第14話 可視化される【支配】
意識のピントを合わせる。
ただ漫然と視界に収めるのではない。
対象の情報を強制的に暴き出すという明確な意思を持って、網膜の奥深くへと魔力を集束させる。
その瞬間、かつてない異常な感覚が俺の身体を内側から襲った。
「……ッ」
頭の芯が急激に熱を帯び、焼けるような感覚が脳髄を駆け巡る。
それと同時に、胸の奥底から目に見えないエネルギー――魔力という名の生命力そのものが引き剥がされていく、生々しい喪失感を覚えた。
アイテムボックスを連続で使用した時にも魔力の消費はあったが、今のこれは明らかに消費量が違う。
蛇口から水が漏れるような緩やかなものではなく、蛇口を限界まで捻ったような強烈な流出だ。
立ち眩みでくらくらするような倦怠感の中、俺の冷徹な思考回路は、この現象から一つの明確な『システムの本質』を導き出していた。
(なるほど……【鑑定】は、ただ発動すればいいという単純なものではないのか)
対象の名前や職業など、表面的な情報だけを引き出すのなら、消費する魔力はごく僅かで済む。
だが、より深い情報、より解像度の高い『深淵』を覗き込もうとすればするほど、それに比例して魔力と集中力をシステムから要求されるのだ。
(ならば、今の俺の全力で覗き込めば、どこまで見える……?)
危険だと頭では理解しながらも、抑えきれない好奇心と、得体の知れない衝動に背中を押される。
俺は台所で夕食の仕上げにかかっているマリアの後ろ姿――
その無防備で肉感的な背中へと、限界まで高めた魔力を込めた【鑑定】の視線を突き刺した。
* * *
バチリ、と頭の中で火花が散るような幻聴が鳴る。
直後――
半透明の簡素なウィンドウが、俺の視界を完全に覆い尽くした。
『マリア:24歳』
『職業:村人:Lv.3』
『スキル:【料理】【農作業】』
ここまでは予想通りだ。
彼女の慎ましく温かい日常をそのまま数値化したような、平凡で無害なステータス。だが、その下に続く項目を見た瞬間、俺の全身からさあっと血の気が引いていった。
普通に鑑定しただけではステータス画面に表示されるはずのない、他者の内面に土足で踏み込むような項目。
【好感度:78】
【隷属度:64】
(……なんだ、これは)
好感度は、まだ分かる。
盗賊の襲撃からこの村を救い、こうして同じ屋根の下で共に生活をしようと持ち掛けられたのだから、ある程度の高い数値になっているのは当然の帰結だ。
だが、その下にある『隷属度』という、ひどく不吉で、おぞましい響きを持った単語は何だ?
俺は息を殺し、震える視線をその文字へと固定した。
単語そのものに対して、さらに深く【鑑定】の意識を重ね掛けする。
すると、無機質で冷徹なシステム音声が、俺の脳内に直接ログとして響き渡った。
――『固有スキル【奴隷使い】の所持者に対する、対象の精神的な服従・依存の度合いです』。
「……なっ」
思わず声が漏れそうになり、俺は慌てて口元を右手で覆い隠した。
動悸が狂ったように早鐘を打ち、全身の毛穴から嫌な冷や汗がどっと噴き出してくる。
俺は彼女を奴隷にした覚えなど一切ない。
暴力で脅したことも、首輪をつけて無理やり従わせたこともない。
ただ、防衛戦でこの村を守り抜き、この家で束の間の休息を共にしているだけのはずだ。
だが、現実は違った。
俺が意図していなくとも、固有スキル【女たらし】と【奴隷使い】という呪われたシステムは、常時発動型の毒ガスのように、マリアの精神を静かに、そして確実に侵食していたのだ。
俺の英雄としての振る舞いすらも、このスキルにかかれば、他者の自我を溶かし、俺という存在に依存させるための『強制力』へと自動的に変換されてしまう。
(俺は、無意識のうちに……この人の精神を支配下に組み込もうとしているのか?)
平和な現代日本の教室で、特別な力も持たずにイキがっていたクラスメイトたちの顔が脳裏をよぎる。
俺はそんな連中の薄っぺらい選民意識と、他人を都合よく利用する浅ましさを、常に冷めた目で見下していた。
だが、いま直面している俺の現実はどうだ?
