アビー・レイ
首都アベルタのなかでも中央区の形は美しい。
地図をみれば、王城を中心に放射線に道が延びて、水面を広がる波紋のようにぐるりと円形の道が重なっている。大通りだけを見れば輪切りの柑橘系の果物の断面のように見えるし、小道も見ると蜘蛛の巣のようにも見えた。
なのでアベルタ中央区内では、多くても2回道を曲がれば大抵の目的地へ辿りつけることが可能だ。
しかし、ルエラ・アルクインは5回も曲がるルートを選んだ。つまりは遠回りをしたのだ。
(もうアベルタには居ないらしいけど)
ルエラは今、クレア・ノバルという女性に会うため、隣国のバーランド王国からこの鉄の国アベルタへ、早朝から馬を走らせて来ている。
バーランド騎士の採用試験が受かるまではアベルタに住んでいた彼女は、これまで生きてきた19年のうちのほとんどの生活をこのアベルタの中央区で送ってきていた。地元なのである。
ただ、彼女は地元であるこの場所にはあまり良い印象がない。
ここでの生活は、決して楽しくなかったわけではなかった。
しかし、誰しも話したくない過去があるのがおかしくないように。ルエラにもあまり人聞きの良くないような過去を持っていた。
それは彼女が15の頃。つまりは4年前のことである——。
アビー・レイという男の第一印象は彼女にも良くなかった。
中央区の住人の大半は栄華を極める富豪達によって占められていて、アビーもそのひとりだった。
その羽振りの良い彼からでる金銭はアビーの父による功績の賜物であり、彼自身は何一つとしても稼ぎこそないものの、周囲にあつまる女たちにとってはさしたる事ではなかった。
「今度のパーティ、あなたも来ると良いわ」
アビーが定期的に催すパーティに、当時のルエラは友人の紹介で参加することになった。
貴族達が楽しむ華やかで優雅なパーティとは違い、気取りなく騒ぎ立てるようなものである。
ルエラは優雅な催しを想像していただけあり着ていった服装が場違いなものになってしまっていたが、それが逆にアビー・レイの目を引く結果になった。
アビー・レイ。25を迎えたばかりの男であり、顔だけでの評価であればあまり良い評価は得られないだろうし、さらには恰幅がよく、綺麗な貴族服から腹がだらしなく膨れていた。
「おいお前、初めて見る顔だな……へぇ」
「……」
「名前はなんて?」
「……ルエラ、……アルクインです」
「アルクイン……はっは、聞いたことねぇ。いいわ、お前こっちきて酌しろよ」
アビーという男はとにかく強引な人間であった。
「おら、そこどけよ! さ、こっちだルエラちゃん。ここに座ってくれ」
いつ逃げ出せば良いだろうかとルエラは思っていたが、パーティの主催者であるアビーからの待遇は格別に気分が良いものであり次第にアビーの横が心地よく思えてきていた。
聞けば、魔術の才能もあり、付与師として修行を積めばアベルタ1になるであろうと語る。時代が時代であれば魔術師として第一線で活躍したであろうとも言う。
しかし付与師が扱う、魔方陣作製の知識はない。
「付与師の教師を雇ってやったんだが、オレのやることにいちいち突っ掛かってくるんでよ、ぶん殴って辞めさせてやったわ」
凶暴な性格は際限なく周囲の人間に被害をだしていた。
彼は暴力を好み、自分に平伏する弱者の姿を見ては喜んだ。
軍部は彼に手を出すことをしなかった。彼の父が過去にあった南国侵攻の際、軍事費用の半分近くを出していたためであった。
パーティの次の日からも、アビーはルエラを呼び出しては、都市を遊び歩いていた。
周囲はふたりに気を使い。なかには、全面的にアビーが悪いような出来事があっても、相手が権力によって折れるか。アビーの暴力によって屈するしかなかった。
ルエラの感覚はいつからか麻痺していて、そんな彼の行動になんとも感じてはいなかった。
むしろ、権力的にも体力的にも強い男が自分を特別扱いしてくれることに彼女はただ酔いしれた。
「なんだこれ、センスのねぇもんばっか置いてんなぁ。なあ、ルエラちゃん。これからウチに来いよ。こんなクソみたいな店より良いものが沢山あるからよ」
都市を歩き、彼女が入ったことすらない高級な店を歩き回って少ししか経ってないうちに彼が誘った。
ルエラはしぶる仕草をしていたが断る理由が彼女の頭には無く、乗る気だった。
