光の似姿
宗介の朝は風呂から始まる。
今少し主語を大きくし、深川の朝は、と言い換えてもいいだろう。魚河岸へ出る兄さん方から遊廓や賭場帰りの男衆まで、朝湯に浸かる者が界隈には大変多い。
この人出を当て込んで、湯屋の付近には四文屋が出る。四文屋とは総菜の屋台で、ひとつの鍋に焼き豆腐、れんこん、こんにゃく、芋、田楽等々の品目を串に刺して入れ、醤油で煮しめて商った。
値は、その名の通り全て4文。
価格設定の理由は波銭――裏面に波模様が刻まれた寛永通寳――が1枚4文として勘定されていたことにある。銅銭1枚のやり取りで済むから、売るも買うも手間がないというわけだ。
風呂上がりの面々は、大抵が朝食としてこれを贖う。その場で食す者もあるが、宗介は長屋へ持ち帰るのが常だった。
なんとなれば、湯屋へせんを帯びて行かないからだ。
湯に浸かる自分をひとり待つのは退屈だろうし、何よりああした場所の刀掛けに、彼女を預ける気がしなかった。
だから朝餉を抱えて長屋に帰れば、せんがふわりと幽姿を現して出迎える。
「おかえりなさいっ!」
「ただいま、せん」
わずかの言い交わしで、玲瓏な面差しが人懐っこくぱっと綻ぶ。
出がけにもこの笑顔に、「いってらっしゃい」と見送ってくれた笑顔だが、独りが長かった宗介は、この距離感に不慣れなままだ。壬生道場での集団生活においても、ここまで近しい、家族めいた関係はなかった。
ゆえにせんへの応答へは、未だ若干の羞恥の色合いが交じる。
こうした日常の挨拶を、もちろん宗介は嫌っていない。どころか、好み始めていると言っていい。
ほんの少しの言葉でせんの上機嫌が眺められるのが理由の主だが、のみならずで自分に身の置き所を与えてくれる。ここに居ていいのだと教えてくれる。
己の幸いというものを意識してこなかった宗介にとって、せんと暮らす今は望外この上ないものだ。が、それだけにふわふわと足元が落ち着かない。覚めればぱちんと弾けて消える、儚い夢と思われてならない。あまりに自分に都合が良すぎる。
けれど信仰のように頑ななこの不信の氷を、日々融かしてくれるのもせんだった。本当にいつも、彼女には救われてばかりいる。
先日、この心地を真っ正直に伝えたところ、せんは安堵めいて笑み崩れたのち言い足した。
『そうだよ。ここが宗介の場所。忘れたら、駄目だからね』
ひどく真摯な瞳を向けられ、宗介は改めてせんの厚意に感じ入る。
故郷を追われて以来、宗介には寄る辺ない蹌踉の心地ばかりがあった。そんな、糸の切れた凧のようにどこへでも流れてしまいそうな自分を繋ぎ止める配慮を、せんはずっとしてくれていたのだ。
細やかで温かな気遣いが胸を撫で、そわそわと浮ついた心地になる。せんの笑顔がやけに眩しく思われて、宗介はふいと目を逸らした。
まただ、と思う。
長屋暮らしを始めてから、せんと過ごす時間は増えた。元より逢瀬は頻繁だったが、日常として隣合うのは初めての経験である。
それで最初はおっかなびっくり、だがやがてのどやかに、ふたりは日々を重ねていった。
そうした時間の中でふとせんを見やれば、彼女もまたこちらを見ている。視線が重なり、少し気恥しくなって微笑み合う。それはくすぐったいような幸福だった。飯事めいた日々は、まるで陽だまりのようだった。
ふたつの心はますます寄り添い、だがそれにつれ、せんを直視できなくなる場合が宗介には増えた。ちょうど今、この時のように。
どうにも顔が熱いようで、こうなると宗介は慌てて他所を向くしかなくなる。
だのにせんときたらそんな動揺を知りもせず、『宗介、どうかした?』などと無自覚な案じ顔を近づけてくるのだから性質が悪い。
勝負事ではないはずだけれど、どうにも形勢は不利だ。わずかなりとも優位を得んと、少し考えてから宗介は返したものである。
『ここ、というよりも』
『いうよりも?』
『せんの隣が俺の居所と、そう刷り込まれた気がする』
小首を傾げていたせんが、ぱあっと顔を輝かせる。
が、すぐさま首を横に打ち振り、うにゃうにゃと喃語めいた抗弁を唱えた。詳らかならないが、どうも彼女なりの煩悶があるらしい。
それはまるで、懸命に不満を表明する子猫のようなありさまで。
ああ、愛らしいなと目を細め、宗介は改めて己の劣勢を思い知る。