世界のシステムという絶対的な暴力に便乗し、恩人であるはずの女性の心を、裏から気付かれないように作り変え、洗脳し、己の所有物にしようとしている。
これは単なる「女にモテる」などという生易しいものではない。
人間の尊厳を根底から蹂躙する、底冷えのするような狂気そのものだ。
自分の内に潜む、可視化された【支配】の力の全貌に、俺は恐怖で背筋を凍らせていた。
もしこの数値が100に達したとき、彼女はどうなってしまうのか。
自我を失い、俺の命令だけを聞く肉人形になってしまうのだろうか。
(いや、そこまで深刻に考えることもないか――俺のスキルが彼女の心に影響を及ぼしているというのは、単なる俺の想像でしかない)
一度天井を見上げて気持ちを落ち着かせ、疑念に対する反証を行う。
(俺は盗賊を倒したり、魔物を狩って肉を持ってきた。そんな俺に対して、夫を亡くしたばかりの彼女が精神的に依存するのは不自然ではない。そんな「心のありよう」を数値化しただけなんじゃないか?)
項目が『依存度』ではなく『隷属度』と表記されるのは、俺が『奴隷使い』というスキルを所持しているからであり、精神的な依存というのは誰にでもあるものだ。
特に魔力の消耗も感じないのだから、スキルが発動したわけでもない。彼女に依存を強要しているというのは、発想が飛躍し過ぎているだろう。
考え過ぎだ。
答えの出ない暗い思考の淵に沈みかけていたその時、ふいに、台所から漂っていた肉の焼ける匂いが変化した。
「トオルさま、お待たせいたしました。夕食の支度ができましたわ」
* * *
マリアの明るい声が、静まり返っていた室内に響き渡る。
俺はハッとして我に返り、慌てて視界を覆っていた不吉なステータスウィンドウを消去した。
魔力の過剰消費による目眩と、精神的な激しい動揺を悟られないよう、必死に平静を装う。
「お手伝いするー!」
ナンシーが俺の膝から元気よく飛び降りて、楽しそうにマリアの元へと駆けていく。
「ふふっ、ありがとう。じゃあ、このお皿を机に運んでくれる?」
温かい家庭の風景。
マリアは焼き上がったウサギ肉の皿を両手に持ち、俺の座る椅子の横を通り過ぎようとした。
その瞬間だった。
彼女の足取りがふと止まり、波打つ亜麻色の髪からふわりと甘い匂いが漂ってきた。
マリアが身を屈め、俺の耳元に顔を近づけてくる。
息がかかるほど近い距離で、彼女は他の誰にも聞こえない、秘め事のような小さな声で囁いた。
「トオルさま……先ほどからずっと、私のお尻を見つめていらっしゃいましたでしょう?」
「……!」
心臓が大きく跳ね上がり、呼吸が止まった。
バレていた。
ただの視線ではない。
魔力を込め、彼女の深淵までをも探り当てようとした【鑑定】の重たく粘り気のある視線を、彼女は肌で感じ取っていたのだ。
「ナンシーの前では、少し……困ってしまいますわ」
責めるような言葉とは裏腹に、その声色に怒りや嫌悪の感情は微塵も含まれていなかった。
それどころか、マリアの横顔は熱っぽく朱に染まり、琥珀色の瞳は恥じらいの中に、どこか淫靡な『期待』すらも滲ませているように見えた。
それは明確な、女としての拒絶しきれない態度の表れだった。
(好感度:78に、隷属度:64……これが、その結果というわけか)
俺は冷や汗が頬を伝い落ちるのを放置したまま、ゆっくりと息を吐き出した。
深く対象を探るための鑑定の視線は、ただ情報を得るだけの一方通行ではない。
その暴力的なまでに相手の内心を暴こうとすれば、それは相手に『熱』として伝わり、気づかれるリスクを伴うのだ。
この殺伐とした異世界で生きていく以上、己の持つ能力はきちんと把握する必要がある。
無自覚なまま振り回されるのは、あまりにも危険すぎる。
己の力は、完全に掌握し、必要に応じて隠蔽しなければならない。
(安易な鑑定の使用は、要注意だな)
新たな『ルール』を胸の奥深くに刻み込みながら。
俺は牙に抉られた左腕の痛みを抱えたまま、温かい食事へと手を伸ばした。
――ここからが、俺にとって本当の異世界生活の始まりなのかもしれない。




