第70話 まずは品定め
奴隷商館の重々しい木製扉を開けると、バザルの街並みを包み込む昼前の明るい光が、俺たちの視界を一気に開かせた。
館の中に充満していた甘く重苦しい香木の匂いは消え、秋特有の冷涼で乾いた風が頬を撫でていく。
「ふぅ……いつ来ても、息が詰まりそうな場所だね」
アキラが肩の力を抜き、隣で小さく息を吐き出した。
その隣では、買い戻したばかりの少女――高橋瑠美が、いまだに下を向いたまま、所在なさげに小さな身体を硬直させている。
「……っ」
首元の奴隷の拘束具は既に解除され、所有権も俺へと移っているはずだが、彼女の心にはまだ奴隷商の暗い影が色濃く残っているようだった。
「少し早いが、一度宿に戻ろう。……高橋、ついてこられるか?」
「あ……うん。大丈夫……です」
透けたような声で答える彼女の肩を、アキラが優しく叩き、寄り添うようにして歩き始める。
時刻は正午前。
宿『銀貨の止まり木』亭では昼食が提供されないため、俺たちは途中の大通りに並ぶ露店街へと立ち寄ることにした。
* * *
活気ある通りには、様々な魔獣の肉を焼く香ばしい煙と、スパイシーな香辛料の匂いが充満している。
俺は銅貨三枚を取り出し、大ぶりの魔獣肉を串に刺して香草ダレで炙った焼き串を三本買い求めた。
「ほら、ルミ。お腹空いてるでしょう? 熱いから気をつけてね」
「あ、ありがとう、アキラちゃん……」
アキラから手渡された串焼きを、ルミは恐る恐る口へと運ぶ。
一口噛み締めると、溢れ出た熱い肉汁に目を丸くし、「あふっ」と可愛らしく息を吹きかけた。
「おいしい……こんなお肉、久しぶりに食べたかも……」
「でしょう? トオル君がよく泊まっている宿の周り、すごく美味しいお店が多いんだよ」
噛み締めるごとに、ルミの強張っていた表情が少しずつ柔らかくなっていく。
異世界の厳しい環境で過酷な生活を強いられていたのだろう。その華奢な首筋や手首を見れば、満足な食事を与えられていなかったことは一目瞭然だった。
三人で串焼きを平らげながら静かに歩みを進め、俺たちは職人街の静かな一角に佇む『銀貨の止まり木』亭へと到着した。
* *
厚い石造りの外観は相変わらず不必要な装飾がなく、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
ガラガラと扉を開けて中へ入ると、フロントの奥で初老の女将が無言で顔を上げた。
「女将、一人追加だ。食事は俺たちと同じものを――料金だ」
部屋の料金は変わらないが、追加で食事が欲しい場合はその分が上乗せになる。
俺は財布から銅貨六枚を取り出し、カウンターの木箱へチャリンと滑り込ませた。
女将は手際よく帳簿に記帳すると、余計な質問はいっさい挟まず、深々と一つ頷いて鍵を渡してくれた。
この無用な干渉をしてこない適度な距離感が、今の俺たちには何よりありがたい。
重厚なオーク材の扉を開け、二階の部屋へ入ると、厚い石壁が外の喧騒を完全に遮断した。
* *
ルミは部屋の真ん中に立ったまま、おどおどと周囲を見回している。
アキラが彼女を促してベッドの縁へ腰掛けさせると、俺もテーブルの椅子を引き寄せて二人と向き合った。
「少しいいか、二人とも」
俺が声をかけると、アキラが明るく「うん、何トオル君?」と応じ、ルミも背筋を正して俺を見つめ返してきた。
「あ……っ、そうだ。常盤君、私を……助けてくれて、本当にありがとう」
膝の上で握りしめられたルミの小さな手が、かすかに震えている。
「礼には及ばない。……さて、まずは呼び名からだ。俺のことはこれから名前で呼んでくれ。
それと、高橋のこともこれからはアキラ同様、名前で呼ぶことにする。いいな、ルミ」
俺が当然のような口調で告げると、ルミは一瞬ぽかんと口を開けた。
「え……? あ、うん……よろしくね、トオル君……っ」
ルミはどこか照れくさそうに頬を薄桃色に染め、はにかむような笑みを浮かべて頷いた。
(名前呼びに抵抗があるかと思ったが、あっさり受け入れたな)
クラスメイトだった頃の印象の通り、彼女は大人しい性格だ。
しかし、俺の提案に嫌々従っているという様子ではなく、境遇に不満はないようで素直な喜びが垣間見えた。
ひょっとすると――
俺に対する元々の好感度が思いのほか高いのかもしれない。
気難しい性格でもなさそうだし、この分ならルミの好感度と隷属度を100にするのは、案外簡単かもしれない。
* * *
「……さて、少し早いが、風呂に入るか? もちろん三人一緒にだ。嫌なら風呂は無しだぞ」
俺がさらりと意地悪く問いかけると、アキラは「う、うん……っ」と顔を赤くして戸惑いの声を上げた。
俺と二人ではなく、親友と一緒に三人で――というのは初めてのシュチュエーションだ。
一緒に風呂に入り慣れてきた彼女も羞恥心を刺激されている。
ルミの方はといえば、言葉を失って耳まで真っ赤に染め上げながらも、拒絶することなく静かに首を縦に振った。
「よし、決まりだな」
俺は立ち上がりながら、心の中でステータス画面を開いた。
思考を集中させ、自身のメイン職業を『剣士』から『遊び人』へと切り替える。
