第66話 VSプラトー・ブルの群れ
『プラトー・ブル(平原大牛)』は、そののんびりした風貌と草を食む姿だけを遠くから見れば、おとなしい草食動物のように映る。
実際、彼らは不測の事態に遭遇すればパニックを起こし、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う臆病な面を持ち合わせている。
しかし、魔物であることに変わりはない。
奴らが人間を目にした瞬間――その本性を現す。
まるで不倶戴天の敵であるかのように、人間への強い殺意を滾らせる狂暴な魔物へと一変する。
「ブモォォォォ――ッ!」
煙玉による濃煙を逃れてきた三匹の大牛は、高草の影から姿を現した俺を認めたことで、濁った赤い瞳に明らかな殺気を宿した。
鋭く尖った二本の角をこちらへ向け、地響きを立てながら猛然と突進を開始する。
* *
踏み荒らされる秋草の匂いと、脚線から撒き散らされる湿った土の匂い。
そして、巨体が風を切り裂いて迫ってくる猛烈なプレッシャーが肌を打つ。
俺は即座に腰の『疾風の剣』を抜き放ち、前傾姿勢で低く踏み込んだ。
(まずは先頭の一匹……右ではなく、左へ叩き込む!)
『剣士』レベル7によるステータス補正――筋力(+3)、技量(+5)に加え、『疾風の剣』と『風のマント』がもたらす敏捷(+6)の恩恵が、全身の神経を研ぎ澄ませていく。
世界が一瞬だけ遅延したかのような感覚の中、俺は突進してくる先頭の牛との距離を極限まで引きつけた。
鼻息の熱気が届くほどの距離で、身体を斜め左へと大きく滑らせる。
左側を選択したのは、後続の二匹のうち右側寄りの個体が先頭との距離を詰めていたからだ。
右へ避ければすぐさま後続の突進軌道と重なってしまうが、左であればわずかながら敵との距離があり、猶予が生まれる。
ズザーッと土を削る音とともに突進を紙一重でかわしざま、すれ違いの瞬間に『疾風の剣』を横一文字に振るった。
【斬撃付与】の青白い光芒が刃を包み込み、大牛の分厚い皮を豆腐のように切り裂く。
手応えが掌に伝わると同時に、鮮血と内臓の匂いが撒き散らされた。
* * *
「ゴォァッ!?」
腹を割られた先頭の牛が悲鳴を上げるが、俺は止まらない。
少し間をおいて正面から迫ってきた二匹目の巨牛に対し、俺は左右に避けるのではなく、力強く地面を蹴って真上へと跳躍した。
『疾風の剣』がもたらす軽やかさと、『風のマント』が空気抵抗を捉える感覚。
頭上を掠める凶悪な角の尖端。
空中で半回転しながら視界を反転させると、真下を通り抜けていく巨牛の背中が眼下に広がった。
重力に従って落下しながら、逆さの姿勢のまま片手で構えた剣を叩きつける。
深々と背筋に刺さった刃が、そのまま滑落する俺の体重によって垂直に背中を切り裂いていく。
ドッと噴き出す血の飛沫。
俺は軽やかに着地し、低く構えて後方の気配を探った。
「ブモー――ッ! ブモー――ッ!」
痛みに狂乱した二匹の手負いが痛々しい声を上げる。
巨牛たちの叫び声は、思わぬ新手を呼び寄せていた。
少し離れた場所で混乱して煙幕から逃げ出していた個体のうち、新たに二匹のプラトー・ブルが異変を察知し、血の匂いを辿ってこちらへと向きを変えたのだ。
最初に突進してきた三匹は、アキラが待機している大木の周囲に散布した『聖水』の領域を本能的に嫌がり、弧を描いて俺の方へと回帰してくる。
後方から、死角を埋めるように向かってくる手負いの三匹。
前方から、勢いを増して突進してくる万全の新手二匹。
前後を完全に挟み込まれた、絶望的な包囲陣形。
だが、俺の思考は驚くほど冷静だった。
* * *
(前方の二匹は距離がある。突進のスピードは出ているが、到達までにはまだ数十秒の猶予がある。……先に潰すべきは、動きの鈍っている後方の手負いどもだ!)
俺は躊躇することなく、後方の三匹に向かって自らダッシュを開始した。
一番手前にいた手負いの一匹が、角を振り上げて襲いかかってくる。
俺は敵の攻撃が到達するよりも早く、低く沈めこんだ体勢から、下から上へとすくい上げるような軌道で『疾風の剣』を振り抜いた。
ザシュッ――!
