第74話 悪徳領主の登場と、現れたクエスト
オルト村での新たな拠点完成と、アキラ、ルミとの濃密な夜を経て、俺たちは再び商業都市バザルへと足を運ぶことにした。
町の手前の街道へと『フィールド・テレポート』で移動する。
朝の冷気が残る街道を抜け、活気に満ちた町の喧騒をくぐり抜けて向かったのは、巨大な石造りの建築物――冒険者ギルドだ。
重厚な二重開きの木製扉を押し開けると、特有の湿った空気とともに、使い込まれた武具の革臭、酒と安タバコの匂い、そして大勢の人間が発する熱気が一気に鼻腔を突いた。
フロアを見渡すと、朝の依頼受注を終えた冒険者たちが酒場スペースでくだけた談笑を交わしている。
しかし、俺たちが一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の喧騒が微妙にトーンを落とし、冷ややかな視線がいくつも突き刺さってきた。
称号『バザルの卑劣漢』――元クラスメイトの男子たちが流した『噂話』によってついてしまった不名誉なレッテルが、この街の住人や冒険者たちの潜在意識に不快感として刷り込まれているのだ。
ひそひそと交わされる影口や、警戒感を剥き出しにした蔑視の眼差し。
だが、そんなものは今の俺にとって、痛くも痒くもなかった。
冒険者ギルドなど、俺にとっては互助会としての機能を担保し、無料で有益な情報を回収するための便宜的な機関に過ぎない。
そう割り切って、この組織を活用していくことにしていた。
他人の感情に一喜一憂して足を止めている暇はない。
* * *
「トオル君、あっちの掲示板に、難しいダンジョンの資料があるみたいだよ」
「ああ、行ってみよう」
アキラが明るい声で指をさし、ルミも静かに頷く。
二人を従えて端にある大型掲示板へと歩み寄ったとき、ズシリとした重い足音が背後から近づいてきた。
見上げるような巨躯。
身長百九十センチを超えるその体躯には、鍛え上げられた分厚い筋肉が鎧のようにまとわれている。
右顔面を斜めに引き裂く痛々しい魔獣の爪痕と、それを覆う黒い眼帯。元Bランク冒険者にして、現在はギルドの新人指導員を務めるガルツだった。
「おい、貴様。ここに何の用だ」
ガルツの地鳴りのような低音のダミ声が、俺の頭上から降ってくる。
腰に下げた武骨な鋼のメイスに太い手を添え、眼帯のついていない左の鋭い眼光で俺を射抜くように見下ろしていた。
「何をコソコソと調べている。また何か、良からぬ計画でも立てているのではあるまいな?」
「ダンジョンの情報を見に来ただけだ。冒険者がギルドで資料を探して何が悪い」
俺は眉一つ動かさず、淡々と事実だけを口にした。
感情的になって反論しても無駄な摩擦を生むだけだ。
ガルツは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、腕を組んで俺のすぐ後ろに陣取った。
露骨な監視の構えだったが、俺は気にも留めず机に置かれた羊皮紙の束をめくり始める。
* *
このバザル近郊には、いくつかの定期攻略されているダンジョンが存在する。
レベル上げと資金稼ぎを兼ね、次に挑むべき最適な場所を見極める必要があった。
目にとまったのは、町から南東へ進んだ湿地帯の奥にある『白霧の洞窟』という鍾乳洞型のダンジョンだった。
推奨ランク、出現モンスターの傾向――
細かな記述を目で追っていくと、最深部に関する注記が目に留まる。
『最深部の水域には、極めて珍しい希少魚「桃脂ナマズ」が生息。捕獲困難だが極上の美味』
(桃脂ナマズ、か……。珍しい食材なら、高く売れるかもしれないな)
俺がその記述を頭に刻み込もうとした、まさにその時だった。
ギルドの重厚な正面扉が、けたたましい音を立てて左右に押し開かれた。
直後、整然とした甲冑の擦れ合う金属音が廊下に響き渡る。
* * *
「おい……なんだ?」「騎士団か?」
酒場にいた冒険者たちが一斉にざわめき立ち、座席から身を乗り出した。
白銀の甲冑に身を包んだ精鋭の領主親衛隊が二列に並び、通路を確保するように整列する。
そして、その中央をゆったりとした足取りで進んできた男の姿に、俺の目は引き寄せられた。
豪奢な金の刺繍が施された深紅の高級絹服。
まるまると太り、肥満した腹が衣服を内側から押し広げている。
丸く油ぎった顔、指にはいくつもの大粒な宝石指輪が光っていた。
一見すれば、典型的な愚鈍で滑稽な悪徳貴族にしか見えない。
