第10話 村の道具屋
メインストリートと呼ぶにはあまりにも貧相な、泥と轍だらけの道を行く。
すれ違った村人の顔には一様に疲労と恐怖がへばりついており、地面に視線を落としたまま無言で歩いていた。
つい先日まで隣で笑っていた隣人が、無惨な肉塊となって転がっていたのだ。
平和ボケした現代日本の高校生たち――今頃、バザルの町へ向かっているであろうクラスメイトたちが精神に異常をきたすのは当然だが、この過酷な世界で生きる村人たちにとっても、盗賊の襲撃は容易に消化できる悲劇ではないらしかった。
そんな重苦しい空気の中、俺は村の中心部にある小さな商店の木戸を押し開けた。
* * *
カラン、と乾いた鐘の音が鳴り、埃っぽい店内の空気が鼻腔を突く。
干した薬草の青臭い匂い、獣脂のツンとする臭い、そして長年染み付いたであろう古い木の匂いが混ざり合った、酷く生活感のある空間だった。
「いらっしゃい……おお、これはこれは。村を救ってくださった英雄殿ではありませんか」
カウンターの奥から、わざとらしいほどの愛想笑いを浮かべてすり寄ってきたのは、初老の男だった。
禿げ上がった頭頂部に、手入れの行き届いていない白いあご髭。
この村で商いを営む、バドという男だ。
彼の着ている上質なウールの服には、長年の商売でこびりついたであろう黒々とした油染みがいくつも浮いている。
俺を称賛するその口調とは裏腹に、彼のぎらついた小さな双眸は、俺の身なりや装備品の価値、そして何より『財布のふくらみ』を正確に値踏みするように動いていた。
(――いい目だ。商人というのは金勘定で動く分、信用できる)
損得で動く人間は、行動原理が読みやすい。
無償の善意や正義感などという不確定で胡散臭いものに依存するより、金と欲望という絶対的なルールで繋がっている方が、俺にとっては遥かに心地よかった。
「ポーションと傷薬を。それから、空き瓶を一つ」
俺は周囲の雑多な商品には目もくれず、淡々と要件だけを告げた。
空き瓶を注文した瞬間、脳裏に先ほどのマリアさんの甘い吐息と、あの生々しい言葉が蘇りかけた。
『倒した後すぐに採取すると、避妊具として利用できます』
首を振って、その粘り気のある記憶を強制的に思考の外へと追いやる。
今は、生存確率を上げるためのロジックだけに集中すべきだ。
「下級ヒールポーションが銀貨三枚、塗りタイプの傷薬が銅貨五枚。それと空き瓶が銅貨一枚になりますが……」
バドはそこで言葉を区切り、わざとらしく揉み手をして見せた。
「命の恩人から正規の値段を取るわけにはいきません。ポーションと傷薬の分だけで結構ですよ。空き瓶は、私からのささやかなお礼として受け取ってください」
【オルト村の英雄】という称号の効果だろう。
最初のように大幅な買取金額アップとまではいかなくても、多少は色を付けてくれたようだ。
銅貨一枚分の、安い恩着せとも言えるが。
だが、利用できるものは何でも利用する。
俺は静かに頷き、アイテムボックスに収納していた『薄汚れた硬貨の袋』を現実空間へ取り出した。
袋の中に手を入れ、金貨を一枚つまみ出す。
カウンターの木皿にコトリと置いた。
日本円にして約一万円相当の価値がある硬貨だ。
「お支払いは、金貨で?」
「すまんな、釣りはあるか?」
「少々お待ちを、すぐにお釣りの銀貨と銅貨をご用意しますんで!」
バドは慌てた様子で奥の金庫へ向かい、やがてジャラジャラと音を立てながら戻ってきた。
差し出された銀貨と銅貨の束を受け取り、革袋に収める。
ずしりとした重みが、手に明確な物理的負荷として伝わってくる。
それは、ゲームの画面右下に表示される無機質なデジタル数字ではない。
命を繋ぐための、リアルで生々しい質量の感覚だった。
* * *
「一つ聞きたい。これから森へ魔物を狩りに行くんだが、素材の買い取りはここでやっているのか?」
お釣りの計算に間違いがないことを確認しながら、俺はバドに問いかけた。
