第40話 冒険者ギルドと再会
防音性に優れた『銀貨の止まり木』亭の室内は、外界の喧騒から完全に遮断された静寂に包まれていた。
薄っすらと窓から差し込む朝の光の中で目を覚ます。
ベッドから体を起こすと、昨夜までの長旅による身体の重みはすっかり消え去り、全身に満ちる圧倒的な活力に気づく。
ステータス画面を改めて開くまでもなく、己の身体機能が万全であることは、皮膚の感覚ひとつで理解できた。
俺は素早く身支度を整え、革の胸当てとブーツを装着し、腰に『疾風の剣』を静かに収める。
装備に伴う各種パラメータの強化は、筋肉の絶妙な張りや五感の鋭敏さとなって現れ、全身のパフォーマンスを支えていた。
特に『疾風の剣』と『風のマント』がもたらす敏捷性の補正は、ただ腕を払う、脚を前に出すといった日常の動作すら、羽毛のように軽やかで意のままに動く錯覚を覚えさせる。
体調の限界値を容易に把握できるこの感覚は、異世界で生きてきた中で、もはや当たり前のものになりつつあった。
一階の宿の食堂へ下りると、香辛料の香るあたたかいスープと焼き立ての白パンが運ばれてきた。
スープを一口すすると、根菜の甘みと塩気が染み渡り、胃の奥がじんわりと熱を帯びる。
低ランク冒険者が口にする質素な食事とは比較にならない栄養価と味覚の充足を感じながら、俺は朝の冷気が残るバザルの街道へと足を踏み出した。
* * *
最初に向かったのは、昨日ルークから位置を聞いていた、職人街に隣接する武器防具の専門店が並ぶ区画だ。
硬質な槌音がカンカンと通りに響き渡り、炉から吐き出される炭煙と鉄の匂いが充満している。
店頭に並べられた鋼鉄の長剣や頑丈なチェインメイル、精巧に鞣された革の甲冑を、俺は品定めするように順に見つめていった。
商品に付けられた値札を見ながら、相場感を探る。
標準的な鋼の長剣が一本で銀貨五枚前後、作るのに手間がかかりそうな鎖帷子が銀貨十五枚といったところだ。
アイテムボックスに保管してある資金を合わせれば、俺の手元には金貨七枚と銀貨五十三枚、それに銅貨が数十枚ある。
新人冒険者としては破格の財力を有していると思うが、ここで焦って装備を全面的に新調する必要はないと判断した。
今手にしている『疾風の剣』は常時斬撃付与の補正を持ち、俊敏性を向上させる稀有な武具だ。
下手に重い鋼鉄の鎧で身を固めて素早さを殺すより、現在の高い機動力を活かした軽装を維持する方が、俺の戦闘スタイルには合理的だった。
装備の相場と有効性を見学し終えた俺は、そのままの足で冒険者ギルドのバザル支部へ向かった。
* * *
石造りの重厚な二階建ての建造物。
その分厚い両開きの木製扉を押し開けた瞬間、押し寄せる圧倒的な熱気と混濁した臭気に、思わず眉をひそめそうになった。
安エールの酸っぱい匂い、汗と体臭、皮脂と血の混ざり合った独特の生々しい発酵臭。
昼前という時間帯にもかかわらず、ギルド内部には無数の冒険者たちがひしめき合い、酒を酌み交わし、大声を張り上げていた。
粗暴な男たちの高笑いや苛立ちを含んだ怒号が、高い吹き抜けの天井に反響している。
俺は周囲の荒くれ者たちに極力視線を合わせず、壁際に沿って静かに足を進めた。
* *
ここに来た目的は、冒険の『仲間探し』。
かつてオルト村の近くにある「微睡の洞窟」で死にかけた悪夢のような記憶が、脳裏の隅をよぎる。
閉じ込められた大部屋で、三十匹のゴブリンとたった一人で立ち回った。
あの時は、文字通り死の深淵に指がかかっていた。
いくらステータスが向上し、固有スキルを有しているとはいえ、一人で対処できる戦況には自ずと限界が存在する。
背後からの死角をカバーし、俺の前線維持を補助する戦術的なパートナー。
――できれば、俺の命令に絶対服従するような手駒が欲しい。
他者と群れる集団行動そのものは元より嫌いであり、誰かの指揮下に入る気など毛頭ない。
だからこそ、自らがリーダーとして絶対的な主導権を握るパーティの形成は、この街で達成すべき早急な課題だった。
* * *
ギルドの奥、大型の依頼掲示板が設置された一角へ視線を走らせた時、俺の歩みがわずかに止まった。
見覚えのある顔立ちの男たちが四人、肩を寄せ合うようにして群がり、渋い顔で依頼書を見上げていたからだ。
佐藤翔太、木村健一、そして西村と三木。
日本の高校で同じクラスの空間を共有していた男たちだった。
彼らの身なりは、一目でわかるほど困窮し、擦り切れていた。
この町で買ったと思われる衣服。佐藤と木村の二人は腰に剣を下げ、気休め程度の安物の中古レザーアーマーを引っかけている。
(西村と三木は武器を持っていないのか……)
四人の力関係がよく分かる構造だ。
ただ、その腰に下げた剣も、鞘や柄の革が剥げかけており、満足な研ぎ直しすら受けられていないことが察せられた。
彼らの表情には色濃い疲労と悲壮感が刻まれており、低ランクの薬草採集や小物の討伐依頼を巡って、苛立ち混じりの押し問答を繰り広げている。
(……他はどうした?)
