国際法人6
こういう問題の損害賠償請求って、論理的な計算方法がよく用いられるけど、粂川さんの主張というのも、かなり論理的ではあるね。
例えば、交通死亡事故の示談の場合だと、亡くなったヒトが、その先も生きていくと仮定して、労働した成果で、いくら収入を得られたかを計算根拠とするよね。
逸失利益というヤツ。
考え方は、これに近い。
しかし、違和感を覚えるのは、本来とは異なる道筋を推奨されて、そのとおりにしたら、本来の道筋を辿った方が少し得だった程度のことを損害と呼べるのかどうか、って部分だね。
この場合には、『推奨』の部分が『強迫』に置き換えられている主張もある。
「この計算は、ヘンです」
まず、私はそれを伝えた。
粂川さんの右側の白い眉が、ピクリと反応した。
「契約により、引き下げられた保険料の差額分を粂川さんは受け取っていますね。
計算上、その分は控除されるべきでは?」
私がそこまで言うと、粂川さんから「おお」と何かに感心するような声が聞こえた。
……もしかして……地雷、踏んじゃったかな、私………
「それは、金額についての交渉ということですな。
つまり、こちらの主張を受け入れなさった、というふうに思って良いですか?」
「いや……それは……」
「勘違いなさらないで下さい」
すかさず函崎氏が割って入ってきた。
粂川さんは、両肩をキュッと狭めて、警戒姿勢を見せた。
「計算資料が出てきたので、それに示された方法と結果に対して、雨森課長が疑義を持たれた、と。
ただ、それだけです。
料金交渉の段階に入ったわけではありません」
函崎氏が、きっぱりと言い切ると、粂川さんのキュッとなっていた両肩が、ダランと力を失ったように下がった。
私……助けられちゃったかな………
函崎氏は、引き締まった表情で、粂川さんを見つめている。
ちょっと……カッコいいかも………
これは、借りにされるのかな。
いざとなったらカラダで………
「私が受け取った差額分のお話が出はりましたが、それは引いておりません。
なぜなら、御社も、私の保険料の減額に便乗して、その分を受け取っているからです。
保険料は折半払いですからな。
私だけが、一方的に利益があったわけやないですから。
むしろ、私のおかげで、会社側も利益があったというふうにも考えられますな」
うう……論理的な返し技………
年金制度をちゃんと理解してて、これは予想以上にテゴワイ相手だね。
さて、と………
私も言われてばかりいたんじゃ、立場がないからね。
これから反撃に出なくては。
私も書類が収まっているクリアファイルをテーブルの上に置いた。
粂川さんが用意した量に比べて少ないけどね。
書類の向きを相手側に合わせて、1つずつ並べていく。
まずは、『国際法人』と『市村輸送株式会社』と粂川さんの三者で締結した出向協定書(①)。
そして、英文で書かれた『国際法人』との雇用契約書(②)。
重要事項説明書と見出しにある書類(③)。
最後に置いたのは、出向期間中の市村輸送からの給与辞令(④)。
そのうち、①②③の書類には、粂川さんの直筆による日付と署名、押印がなされてある。
これらの書類が持つ意味は至ってシンプルで、つまり、全て、粂川さんの同意によって行われたものだ、ということだ。
「古い書類を、よう残してはりましたな」
粂川さんは、ちょっと驚いている様子。
でも、粂川さんの主張は、これらの同意が、『強迫』によって行われたものだ、ということ。
原本書類が登場することなど、想定内なのだと思う。
「さっきも言いましたが、この同意は、当時の大嶋センター長から、同意してもらわなあかんと、同意せんかったら仕事は無くなると、強く迫られたから、仕方なく署名しましたんや。
本当は、こんな同意は、全然したくはなかったんですわ」
粂川さんは、淡々と話してくれた。
本当はしたくなかった………
この点が重要ポイントだね。
これを覆すことができたら、粂川さんの主張の圧を弱めることができる。
正直言って、この展開の先に、こちらが用意しているカードがあるんだけど、その切り札が確実にこの交渉を成功裡に導けるかどうか、確信が無いんだよね。
シナリオを最後まで書ききれなかった、というか。
函崎氏いわく。
《だから、交渉は、面白いんです》
ゲームみたいに言ってくれるけど、会社として面白いと感じるかどうかは、勝たなきゃ、そうはならないからね。
「さあ、どうなさりますか?
場所を変えて話し合う、いうのもありですよ。
そんときは、こっちも、もっと本気出しますから」
粂川さんの攻めの督促。
この強気姿勢、もしかして、背後にツワモノがいるのかもしれない。
もし、この交渉が、敗北したら当然だけど、物別れに終わったくらいでも、後々、面倒な展開になりそうだ。
そういうのになるのがイヤなら、ここで、却下姿勢を決定的に印象づけておかなくてはならないのかもしれない。
「ちょっと電話いいですか」
私は言って、テーブルの隅の電話機を手にした。
「……はい……お願いします」
私は受話器を置いて、粂川さんをじっと見た。
「今から、粂川さんにお会いしていただきたいヒトが来ます」
「はあ?」
粂川さんの調子の抜けた返事を耳にしてから、間もなくして、応接室のドアが勢いよく開いた。
「お疲れ様です」
現れた人物から、ハツラツとした挨拶が飛んだ。
「粂さん、ひさしぶりだね」
粂川さんは、両目と口を大きく開けて、入場してきた人物をガン見していた。
「……お……大嶋センター長………」
「さすがに、もうセンター長じゃないよ」
大嶋さんは、私が指示したわけじゃないけど、力の入った闊歩で狭い応接室を移動し、粂川さんの隣の椅子にデンと腰を下ろした。
「オレがアンタを脅したって?」
その問いに、粂川さんは怯み姿勢を見せた。
大嶋さんの豪快な笑い声が室内に響いた。