——初めて身を委ねて1ヶ月もしたろうか。それからというもの、彼の住む屋敷には数日おきに呼び出されてはその度に夜まで楽しんでは帰された彼女だった。しかしはじめのような扱いから、日を追う毎に、アビーからルエラへの態度は他者にとるような粗暴な態度へと変化していった。
茹でガエル現象というよりは、それまで男性経験のなかった彼女は最初から色々麻痺していたものがあったといえよう。
それでも彼の打った平手の形がくっきりと背中に浮き上がっているのを鏡でみてから、目が覚めたように熱も冷めていった。
このときとなっては、アビーにとってルエラという女は自分を楽しませるための所有物であり、特別でもなければ数ある遊びの1つでしかなくなっている。
どうでもいい人への態度がその人の本性というのであれば、まさしくこのときの彼女への対応こそが素の彼なのだろう。
「は? もう来ないって、ルエラちゃんさぁ。おめぇそれ、わかって言ってんの?」
ベッドの中でルエラの髪をなでる彼の手ははじめから雑だったが、さらに半ば引っ張るように力を入れられている。
期待に応えるような返事をしなければ、その手がどう動くかわからない。そう思わせた。
体が触れては付く相手の汗にも、もはや嫌悪感が拭えない状況である彼女は、怖がる気持ちを抑えて彼に別れを告げて出ていった。
次の日、アビーといつもつるんでいた男がルエラの家へやってきた。
男が言うには、アビーは報復を企てているらしく、それを阻止してルエラを助けたいというのだ。
自分の行いから、一緒に住む家族へ迷惑はかけたくないと考える彼女はすがることにした。
たとえその男の心の内が「アビーから女を奪うチャンスだ」という下心が明け透けに見え隠れしているのが解っていてもだ。
して翌日、小規模の火事が2件同時に起こった。
昨日来た男の家とルエラの家だった。
男は行方知れずだったし、火事は大多数の住民が目撃しているはずなのに、国は大して調べることも無かった。
不幸中の幸い、ルエラの家族はその場におらず、家族は無事だったものの。事情を明かさざるを得ない状況になったルエラは、包み隠さず両親や兄弟に話した。
両親はその娘の行動に悲しみつつも、前に進まざるを得ない状況の今は今後のことをまず話し合った。
さらに翌日、アルクイン家に向けられる目は冷たかった。
一夜でさまざまな噂が吹聴されていたようで。
「火事を起こしたのは旦那さんの浮気相手だとか……」
「娘はあのレイ家の息子に迫ったらしいわ」
「権威に目がくらんだか。哀れな」
「生活も苦しかったそうよ。奥さんなんか夜に西区へ向かっているのを見た人がいるって」
「まぁ、汚らわしい。そこまでするくらいでしたら、この中央区から出て行かれたらよろしいのに」
「寧ろこちらまで印象が悪くなる。早々に——」
噂は尾をひき、散々に悪評がたつ。
父親は仕事を追われ、母親は心を病んで体を壊し、弟は教会の中ではトップを競うほどに学識豊かな少年だったが、通える状況になかった。
国から使用を許された宿の仮借も期限がせまるも、一家にはもはや中央区にいられる余裕はなく、他へ移らざるを得ず、その後は中央区を離れて南区へと転居した。
それからアルクイン家は、アビー・レイの気が済んだのか何事もなく生活をおくれていた。
中央区にくらべ南区は煤けている。窓を開ければ風にのって鉄工所からでる煙を被ることもあれば、以前まで見ていたような食材は褪せ、肉や魚は色も悪く、野菜は張りがなかった。
自身の所得によって、その付き合いに相応しい交流がなされるもので、厳しい時を助けてくれた知り合いや知人とも日とともに交流が薄れては会わなくなった。華やかな世界から薄汚れた世界に落ちたアルクイン家は上流階級との格差に最初は顔をしかめていたものの、次第に適応していった。
父親は鉄工所の見習いとして働き、母親は元気を取り戻しつつある。弟は教会にいくことは無かったが、悪友益友入り交じり、とても楽しそうに遊んでいたようだった。
ルエラというと、過去の豊かなくらしはともかくとして、ここまで貶めたアビー・レイという男に復讐したいと日々考えていた。
いつしか恨みは肥大化していき、行動に出る。
深夜にこっそり部屋にある刃物を隠しもち、中央区へ向けて歩いていく。
決まった日に決まった場所でいつも通りに女を横に酒をあびているであろうアビーの所へ行く。
アビーの親が持つ酒場の入り口の見えるはす向かいの建物の物陰から顔を出す。
他の地区と違い、煤けていない赤レンガのざらついた懐かしい感触は、震える手にかすかな安堵感を与える。
(いた!)
