第68話 成果の換金
路地裏から響く悲鳴と怒号を背に受けながら、俺とアキラは冒険者ギルドの重厚な建物を後にした。
俺たちは活気ある商業区を抜け、無骨な職人街の一角へと足を進めた。
目指すのは、冒険者が持ち込んだ魔物の屍体を買い取り、解体して素材や肉へ加工する『町の解体屋』だ。
通りを進むにつれて、鞴の煤けた匂いから、次第に生臭い血と脂の混ざり合った独特の匂いが混じり始めてくる。
やがて視界に入ってきたのは、頑丈な木組みと石造りで作られた、看板も控えめな無骨な建物だった。
ガラガラと重い扉を開けて中へ入ると、カウンターの奥で初老の男が帳簿を繰っていた。
刃物傷が刻まれた腕、オイルと血脂の匂いを染み込ませた皮のエプロン。
一目で叩き上げの解体職人だと分かる佇まいだ。
「……何の用だ? 肉を買いに来たなら、裏の売り場へ回りな」
男は視線も上げず、不機嫌そうな低い声で告げてくる。
「魔物の買取をお願いしたい。平原で狩ってきた獲物が『アイテムボックス』に入れてあるんだが、作業場で出した方がいいか?」
俺がそう切り出すと、職人はようやく顔を上げ、俺とアキラの装備を品定めするように不躾な視線で舐め回した。
若い男と小柄な少女の二人組。
大荷物を背負っている風でもない俺たちの姿を見て、鼻で笑うような吐息を漏らす。
「ふん……まあいい。奥の第三作業場へ入れ。今空いてる。……そこで、取ってきたっていう魔物を出せ」
男は渋々といった様子で腰を上げ、カウンター横の重い木扉を開けて俺たちを作業場へと通した。
* * *
作業場の中は、巨大なまな板状の解体台と、天井から吊り下げられた太いフックが並び、濃密な鉄の匂いが立ち込めていた。
床には血洗いのための排水溝が掘られており、居並ぶ職人が腕組みをしてこちらを見ている。
「よし、まずは俺からだ」
俺は解体台の前の広いスペースへと歩み寄り、意識を集中させてスキル【アイテムボックス】を発動させた。
空間がわずかに歪み、俺の領域から対象を排出する。
ドスン――! ドスン――! ドスン――!
激しい地鳴りのような重低音が三度響き、作業場の石畳の上に『プラトー・ブル(平原大牛)』の巨体三頭が突如として出現した。
体長三メートルを超える黒々とした巨躯が、狭い作業場の床を一瞬にして埋め尽くす。
* *
「うおっ……!? こ、こんなに入れてたのか……!」
職人が目を見開き、驚愕の声を上げて後ずさった。
先ほどまでの半信半疑な態度は完全に吹き飛び、目を丸くして巨牛たちの屍体を見つめている。
「ふむ……傷口の切り口も鮮やかだし、何より保存の状態が完璧だな。まるでたった今、目の前で息絶えたばかりみたいだ」
職人は素早く巨牛へ駆け寄ると、分厚い皮の質感を確かめ、太く鋭い二本の角を感触を確かめるように手で叩いた。
「次はアキラが運んだ分だ」
「うん、ここに出せばいいんだね」
アキラが俺の隣へ歩み出ると、可愛らしい動作で腕を掲げ、自身の【アイテムボックス】を展開させた。
ズシン――! ズシン――!
さらに二頭のプラトー・ブルが、床のわずかな空きスペースへとドサリと排出される。
合計五頭の巨大な魔獣の死体が並び立ち、獲物置き場が完全に埋め尽くされて足の踏み場もなくなった。
職人は開いた口が塞がらないといった様子で、眼前にある肉の山と俺たち二人を何度も往復して見つめた。
「おいおいおい……お前ら二人だけで、こんな大物を一度に五頭も狩ってきたっていうのか……!?」
「まあな。急ぎで換金したいんだが、査定してもらえるか?」
俺が短く促すと、職人はゴクリと唾を呑み込み、興奮を抑えきれない様子で頷いた。
「ああ、もちろんだ! これほどの状態で、角に一切傷がなく皮も状態が良い上物は滅多にお目にかかれねえ! ……特にこの腰から背中の霜降り部位、最高の状態で保存されてやがる。貴族御用達の高級酒場が泣いて喜ぶ逸品だぞ」
職人は素早く手帳を取り出すと、熟練の手つきで1頭ずつ状態を検分し、算盤を弾き始めた。
* *
プラトー・ブルは一頭あたり、
角(2本組み): 銀貨 10〜15枚(武具・飾り用)
上質な皮(大判): 銀貨 10〜12枚(防具職人向け)
高級肉(カルビ・ヒレ等): 銀貨 10〜20枚
その他の部位(赤身肉・骨・内臓): 銀貨 5〜8枚
合計: 銀貨 25〜45枚前後という相場だ。
職人は状態の良さを正当に評価し、提示された最終的な買取価格は【銀貨二百三十五枚】となった。
「よし、商談成立だ。受付で現金を渡してやるよ」
作業場から受付に戻ると、職人は革袋から銀貨を弾くようにカウントし、カウンター越しに手渡してくれた。
じゃらりと重みのある金属音が響く。
オルト村とは違い、町の解体屋であればこうして即金で全額が手に入る。
この手軽さとスピード感は、素早い資金繰りを必要とする俺たちにとって非常にありがたかった。
銀貨二百三十五枚を銀貨用の袋に入れてから【アイテムボックス】に納め、俺たちはまとまった金を手に入れた満足な心地で解体屋を後にした。
* * *
解体屋を出ると、 西へ傾き始めた太陽が、バザルの街並みを深く濃い赤銅色に染め上げている。
