第39話 事務的な事後処理と拠点の確保
喧騒に包まれた大通りから一本路地に入ると、空気がひんやりと冷たくなったような錯覚を覚えた。
灰色の分厚い石材で無骨に組み上げられた巨大な建造物。
それがバザルの治安を統括する騎士団の詰所だった。
入り口には、都市の門番よりもさらに上質な鋼の鎧に身を包んだ騎士たちが、鋭い視線を周囲に行き渡らせている。
すれ違う人々の顔には一様に緊張が走り、誰もが足早にこの場所を通り過ぎていく。ルークに先導される形で、俺たちは荷馬車を詰所の裏手にある接収スペースへと進めた。
荷台に転がる二人の盗賊と、鹵獲した三頭の馬。
それらを見た下級騎士の一人が、面倒くさそうに舌打ちをしながら近づいてくる。
* *
鉄と革、そして彼らが帯びている微かな血と油の匂いが鼻を突いた。
「街道の盗賊討伐か。ご苦労なこったな」
騎士は俺たちの労をねぎらうでもなく、極めて事務的な、あるいは冷淡な声でそう言い放った。
彼らにとって、行商人や冒険者が盗賊を引っ立ててきたところで、わざわざ感謝を述べるほどの出来事ではないのだろう。
形式的な身元確認としてステータスの開示を求められ、俺とルークは関所の時と同様に【名前】と【職業】だけを空中に表示させる。
騎士は手元の羊皮紙に素早く何かを書き留めると、後ろに控えていた従兵たちに顎でしゃくった。
たちまち数人の兵士が群がり、手足を縛られた盗賊たちを無造作に引きずり下ろし、馬の手綱を乱暴に奪い取っていく。
抵抗する気力すら失っている盗賊たちは、呻き声一つ上げる間もなく薄暗い地下牢へと続く扉の奥へ消えていった。
「手続きはこれで終わりだ。もう帰っていいぞ」
騎士は羊皮紙の一枚をビリッと破り、俺の胸に押し付けるように手渡してきた。
そこには、盗賊二名と馬三頭の引き渡しを証明する簡素なサインが殴り書きされている。
俺たちは中へと招かれることも、詳細な事情聴取を受けることもなく、あっさりと詰所の裏口から追い出される形となった。
* * *
「随分と冷たい対応だな。治安維持に貢献した者への態度とは思えないが」
路地を歩きながら俺が呟くと、ルークは苦笑しつつ手渡された証明書を指差した。
「彼らも忙しいんですよ。それに、報奨金の支払いは騎士団から直接行われるわけじゃありません」
「そうなのか?」
「指定された奴隷商会へ、この証明書を持っていく決まりなんです。えっと……三日後ですね」
ルークが証明書を覗き込みながら解説してくれた。
なるほど、と俺は内心で深く納得する。
騎士団が自ら犯罪者を管理し、労働力として差配するのは手間がかかりすぎる。
だからこそ、業務を委託している大手奴隷商へ身柄を渡し、そこで発生した利益の中から捕獲者への報奨金を支払わせているのだ。
国家の暴力装置である騎士団と、都市の経済を回す巨大商会が、持ちつ持たれつの関係でシステムを構築している。
腐敗しているというわけでもない。合理的で、極めて効率的な社会構造だ。
* *
騎士団詰所で盗賊と馬を引き渡した後、ルークは慣れた足取りで自前の荷馬車を商人用の「馬車留め」へと走らせた。
一日銅貨数枚の管理料を払い、預かり証を受け取る。
「ここなら盗難の心配もありません。さてトオルさん、荷物も軽くなったことですし、歩いて町を見て回りましょうか――良ければ、僕がこの町を案内しますよ。トオルさんは初めてのバザルでしょう?」
ルークの親切な申し出を、俺は断る理由もなく受け入れた。
彼と共に、再び活気に満ちた大通りへと歩みを進める。
* * *
夕刻が近づくにつれて、都市の喧騒はさらに熱を帯びていた。
俺たちはまず、冒険者ギルドの位置を確認した。
酒場を併設した巨大な石造りの建造物からは、荒々しい男たちの怒声やグラスをぶつける音が絶え間なく漏れ聞こえてくる。
むせ返るようなエール酒の匂いと、安物の香水の匂いが入り混じり、独特の空気を形成していた。
次に向かったのは、武器や防具を扱う店が立ち並ぶ区画だ。
カンカンというリズミカルな鍛冶の音が響き渡り、炉から立ち上る熱気が周囲の温度を一段引き上げている。
店先に並べられた鋼の剣や革鎧を横目で確認しながら、俺は頭の中のキャンバスにバザルの詳細な地図を精密に描き込んでいく。
ギルドからの距離、路地の幅、いざという時の逃走経路。