あごの下から首の後ろへ向けて刃が突き抜け、大牛の巨体が大きく跳ね上がる。
頸椎を絶たれた巨体が崩れ落ちる瞬間――俺は地面を蹴り、高く跳び上がった。
宙を舞い、視界に捉えたのは、腹を割られて動きの鈍っていた二匹目の背中だ。
「はっ――!」
落下の勢いをそのまま殺さず、背の上へと着地。
着地の衝撃を利用して、背骨の隙間へ深々と剣を突き刺し、止めを刺す。
巨体が崩れ落ちる前に、俺はその背を強く蹴って隣へ跳躍。
向かってきた三匹目の背上へとなだれ込み、同じように急所である首筋の後ろから剣を刺し通した。
これで、手負いの三匹は完全に物言わぬ肉の塊と化した。
* * *
後方の障害を排除した俺は、即座に反転する。
前方から迫っていた二匹の大牛は、互いに少し離れた位置から、別々の角度を描いて突進してきていた。
(距離が近いのは……右の個体か!)
俺は右側の巨牛へ向かって一直線に駆け出し、意図的に距離を詰めた。
突進の威力が最高潮に達する直前、相手の右側の死角へと鋭くステップを踏む。
眼前を猛スピードで通り過ぎる巨躯。
その首筋へ、全力の横一文字を叩き込む。
首の半分を切り飛ばされた大牛が、勢い余って前転しながら草地を転がっていく。
間髪入れず、残る最後の一匹へ向けて旋回。
左側から突っ込んできた最後の個体に対しても、同じ要領で限界まで引きつけ、紙一重の回避からカウンターの首斬りを叩き込んだ。
ドスン――……。
最後の一匹が激しい地鳴りを立てて倒れ伏し、周囲に静寂が戻った。
風が吹き抜け、草原に立ち込める濃厚な血の匂いをさらっていく。
俺は剣に付着した血脂を鋭く振り払い、鞘へと収めると、念のために周囲の警戒を怠らずに草原を見渡した。
* *
(接近する敵は――いないようだな)
「ト、トオル君……!?」
聖水の円の中から、アキラが恐る恐る、目をこれ以上ないほど丸くしながら駆け寄ってきた。
倒れ伏す五匹の巨大な屍体と俺の姿を交互に見比べ、震える声で感嘆を漏らす。
「すごいよ……! あっという間に、こんな大きなのを五匹も倒しちゃうなんて……!」
「『剣士』のステータス補正と、装備の性能のおかげだよ。それより、血の匂いで他の魔物が集まってくる前に、こいつらを回収して街へ戻ろう。俺が三匹入れるから、アキラは残りの二匹を頼めるか?」
「う、うん! 任せて……!」
アキラは自信なさげに頷き、倒れている巨牛の前に立つと、自身の固有スキル【アイテムボックス】を発動させた。
やはり、体長三メートルを超えるプラトー・ブルの巨体は、アキラのアイテムボックスの現在の容量や熟練度にとっては相当な負担らしい。
「んっ……おっ、おっきい……! やっぱり、すごくきついよ……っ! でも……頑張らなきゃ……!」
アキラは可愛らしい眉をハの字に寄せ、頬を真っ赤に染めながら、一生懸命に腕を突き出して空間の歪みへ巨牛を押し込もうと踏ん張っている。
胸元を大きく上下させ、必死な表情で巨体を収納しようとするその健気な姿は、思わず愛おしさが込み上げてくるほどだった。
(これは……今すぐ抱きしめて頭を撫でまわしてやりたいな)
思わず腕が伸びそうになったが、俺はすぐに理性を働かせて思いとどまった。
ここは魔物の血の匂いが充満している危険な屋外だ。無防備なスキンシップで隙を作るわけにはいかない。
(スキンシップは、宿の部屋に帰ってから存分に楽しむとしよう)
俺は苦笑いを噛み殺しながら、残りの三匹の巨牛を自身の【アイテムボックス】へ次々に格納していった。
十数秒の踏ん張りの末、アキラも無事に二匹の格納を終え、肩で息を叩きながらほっとしたような笑顔を浮かべた。
「ふぅ……なんとか入ったよ! トオル君!」
「よく頑張ったな、アキラ。これで銀貨三十枚以上の大収穫だ。早速街道へ戻って、街へ帰るとしよう」
「うんっ!」
俺たちは互いに視線を交わし、満足のいく成果を胸に、安全な街道を目指して秋の平原を歩き始めた。




