対峙
ルエラ・アルクインは日頃から「人を助けたい」という気持ちを主張している。けれど彼女がそんな高尚な志を持ちはじめるに至った理由は、誰に影響を受けた訳でも、何かの言葉に感銘を受けた訳でも、劇的なエピソードを経て得た想いなどでもない。
アベルタ国の経済にも影響を与えるレイ家の御曹司アビー・レイによって、上流階級から下流へと落された彼女の家族は、質素な暮らしを余儀無くされた。
見方によってはこれまでの“お金があってもゆとりのない暮らし”と比べ、よりよい幸せを掴んだアルクイン家ではあるが。ルエラはこのまま質素で平凡な生活をして、かわらず歳を重ねることを好まなかった。
「人を助けたい」と掲げたのは。劇的で刺激的、かつ安定した生活を送りたい。そんな欲求から生まれた想いからだった。
だから彼女の信念は揺るぎやすいのかもしれない。
悪党2人に手も足も出ず、村開発支援の際には気持ちが空回りした。それまで普通の街娘であった身ならば、それは仕方の無いことである。
ただ、彼女はすっかりやる気を失ってしまっていた。
「おいルエラ」
「……」
「ルエラ」
「何よ」
椅子に座りながらルエラは振り向く。斜め後ろにある机の席に座って資料整理をしながらフレッドがルエラを呼んでいた。
「おい、クレアから貰ったネックレス。ちゃんと持ってるんだろうな」
「ああー、それなら部屋にあるわ」
「……ちゃんと付けとけよ。いつクレアから念話がくるかわからねーんだぞ」
「ドッペルゲンガーの件ならもう手伝ったでしょ。私にはもう関係ないわ」
「そうだけどよ……」
フレッドもクレアから貰った魔術道具を首にかけている。
緑色の宝石には小さな魔方陣が掘られてあり、地肌に触れて人体の微細な魔力を吸っている宝石はうっすらと光り輝いている。
『ルエラの奴、ネックレスを部屋に置いてきてるってさ』
『無理に付き合わせることはない。もとよりルエラは無関係だったのにも関わらず、クレアという付与師に会うためわざわざアベルタに行ってもらったのだ。それだけでもありがたい』
『そうですよフレッド。ルエラさんには充分すぎるほど手伝ってもらいました』
ネックレスに魔力を送り、念話をしているのは3人。資料館内のフレッド。城壁の上から町並みを眺めているシャニス。半身不随のためにフレッドの家で寝たきりであるセトだった。
いずれもクレアが持って来たネックレスを付けている。
『……そりゃそうだけどよ。ドッペルゲンガーの件とは別に、アイツ、すげー怠そうなんだが』
『いずれ、また元気になるはずだ……きっとな』
『そーだといいがなぁ』
鐘が鳴る。夕刻、業務の終了を告げる鐘だ。
それまでは宿舎に直帰していた2人だが。騎士団長のエリクがアベルタから帰還してからは行動範囲が若干ほどに広くなっていた。ルエラはぶらぶらと遊びにいくようになっただけだが、フレッドはようやく外出禁止を解除されたので自由に外を歩けるようになっていた。
「そんじゃあね、お仕事終わり。お疲れさまフレッド」
「おう……」
鐘と同時にすぐさま席を立ち、かるく挨拶しながら資料館から出て行ったルエラをみて、フレッドは釈然としない気持ちになっていた。
『なんか、いろいろと冷めちまったみてぇだな』
『そんなときもありますよ』
『朝なんか、酒やらタバコのにおいを付けて来るんだぜ』
『ふむ、それは年頃の子にはあまり好ましくないが』
『どうあってもプライベートですよ。もしそんなに気になるのでしたら、きちんと話しかけたらどうです?』
『べ、別にそこまで気にしてねぇよ』
『どうでしょう』
笑い声は念話の特性上聞こえはしない。ただ、こころなしかセトはこの念話を楽しんでいるようだ。彼は古い家屋の中ひとり寝たきりで過ごして来た。離れていても話せるこの魔術道具の画期的さは喜ばしいのだろう。