俺は冷めた思考のまま、頭の中で数字を弾き出した。
あの悲劇的な盗賊討伐戦と、その後の混乱。
生存が確認されていたクラスメイトは、男子が五人、女子が十一人だったはずだ。
今ここにいるのは男子四人だけ。
残り一人の男子と、十一人の女子たちの姿はどこにも見当たらない。
* *
俺は一切の感情を挟むことなく、酷くドライに脳内で分析を重ねた。
盗賊どもが村を襲撃した際、反抗する男は容赦なく殺害されるが、若い女は優先的に生け捕りにされていた。
この世界において、若く見栄えのする女性は奴隷市場で高い商品価値を持つからだろう。
この町に来た生き残った女子たちも、自力で戦う武力を保持していなければ、強力な冒険者に身を寄せるしかないはずだ。
あるいは女子だけでパーティーを組んで依頼の最中なのか――それとも、佐藤たちと別行動中という可能性もある。
いずれにせよ、彼らが置かれている惨めな現状は、異世界という弱肉強食の容赦ない現実を如実に物語っていた。
* * *
佐藤たちがこちらの存在に気づく気配はなかった。
俺は元々クラスの中でも影が薄いボッチであり、彼らと親しく会話を交わした記憶など一度もない。
人見知りな性格であり、人間関係の無用な摩擦やトラブルを激しく嫌う俺が、わざわざ自分から声をかける理由など存在しなかった。
彼らに関わったところで、得られるメリットは何一つとして存在しない。
それどころか、同郷の情に付け込まれて足を引っぱられるリスクや、俺のレアな装備や能力に対する身勝手な嫉妬を向けられる危険性の方が遥かに高い。
俺は彼らと一度たりとも視線を交わすことなく、完全に気配を殺してその背後を無言で通り過ぎた。
* *
受付カウンターへと進み、静かに自分の順番を待つ。
対応した若い受付嬢から冒険者登録の手続きを案内され、身元確認用のステータス開示を求められた。
俺は関所での審査と同様に、最小限の情報制限を意識しながら「ステータス・オープン」と静かに呟いた。
『名前:トオル』
『職業:剣士(戦士)』
開示された情報に異常がないことを確認した受付嬢は、手際よく書類を作成していたが、備え付けの魔道具をチェックした途端、怪訝そうに声をかけてきた。
「あの。トオル様はすでに冒険者登録をされておりますが……?」
……登録した覚えはないのだが、思い当たる節はある。
この世界に転移させられたとき、オルト村の村長は『冒険者の皆様』と呼びかけていた。俺たちはすでに『冒険者』として、この世界のシステムに組み込まれていたのだろう。
「ああ、失礼――登録ではなくランクを確認したかったんだ。それと、仲間募集の掲示を出したい」
「はあ、そうですか……トオル様の冒険者ランクはFランクです。新人なのにもうランクが上がっているなんて凄いですね。それと、仲間の募集ですね」
この世界の新人冒険者は『ランクG』からスタートする。
ランクFに上がっているということは、『微睡の洞窟』を踏破した実績が反映されたのだろう。
俺はポケットから数枚の銅貨を取り出し、募集の掲示代として受付に差し出した。
募集要項には「初心者歓迎、経験不問――共に戦う仲間を募集。報酬は貢献度に応じた歩合制」とだけ簡潔に記載させた。
実績のない新人冒険者の募集にどれほどの応募があるかは不透明だが、まずは打てる手を打っておくことが先決だ。
手続きをすべて終えた俺は、最後まで佐藤たちと接触することなく、重厚なギルドの扉を押し開けて外の新鮮な空気の中へと足を踏み出した。
太陽はすっかり頭上に昇り、バザルの街角は活気ある昼時の喧騒に包まれていた。




