には、静かに透んだ強さがあった。それは問答の前よりも少しだけ、透明の度合いを増すようだった。
大角はひとつ大きく、うむと頷く。
「これにてお主との問答は終いじゃ。戻ってせんへ、ここへ参るよう申しつけい」




