第5話 ゲームの終わり、凄惨なリアル
鼓膜を突き破らんばかりの絶叫が、昼下がりの村の空気を無惨に引き裂いた。
バリケードの向こう側、森の暗がりから土煙を上げて姿を現したのは、薄汚れた革鎧やボロ布を身に纏った十二人の男たちだった。
手には血の黒ずみがこびりついた無骨な斧や、刃のこぼれた長剣が握りしめられている。
彼らが放つ異様な気配に触れた瞬間、俺の全身の毛穴という毛穴が一気に収縮した。
それは、テレビのモニター越しに見るような、作り物の「悪役」の姿ではない。
略奪と殺戮を日常とし、他者の命を奪うことに微塵も躊躇いを持たない、本物の捕食者の眼光だった。
獣のように爛々と輝く濁った瞳、獲物を見定めて歪む口元。
彼らの毛穴から滲み出るような濃密な殺気が、物理的な重圧となってオルト村全体にのしかかってくる。
むせ返るような血と泥、そして酸っぱい汗の入り混じった悪臭が、風に乗って鼻腔を容赦なく蹂躙した。
* * *
「ヒッ……! あ、あぁ……っ!」
ほんの数十分前まで、「楽勝だろ」「イベント発生じゃん」と笑い合っていたクラスメイトたちの顔面から、一瞬にして血の気が引いていく。
スクールカーストの頂点に立ち、威勢よく剣を振り回していた佐藤や木村は、その場に縫い止められたように硬直していた。
彼らの膝はガクガクと見苦しく震え、握りしめていたはずの粗末な剣の切っ先は、力なく地面へと垂れ下がっている。
彼らはようやく理解したのだ。
これが自分たちを主役として持ち上げてくれる都合の良いゲームなどではなく――一度命を落とせば二度とコンティニューの効かない、凄惨な現実なのだということを。
* * *
「ひゃはははっ! なんだぁ、この村は! ひょろいガキどもが剣持って震えてやがるぞ!」
盗賊の先頭に立つ、顔の左半分に醜い火傷の痕を残した大柄な男が、腹の底から響くような下劣な笑い声を上げた。
「てめえら、大人しく食料と女を全部差し出せば見逃してやる! 当てにしていた冒険者がそのざまじゃ、どうにもなんねぇだろ。考え直せ!!」
「ふざけるなッ! 貴様らのような外道に、渡すものなど何一つない!」
村の戦士ガルドが、顔を青ざめさせながらも一歩前へ進み、長剣を構えて吠えた。
だが、その決死の交渉――あるいは宣戦布告は、盗賊の頭目には何の感銘も与えなかった。
「そうかよ。じゃあ、全部殺して奪うだけだ。やれッ!!」
頭目の号令とともに、前衛を担う九人の盗賊たちが一斉にバリケードへ殺到する。金属と金属がぶつかり合う甲高い摩擦音、怒声、そして空気を切り裂く風切り音が、村を阿鼻叫喚の地獄へと変えた。
兵の数は、村の自警団と俺たちクラスメイトを合わせれば向こうの三倍近くはいる。だが、戦意と、人を殺すことに対する「経験値」の差は、絶望的なまでの開きがあった。
盗賊たちは決して無秩序に突っ込んでくるわけではない。
正面からガルドたちの注意を引きつける数名の陽動部隊。
粗末なバリケードの隙間や、守りの薄い側面を蛇のように巧妙に迂回して村内へと侵入してくる別働隊。
そして後方から、的確に投石を開始する二名の後衛。
彼らは集団で狩りを行う獣の群れのように、極めて合理的に、そして効率的に死を振り撒いていく。
(……このまま村の中にいれば、確実に殺されるな)
俺は極限まで気配を殺し、広場の端から静かに迂回を始めていた。
正面からの激突など、言語道断だ。
あの狂騒の中心に飛び込めば、いかに『疾風の剣』を持っていようと、複数人に囲まれて肉塊に変えられる。
腰を低く落とし、足音を立てないように注意しながら、俺は盗賊たちの死角となっている森の茂みへと、滑り込むように身を隠した。
湿った腐葉土の匂いと、冷たい影が俺の体を包み込む。
その薄暗い安全地帯から、俺は村の入り口で繰り広げられる惨劇を、ただ冷徹に観察し続けた。
* * *
「ちょ、待って、待って――待ってってば! 誰か、たすけ……!」
逃げ出した男子生徒の一人が、背後から迫る盗賊の斧によって、いとも容易く背中を叩き割られた。
ごぼッ、と嫌な音が響き、彼の口から大量の赤い泡が吹き出す。
「ひっ……! くるな、くるなあっ!!」
