第4話 取得したろくでもない力
正午が近づくにつれ、太陽は容赦なく高度を上げ、冷たかったはずの風も生ぬるい熱を帯び始めていた。
頭上から照りつける日差しは、こののどかな農村の広場に濃く短い影を落とし、土埃の舞う空気をじわじわと温めている。
先ほどまでの凍えるような寒さが嘘のように、今度はじっとりとした汗が背中を伝う不快感が俺を襲っていた。
村の入り口付近では、迎撃のための簡素なバリケード構築が急ピッチで進められている。
「おい、そっちの丸太もっとしっかり固定しろよ! 隙間から入られちまうだろ!」
「分かってるよ! 女子たちは後ろに下がってて! 危ないから!」
佐藤や木村といった一軍男子たちの声が、やけに張り切って広場に響き渡る。
彼らは支給された粗末な剣を腰に下げ、まるで文化祭の準備の延長戦でも楽しむかのように、率先して村人たちに指示を出していた。
自分たちがこの状況における『主役』であり、特別な力を持った勇者なのだという陶酔感が、この状況で持つべき危機感を完全に麻痺させているのだろう。
一方で、共に作業をしているアルバス村長やガルドをはじめとする村人たちの顔には、恐怖が張り付いていた。
丸太を運ぶ手は小刻みに震え、時折森の奥へと向ける視線は、今にも泣き出しそうなほど切羽詰まっている。
現実を見据える現地人と、ゲームの勇者気取りの異世界人。そのあまりにもグロテスクな温度差に、俺は軽い眩暈すら覚えた。
* * *
彼らの狂騒から離れるように、俺は広場の端にある、家畜小屋らしき建物の陰へと静かに身を潜めた。
鼻を突く獣の糞尿の匂いと、干し草のむせ返るような埃っぽさが、むしろ今はありがたい。
誰の視線も届かないこの薄暗い空間で、俺はようやく、先ほど手に入れたばかりの『力』の確認作業に入ることができた。
ボーナスポイントを全額消費して取得した三つの項目。
そのうち第一弾である『武器』の恩恵はすでに取得済みで、今はアイテムボックスの中に眠っている。
それをじっくりと検分すべく、操作して取り出した。
空間がわずかに歪み、奇妙な現象が立ち上がる。
俺の目の前の空間が、陽炎のようにゆらゆらと揺らぎ、微かな光の粒子が一点へと集束し始めていた。
(……よし、ちゃんと取り出せた)
空中に一本の剣が具現化し、俺の手元へと収まった。
片手で握りしめたそれは、村で支給された赤錆だらけのなまくらとは比較にならないほどの存在感を放っていた。
細身で、無駄な装飾の一切ない、洗練された片手剣。
刃は青白いほどに澄み切り、柄には手によく馴染む黒い革のような素材が巻かれている。
俺は周囲に人がいないことを再度確認し、その刀身に向けて静かに【鑑定】のスキルを発動させた。
視界の端に、先ほどと同じ半透明のウィンドウが立ち上がる。
『名称:疾風の剣』
『レアリティ:希少』
『効果:装備時、敏捷ステータス(+3)。風属性魔法【斬撃付与】常時発動』
ウィンドウに表示された詳細なテキストを読み解きながら、俺はほう、と小さく息を吐いた。
ただの鉄の塊ではなく、明確に魔法的な力が付与された、いわゆるマジックアイテムというやつだ。
特に【斬撃付与】という効果は、剣を振るうだけで風の刃が形成され、本来の切れ味を劇的に底上げしてくれるらしい。
(やったな。これは間違いなく、アタリだ)
俺は右手で柄を握り、軽く手首を返して刃の重心を確かめる。
幼い頃、道場で振るってきた竹刀とは重さもバランスもまるで違うが、不思議と手に馴染む感覚があった。
冷たい金属の感触が手のひらから伝わり、丸腰だった先ほどまでの無力感が、潮が引くように薄れていくのを感じる。
強力な武器を手に入れたことで、生存確率は飛躍的に跳ね上がった。
だが、俺の心臓の鼓動を早めているのは、武器の性能よりも、むしろ残りの二つのスキルに対する期待だった。
『統率』と『カリスマ』。
高校三年間、誰の目にも留まらないように気配を消し、一人も友達を作れなかった空っぽの俺。
他人を導く力も、人を惹きつける魅力も持たなかった俺が、システムという世界の理によって、ついにそれを手に入れようとしている。
これさえあれば、もう二度と、誰にも見下されることのない、新しい自分に生まれ変われるかもしれない。
そんな、自分でも呆れるほど未練がましい、柄にもない熱い期待を胸に抱きながら――俺はステータス画面を呼び出し、新たに取得されたスキルの欄へと視線を走らせた。
そして、そこに表示された文字列を目にした瞬間。
俺の思考は、文字通り完全にフリーズした。
『固有スキル:【女たらし:Lv.1】』
『固有スキル:【奴隷使い:Lv.1】』
* * *
(…………は?)