今回はルークに道案内されているが、これからはこの町で一人で生活していくことになる。情報収集は、息を吸うのと同じくらい無意識かつ不可欠な作業だった。
町を歩き回るうちに、空はすっかり茜色に染まり、長い影が石畳の上に伸び始めていた。
「そろそろ宿を決めましょうか。僕のおすすめがあるんです」
ルークに案内されて辿り着いたのは、喧騒に包まれた中心街から少し離れた、静かな職人街の一角だった。
* * *
木屑と乾いた石の匂いが漂う通りに、周囲の建物よりも一回り大きく、堅牢な石造りの建物がひっそりと佇んでいる。
入り口に掲げられた看板には、『銀貨の止まり木』亭という文字が刻まれていた。
重厚な木の扉を押し開けて中に入ると、外の喧騒が嘘のように静まり返った空間が広がっていた。
受付には、白髪混じりの髪を後ろでタイトにまとめた、無口そうな初老の女将が座っている。
「一泊、銀貨2枚だ。食事はつく」
彼女は愛想笑い一つ浮かべることなく、淡々とした声で告げた。
銀貨二枚。
オルト村の物価や、一般的な下級冒険者の懐事情を考えれば、明らかに強気すぎる価格設定だ。
銅貨数枚で泊まれる安宿など、この街にはいくらでもあるはずだ。
だが、俺は即座にその金額が妥当かどうかを計算し始めた。
分厚い石壁は、隣室や廊下からの音を完全に遮断する高い防音性をもたらしている。盗み聞きを防ぎ、夜襲の気配を察知するためには、静寂という環境は何よりも価値がある。
さらにルークによれば、この宿は各階に『湯が出る魔導具』を備えた鍵付きの共同浴場があるという。
長旅の汚れを落とし、リラクゼーション効果のある清潔なインフラが整っているのだ。
治安、防音、清潔さ。
それらが担保されているのであれば、銀貨二枚という出費は決して高くはない。
むしろ、質の悪い安宿でストレスと危険を抱え込む方が、長期的に見て圧倒的なマイナスだ。
「分かった。ここで頼む」
俺は躊躇うことなく革袋から銀貨を取り出し、女将の前のカウンターに置いた。
* *
「……鍵だ。失くすなよ」
女将は銀貨を素早く引き出しに収めると、使い込まれた真鍮の鍵を一つ、テーブルの上へ滑らせた。
客の素性や、どこから来たのかといった無用な詮索を一切してこない。
その適度な距離感と、ビジネスライクな態度が、今の俺にとっては非常に居心地良く感じられた。
一階の奥にある食堂で、俺たちは夕食を取った。
テーブルに運ばれてきたのは、派手さこそないが丁寧に調理された料理だった。
こんがりと焼かれた魔獣肉のローストは、独特の臭みを消すために数種類の香草がまぶされており、ナイフを入れると肉汁が溢れ出す。
オルト村の硬い黒パンとは違う、ふっくらとした温かい白パンを千切り、肉汁に浸して口に運ぶ。
香辛料の刺激と肉の旨味が舌の上で弾け、飲み込むと胃の奥からじんわりとした熱が広がっていった。
栄養価が高く、美味い。
食事の質一つをとっても、値段相応の価値は十分にあると確信できた。
食後、ルークと短い挨拶を交わして別れ、俺は割り当てられた二階の自室へ向かった。
真鍮の鍵で重厚な扉を開け、中へ入る。
すぐに内側からしっかりと鍵をかけ、部屋の四隅を視線で確認して安全を確保する。
ベッドと小さな机、簡素なクローゼットがあるだけの空間だが、掃除が行き届いており埃一つ落ちていない。
俺はベッドの縁に腰を下ろし、深い溜息と共に『大地のブーツ』を脱ぎ捨てた。
続いて『風のマント』を外し、腰に提げた『疾風の剣』を手の届く位置にそっと置く。
装備を解くごとに、極度に張り詰めていた神経の糸が、一本、また一本とほどけていくのを感じる。
唐突に発生した異世界転移から始まり、クラスメイトたちとの決別、そして盗賊との命のやり取り。
常に死と隣り合わせの状況下で、冷徹な判断と合理性だけでここまで生き抜いてきた。
自分の選択に後悔はない。
あの無能な集団と群れず、一人で冒険したからこそ、俺は今、こうして安全な石壁に囲まれたベッドで休息を取ることができているのだ。
窓の外から、遠く微かな街の喧騒が子守唄のように響いてくる。
新たな生活基盤となるこの街で、明日から何を為すべきか。
奴隷商での金の受け取り、装備の拡充、そして未知なるダンジョンの探索。
次々と湧き上がる課題を頭の中で整理しながら、俺はゆっくりと目を閉じ、この町で初めての静かな眠りへと意識を沈めていった。