さらに言えば、業務ではなく個人の付き合いとして話している今、13歳という年齢にしてアベルタ軍部のハドリー将軍に傅いて、時には王室の世話係も担って生活していた。そんな彼からすれば、ある種の交流のブレイクスルーでもあった。
『今日入って来た資料の中にあったが、アベルタ内で殺人がたびたび起こってるらしい。物騒だな』
『アベルタは秩序や法が守られているという評判だが、それでも移民を積極的に行ったためか、それなりに治安が悪かったようだぞ。首都のどこかでは、抱えきれなくなった犯罪者を非公開で処分する場所もあったなんて噂もある』
『そうですね。しかし殺人ですか、ドッペルゲンガーと関わってるかどうかまでは判りかねますね、詳細は載っていますか?』
『この10日以内に20人……記録に無いような最下層民も狙われていたりするみてーで、たぶんそれ以上だ。国の把握能力が追いついてないらしいな。なになに……、死因は鋭利な剣や円錐型の穂がついた槍のようなものと思われるが、例外的に体がバラバラになっているものが4件、だそうだぜ』
『その4件の方にはなにかしら共通点はあるんでしょうか?』
『待ってろ。これは』
『どうしたフレッド・ラシュトン』
少しの間を置き、フレッドは話す。
『被害者が全員女で、アリスって名前だ』
『その4件は、私達が探しているものとは別件の可能性があるな』
『アリス……ですか。偶然とは思い難いですね……しかし、ひとまずそちらは置いておきましょう』
『うむ』
『おう、他は……』
フレッドが、手元の資料の束をめくりめくり目を通していく。
その間に頭に言葉が1つ響いた。
『お話中のところいいかしら』
3人の他に、他のところから言葉が入って来た。声こそわからないが女のものだ。
また、口調からしてルエラではない、とすれば。
『クレアさんですね。14日ぶりになりますか』
『ええ、待たせたわね。手続きにまさか何日も待たされるなんて思いも寄らなかったわ』
『すると?』
『今、アベルタの北区城塞の地下に入ったところよ』
『監獄はすぐそこだな』
『相手は呪術使いだし、念のため、ハーマンに話しかけながらその魔物の情報を聞きつつ伝えるようにするわ。話しながらだからテンポが悪いと思うけど聞いて頂戴』
『わかった』
『お願いします』
それから、クレアの断片的な言葉が、念話によってシャニス、セトそしてフレッドに伝えられた。
——その日の夜。
ルエラは私服でバーランドの酒場に入り、カウンターで林檎酒を飲んでいる。
林檎酒はあまり強い酒ではないし、浴びる程でもないにせよ口にしている量は多い。
酒に頼れば、ルエラ自身にのしかかるこれまでの負の思いは緩和される。「不幸な私」という他者からの哀れみが含まれたような観点が生まれては、酒に溶けた劣等感が心地よく自分を酔わせ、しがらみから意識が解き放たれてまどろみを招いた。
「だいたい、なんでわたしが書類整理を……」
独りごちていた。
始めはカウンター越しにいたマスターに向けて話していたが、マスターがつきっきりになって独りの愚痴を聞き続けられるほどこの酒場は暇ではない。
愚痴を聞く相手が居なくなってもボソボソとひとりで何かを言っていたルエラに、酔った若い女を見て狙い目だと近寄る男達も一度は声を掛けようとするも。心証が荒んでいる彼女の顔を一瞥し、呆れ顔をして帰っていく。
見かねた酒場のマスターがルエラを家に返そうと決めた時。ルエラは窓の外をみるや、飲んだ金額よりやや多い金銭をカウンターに置き、ふらついた足取りで外へ出て行った。
「あの人、こっち来てたんだ」
窓越しに見えた人物を追うルエラ。
あの人とは、先日参加した開発支援の際に夜を共にし情交を重ねた、左頬に傷があった男のことだった。
酒場をでて、ルエラの体に冷ややかな風が当たる。