声にならない間抜けな音が、喉の奥から漏れ出た。
目を擦り、瞬きを繰り返し、もう一度ステータスウィンドウを凝視する。
だが、何度見直しても、そこにある無慈悲な文字列が変わることはなかった。
(ふざけるな。……何だこれは。冗談だろう?)
怒りよりも先に、強烈な脱力感が全身を駆け巡った。
人を惹きつけるカリスマの結果が『女たらし』で、集団を導く統率の結果が『奴隷使い』だとでも言うのか。
このイカれた異世界のシステムは、俺の切実な願いを、どこまでも歪んだ下劣な悪意で解釈したとしか思えない。
今、俺たちは本物の殺意を持った盗賊団の襲撃を受けようとしているのだ。
血と泥に塗れた命がけの戦闘が、すぐそこまで迫っているというこの極限状況において――女性を口説き落とすスキルや、身分制度の底辺を支配するスキルが、一体何の役に立つというのか。
(アホらしい。期待した俺が馬鹿だった。本当に、救いようがないな)
自分を新しい人間に作り変えてくれるかもしれないという、淡い期待。
それが無惨にも打ち砕かれ、俺は再び、冷たくて暗い泥底に引きずり込まれたような気分になった。
やはり、俺という人間はどこまで行っても、まともな社会の輪には入れないイレギュラーな存在なのだ。
* * *
激しい落胆の中で、俺は重いため息をつきながら、ステータスの詳細をさらに確認していく。
辛うじて良かった点を挙げるとすれば、パッシブスキルのような恩恵が一つだけあったことだ。
【女たらし】と【奴隷使い】という、ろくでもないスキルを取得したことで、どういうわけか俺のステータスに変化が起きていた。
ボーナスポイントを使う前の時点では、職業『剣士』によると思われる『技量22』(+5)だった補正が、二つのスキルを得たことでさらに(+2)上昇している。
現在の俺の『技量』の補正値は(+7)。
(恐らくは、この【女たらし】というスキルの補正効果なんだろうが……)
人を巧みに操り、女性の機微を読み取るという性質が、この世界では何らかの『技量』として計算されるらしい。
だが、いくら数値上のスペックが上がったところで、このろくでもないスキルの名称が持つ絶望感を拭い去ることはできない。
俺は家畜小屋のざらついた壁に背中を預け、手にした疾風の剣の冷たい刃を見つめながら、深々とため息をついた。
結局、俺の手元に残ったのは、自分自身の歪みを見せつけられるような、この下劣な文字の羅列だけだ。
(まあいい。元々、誰かと協力して生きていける人間じゃなかったんだ。俺は――ゼロがゼロになっただけじゃないか)
期待が裏切られたのなら、元の一人の世界に戻るだけのことだ。
俺はこの剣一本と、多少高められたステータスだけを頼りに、一人でこの理不尽な状況を生き抜いてみせる。
そうやって、冷たく凝り固まった思考に再び鍵をかけようとした、その瞬間だった。
「――うわっ、うわぁあああああああああっ!!」
村の入り口、簡易バリケードが築かれた方向から、突如としてすさまじい絶叫が上がった。
それは、魔法陣が発生した教室で女子たちが上げていたような、驚きやパニックから来る軽い悲鳴ではない。
声帯を引き裂かんばかりの、本物の恐怖と、耐え難い苦痛を伴った『絶叫』だ。
鳥たちが一斉に森から飛び立ち、村の空気が一瞬にして凍りつく。
バリケードの方角から、重い何かが崩れ落ちる音と、鈍く湿った衝撃音が響いてきた。
バリケードを構築中の男子生徒が、驚愕のあまり物資を取り落とす。
「おい、嘘だろ……! こんな奴らと戦うのか……!」
佐藤の、先ほどまでの威勢の良さが完全に消え失せた、震える声が聞こえる。
俺は家畜小屋の陰からゆっくりと顔を出し、村の入り口へと視線を向けた。
のどかだった空気が、緊迫感で凍り付き始めている。
――チュートリアルなどではない。
容赦のない、理不尽な死のゲームが、今、完全に幕を開けたのだ。