「買い取り自体はうちでもやってますがね、解体となると専門の業者を通すことになります」
マリアさんから聞いた通りだ。
バドは白いあご髭を撫でながら、村の裏手にあるという解体小屋の仕組みを説明してくれた。
「ただ……英雄殿は、荷車をお持ちでないでしょう。――大きなリュックも背負っておられませんが、魔物はどうやって運ぶおつもりで?」
俺の軽装をいぶかしむバドに、俺は短く「アイテムボックスがある」とだけ答えた。
先ほど俺が財布を取り出した場面を、バドは見ていなかったようだ。
(取り出したのは、カウンターの下だったしな)
俺の返答を聞いた瞬間、バドは納得したように頷きつつ、少しだけ忠告めいたトーンで口を開いた。
「なるほど、それは便利で羨ましい限りですが……お気をつけなすって。アイテムボックス持ちの冒険者の中には、魔物の出し入れの度に酷く疲弊して使い物にならなくなる者や、あまり大きな獲物はそもそも収納できないって者もいるそうですからな」
「……出し入れで、疲弊する?」
俺は微かに眉をひそめ、バドの顔を見返した。
「ええ。何でも、魔力をごっそり持っていかれるらしいですぜ。まあ、私のような才能のない一般人には縁のない話ですがね」
(魔力を消費する……?)
その有益な情報を脳内に刻み込み、俺はバドに短く礼を言って商店を後にした。
外に出た俺は、人目のつかない村のはずれの路地裏へと向かった。
先ほどのバドの言葉が事実なら、今後の戦闘において致命的な落とし穴になる可能性があるからだ。
俺は自身のステータス画面を意識の片隅に展開しながら、腰の硬貨の袋をアイテムボックスへと収納してみた。
――スッ、と袋が虚空に消える。
その瞬間だった。
胸の奥の中心、心臓の少し上あたりから、極めて微小な『熱』のようなものが引き抜かれる感覚があった。
ステータスを確認する。
【MP:34 / 35】
……減っている。
物品を出し入れするアクション自体に、明確な魔力の消費が設定されているのだ。
(一度の出し入れで、きっちりと魔力を「1」消費するのではないようだ。……小さな硬貨だったからか? バドの話によれば大型の魔物ほど消費は激しくなるようだし、きっとそうだろう)
さらに、俺は目を閉じて自身の内側に意識を深く沈めてみた。
かすかに、本当にごくかすかにだが、蛇口から水が一滴ずつ漏れ出ているような、継続的な喪失感がある。
脈打つ血液とは違う、もう一つの不可視のエネルギーが、空間の維持のためにジリジリと吸い取られている感覚。
(なるほど……。空間内に物を保管・維持している間も、微量ながら魔力を削られ続けているのか)
ドラ○もんの四次元ポケットのような、ノーリスクで無限の恩恵をもたらすチート能力ではない。
使用者の『魔力』というリソースを代償にして成り立つ、極めてリアルで物理的なシステム制限が存在しているのだ。
現在の俺の最大MPは35しかない。
もし調子に乗って魔物の死体を次々とボックスに放り込み、魔力が枯渇した状態で敵と遭遇したらどうなるか。
答えは簡単だ。
ガス欠を起こして身体が動かなくなり、無様に魔物に喰い殺される。
盗賊との戦いで、死んでいったクラスメイトたちと同じ末路を辿ることになる。
(便利な能力だが、完全な依存は死を招く。運用には厳密な計算が必要だな)
その冷厳な事実とリスクを、脳髄に深く刻み込む。
盗賊迎撃戦はうまく切り抜けたが、圧倒的なチート能力を与えられているわけではない。
世界を無双できるなどと勘違いしてはいけない。
常に疑い、検証し、最悪の事態を想定して動くこと。
そうしなければ、どこに落とし穴があって嵌まってしまうかわかったものではない。
一つ深呼吸をしてから、俺は腰に差した『疾風の剣』の柄を強く握り直した。
金属の冷たさが、研ぎ澄まされた理性をさらに冷やしていく。
これより先は、人間のルールが通じない弱肉強食の領域だ。
俺は村の外に広がる鬱蒼とした暗い森へと、静かに足を踏み入れた。




