第3話 足りないものを埋める対価
『クエストが発生しました:盗賊から村を守れ』
視界の中央に強制的にポップアップした赤黒いウィンドウが、無機質な光を放っている。
脳髄に直接響くようなシステム音声の余韻が、冷たい風の吹く広場に奇妙な静寂をもたらした。
だが、その静寂はほんの一瞬のことに過ぎなかった。
「うおっ! マジでクエスト来たぞ! イベント発生じゃん!」
「すげえ、本当にゲームの世界なんだ! 盗賊討伐とか、最初のチュートリアルって感じだよな!」
沈黙を破ったのは、佐藤翔太の無邪気で能天気な歓声だった。
それに呼応するように、木村健一をはじめとする男子生徒たちが、まるで文化祭の出し物でも決まったかのような軽いノリではしゃぎ始める。
彼らの目には、この異常な事態が、安全な画面の向こう側で起きているエンターテインメントにしか映っていないのだ。
(……馬鹿な奴らだ。想像力の欠如もここまで来ると、もはや一種の才能だな)
俺は広場の端から一歩も動かず、狂喜するクラスメイトたちを冷ややかな目で見つめていた。
ここは、リセットボタンの存在しない現実の物理空間だ。
鼻を突く泥の匂い、肌を刺す風の冷たさ、そして何より、目の前にいる二人の現地人の様子を見れば、それがただのゲームではないことなど容易に理解できるはずだった。
クエストの詳しい説明文から、村長の名はアルバス、村の戦士の名はガルドだと分かった。俺たちは盗賊から村を守るためにやってきた冒険者という設定らしい。
村長のアルバスは、顔面を土気色にして小刻みに震えている。
屈強な戦士であるはずのガルドでさえ、額からは脂汗がどっと吹き出し、腰の剣の柄を握る手は白くなるほど力が入っていた。
彼らの瞳の奥に宿っているのは、ゲーム世界のNPCが持つような記号化された感情ではない。
家族を、生活を、そして自らの命を奪われるかもしれないという、生々しくドロドロとした『本物の恐怖』だ。
空調の効いた平和な教室から放り出されたばかりの現代人が、遊び半分で立ち向かっていいような状況ではない。
* * *
「冒険者の皆様……! どうか、どうかこの村をお救いください!」
アルバス村長が、縋りつくような声で叫んだ。
「村の武器庫から、使えるものをすべて持ってまいりました! どうかこれで、盗賊どもを……!」
ガルドの指示を受けた数人の村人が、慌ただしく広場へ何かを運び込んでくる。
ボロ布に包まれたそれを、村人が大事そうに抱えていた。
布が解かれた瞬間、俺の目は自然と細められる。
盗賊と戦うために支給された武器は――
粗末な作りの剣が、わずか五本だけだった。
刃はところどころ欠け、手入れもされていないのか赤黒い錆が浮いている。
「おおっ、武器だ! やっぱ最初は剣だよな!」
「おおっ! ボロっちいけど本物の剣じゃん! 軽業師の俊敏性で、敵をスパスパ斬ってやるよ!」
そんな劣悪な武具であるにもかかわらず、クラスメイトたちは目を輝かせて群がった。
佐藤や木村ら、教室内でスクールカーストの頂点に君臨する『一軍』の男子たちが、当然の権利であるかのように真っ先に剣を手に取っていく。
彼らにとって、それは命を預ける道具ではなく、自分たちを勇者として飾り立てるための小道具でしかない。
ヒエラルキーの下位にいる男子たちは、文句一つ言えずにただそれを見守るしかなかった。
「ちょっと待ってよ! 私たちの分は無いの!?」
一軍女子の一人が、不満げな声を上げた。
「男子ばっかりズルくない? 私たちにも武器を回してよ!」
「申し訳ございません……! 村にある武器は、これで全てなのです」
アルバス村長が、何度も頭を下げながら悲痛な声で弁明する。
「農具であればいくらかご用意できますが、戦いに耐えうるものは……」
「はあ? 農具? そんなのダサくて持てないし!」
呆れたような女子の抗議に、ガルドがさらに顔を青ざめさせる。
だが、その不穏な空気を打ち破ったのは、渡辺明楽の明るく弾んだ声だった。
「ねえねえ、私『魔法使い』なんだけど!」
「私も私も! 武器なんてなくても、魔法でドカンとやれるんじゃない?」
彼女たちはステータス画面を見ながらそう言い放った。
その言葉を聞いた瞬間、村長とガルドの表情が、驚愕で硬直した。
「ま、魔法使い……!? あなた様は、魔法使いであらせられるのですか!?」
アルバス村長が、まるで神でも見るかのような目で明楽を拝み始める。
「おおお……! なんという奇跡! この村に、貴重な魔法使い様が降臨なさるとは!」
どうやらこの世界において、魔法使いというのは余程のレアジョブであるらしい。
村人たちの狂喜乱舞する姿を見て、クラスメイトたちのテンションはさらに跳ね上がった。
「見たかよ、あの爺さんの反応――俺たちマジで最強のパーティーなんじゃねえの!?」
「楽勝だろこんなの! 盗賊なんて、女子の魔法と俺たちの剣でボコボコにしてやるよ!」
佐藤が錆びた剣を振り回しながら、自信満々に笑い声を上げる。
俺は、その熱狂の渦から距離を置いた。
(剣は五本。当然、俺に回ってくるわけがないな)
スクールカーストの最底辺、常に教室の隅で息を潜めていた孤独な男に、武器を譲ってくれるようなお人好しはこのクラスには存在しない。
このままでは丸腰で、本物の殺意を持った盗賊団と相対することになる。
――冗談ではない。
俺の能力値は彼らより少しばかり高いとはいえ、刃物を持った複数の大人を素手で制圧できるほどの超人ではないのだ。
(足元の石でも拾って、後方から投擲してやり過ごすか……?)