一方せんの一日は、おしゃべりから始まるのが常だ。相手は長屋の女房衆である。
妖魅に関わる組織であるから、見鬼の才を備える者が少なからずいる。方相長屋の住人のうち、およそ半数がせんの声を聞き、更にその半分が姿を見ることができた。
が、これは面々の見る目、聞く耳が優れたることの証明ではない。存在が希薄であったせんを彼らが知覚しうるのは、せんに宗介の交わりがあればこそだと大角は言う。
妖魅とは、人の想念により成り立つものだ。
友愛、崇拝、畏敬、恐怖。
様々な感情、魂の揺らぎを受け、より相応しく自己を確定していく。存在を認識され、承認されることで、妖相を確固とし、妖威を強める。
せんの褒められたがりも、無意識なこの例と言えよう。機能への賞賛は、付喪神の性能を大きく高める。蛇を斬った、鬼を討った、蜘蛛を薙いだ、百足を射抜いた等々の逸話が膾炙することで、その武具は神域へ押し上げられていく。
妖魅の多くが人間と関わるのはこのためだ。
人に水が必須なように、彼らに承認は欠かせない。
別世界として隠れ里を形成してのけるような大物ともなれば話は別だが、忘れられた妖魅は例外なく力を失う。
祀られながらもせんが薄れ、消え果てようとしていたのはこのためだ。未だ怪を為す蛇に寄生していたとはいえ、彼女はよく持ちこたえた部類と言えよう。
それが、宗介と出会って変わった。
ただ一人からなれど、せんは強烈に存在を肯定された。これによりせんの妖相は確かに強まり、ために彼女を知覚し、認識できる者が増加したのだ。
少ないとはいえ交流できる相手の存在は、せんを積極的にした。
本体が宗介の部屋の刀掛けにあっても、長屋の敷地内程度なら、そこから離れて彷徨い歩ける。だから宗介が不在の間、せんはふわふわと炊事場や井戸端を漂った。
もとより気立ての良い刀である。せんはたちまち皆と馴染んで、旦那や子供への愚痴に耳を傾け、家事の要諦を聞きかじるようになった。
「わたしもいつか、お料理を作ってみたいな。その時は宗介、お味見してね?」
そうして人の営みを、より深く学んだためだろう。
食事時、宗介の向かいに端座してせんは、にこにことそんなことを言う。
飲食は、彼女の心を惹きつける事柄であるらしい。そのひと品がどんな舌触りで、どのような味がするものか、日々、好奇に満ちた目で問いかけてもくる。おかげで味覚を表現する語彙が、宗介には大分増えてきた。
なのでこの頃は少しばかり、宗介は三食が後ろめたい。
せんを差し置き、自分ばかりが見せびらかすように腹を満たすように感じるからだ。もちろん馳走しようにも、現実性の低い彼女は、飲食どころか物に触れることすら叶わないのだけれど。
ともあれ長屋のおかみさんたちへは、後日また差し入れをせねばなるまいと思う宗介である。皆、忙しさの合間を縫ってせんの相手をしてくれているのだ。宅のせんがいつもお世話に、と感謝を申し述べるのは大切だろう。
何よりせんに対する女衆の好意的態度は、大変にありがたいものなのだ。
方相長屋は駆け込み寺としてその筋に知られる。
絡まり縺れた因果の糸を、人妖どちらへも肩入れをせずに解きほぐすのだと囁かれている。
無論、風聞である。
綺麗に解ける糸ばかりではない。怪事は大抵、憎悪怨恨を端に発する。長屋に持ち込まれる頃には、強引に断つしかない乱麻に成り果てている場合が多い。こうなると、双方が痛い目を、或いは血を見ずには治まらないのがほとんどだ。
ゆえに怪事が終われば、関係者は揃って方相長屋から距離を置く。嫌な記憶は早く忘れて、以後決して関わるまいと考えるのだ。
しかしながら極稀に、例外が生じる。
長屋との関係を維持し、それに与せんとする者が現れる。それは、自らが経た体験を活かそうと考える者たちだった。
怪事の被害が長く、大きくなる要因は、主として人の側にある。妖魅などありはしないという信仰のような常識が、初動を遅延させるのだ。
助けを求める声が上がらなければ、外部が気づける道理もない。
対処されないままに膿は溜まり、ついには弾けてどうしようもない破局へ至ってしまう。一手の遅れが大きく状況を悪化させるさまは火事に似ていた。
だから、彼らは思ったのだ。
わずかでも過程が異なれば、着地点もまた違ってくるのではないか。少しのかけ違えが、無知や思い込みが事態を悪く進めるのなら、同じく少しの手助けが良い結果への道筋を拓くのではないか、と。
