第61話 深まる支配と新しいクラス(職業)
浴場から上がり、熱気を帯びた身体を拭き自室に戻る。
部屋の中には、ほのかに甘い石鹸の香りと、濡れた髪から立ち上る湿気が心地よく満ちていた。
防音性の高い厚い石壁に囲まれた客室は、街の喧騒から完全に遮断された静寂に包まれている。
燭台の小さな炎が、壁の石肌にゆらゆらと歪な影を落としていた。
アキラはベッドの端に腰掛け、肩上のウェーブ髪を布で拭きながら、どことなく所在なさそうに視線を彷徨わせている。
地下迷宮での死闘と、その後に俺と交わした唇の触れ合いの記憶が、彼女の頬をかすかに桃色に染めていた。
自分のステータスを確認した俺は、次にアキラを鑑定することにした。
* * *
俺は室内を軽く見渡し、壁際の少し薄暗いスペースを指差した。
「アキラ、そこの壁側に立て。ステータスをチェックする」
「えっ……? あ、うん……?」
アキラは目を丸くし、きょとんとした表情を浮かべた。
本来、スキル【鑑定】は対象に視線を向けるだけで発動する。わざわざ彼女を特定の場所に移動させる必要など微塵もない。
だが、俺はあえて彼女を取り調べるような、威圧的かつ密着した状況を作り出してみたかったのだ。
合理的思考の裏に潜む、俺自身の些細な趣味と所有欲の発露に過ぎない。
不審がりながらも、アキラは素直にベッドから立ち上がり、指示された壁際へと移動した。
逃げ場を塞ぐように、俺はその背後へ一歩を踏み込む。
「ト、トオル君……? 近くない……?」
壁と俺の身体に挟まれる格好となり、アキラの瞳が動揺に揺れた。
俺は答える代わりに、彼女の華奢な背中にそっと右手のひらを添えた。
布越しに伝わる彼女の体温と、トントンと早まる規則正しい脈動。
その触感を確かめながら、俺は胸の中で固有スキルを発動させた。
(【鑑定】――)
視界に透き通るような青いシステムウィンドウが滑り込み、アキラのステータスが表示される。
――――――――――――――――
名前:アキラ (渡辺 明楽)
職業:魔法使い レベル:5
状態:好感度:100 / 隷属度:100
――――――――――――――――
(……ほう)
俺は心の中で小さく感嘆の声を漏らした。
地下二階の激闘を経て、彼女の『魔法使い』のレベルは2から5へと一気に跳ね上がっていた。
だが、俺の意識を何よりも強く惹きつけたのは、その下に並ぶ数値だった。
好感度100。そして、隷属度100。
いずれも上限値である。
「100」という数字が、揺るぎなく刻み込まれていた。
(やったぞ……上限へ達したか)
俺は背中に添えた手から伝わる彼女の微かな震えを感じながら、静かに思考を巡らせた。
俺が持つ固有スキル【奴隷使い】と【女たらし】。
この二つの効果により、一度「100」に達した数値は、今後どのような事態が起きようとも二度と低下することはない。
一般的な冒険者パーティにおいて、メンバー間の「信頼の構築」と「裏切りの防止」は、常に付き纏う最も精神を摩耗させる課題だ。
生死を分かつ戦闘において、背中を預ける仲間がいつ手のひらを返すか分からないという不確定要素は、それだけで致命的なリスクになり得る。
極限状態に耐えきれず逃げ出したり、冷静に行動できなかったり――状態異常に陥った仲間は、時に敵よりも厄介だ。
だが、俺のスキルは、その最大のリスクを不可逆的に無効化する。
地味で目立たない能力ではあるが、パーティ運営という観点においては、どんな攻撃魔法をも上回る圧倒的で確実なチート能力だと言えた。
これで、彼女にはより重要な役割を安心して委ねることができる。
* *
(……ん? これはどういうことだ?)
アキラの能力の詳細をさらに深く読み進めていた俺は、ふと違和感を覚えて視線を止めた。
レベルの上昇に伴い、彼女のボーナスポイントは「34」という大きな数値まで蓄積されていた。
そのポイント表記のすぐ下に、今まで見かけたことのないシステムログが青く明滅していたのだ。
【ポイントを消費して、以下のスキルもしくはアイテムを取得しますか?】
(……これは?)
