第58話 地下二階層の主と二つの影
地下二階へ続く暗い石段を下りきると、そこに広がっていたのは、一階よりもあきらかに濃密な冷気と湿気が立ち込める一本の石造り通路だった。
壁面を構成する巨大な石ブロックの隙間からは、古びた泥と濃密な魔力の澱みが混ざり合った独特の匂いが漂っている。
松明の揺らめく炎が、濡れた石壁に歪な影を投じていた。
俺は『疾風の剣』の柄に右手を添え、左腕の『木の丸盾』をいつでも構えられる位置に保ちながら、湿った石畳を静かに踏みしめて歩く。
すぐ後ろからは、俺の背中を追うアキラの規則正しい足音が聞こえていた。
彼女の掲げる松明の明かりが、俺の視野を前方へと押し広げてくれている。
しばらく薄暗い一本道を進んでいくと出口が見えた。
その先は天井が急激に高くなり、大小さまざまな石がランダムに配置された、巨大な空間が広がっている。
* *
「……待て」
俺は左手を軽く後ろへ伸ばし、アキラの前進を制した。
「えっ……? どうかしたの?」
「この通路の先は大部屋になっている。部屋の奥を見ろ」
アキラが俺の肩越しに前方へ視線を凝らす。
広い部屋の最奥には、ゆらゆらと不気味な赤い炎を上げる二つの大きな石造り篝火があり、その中央に、一階のものよりも一回り巨大な宝箱が鎮座していた。
「……おそらく、ボス戦だろうな」
「ええっ……!? また部屋に入ったら閉じ込められちゃうの? やだなー……」
アキラが手首の小盾を握り直し、心底不快そうに肩をすくませた。
一階での「退路遮断」の記憶が、彼女の中に強い警戒心として残っているのだろう。確かに、物理的に退路を断たれるというのは気持ちのいいものではない。
精神的にも強い圧迫感を強いられてしまう。
俺は彼女の表情を見つめ、冷静に選択肢を提示した。
「ここで待っているか? 通路のこの位置なら、部屋のギミックに巻き込まれることはないはずだ」
「えっ……! そ、それもヤダ! トオル君と離れて一人でここに残るなんて絶対無理! 私も一緒に行くよ!」
アキラはぶんぶんと首を横に振り、俺のマントの裾をぎゅっと掴んできた。
暗闇の中に一人残される恐怖よりも、俺の背中についていく安心感を選んだのだ。
彼女の瞳に宿る必死な依存と微かな勇気を確認し、俺は小さく頷いた。
「わかった。だが俺の背後から絶対に離れるなよ」
「うんっ!」
俺たちは意を決して、広大な大部屋へと足を踏み入れた。
* * *
室内には、人間の身の丈をゆうに超える大小様々な縦長の巨石が、まるで墓標のように幾重にも無秩序に配置されていた。
それらの巨石が濃密な影を作り出し、部屋全体の視界を著しく悪くしている。
部屋の中央、縦長の巨石群が途切れる広場のようなスペースに足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
――どごぉおおん!!
腹に響くほどの凄まじい重低音と地鳴りが巻き起こり、俺たちが通ってきた入口の頭上から、分厚い石扉が猛烈な勢いで落下してきた。
跳ね上がった砂塵が松明の光に照らされ、完全に向き合うことを余儀なくされた事実を告げている。
「きゃっ……! やっぱり閉まった……!」
「気を抜くな。来るぞ」
石扉の落下の音を合図にするかのように、部屋の中に点在する巨石の影から、カタカタという不快な骨の擦れ合う音が徐々に、そして爆発的に広がり始めた。
影の暗がりからゾロゾロと姿を現したのは、地下一階でも倒した『スケルトン・スクラップ』の群れだった。
錆びついた鎖帷子を纏い、欠けたサーベルや短槍を手にした骨の兵士たち。
ざっと周囲を見渡しただけで、その数は二十体を超えている。
(さらに、岩に隠れて見えない個体もいる)
四方向の死角から一斉に湧き出した骨の軍勢は、部屋の中央に立つ俺とアキラを完全に包囲するように距離を詰めてきていた。
(おそらく……全部で三十体前後か。一階の数倍の物量だな)
だが、俺の意識をより強く警戒させたのは、雑魚の群れではなかった。
部屋の最奥――
二つの篝火が赤々と燃え盛る宝箱の前に、ゆらりと立ち上がった圧倒的な影。
――グレイト・スケルトン。
全長二メートルを優に超える、骨の巨人だった。
(二・五……いや、三メートルはあるか?)
その身には頭部を覆う重厚な黒鉄の兜、幾重にも裂けた不気味な黒マント、そして強固な金属ブーツ。
両手には、人間の身の丈ほどもある巨大な大剣と、鉄で補強されたタワーシールド(巨盾)が握られている。
眼孔の奥で不気味な紫色の魔力が爛々と輝き、圧倒的な圧迫感と殺意をこちらへ放っていた。
(……間違いなく、このダンジョンの階層ボスか。あの巨体と大剣、一撃でもまともに喰らえば骨ごと叩き潰される)
三十体の雑魚に包囲された状態で、あの巨大ボスと同時に相対するのは、いくら『戦士』のスペックがあっても極めて危険だ。
何より、俺の背後にいるアキラを守り切る手数が圧倒的に不足する。
俺は即座に思考を切り替え、胸の奥で固有スキルを起動させた。
(スキル使用『ダブル』――来い、俺の分身!)