夕刻の冷たい風が吹き抜ける中、ふと通り沿いの露店から、甘辛い香辛料と香ばしい焼き肉の匂いが漂ってきた。
「んー……すごく良い匂い。トオル君、お腹空いてこない?」
アキラがクンクンと鼻を鳴らし、物欲しそうに露店の串焼きを見つめている。
昼食をスキップしていたこともあり、俺の腹も空腹を訴えている。
「そうだな。夕食前に軽く腹ごしらえでもしていくか」
俺は銅貨二枚を取り出し、香草とタレを塗って香ばしく炙られた魔獣肉の串焼きを二本買い求めた。
熱々の串焼きを一口噛み締めると、ジューシーな肉汁とスパイシーな香辛料の風味が口いっぱいに広がる。
アキラも「おいしいっ!」と目を輝かせ、はふはふと息を吹きかけながら美味しそうに頬張っていた。
二人で串焼きを堪能しながら、のんびりと街を歩く。
こうした何気ない日常のささやかな時間が、殺伐とした異世界での戦いの中で、不思議と心を穏やかに落ち着かせてくれた。
* * *
ゆっくりと宿に戻った頃には、すっかり夜の帳が降り始めていた。
街灯の魔導具に柔らかなオレンジ色の光が灯り、夕食を求める人々で通りが賑わいを見せている。
職人街の静かな一角に佇む『銀貨の止まり木』亭へと戻った俺たちは、フロントで無口な初老の女将に出迎えた。
「延泊だ。頼む」
俺は財布から銀貨二枚と、アキラの食事代として銅貨六枚を取り出し、カウンターの木箱へ支払った。
女将は無言で深々と頷くと、迅速な手つきで帳簿に記帳し、部屋の鍵を差し出してくれた。客の事情に過度に関渉してこないこの距離感が、俺にとっては非常に居心地が良い。
部屋に荷物を置いた後、俺たちは階下の鍵付き共同浴場へと向かった。
お湯が出る魔導具が備え付けられた広い浴槽には、湯気が立ち込め、ハーブの香りが漂っている。
衣服を脱ぎ捨て、アキラと共に温かい湯船に身体を沈めると、今日一日の緊張と疲労がじわじわと湯に溶け出していくようだった。
「ふぅ……気持ちいい……」
アキラが湯船の縁に頭を預け、うっとりとした表情で吐息を漏らす。
湯気越しに見える彼女の白くしなやかな肌と、水滴を弾く肩のラインが妖艶な魅力を放っていた。
お互いの体を洗いっこし、適度に肌を重ね合わせて疲労をほぐしたところで、浴場を後にする。
その後の夕食では、香草で丁寧に臭みを消した魔獣肉のローストと、焼きたての香ばしい白パンを心ゆくまで堪能した。
派手さはないものの、滋味深い味わいは五臓六腑に染み渡り、疲れた身体を芯から満たしてくれた。
* * *
部屋へ戻り、あたたかな燭台の灯りの下でベッドに腰を下ろすと、俺は自身の感覚を研ぎ澄ませてステータス画面を開いた。
名前:【トオル】
職業:『剣士』 レベル:8
スキル:【剣術】 レベル:11
前に見た時はレベル7だった『剣士が』レベル8に、剣術スキルのレベルが10から11になっていた。
(……レベルが上がったか)
手首を軽く捻ってみると、関節の可動域や刃を振るう際の直感的なイメージが、以前よりもさらに鋭く研ぎ澄まされているのが分かる。
「トオル君、私もレベルが上がったみたい! 『魔法使い』がレベル6になったよ」
隣で自身のステータスを確認していたアキラが、嬉しそうに顔をほこばらせて報告してきた。
「そうか。お互い、順調に成果が出ているな」
俺は彼女の頭を優しく撫でてやった。
レベルが上がったところでステータスは上昇しないが、ボーナスポイントは着実に増えている。
ポイントでスキルやアイテムを取得できる俺にとって、それこそが冒険者として生き抜く上で何よりも重要となる。
手持ちの資金を改めて確認する。
解体屋での銀貨二百三十五枚の収入、そして買い食いと宿代の支出を経て、財布の中身は【金貨43枚、銀貨314枚、銅貨407枚】となった。
すべてを金貨に換算すれば、七十枚を超える潤沢な資産だ。
金貨六十枚を超える資金を用意したとはいえ、おそらく相手は値を釣り上げてくるだろう。
しかし、ミレイユから得た情報もある。
奴隷商ドノヴァンから瑠美を買い戻すための準備は整ったと言っていい。
「さて、資金も十分に増えた。……明日はいよいよ奴隷商へ乗り込んで、高橋を購入するぞ」
俺が力強く告げると、アキラは引き締まった表情で深く頷いた。
「うん! 準備は万全だね。瑠美を、絶対に助け出そう」
言葉を交わした後、俺たちは燭台の灯りを消し、二人で同じベッドへと潜り込んだ。
掛け布団の中でアキラの華奢な体を抱き寄せると、彼女は安心したように俺の胸元に顔を埋め、柔らかな規則正しい寝息を立て始めた。
明日へ向けて理性を整え、俺もまたゆっくりと静かな眠りへと落ちていった。
* * *
翌朝。
窓から差し込む眩しい朝光とともに目を覚ました俺たちは、身支度を整えて階下でしっかりと朝食を摂った。
香辛料の香るあたたかいスープと硬めのパン、新鮮なサラダと肉料理を腹に納め、装備の点検を怠りなく行う。
腰の『疾風の剣』の感触を確かめ、アキラと視線を交わす。
「行くか」
「うんっ」
宿の扉を開け、朝の冷涼な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、俺たちは高橋瑠美が囚われている奴隷商の館を目指し、力強い足取りで踏み出した。