俺は思わず眉をひそめた。
驚くべきことに、アキラ本人のものであろうボーナスポイントの割り振り画面を、俺が自由に操作して変更できる状態になっていたのだ。
画面には明確に俺の意志による選択を促すカーソルが存在している。
(これは……『奴隷使い』の能力か? 隷属度が100へ達し、完全な服従下に入った者に対しては、マスター側がその成長可能性すら直接コントロールできるということか……)
『奴隷使い』というスキル名から、隷属度が低下しない以外にも、何かしら『奴隷を使役する』ための能力があるのでは――と期待していたが、利便性の高い隠し効果があったようだ。
さらに、もう一つの明確な異常点が存在していた。
俺自身がレベルアップした際、自分のボーナスポイントで取得できる能力やアイテムのリストは、常に「統率スキル」や「カリスマスキル」といった曖昧な表記で伏せられていた。
実際にポイントを消費して取得してみるまで、どのような効果が得られるのか分からないギャンブル仕様だったのだ。
だが、いま目の前に表示されているアキラの取得可能リストには、スキルの名称から詳細な効果、必要な消費ポイント数に至るまで、驚くほど明確に可視化されていた。
(俺自身の能力選択時は曖昧なままなのに、アキラの選択肢はすべて明瞭に見える……。『奴隷使い』による管理機能の一環か、それとも俺自身の【鑑定】スキルが向上した結果、他者のスキルツリーを正確に解析できているのか……いや、それだと自分のリストも明瞭化するはず……)
壁に挟まれたアキラが、振り向き、俺の顔を横目で見てくる。
背中に触れたまま固まっている俺の様子を、不思議そうに見つめていた。
「トオル君……? どうしたの……?」
「……いや、なんでもない。レベルが一気に三つ上がっていたぞ」
「やったあ!」
俺は手に込めていた力を抜き、彼女の背中から静かに手を離した。
遠出の後で疲れている。これ以上、狭い壁際で彼女を調べるのも可哀想だろう。
「よし、もう寝るか」
「うんっ」
俺の言葉に、アキラはどこかほっとしたような、同時に少し寂しそうな表情を浮かべて小さく頷いた。
* * *
アキラのボーナスポイント「34」をどう割り振るか。
どの魔法を取得させ、どのステータスを底上げすればパーティ全体の戦力が最大化するかは、明日以降、時間をかけてじっくりと吟味すればいい。
今は急ぐ必要はなかった。
二人で部屋の中央にある大きめのベッドに入り、薄い掛け布団を被って横になる。
アキラは俺の隣に自然な動作で滑り込み、腕にすり寄るようにして静かな寝息を立て始めた。
伝わってくる彼女の柔らかい体温と吐息を感じながら、俺は暗闇の中で今一度、自身のステータス画面を呼び出した。
(俺自身の状況も、念のため整理しておくか……)
暗闇に浮かび上がる青い半透明のウィンドウ。
俺の視線が、上部にある職業欄の予備スペースでピタリと止まった。
そこには、現在サブに設定している『戦士』のすぐ横に、見慣れぬ新たなクラスが追加されていたのだ。
――『遊び人』。
(遊び人……? なんだこの職業は)
RPGなどの古典的な知識であれば、運の良さや特異な行動を取るトリッキーな職種だが、この世界における位置づけはどうなっているのか。
俺は疑問を抱きながら、その新職業のアイコンに意識を集中させ、詳細な解説テキストを呼び出した。
『遊び人』
――二人以上の異性の好感度を100にした者が取得できる特殊クラス。
(なるほど……条件はそれか)
脳内で即座に計算が繋がった。
オルト村に残してきたマリア。
そして、いま隣で眠っているアキラ。
この二人の女性の好感度を100へと到達させたことで条件を満たし、この隠しジョブが解放されたのだ。
(先ほど確認した時には存在しなかった。つまり、一目惚れされるなどして見知らぬ他人から一方的に好意を向けられているだけでは駄目で、こちらが相手の好意を知覚して初めて取得できるクラスのようだ)
俺は好奇心に押されるようにして、一時的にメインジョブを『遊び人』へと切り替えてみた。
――――――――――――――――
職業:遊び人 レベル:1
ステータス補正:技量(+14)、敏捷(-2)、筋力(-2)、耐久(-2)
――――――――――――――――
「……これは?」
表示された強烈な補正値を目にした瞬間、俺は思わず喉の奥で困惑の声を漏らしそうになった。
敏捷、筋力、耐久という、前衛での戦闘において不可欠な基本ステータスが、一律で「-2」のマイナス補正を受けている。
その代わりとして、手先の器用さや身体の繊細な操作性を司る『技量』の数値が、破格の「+14」という異常な上がり幅を見せていた。
(筋力と耐久が削られるのは痛いな……。前線での立ち回りにおいて、このステータス減少は致命的な足枷になる。ダンジョン攻略の戦闘において、この職をメインに据える選択肢はまずあり得ない)
冷静な戦術的分析を下しながらも、俺の思考は別の方向へと滑り出していた。
実闘では使えない。
だが、技量+14という圧倒的な精密補正。
身体の動き、指先のタッチ、力の入れ加減を極限までコントロールできるこの能力が、もし「戦闘」以外の場面――たとえば、ベッドの上で女性を攻略する夜の戦いにおいて行使されたなら、どうなるか。
(手さばきや身のこなしが劇的に向上する……ということか。さらには『演技力』や『甘い言葉』で女性を悦ばせ、虜にさせるための『遊び人』……なるほど、名称通りの性能というわけか)
くだらないと思いつつも、スキルの合理的な使い道を模索する癖が抜けない。
夜の営みにおいて相手を確実に魅了し、支配を深めるための切り札としては、これ以上ないほど恐ろしい効果を発揮するだろう。
最後に、俺は自分自身のボーナスポイント選択画面を開いてみた。
そこには相変わらず、「移動魔法」や「攻撃スキル」のように、伏せられた曖昧な選択肢だけが静かに並んでいた。
(やはり、自分自身の成長項目は隠されたままか……。アキラの選択項目があれほど鮮明に見えたのは、俺自身の能力向上ではなく、完全に『奴隷使い』のスキル効果によるものだな)
疑問の答え合わせを終え、俺は納得の吐息を静かに吐き出した。
隣で眠るアキラの規則正しい寝息と、肌から伝わる暖かな体温。
俺はメインジョブを再び使い慣れた『剣士』へと戻し、視界の青いウィンドウを消去した。
チートじみた支配の力と、解放された新たな可能性。
それらをどのように使いこなし、この厳しい世界で立ち回っていくか。
脳内で静かに思考の糸を紡ぎながら、俺はゆっくりと瞼を閉じ、深い眠りの底へと意識を落としていった。




