第59話 死線上の誘導と、重なる一閃
背中に刺さった短槍を引き抜いた激痛が、いまだ熱い毒のように不快な痺れを体に残していた。
服の生地を濡らす生暖かい血の感触。
だが、俺の冷徹な理性は、その苦痛を命に関わらない「雑音」として意識の端へと追いやっていた。
今、集中すべき対象はただ一つ。
目の前に立ちはだかる全長三メートルの巨魁――
『グレイト・スケルトン』。このダンジョンの真のボスだ。
あの見上げるような巨大な骨の怪物が握る、身の丈ほどもある大剣。
あれを一撃でもまともに喰らえば、いくら戦士の耐久補正があろうと骨ごと叩き潰されて終わる。
周囲を群がるノーマル・スケルトンからの切り傷や打撃は、勝機を掴むための「必要経費」として割り切るしかなかった。
* *
「……ハッ!」
俺は『疾風の剣』を強く握り直し、間近に迫るノーマル・スケルトン二体の頭骨を横一閃で叩き潰した。
ガラガラと崩れ去る骨を踏み越え、俺は大部屋の各地にランダムに立ち並ぶ縦長の巨石群の一つへと向かって急ぎ足で後退する。
背後に巨大な石柱を背負う位置関係。
俺の逃走を察したのか、あるいは単なる殺戮の本能か、グレイトが地響きを立ててその巨体を追わせてきた。
「グルオオオオッ……!!」
眼孔の紫炎を凄まじく燃え上がらせ、グレイトが頭上高く大剣を振りかぶる。
空気が爆ぜるような重苦しい風圧が、俺の頬を叩いた。
『風のマント』による敏捷(+3)と、『疾風の剣』による俊敏(+3)。
合計+6の敏捷補正を全身に漲らせ、俺は頭上から迫る死の軌道を凝視した。
引きつけて――
極限まで引きつけて――。
大剣の先端が俺の視界を覆い尽くしたまさにその瞬間、俺は左足を軸にして身体を横へと滑らせた。
――がごぉん!!
背後の縦長の大石に、グレイトの大剣が正面から激しく激突した。
耳を刺す破砕音とともに大量の石粉が舞い散り、凄まじい衝撃の反動がボスの巨体を大きく揺らす。
攻撃のベクトルが石柱にぶつかったことで自身に跳ね返り、強烈な隙を生み出していた。
(かかった……!)
俺はこの千載一遇の好機を見逃さず、踏み込んだ。
常時【斬撃付与】の青い光を帯びた『疾風の剣』を繰り出し、反動で体勢を崩したグレイトの無防備な右足へ二連撃を叩き込む。
――がっ! がっ!
手元に伝わる硬い骨の破壊感。
しかし、ボスの生命力(耐久値)は伊達ではなかった。
グレイトは強引に姿勢を立て直すと、左腕に装着された不気味な黒鉄のタワーシールド(大盾)を前面に押し出してきた。
* * *
(くっ……これを攻撃しても無駄だ。ダメージは通らない)
俺は深追いを避け、地を蹴って即座に後方へ跳んだ。
仕切り直しだ。
距離を離す動作の途中、死角から迫っていたノーマル・スケルトンの短槍が太ももをかすめ、新たな浅い切り傷が刻まれる。
足元にまとわりつく雑魚を素早く蹴り飛ばし、反撃の一閃で首を跳ね飛ばしながら、俺は冷静にボスの動向だけを観察し続けた。
手傷は増えていくが、意識を乱すわけにはいかない。
最も重要なのは、ボスの必殺の一撃を躱すことだ。
俺は再び、別の縦長の大石を背に背負うポジションへと移動した。
血の匂いと俺の動きに引き寄せられるように、グレイトが再び大剣を持ち上げ、怒号とともに振り下ろしてくる。
二度目の「誘導」。
タイミングはすでに脳に刻み込まれている。
刃が頭上に振り下ろされるギリギリの紙一重で身をかわす。
――ズドォンッ!!
再び巨石に大剣が深く突き刺さり、グレイトの右半身が前傾姿勢のまま大きく流れた。
俺の狙いは、先ほどと同じ箇所。
地を這うような低い体勢で潜り込み、視線をボスの下半身――「右膝の関節」へと一直線に固定した。
荷重がかかり、姿勢を支えている要の関節。
そこへ移動速度と全体重を乗せた『疾風の剣』を水平に叩きつける。
――ゴキィッ!!
硬質な骨の破砕音が大部屋に響き渡った。
膝関節を構成する分厚い骨が粉砕され、三メートルの巨体が支えを失う。
「ッ……!?」
グレイト・スケルトンは巨体を支えきれず、激しい地鳴りとともに石畳の上へ斜めに倒れ伏した。
* * *
これで優位に立つことができた――
そう確信した瞬間だった。
「――っ!?」
倒れ伏した姿勢のまま、グレイトは眼孔の紫光を禍々しく明滅させると、地面を擦るような低軌道で、身の丈ほどもある大剣を横一閃に薙ぎ払ってきた。
それは、自らの足元に群がっていた配下のノーマル・スケルトンすらまとめて切り刻む、容赦のない広域の不意打ちだった。
敵が倒れたことで間合いの計算が狂い、回避が間に合わない。
(避けるのは無理だ。――受けるしかない!)