体が酒で火照っていて熱いはずなのに肌寒い風が体の表面を冷やし、はっきりとしない気持ちの悪い感覚に襲われたルエラは顔をしかめる。
建物に手をついて、よたよたと歩いて、裏道から大通りに出て来た男を呼び止めた。
「ねえ。アベルタからこっちにきてたのね。どうしたのよ」
アベルタの首都とバーランド王国の首都は近い。しかしそれは例外的な位置関係である。
男の住んでいるアベルタ領土のホーンネット村から、ここバーランド王国首都は馬を使っても3日は掛かる。ちょっとやそっとの理由でこれるものではない。物流が盛んな国とは言え、とくに観光にくるような場所も無い。
引っ越してきたのかもしれない。でなければ、わたしに会いに来てくれたのかも。
酩酊気味のルエラはそう思いつつ振り返る男に期待した。
「やあ」
男は笑顔を見せた。
開発支援を行ったホーンネット村で会った時はさわやかな男だという印象があったが、今会ってみるとなんともいえぬ違和感が受け取れた。
動作というか雰囲気が“ねっとり”としていて、気味の悪さすらあった。
違和感を感じつつも、今晩はまたこの男についていこうとルエラは考えていた。
壁伝だった手を男の胸に伸ばして寄りかかる。
男の顔を見ながら左頬の傷跡を触ろうと手を伸ばす。
——しかし左頬には傷跡がなく、見れば右頬にその縫い目があった。
(酔ってるわね、わたし)
なぜずっと左頬だと思っていたんだろう、今見たら傷跡は右頬についているじゃない。
そうルエラは深く考えずに手を変えて傷跡を触れた。
男は何も言わず、ルエラの肩を持ちながら裏道へ戻っていく。
月明かりすらささない裏道の闇に2人は消えていった。
——その2人にフレッドは呼び止めた。
「まて! つか、離れろよそこの酔っ払い!」
声と同時に、2つの赤い玉がルエラと男の左右に転がる。
赤い玉は光りを放ち周囲を照らす。
魔術道具の一種で、微弱な魔力を吸って光を放つ、言わば簡易証明である。
ルエラの肩を持った男はそのままルエラと一緒に振り返った。
男は何も言わずにやにやと笑っている。
そこには時間外だというのに騎士の姿でいるフレッドの姿があった。
ブルークロスの下には鎖帷子、さらには鉄の甲冑が右肩、両手に手甲、両膝と鉄のグリーブを履いて、左腕には帯が巻かれ、腰にはハーフソードが提げてある。戦闘用の出で立ちである。
「……」
「フレッドじゃない。なによ邪魔しないでよ。それになんなのその格好」
「邪魔はてめーだ馬鹿ルエリィ!」
フレッドは左手を2人に向けて広げる。
すると、左腕に巻かれていた帯が蛇の様に動いて腕の周囲を舞ったあと、勢いよく男の顔を目掛けて先端が飛んでいった。
完全に不意を疲れたか、右頬の傷をもつ男は驚いた表情と同時にその帯の先端を顔面にくらった。
それをみて彼女は一瞬にして酔いが冷めた。血の気も引いている。
男の顔は驚いた顔そのまま、帯を当てられているが。後ろに吹っ飛ぶわけでも、まして刺さるわけでもなかった。まるで軟体、ドロのようにぐにゃりとたわみ頭部の形がくずれていた。
ルエラは離れようとするが、肩をもつ力は強くなり、離れることが出来ない。
私服であり、今日は短剣も忍ばせていない彼女はどうすることもできなかったし、酩酊している彼女にはこの突然の異常な事態にパニックになっていた。
「よぉ、また会ったな化物。まずはそこのバカ女を離してもらおうか」
フレッドは抜剣し、構える。
背中を相手に見せるくらいに向けて、右足を気持ち前に出す。右手に持つ剣の重心は胸の前にあり、左手で剣先からこぶし3つほど下を軽く添えている。
わずかに右肩越しにフレッドは男の姿をした化物を見据える。
バーランド王国騎士団で正式採用されている剣術の基本姿勢のひとつ『十字の構え』である。