体内の深層からまとまった魔力が削り取られる感触とともに、俺のすぐ隣の空間が歪み、濃密な魔力のモヤの中から、寸分違わぬ装備と冷徹な眼光を持った「もう一人の俺」が立ち現れた。
俺は分身へと視線を送りつつ、明確な言葉として口に出した。
「アキラを護衛しつつ、後方に下がってくれ」
分身は俺の思考そのものだから、本来言葉は不要だ。
だが、あえて声にすることで、アキラに『自分は守られている』という強い安心感を与え、パニックを防ぐ――合理的な判断だった。
分身は無言で首肯すると、即座にアキラの腕を引いて後方の入口近く――比較的スケルトンの密度が薄く、背後を壁で守れる安全地帯へと撤退を開始した。
「行くぞ、アキラ! 俺から離れるな!」
「う、うん……っ!」
分身がアキラを引き連れて離脱するのを確認し、俺本体は真逆の方向――巨大なボス『グレイト・スケルトン』へ向かって、堂々と歩みを進めた。
敵全体のターゲット(ヘイト)を俺一人へ集中させる。
「ガアアアアアッ……!!」
狙い通り、骨の巨人は眼孔の紫炎を激しく燃やし、その巨大な大剣を持ち上げて、ゆっくりと俺に向かって進軍を開始した。
* * *
正面から押し寄せてくるノーマル・スケルトンたちが、サーベルや短槍を突き出して俺の進路を阻もうとする。
「邪魔だ!」
俺は踏み込み、『疾風の剣』を真横に振り抜いた。
続けざまに三撃――常時【斬撃付与】の青い光が閃き、迫る三体のスケルトンを次々と一刀両断にする。
ガラガラと崩れ落ちる骨を踏み越え、俺はボスの間合いへと一直線に深く潜り込んだ。
間近で仰ぎ見るグレイトの巨体は、圧倒的な威圧感を放っていた。
「グルオオオッ!」
頭上から、空気を激しく引き裂く重低音とともに、身の丈ほどもある巨大な大剣が振り下ろされる。
圧倒的な質量と落下のエネルギーを秘めた一撃。
(……バカ正直に『木の丸盾』で受ければ、盾ごと腕が砕かれる!)
俺は冷静に敵の攻撃軌道を見切り、直前で左足を軸にして身体を斜め前方へと滑らせた。
頭上から一直線に叩きつけられる大剣。
その刃が俺に迫るまさにその瞬間――立ち位置を変えながら、振り下ろされる大剣の「腹(側面)」に対し、絶妙な角度で『木の丸盾』を押し当てた。
――ガギィンッ!!
激しい金属摩擦音とともに、大剣の凄まじい威力が、盾の面を滑るようにして横方向の空振りへと逸らされる。
受け流し。
正面から受け止めるのではなく、威力のベクトルをわずかにずらしてやり過ごす極意。
ズドォンッ!!
と、グレイトの大剣が俺のすぐ横の石畳を深く穿ち、激しい砂塵と石片が舞い散った。
だが、回避に成功した安堵は一瞬で吹き飛んだ。
ボスの巨体に意識を奪われていた隙を突き、周囲の死角から迫っていたノーマル・スケルトン三体が、同時に俺へと襲いかかってきたのだ。
* * *
「ガッ……!?」
前後の至近距離から繰り出されたサーベルの打撃。
それは『戦士』の耐久補正と革の胸当て、革の兜によって大部分の衝撃が殺された。
しかし――右後方の死角から突き出された欠けた鉄の短槍が、防具の革紐の隙間を滑り込み、俺の背中に深々と刺さった。
――グサッ……ッ!!
「ぐっ……つあぁっ!?」
背中を焼きごてで抉られたかのような烈性の激痛が脳髄を駆け抜けた。
不快な生暖かさが背中を伝い、服の生地を濡らしていくのがはっきりとわかる。
背骨の脇、肉の厚い部分への刺突。
痛みは凄まじいが、肺や深層の臓器までは達していない。運動機能を完全に奪う致命傷ではない。
俺の冷徹な理性は、激痛の中で恐ろしいほど静かにダメージの度合いを試算していた。
(……動ける。痛みがなんだ、死ぬわけではない!)
俺は激痛による肉体の動揺を精神で押さえつけ、背後にいるスケルトン・スクラップへ猛然と振り返った。
「……調子に乗るなよ!」
『疾風の剣』を全身の捻りとともに水平に一閃。
青い斬撃の弧が空間を切り裂き、スケルトンを首級ごと纏めて叩き潰した。襲い掛かってきた三体を順次沈黙させていく。
ガラガラと崩れ去る骨の残骸。
三メートル級のグレイト・スケルトンは大きい分、動作は緩慢だ。
再始動する前に、刺さっていた短槍を引き抜く。
背中の傷口から刺すような痛みが引きつるが、俺はすぐに呼吸を整え、間合いを半歩引き直した。
一瞬、チラリと視線を後方へと飛ばす。
部屋の入口付近、巨大な縦長石を背にして背後を固めた分身は、完璧な立ち回りを披露していた。
死角を岩で完全に消し去り、狭い間合いへ押し寄せてくるノーマル・スケルトンを、剣術レベル8の流れるような斬撃で一体ずつ確実に解体している。
その背後で、アキラは松明を必死に構え、傷一つ負うことなく安全に守られていた。
(……よし。アキラの安全は確保された。なら、心置きなく目の前の敵に集中できる)
背中の傷から流れる血の熱さと、身体を支配する鋭い痛みが、俺の意識を極限まで研ぎ澄ませていく。
大剣の空振りの体勢から立ち直った『グレイト・スケルトン』が、ずしり、ずしりと重い足音を立てて、再び俺へとその巨体を向き直した。
兜の奥で明滅する紫色の魔力が、目の前の獲物を確実に噛み殺そうと輝きを増す。
俺は『疾風の剣』を胸元に深く構え直し、背中の激痛を冷酷な集中力へと変換しながら、巨大な骨の怪物を見据えた。