泥にまみれた石ころを足先で転がしながら、俺は冷徹に自らの生存戦略を組み立てていた。
* * *
戦線の矢面に立つのは、剣を取って浮かれている佐藤たちに任せておけばいい。
俺は気配を消し、隙を見て逃げ出すか――そう考えたが、それでは後から非難されるのは目に見えている。いくらクラスで空気が薄いとはいえ、共同作業の最中に抜け出すのはさすがにマズい。
最小限のリスクで生き延びる道を探る。
だが、現状では決定的に手札が足りない。
ふと、脳裏に先ほど確認した自身のステータス画面が浮かんだ。
(そういえば……『ボーナスポイント:30』という項目があったな)
他のクラスメイト達の様子を見る限り、この項目は俺にしかないようだった。
(このポイントに言及している者はいない)
自分にだけ与えられた特別な力――か。
俺は周囲の視線を盗み、静かに念じて半透明のウィンドウを再び空間に呼び出す。
【鑑定】や【アイテムボックス】の下に表示された三十ポイントの数値。
これを使えば、この圧倒的に不利な状況を覆す何かを得られるかもしれない。
ウィンドウの隅にある『ポイント使用』のアイコンへ、意識を集中させた。
すると、光の画面が切り替わり、ずらりと複数の選択肢が展開された。
『攻撃スキル』
『移動スキル』
『武器』
『防具』
『装飾品』……。
いずれの項目も、ポイントを消費し取得できるように設定されているようだ。
必要ポイントは1~10まで。
ただ詳細な説明はなく、大雑把な「カテゴリー」だけが羅列されている。
(この中から好きなものを、ポイントの分だけ組み合わせてもらえるのか?)
だが、三十ポイントですべてを賄うには、あまりにも選択肢が多すぎる。
俺は目を細め、リストの下の方へと視線を滑らせていった。
そこにあったのは、『カリスマスキル』『統率スキル』という、少し毛色の違う二つの項目だった。
(カリスマ……。統率……)
その文字を見た瞬間、俺の胸の奥で、冷たく重い泥のような感情が微かに揺れ動いた。
高校三年間、誰とも口を利かず、ただの一人も友達を作れなかった自分の姿が脳裏を過る。
俺は孤独を愛していたわけではない。
ただ、他人という不確定要素に振り回されることに適応できなかっただけだ。
その結果として、誰の心も動かせず、誰にも影響を与えられず、透明人間のように扱われてきた。
自分の意思で誰かを導き、集団の中で居場所を築く力。
それこそが、俺の空っぽの人生において、決定的に欠落していたものだった。
(もし俺に、人を惹きつけるカリスマや、集団を統率する力があったなら)
(前の世界でも、少しはマシな生き方ができたのだろうか……?)
自分でも驚くほど、未練がましい感傷だった。
合理的に考えれば、今この瞬間、丸腰の俺が選ぶべきは強力な『攻撃スキル』か、確実に身を守る『防具』であるはずだ。
だが、視界に浮かぶ『カリスマ』と『統率』の文字から、どうしても目を離すことができなかった。
周囲の笑い声が聞こえる。
佐藤や木村たちが、手に入れた剣を見せびらかしながら、クラスの中心で輝いている。
彼らには元々備わっていて、俺には一生手に入らないと思っていたもの。
(……皮肉なものだな)
俺は短く、自嘲気味な息を吐き出した。
この命がけの異常事態にあってなお、俺は過去のコンプレックスに引きずられているのか。
だが、今の俺は、その足りなかったピースをシステムから強制的に買い取れるポイントを持っている。
(今の俺に足りないのは、これだ。これさえあれば……)
誰にも見下されず、透明な存在として扱われることもなくなるかもしれない。
俺は静かに決断を下した。
ボーナスポイントを割り振るための操作インターフェースに意識を向ける。
迷いは、もうなかった。
『統率スキル』に意識を合わせ、選択を確定させる。
続いて『カリスマスキル』、いずれも十ポイント。
これで二十ポイントを消費したことになる。
そして最後に、丸腰の現状を打破するための最低限の自衛手段として『武器』。
残る十ポイントすべてを使い切り、俺はこの三つの項目を選択した。
(さあ、何が出てくる。俺の空っぽの人生を埋めてくれる、どんな力が……)
胸の奥で、期待と不安が複雑に絡み合い、冷え切っていたはずの心臓が早鐘のように打ち始める。
ウィンドウが激しく明滅し、選択が確定したことを告げる光が弾けた。
俺の選択した力が、今まさにこの世界で具現化しようとしている。
吹き抜ける冷たい風の中で、俺はただ一人、運命のサイコロが転がり落ちるのをじっと見つめていた。




