第62話 遊び人の手腕と、冒険者ギルドの指導員
『銀貨の止まり木』亭の食堂で、焼きたての丸パンと香草で風味付けされたスープの朝食を終えた俺たちは、部屋に戻って出かける支度を整えた。
窓から差し込む朝の光には微かなちりが舞い、今日もバザルの街が本格的な活動を始める気配を漂わせている。
俺は出発の直前、意識を深層へと向け、メインジョブを昨日解放されたばかりの『遊び人』へと切り替えた。
(……ふむ、体感が露骨に変わるな)
瞬時に、身体の重心がわずかに軽くなり、同時に脚力や腕力の根底にある「芯」のようなものが細くなった感覚が伝わってくる。
筋力、耐久、敏捷がそれぞれ一律でマイナス2されるというデバフの影響だ。
だが、それと引き換えに指先や関節、皮膚の感覚が恐ろしいほど繊細に研ぎ澄まされていく。
服の繊維の擦れ合う感触や、空気の僅かな流れまでもが手のひらを通じて可視化されるかのような、奇妙な精密さ。
これが『技量+14』という異常な補正値がもたらす効果なのだろう。
前線での直接戦闘においては確実に命取りとなる弱体化だが、この洗練された身体感覚そのものは興味深い。
俺は隣で荷物をまとめていたアキラに声をかけ、宿を出て朝の活気に満ちた街へと足を踏み出した。
* * *
最初に向かったのは、職人通りの中ほどに店を構える鍛冶屋だ。
店内に一歩足を踏み入れると、怒号のような鉄を打つ音と、炭火が発する焼けつくような熱気が肌を刺した。
「親方、ダンジョンのドロップ品を買い取ってほしいんだが」
「おう、何を持ち込んだ? 見せてみな」
頑固そうな親方に促され、俺はアキラに目配せをした。
アキラは頷くと、彼女の【アイテムボックス】を発動させ、空間の歪みから次々と武具を取り出していく。
昨日、地下迷宮のスケルトンたちから回収した廃品同然の戦利品だ。
刃の欠けたサーベルが八本、柄の腐ちかけた短槍が七本、その他歪んだ鉄くずのような小武具が四点。合計十九点。
「ふむ……骨どもが使ってた代物か。鉄くずとしての価値しかねえな。一つにつき銅貨二枚、合計で銅貨三十八枚だ。嫌なら他へ持って行きな」
親方は無造作に武具を品定めして、冷淡に言い放った。
妥当な相場だろう。この手の粗悪なドロップ品に過度な期待はしていない。
「それでいい。頼む」
銅貨三十八枚の重みを感じながら袋に収め、俺たちは次なる目的地である解体屋へと向かった。
* *
バザルの解体屋は、オルト村のそれとは比べものにならないほど巨大な石造りの建物だった。
建物に近づくだけで、血と脂が混ざり合った独特の生臭い匂いが鼻腔を突く。
広い解体場では、数人の男たちが巨大な魔獣の死骸を手際よく捌いており、荒々しい活気に満ちあふれていた。
俺たちは持ち込んだホーンラビット三匹の解体と買取を依頼した。
あわせて、昨日倒したブロートホッパーの前足である巨大な鎌四匹分をカウンターの上に並べる。
「ほう、ブロートホッパーの鎌か。状態は悪くないな。一匹分で銅貨四枚、四匹で十六枚だ。
ホーンラビットの方は肉と角、毛皮をまとめて引き取って、銀貨三枚ってところだな」
「分かった。それで頼む」
オルト村での相場から推測し、ホーンラビットは一匹当たり銀貨一枚と銅貨二枚程度かと思っていたが、この大規模な解体屋では一括処理の都合か、キリよく三匹で銀貨三枚として提示された。
オルト村のように後日精算ではなく、その場で直接現金を支払ってもらえるのは、資金回転の面で非常にありがたい。
こうして、鍛冶屋での三十八枚と合わせ、今回得られた戦利品の合計収入は【銀貨三枚と銅貨五十四枚】となった。
ずっしりと重くなった革袋を腰に収め、俺は小さく息を吐き出した。
「まあ、こんなものか」
「えーっ? かなりの大金だと思うけどなー」
アキラは予想以上の収入に目を輝かせていた。
素直で可愛らしい反応だが、俺の頭の中では冷徹な計算が弾かれていた。
今回得たのは、銀貨三枚と銅貨五十四枚。
ダンジョンに足を踏み入れられないような駆け出し冒険者から見ればまとまった額だろうが、『銀貨の止まり木亭』の宿泊費は二泊分で銀貨四枚にもなる。
つまり、命を懸けて潜った戦利品(宝箱とボスのドロップ品以外)のすべてを注ぎ込んでも、二泊分の宿代にすら届かないのがこの世界の現実なのだ。
装備の修繕費や消耗品、食費を考えれば、まったく安心できる数字ではない。
* * *
「それで、これからどうするの?」
「冒険者ギルドに行こう」
「えー……あそこ、やだなー」
俺の言葉に、アキラは分かりやすく露骨な不満の顔を作った。
まあ、無理もないか。