【職業:遊び人 レベル:3】
(補正:技量+14、敏捷-2、筋力-2、耐久-2)
頭の中に一瞬で広がる、独特の浮遊感。
身体の筋力や反応速度がわずかに減衰する代わりに、指先の感覚や視覚、あらゆる手先の触感が恐ろしいほど繊細に研ぎ澄まされていくのが分かる。
* *
鍵のかかる共同浴場へと向かい、木製の重い扉を内側から施錠した。
湯気がもうもうと立ち込める室内には、魔導具から注がれる温かなお湯の音が響き、ハーブの香りが漂っている。
衣服を脱ぎ捨て、お互いに温かい湯を掛け合った後、まずは頭を洗うことにした。俺は大雑把に、アキラとルミは髪を丁寧に洗っていく。
桶で湯を汲み泡をきれいに流し終えたところで、俺は濡れた髪を拭いながら、真剣な表情を作って二人に声をかけた。
「二人にはこれから、力を付けてもらいたい。この異世界で手に入れることができる特別な……こういう力だ」
俺は集中し、固有スキル【ダブル】を発動させた。
* *
一瞬、周囲の空間がわずかに歪む。
俺の体から分離するようにして、もう一人の『常盤 透』がその場に出現した。
アキラはこの力をすでに知っているため驚かないが、初めて目撃したルミは「なっ……!?」と息を呑み、大きな目を丸くして固まった。
「えっ、トオル君が二人……!? 嘘、分身……?」
「俺にはこういった特殊な力をお前たちに与えることができるが、そのためにはある条件をクリアする必要があるんだ」
分身の俺が腕を組み、静かな声で告げる。
「と、特殊な条件って……?」
アキラが真剣な表情で尋ねてくる。
「俺のことを心から好きになることだ。アキラはもうすでにその条件をクリアしている」
「ええっ~!? ちょ、ちょっと、トオル君……! ルミの前で何言ってるのさ……もうっ!」
アキラが顔を真っ赤にしてバタバタと暴れ、ルミは驚きと困惑で視線を泳がせている。
「条件を満たすために手っ取り早いのが、体を洗うことだ。いいな、ルミ」
これは流石に断るか、回答を渋るかと思っていたが――
本体の俺が静かに見つめると、ルミは完全に毒気を抜かれた様子で、真っ赤な顔のままコクコクと首を縦に振った。
「う、うん……わかった……」
* *
「よし、では……」
二人に増えた俺は、それぞれアキラとルミの背後に回り込み、泡立てた手ぬぐいと素手を交互に使って身体を洗い始めた。
ここからが『遊び人』の真骨頂だった。
技量(+14)という異次元の補正を受けた指先は、肌の微細な緊張やコリ、触れられて心地よいポイントを完璧に把握していた。
背筋から首筋、鎖骨、そして柔らかい脇腹へと滑る指先。
ただ汚れを落とすだけでなく、極上のマッサージと愛撫が融合したような絶妙な力加減に、ルミの口から小さな甘い吐息が漏れ出す。
「あっ……んぅ……っ、トオル、君……そこ、すごく……っ」
ルミの白く華奢な身体が、熱と快感に打たれたようにピクリと跳ねる。
洗われているうちに彼女の警戒心や恥じらいは完全に融解し、うっとりとした瞳で俺にしがみつくようになっていた。
隣ではアキラもまた、俺の身体にうっとりと身を委ね、甘い声を漏らしている。
二人の身体を隅々まで丁寧に洗い上げ、泡を温かいお湯で綺麗に流し去った。
* * *
湯船に浸かり、腰まで湯に身を沈めながら、俺はルミの顔をじっと見つめた。
彼女は湯気の中で顔をのぼせさせ、熱っぽい視線を俺に向けている。
俺は精神を集中させ、スキル【鑑定】をルミのステータスへと『深く』向けた。
彼女の深層心理、そして設定された内部数値が俺の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
【ルミ(高橋 瑠美)】
好感度:100 / 100
隷属度:100 / 100
(おおっ! ……マジかよ。一発で上限に達したか)
驚異的な数値に、俺自身も密かに戦慄を覚えた。
『遊び人』の技量補正による洗身は、ただのスキンシップを超えて、相手の心身の防壁を根底から解きほぐす圧倒的な効果を持っていたらしい。
素の好感度が高かっただろうことも手伝い、一回の入浴で完璧に彼女の心を掌握してしまった。
ふと自身のステータスを確認すると、視界の隅で光が明滅した。
【トオル(常盤 透)】
職業:『遊び人』 レベル:3 → 4
『遊び人』のレベルが上昇している。
モンスターと戦う以外でも、経験値が入ることがしっかりと確認できた。
(しかし、アキラやルミのレベルは上がっていないんだよな。ということは、魔物との戦いで得られるのはパーティ経験値、遊び人のレベルアップは個人経験値によるもの、ということなのだろうか――この辺りの仕様はまだわからんな)
「ふぅ……気持ちよかったね、トオル君」
「うん……私、こんなに体が軽くなったの、初めて……」
湯船に浸かり、幸せそうに微笑む二人。
その瞳には、俺に対する深い愛着と絶対的な信頼が宿っていた。
「ああ、満足してもらえたなら良かった」
成果に満足し頷いた俺は、しっかりと温まった二人とともに浴場を後にし、自分たちの部屋へと戻っていった。