見る目、聞く耳などなくてもよい。
ただ方相長屋に不思議の兆しを報せるだけ、或いは怪事渦中の者たちへ長屋の存在を教えるだけで、それは十二分の助けである。なくてよい悲しみ、苦しみは確実にその嵩を減らそう。
またこれは、人妖間の隔意低減へも繋がる行為だ。
手ひどい被害を受けた者は、自身を害した個のみならず、それが属する集団をも敵視するものだ。たとえば親から暴力を受け続けた子供が、全ての大人に不信を抱き、憎悪し切ってしまうように。
相互の被害を抑えることは、対話の機会を増やすことに直結する。それはとりもなおさず、手を取り合う可能性の増加に他ならない。
長屋に住み暮らす大半が、こうした精神性の者とその家族だった。
彼らは承知している。
心も善も、決して目には映らない。けれどそれらは、疑いようなくそこに在る。見えぬを理由に無下にしてよいものではない。
妖魅もまた同じこと。
自分の認識できないそれが、時に誰かを救い、時に誰かの大切となることがある。「わからない」が否定と等号であってはならない。
宗介が、特にせんが容易く長屋に容れられたのは、こうした下地があればこそだ。ありがたい以外の言葉はなかろう。
無論方相長屋のうちにも、妖魅を忌む向きは居る。
子を人身御供に取られ、二親を喰らわれ、兄弟を千切られ、友人を齧られ、そうして自身を損なわれたような体験の持ち主たちだ。中には長屋の庇護なくして日常を送れぬ者もある。して当然の嫌悪と言えよう。
しかし彼らは弁えている。人の全てが善でないように、妖魅の全てが悪ではないことを。
だから妖魅を厭いつつも、理性的で感情を御していた。彼らは自分たちの憎悪を、決して他所へ押しつけようともしない。たとえば宗介のもとへ押しかけ、せんを打ち捨てるよう説くこともない。
だから宗介たちも同じく彼らの感情を尊重し、無理な関係改善を図らなかった。
理解し合えない平行線という立ち位置を、互いに理解した上での不干渉である。
生きとし生ける全てが手を取り合い、愛し合い慈しみ合うなど、叶いようのない理想郷だ。
互いを正しく認識した上で、或いはいがみ合い、憎み合うこそ世の常である。知性と感情を持つ同士の交わりにおいて、見解の相違が出ないことこそが不自然なのだ。正誤でも勝ち負けでもないこれを、上からどうこうしようとすることこそが傲慢極まる無理押しであろう。
こうした理解こそが長屋の妖魅嫌厭派と儺人との絶対的な境界であり、大角はこの一線を跨ぐ者を方相長屋に決して置かない。
せんと語らいつつの朝餉を終えると、宗介は改めて身支度を整える。
長屋での日々で伸びた髪を背なで結わえた、如何にも浪人らしい着流し姿。遠出の折にはこれに軽衫袴を身に着けるのが、近頃の装いである。
次いで、腰に刀を佩いた。
帯刀する都合上、今の宗介は常州浪人を名乗っている。姓は、巾木とした。
せんの刀装は、村時分から変化はない。その白鞘は返角や折金といった留め具を備えず、ために宗介は下げ緒を結び、それを通すことで鞘を帯に固定していた。
いずれ相応しい拵えを、と思いはするが、なかなかにままならぬのが手元不如意の悲しさだ。
総じて浪人の域を逸脱しない出で立ちだったが、しかし宗介のこのありさまは、せんの不安を掻き立てずにおかなかった。
村の名を引きずることも、壬生兵庫を彷彿とさせる髪結いも、宗介の心が過去に縛られる証左と思われてならない。
『大丈夫だ』
だが気づかわしげなせんの視線を受け、ある時、宗介は軽く笑った。
『ただ覚えておきたいんだ。俺の成り立ちが何であるか。苦しいこと、悲しいことがあった。でも決して、それだけじゃあなかったって』
陰りのある横顔は、未だあの雪の日が癒えない傷なのだと教える。
けれど、宗介は前を見ていた。
姓も髪も悪い記憶に囚われてでなく、己の礎を踏みしめ、歩き出すための拵えだった。
せんとて憧憬の姿を、自身の根幹として真似る身である。気持ちは痛いほどによくわかった。それでせんは宗介を信じ、心配のほとんどを打ち捨てることにした。
そしてその頃から、せんは自身の幽姿の腰に刀を、自らの分け身を再び帯びるようになった。
宗介に捧げたものとして一時消失していたものの再装は、傍観をやめ、自ら歩む意志を反映したものだったろうか。