現在、俺はバザルの街で『バザルの卑劣漢』という不名誉な称号を背負っている。
ギルドに足を踏み入れれば、他の冒険者たちから露骨な蔑視や殺気立った視線を向けられるのは避けられないからだ。
「そういうな。やましいことがない以上、堂々としていればいい」
俺はアキラの背中を軽く押し、重厚な石造りの冒険者ギルドの扉をくぐった。
ギルド内部は、昼前という時間帯にもかかわらず荒くれ者たちの怒号と熱気で満ちていた。
俺たちが一歩足を踏み入れた瞬間、幾人もの冒険者からの視線が突き刺さる。
あからさまな嘲笑や、忌々しそうな吐捨てるような動作。
俺はそれらを完璧に無視し、まっすぐ中央の受付カウンターへと向かった。
受付に座っていたのは、真面目そうな印象を受ける若い女性職員だった。
彼女もまた、俺の顔を確認するなり、薄い警戒感と冷ややかな彩りを瞳に宿している。
* * *
「情報の買取りをお願いしたい。ダンジョンに関する有用な情報だ」
「情報……ですか。少々お待ちください」
受付嬢は機械的に応じると、奥の応接室を指差した。
「では、あちらの部屋でお待ちください。担当の者を呼びますので」
(……さて、一つ試してみるか)
俺は現在メインジョブにセットしている『遊び人』の能力、そして固有スキル【女たらし】の効果を検証する絶好の機会だと判断した。
「どうもありがとう、美しいお嬢さん」
俺はあえて、普段の自分なら口にしないような気障な言葉をささやきながら、彼女の手を自然な動作で包み込むように握った。
『遊び人』の補正によって限界まで研ぎ澄まされた技量(+14)が、極めて滑らかで洗練された指先の動きを実現させる。
不快感を与えず、それでいて拒絶する間を与えない完璧な角度と力加減。そこに女性を惹きつける『遊び人』の演技力が重なったのだと思う。
「えっ……? あ、あの……っ!?」
直前まで冷淡だった受付嬢の表情が一瞬で破綻した。
彼女の頬は瞬く間に熟した林檎のように赤く染まり、握られた自分の手と俺の顔を交互に見つめながら、完全にしどろもどろになっている。
(これほどとは……)
『遊び人』の技量補正は、指先や仕草の「魅せ方」を極限まで引き上げる。
しかし、それだけでここまで変わるだろうか?
スキル【女たらし】に魅了などの精神干渉効果があるのかは不明だが、相乗効果があったと思わせるだけの劇的な変化があった。
(軽く手を握っただけで骨抜きにできるとか、チート能力にもほどがあるだろ)
ほぼ初対面かつ警戒心を抱いている相手であっても、一瞬で思考を麻痺させ、心を開かせやすくするようだ。
男に対しては使えないが、対女性の折衝においては凶悪な武器になり得る。
* * *
「……トオル君、見境なくナンパするのはどうかと思うよ」
指定された個室に入り、重厚な木製ドアが閉まった途端、アキラから冷ややかな小言が飛んできた。
腕を組み、半目でこちらを睨みつける彼女の瞳には、明らかな呆れと、隠しきれない嫉妬の色が混ざり合っている。
「ナンパではない。スキルの効果と相手の反応を検証しただけだ」
「もう……そんな言い訳で、誤魔化されないんだからね……」
アキラは頬を膨らませてから溜め息をつき、呆れたように椅子に腰掛けた。
それから待つこと約三十分。
静まり返った応接室の外から、ズシリ、ズシリと床を揺らすような重い足音が近づいてきた。
扉が無造作に開け放たれる。
そこに立っていたのは、部屋の入り口を塞ぐほどの圧倒的な巨躯を誇る男だった。
身長は百九十センチを軽く超えているだろう。
丸太のように太い腕と、使い込まれた鋼のメイスを腰に下げたその姿は、歩く鉄壁そのものだった。
何よりも目を引くのは、顔の右半分を斜めに切り裂く凄惨な古い傷跡と、右目を覆う黒い眼帯だ。
鋭く研ぎ澄まされた左の片目が、部屋の中にいる俺とアキラを射抜くように見据える。
* *
元Bランク冒険者――
新人指導員ガルツ。
言葉を発せずとも伝わってくる圧倒的な圧迫感。
生半可な冒険者であれば、その視線だけで気圧されてしまうだろう。
だが、俺は背筋を伸ばしたまま、冷静に彼の全身を分析しながら視線を受け止めた。
「俺は新人指導員ガルツだ。貴様か、情報の買取を申し出たのは?」
地響きのような低い声が、狭い応接室の中に重く響き渡る。
ガルツの片目が、俺の腰にある装備や不名誉な称号を値踏みするように細められた。
俺は微動だにせず、彼の眼光を正面から見返し、静かに口を開いた。
「ああ。ダンジョンの隠し部屋に関する情報だ」
俺の言葉を聞いた瞬間、ガルツの眼帯のない左目が、怪しい光を帯びてギラリと鋭く細められた。