俺はその場に両足を深く踏ん張り、左腕の『木の丸盾』を胸の前に構えて全身で防御姿勢をとる。
――ガッ、ズドォンッ!!
目の前にいたノーマル・スケルトンが爆発するように粉砕され、その防具と骨の残骸が衝撃を和らげるクッションとなった。
直後、大剣の衝撃が俺の盾へと襲いかかる。
威力が減衰されたとはいえ、強力な範囲攻撃。
しかし――
不自然な横倒しの姿勢からの攻撃だったこと、そして挟まれたスケルトンがクッションとなったことが幸いした。
どがっ!!
ズザザザザッ……。
盾で大剣を受け、勢いに押されて後ずさった。
「ぐうっ……!」
腕が痺れるような衝撃が突き抜けたが、盾が砕け散ることも、俺の腕の骨が折れることもなく、その一撃を持ちこたえることに成功した。
* * *
そして、その直後だった。
グレイトの視界の死角――
倒れた背後から、疾風のごとき影が躍り出た。
――『ダブル』で召喚した、もう一人の俺だ。
入口付近でアキラの周囲にいたスケルトン・スクラップを粗方片付け、「ここで身を守れ」と指示を出した後、ボスの死角から全速力でこちらへ加勢に駆けつけてくれたのだ。
分身は無言のまま、剣術レベル8の流れるような体さばきで『疾風の剣』を構え、横たわるボスの無防備な背中と腕の関節へ容赦なく刃を叩き込んだ。
「よし……畳みかけるぞ!」
俺も呼応するように、即座に追撃へ移行した。
分身と挟み込む形で、グレイトの右腕の肘関節を両側から同時に破壊。
大剣を握り締めていた巨大な指から力が抜け、凶悪な武器が石畳へと転がり落ちる。
武器を失い、膝を砕かれて転がる巨体に対し、俺と分身は一切の手加減なく同時に跳躍した。
狙うは、頭部と胴体を繋ぐ首の骨。
二本の『疾風の剣』が常時【斬撃付与】の青い光の軌跡を描き、精密な交差攻撃となって首筋へと叩き込まれた。
――ズシュッ、ザンッ!!
二重の深々とした破砕音が重なり、分厚い頸骨が完全に切断される。
ゴロゴロと音を立てて、巨大な黒鉄の兜を被った頭骨が石畳の上を転がっていった。
眼孔の奥で明滅していた不気味な紫色の魔力が、スーッと空中に溶けるように消え去り、三メートルの巨体はただの動かない骨の小山へと変わり果てた。
直後、役割を終えた『ダブル』の魔力供給が途切れ、分身の身体が霧のように空気中へ溶けて消滅した。
一人に戻った俺の身体に、背中の傷の痛みと、もう一人の俺の分の激しい疲労感が一気に押し寄せてくる。
* * *
(ふぅ……なんとか、倒し切ったか……)
息を整えようと膝に手を置いた、まさにその時だった。
部屋の入口付近から、甲高いアキラの悲鳴が響き渡った。
「嫌っ……! こっち来ないで……!」
「――っ!?」
ハッと振り返ると、乱戦の中で倒し漏れていた最後の一体のノーマル・スケルトンが、アキラに迫っていた。
アキラは涙目になりながら、買い与えた『木の丸盾』を両手で必死に突き出し、敵が振り下ろす欠けたサーベルの攻撃を必死で防いでいた。
ガツン、ガツンと鈍い音が響き、彼女の華奢な身体が衝撃で大きく揺れている。
「アキラ……っ!!」
背中の激痛など思考から完全に吹き飛んだ。
俺は地を強烈に蹴り上げ、石畳を滑るように疾走した。
アキラの側面に回り込もうとしていたノーマル・スケルトンの隙へ、背後から一気に間合いを詰める。
『疾風の剣』を上段から一閃。
――ズバァンッ!
乾いた破砕音とともに、スケルトンの頭骨が真二つに叩き割られ、その残骸がアキラの足元へガラガラと崩れ落ちた。
「ハァ……ハァ……大丈夫か、アキラ……!」
俺は膝をつき、恐怖で腰を抜かしかけていたアキラの肩をしっかりと抱きとめた。
「トオル君……っ! うあぁん、怖かったよぉ……っ!」
アキラは涙をボロボロとこぼしながら、俺の胸元に顔をうずめてしがみついてきた。
彼女の身体が無傷であることを確認し、俺はほっと胸を撫で下ろした。
その時だった。
――ズズズズズ……ゴゴゴゴゴッ!!
部屋の入口を塞いでいた巨大な石扉が、重々しい音を立てて上空へと持ち上がり、地上へと繋がる一本道が再び姿を現した。
冷たい地下の風が部屋を吹き抜け、激闘の熱気を静かに払っていく。
階層ボスの撃破――そして、敵の全滅。
俺たちは、地下二階の完全クリアを果たした。