ルエラにとって好機と言う他無いタイミングだった。
酒場の入り口で一人の少女と話している男、アビー・レイその人だった。
(けど、この時間に女の子があんな場所にいるなんて)
アビーと話しているのは10代になったばかりか或は未満か、体格からして幼さのある女の子で。真白いワンピースに幅広い鍔の麦わら帽子が特徴的で、ここからは顔は見えない。
アビーは笑顔でその子供と話している。少女は時折わずかに肩を揺らしていて笑っているようにも見えた。
獲物なのだろう。
どうしたらよいものか、ルエラは袖に隠している刃物を取り出して、様子を伺っていると、ふたりは動き出した。路地裏へと行くようだった。
人気の無い場所へいくふたり目で追う。ルエラは周囲を見渡し、人が見ていないのを確認してから大通りの石畳を音を立てないように渡っていった。
裏路地に入り、歩をゆっくりと進めていくとそこに居た。しかし、少女は居らず、男が嘔吐しながら壁に手をかけて苦しんでいた。
「くそぉっ、あのガキぃオレに何しやがった! ごぼぼっ——!」
予想だにしなかった光景に思わず力が抜けて刃物を落した。ルエラが気付いたのは、石床落ちて刃物が鳴ったことでこちらに振り向くのを見てからだ。
「なんなの……!?」
振り向いたアビーの顔には皺があり、しぼんでいっているような顔だった。眼光は赤く光を発し、顔も抑える手もなんだか血色が悪い。
「おめぇは……、グボルルルルルルルル……」
ルエラを見るや、アビーはなにか唸るような音を出しながらこちらへ、1歩、2歩とより始めた。
「あいつぁ……アリスはおめぇが仕向けたってのか!?」
「アリス……知らないわ!」
「嘘をつくんじゃねぇ……ぐぼっ!!」
ルエラは逃げた。
ただ事ではないアビー・レイの状況にただただ恐れた。
中央区と南区の境である市壁をぬけ、今住む建物に入って息をつく。
(なんだったの……)
謎だった。全てが不可解であり、夢を見ているかのような感覚だった。
家に入ると、父親がリビングの椅子に座り、ひとり月を見ながら酒を飲んでいた。
「おや、外に出ていたのか。ダメじゃないかこんな夜遅くに」
「ごめんなさい。散歩してたの」
「散歩か、この月を見ながら街を歩くというのは悪くないな」
「ええ、そうね」
「ただ、女の子が夜中ひとりで出歩くのは看過できないな、今後はよしなさい」
「はい。パパ、ごめんなさい」
「そろそろ月も向かいの家で隠れてしまうな。寝るとするか。ルエラ、君もちゃんと寝るんだぞ」
ルエラは返事をする。グラスを片しはじめる父親に挨拶してから自室へ入った。
ベッドにうつ伏せに倒れたあと、仰向けになって天井を見る。
(アビーは何があったんだろ。あの女の子は……?)
考えても謎が深まるばかりだが、胸の早鐘がおさまらない内は頭から離れそうも無かった。
どれくらい時間が掛かったろうか、いつの間にかルエラは眠りについていた。
——4年後の今、風の噂ではアビーはそのまま居なくなったという。
しかし、今でもあのアビーの異常さは思い出すだけでも恐怖感が蘇る。
今じゃあ会うこともないだろうと思いはしても、彼女はそのアビーと少女が入った裏路地のある道を避けて通っていった。
ただ、それが良くなかった。
中央区にもあまり普通の人が寄らない場所がある。
いや、寄るべきでない場所があるのだ。
大通りを1つ避けるのはまだしも、近いからと裏道に入ったのは浅はかだった。
「おい、みろよ」
「ひっひっひ。あんの娘は見覚えありますぜ」
「だろ? へっへっへ」
酒や油で汚れた裏通りは中央区とは思えないくらいに道が汚れていて。木箱が重なる場所に彼らは居た。
腰に短剣を提げ、服には胸当てや肩当てがあり、凹みや傷がめだつヘルムを無造作に被っていた。
いずれも薄汚れていて、傭兵かはたまた堅気ではない職業だということは明らかだ。
そんな風体の男がふたり、ルエラを見て笑っていた。
「おい、まてよ」