支度を済ますと宗介は、長屋から屋敷の中へ、大角内供の私室へと赴く。
最近の宗介は、真似事ながら大角の祐筆を務めていた。
拾われて以降、宗介の衣食住は全て大角の厚意によって賄われている。宗介はこの状況をよしとしなかった。若者らしい意地もあるが、何よりしてもらうばかりの関係は歪んで健全ではないと考えるからだ。
それで宗介は、大角に願い出た。見極めをすると聞いてはいるが、その間、無為徒食のままでいるのは心苦しい。何か働き口を世話してはもらえないだろうか、と。
『寝て食って過ごすが不満とは、因果な性分に生まれついたのう』
呆れ顔で大角は言い、しかしそののち、宗介にいくつか聞き取りをした。
結果判明したのが、宗介の能筆である。寒村の少年は意外にもしっかりした読み書きを身につけていたのだ。
言うなればこれは昔取った杵柄である。宗介の父は、男の装飾とは文字であると考える人間だった。だからその父の帰りを待ちながら、宗介は長く、母と手習いをしたものだった。
加えてせんが横合いから校合をするので、書き損じも甚く少ない。
『ひとり分の手間賃で二人前の仕事を為すとは感心、感心』と大角は喜び、筆役として宗介を重用する次第となった。以来宗介は、自身たちの暮らしを、極力この給金から出している。
俯瞰して述べるならこれは、親の手伝いをして小遣い銭をせびり、それで自活を気取る子供の図でしかないものだ。
けれど、宗介の中では大切な一線だった。
巾木の村に戻るつもりは、宗介にない。
戻れるとも、思っていない。
免状授与のめでたい席で、弟子のひとりが突然に乱心。酔っていた高弟たちを傷つけて回り、挙句、師に斬り立てられて雪の山中に逃げ込んだ。深手を負っていたがゆえ、おそらくはそのまま息絶えたと思わる。
村には、およそそんな筋書きが流布されているに違いなかった。一体全体どの面下げて帰郷ができよう。
ならば江戸暮らしを続けられるだけの、何かを身につけておかねばならない。日々がどれほどの費を要し、仕事や物の相場が如何様なのかを知っておくのは大事なことだ。
何より大角次第で、ある日突然この長屋を立ち退く可能性もある。そう思って宗介は、この生業にしがみついている。
実際のところ宗介は、大いに大角の助けとなった。
なにせこの坊主のもとへは、驚くほど多量の信書が届く。
送り主も多種多様で、北町、南町両奉行の他に、妙純、山本、神野、乱裁といった江戸の外からの文があった。
これらは各地に根づく、方相長屋と同種の組織の長の名だ。つまり迂闊な者には見せられない文書たちである。
その点、宗介は実に都合がよかった。いずれ金四ツ目にと考える人物であり、実直で筆跡が美しい。今では機密性の低いものへは、口述筆記で宗介に返信を認めさせるまでになっていた。
これをたちまち信を得てと述べるべきか、大角の大雑把な気質ゆえと評するべきかは悩ましいところである。
さておき宗介は、ために書状の中身もある程度把握していた。
各地より寄せられる文のほとんどが、やはり怪事に関するものだった。内容は様々ながら、中には金四ツ目の派遣を乞うものもある。もし判断を誤れば、派遣した金四ツ目のみならず、助けを求めた人々へも危うきが生じうる事柄だ。
人手不足の中での決断は想像以上の重責であろう。
時には当人が現地へ乗り出す場合とてあり、大角は決して見た目通り、安穏とした日々を生きる人間ではない。
そもそも雲のようにつかみどころのない怪僧ではあるが、長屋へ届く書面のいずれからも、彼への信頼が読み取れた。ならば命の恩人たるを差し引いても、大いに敬意を払うべき人物であろう。
大角が、くあ、と大あくびをしたのは、などと宗介が敬服の眼差しを送ったその途端だった。
「飽いた。本日はこれまで」
赤ん坊の頭をひと呑みにしそうな口をばちんと閉じると、真面目ぶって告げる。
傍らには未処理の信書がいささか残るが、決して怠慢ではない。それらは宗介には――というより余人には、うかうかと見せられぬ類のものなのだ。
そうと知るから、宗介は大人しく肯じ、続けて小さく苦笑した。
ごろりと大の字の転げた大角の手の中へ、足を生やした瓢がとことこと駆け込んでいくさまを目にしたからだ。中身については言うまでもない。般若湯である。