だが、肉に埋もれた細い目の奥には、他者を踏みつぶすことに何の躊躇もない、冷徹で鋭い捕食者の光が宿っていた。
バザルの町を先祖代々統治する絶対権力者――
ヴァレリウス伯爵だった。
* *
ギルド内の雑音が、潮が引くように完全に静まり返る。
伯爵は冒険者たちを一瞥することすらなく、フロアの中央で立ち止まると、甲高い声で一方的に言い放った。
「よく聞け、有象無象の冒険者ども。最近、我が愛娘レイチェルの好物である『桃脂ナマズ』の流通が途絶えておる。そのせいでレイチェルはずっとヒステリック気味だ。癇癪を起こす頻度が多くなってしまった――これは由々しき事態である!」
伯爵は億劫そうに手袋を嵌めた手を振った。
「そこでだ。一番最初に新鮮な桃脂ナマズを余のもとへ献上した者に、特別に破格の褒美を与えることとした。精々、励むが良い」
言いたいことだけを吐き捨てると、ヴァレリウス伯爵は返事すら待たずにクルリと背を向け、騎士団を引き連れて嵐のように去っていった。
* * *
取り残されたギルド内に、呆然とした空気が漂う。
――その直後だった。
「ん?」
「あれ……?」
「これって……!」
俺とアキラ、そしてルミの声が奇妙に重なった。
俺たちの視界の真ん中に、突如として青白く発光する半透明のシステムウィンドウが浮上したのだ。
『クエスト【桃脂ナマズの献上】が発生しました』
『概要:白霧の洞窟の最部にて「桃脂ナマズ」を捕獲し、鮮度を保ったまま最も早く領主へ届けよ』
俺は咄嗟に周囲の冒険者たちへ視線を走らせた。
彼らは領主の身勝手な発言にブツブツと不満を漏らしているだけで、誰もこの宙に浮く発光ウィンドウに言及していない。
つまり――
画面が見えているのは、俺たち三人だけのようだった。
(ゲーム的な『クエスト』の発生か……。アイテムボックスを持つ俺にとって、鮮度を保ったまま運ぶなど容易い。報酬も確定しているなら、断る理由がないな)
俺が思考を巡らせていると、背後からドスの効いた暗い声がかけられた。
* *
「……ひょっとして貴様、あの悪徳領主の言葉を真に受けて、依頼を受ける気でいるんじゃないだろうな?」
振り向くと、ガルツが顔の傷痕を歪ませ、憤怒を滾らせた表情で俺を睨みつけていた。
「お前には関係ないだろ。余計な口出しをするな」
俺が冷ややかに言い放つと、ガルツは噛みつかんばかりに顔を近づけてきた。
「関係なくはない! あいつがどんな奴か知らんのか! 自分の言うことを聞かない、態度が生意気だという下らん理由一つで、この町で最強と謳われたAランク冒険者『ダガン』を町から追放した男だぞ! 貴様も冒険者の端くれなら、あのような権力を振りかざす悪徳領主の威張り散らした要請など無視するんだ!」
ガルツの義憤に満ちた言葉が、狭い空間に響き渡る。
だが、俺の心は至って冷静であり、むしろ呆れに近い冷めた感情が広がるだけだった。
(知ったことか、そんな昔の話)
見ず知らずのダガンとかいう冒険者が追放された歴史など、俺の人生には一ミリも関係がない。
ガルツが勝手に領主を憎み、正義感を燃やすのは自由だ。
だが、自分が直接害を被ってもいないのに、他人の過去の恩怨に付き合って利益(クエスト報酬)をドブに捨てるなど、滑稽極まりない愚行だ。
とはいえ、ここで「ダガンなんて知らん」と正面から突っぱねれば、ギルド内で一定の立場を持つガルツと不必要な摩擦を生むことになる。
この便利な組織での利便性を損なうのは合理的な判断ではない。
* *
俺はフッと短く息を吐き出すと、ガルツの眼帯を真っ直ぐに見返した。
「領主の意向や過去の事情など、俺にはどうでもいいことだ。俺が挑みたいから挑む。そこにダンジョンと獲物があり、試すべき己があるから行く。それだけだ。試練の女神が用意したダンジョンに挑む――それが『冒険者』だろう?」
「……チッ」
正論めいた返答に、ガルツは言葉を詰まらせた。
俺の目が一切の迷いや日和りを見せていないことを悟ったのか、不満そうに激しく鼻を鳴らすと、背を向けて去っていった。
「トオル君、すごーい……ガルツさんを言い負かしちゃった」
「トオル君の言う通りだね。私達は私達の目的のために行けばいいんだよ」
アキラとルミが安心したように胸を撫で下ろし、俺の隣に並ぶ。
「よし、目標は『白霧の洞窟』だ。準備を整えてすぐに出発するぞ」
二人へ静かに告げ、俺たちは次なる戦場と利益を求め、活気づき始めたギルドをあとにした。