隣で友人の死を目の当たりにしたもう一人の男子生徒が、半狂乱になって剣を振り回す。
だが、そんな素人のメチャクチャな剣筋が、歴戦の悪党に通用するはずもない。
盗賊の一人が嘲笑しながらそいつの剣を弾き飛ばし、無防備になった腹部へ錆びた剣を深々と突き立てた。
「あ、が……っ……」
悲鳴にならない空気が漏れ、腹部からは赤黒い臓物がどろりと地面へこぼれ落ちる。
血の匂いがさらに濃くなり、むせ返るような鉄の臭気が広場を覆い尽くしていく。
凄惨な虐殺だった。
剣の握り方すら知らない、平和な現代日本で温室育ちをしてきた高校生たちが、倫理観を持たない殺し屋たちに敵うはずがないのだ。
後衛に配置されていた女子たちも、完全にパニックに陥っていた。
「いやっ! 嫌ぁあああああッ!!」
魔法使いというレアジョブを引き当てて狂喜していた女子生徒たちは、目の前でクラスメイトが内臓をぶちまけて倒れる様を見て、完全に恐慌状態に陥っていた。
何もできないまま地面にへたり込み、恐怖で麻痺した口からは魔法を放つ呪文を紡ぐことすらできず、ただ幼児のように泣き喚いている。
あるいは、飛んできた投石が額に直撃して昏倒し、そのまま身動き一つしなくなっていた。
まともに戦線を維持できているのは、前衛で血塗れになりながら剣を振るうガルドと、数人の村の若者たちだけだ。
だが、彼らも多勢に無勢。
四方八方から容赦なく浴びせられる斬撃に、防戦一方へと追い込まれつつある。
あと数分もすれば、ガルドの体力も尽き、バリケードは完全に突破されるだろう。
* * *
(……このままじゃ、全滅だ)
茂みの陰からその惨状を見つめながら、俺の心は氷のように冷え切っていた。
静かに【鑑定】のスキルを発動し、戦場へと視線を走らせる。
網膜の奥が微かに熱を持ち、次々とクラスメイトを血祭りにあげている盗賊たちの頭上に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
『ゴロツキ:Lv.3』
『ゴロツキ:Lv.5』
彼らの筋力や技量は12から14程度。
数値の上では、俺のステータスの方が勝っている。
だが、彼らの動きには『実戦による歪みのない最適化』があった。
人を殺すことに躊躇のない戦意と、経験の差。正面から打ち合えば、間違いなくこちらが押し切られる。
さらに視線を移す。
前線で孤軍奮闘し、すでに息も絶え絶えになっているガルドの頭上には『戦士:Lv.9』。
そして、下劣な笑いを浮かべながらガルドを追い詰めている火傷痕の頭目には、『盗賊:Lv.12』という、他と一線を画す数字が輝いていた。
異世界に来たばかりの俺たちとは桁が違う。
あんな狂人の群れに正面から飛び込むのは、ただの自殺志願者だ。
極限状態に置かれた俺の心には、死にゆくクラスメイトたちへの同情や悲しみは一切湧いてこない。
あるのはただ、眼前の状況をどうすれば打破できるかという、純粋で無機質な生存への計算だけだ。
正面から加勢に入っても、あの数の暴力の前では無駄死にするだけだ。
盗賊たちは今、目の前で泣き喚く獲物をいたぶることに完全に夢中になっている。
彼らの意識はすべて「前方」に向けられ、自分たちの「背後」への警戒は、致命的なまでに疎かになっていた。
(……狩りの基本は、獲物の死角を突くことだ)
俺は音を立てないように深く息を吸い込み、右手に握った『疾風の剣』の柄をギリッと強く握りしめた。
刃の周囲に微かに纏わりつく冷たい風の魔力が、手のひらを通して確かな存在感を主張してくる。
俺の『技量』の数値は、システムによる補正も加わって、この戦場のプレイヤーの中で最高値にあるはずだ。
一呼吸置き、俺は茂みの中でさらに低く身を沈めた。
視線は、広場で暴れ回る盗賊たちの、完全に無防備な背中へと固定されている。
誰も俺の存在に気付いていない。
透明人間のように扱われてきた俺の孤独な性質が、皮肉にも、この戦場で最高のジョーカーとして機能している。
冷徹な計算と、生き残るための明確な殺意を胸に秘め。
俺は森の暗がりの中を這うように走り出し、狂乱する敵集団の「完全な背後」へと、静かに回り込みを始めた。




