国際法人5
粂川 克匠さんは、お孫さんの運転する自家用車で、S県から高速道路を利用して、約1時間半の所要時間をかけて、市村輸送の本社までお越しいただいた。
私の方から、粂川さんの居所に最寄りの『第4チルドセンター』に伺うって提案もしたんだよ。
でも、先方から、どうしても本社に来たいって要望が強くてね、仕方なく、こちらが折れたって話。
お孫さんは、お祖父さんを下ろしたら、そそくさとどこかへ走り去ってしまった。
チラッと見えたけど、私より少し年輩の女のヒトみたいだったね。
粂川さんは、80近いご高齢の方なんだけど、ハツラツとした元気なヒトで、ヨレヨレした感じではなく、杖無しで、しっかり地面を踏みしめながらエントランスまで歩いた。
私が案内しているところへ、函崎氏も最寄駅から30分程度のウォーキングで姿を現した。
「ちはす。函崎ですう」
こちらも相変わらず元気だね。
別に同伴を頼んだわけじゃないんだけど、興味本位で参加してきた、というわけね。
応接室に迎え入れ、粂川さんを奥にして、テーブルを挟んで私と函崎氏が並んで座る陣形ね。
「私は、雨森と申します。
よろしくお願いいたします」
粂川さんは、社屋に入る前からあたりをキョロキョロ眺めていて、今も視線をあちこちに動かしている。
「立派なビルですな」
粂川さんは言った。
ビルといっても3階建てなんで、高層ビルみたいなのを想像しちゃいけないよ。
築5年くらいなんで、まだまだ新しい側面が見えるしね。
手前ミソだけど、まあ、キレイな社屋ではあるね。
「会社の所有ですか?」
「そうです」
粂川さんは、首を縦に3回振って、大げさに頷いていた。
まあ、不動産登記手続は、私がやってるからね。
そこは間違いないよ。
でも、この質問の趣旨って……もしかして、ウチの資産状況をさりげなく確認してるとか……あまり、いろいろ漏らさない方が良いかな。
「こちらは当社の顧問社労士の函崎さんです。
今回、立ち会っていただいております」
本当は呼んでなかったんだけどね。
私は、心の中で、そう繋げた。
「どおも」
函崎氏は、ニコニコ笑顔をそのままにして、お辞儀をした。
粂川さんは、持ってきた厚みが5センチくらいの革製のブリーフケースを膝の上に立てて、クリアファイルによって束ねられた書類を、ゴソッと上に抜いて、テーブルの上に置いた。
「正直言いましてな」
と、粂川さんはパクパクと空気を小さな塊にして吐くような声を出した。
「私ゃね、法律とか、ようわかりません。
あの手紙もな、内容証明いいましたかな、郵便局に相談しながら、私が書いたモンです。
パソコンは、使える方でしてな。
年金額の計算とか、自分でやりました」
何枚かある書類の中に、年度とか、支払保険料とか、マス目に収まった様式のモノが目に付いた。
表計算ソフトを使って作成したものだと思う。
「ほう……この計算には」
函崎氏が感心したように声を張り上げた。
「標準賞与額を計算に入れることになった総報酬制の導入前後が、きちんと区別されています。
年金のことをよくお調べになったのですね」
「インターネットで調べました」
粂川さんは答えた。
「厚生労働省のホームページで、いくら年金がもらえるか計算できるのもありましたがな、自分でも計算してみて、ちゃんと同じ額が出るかどうか、調べましたんです」
「全部、1人でおやりになったんですか?」
函崎氏が訊ねると、粂川さんはニヤッと笑って「ちょっとだけ孫に教わりました」と、ささやき声で白状した。
私も見取りでざっと計算結果を見てみたけど、おそらく合ってるね。
高齢のヒトが表計算ソフト使って、自作の計算資料を持ちこんでくるとは、さすがに想定できなかったよ。
これは、ツワモノだね。
「で、問題は、ここですな」
間髪入れずに、粂川さんは資料のある部分を指差す。
「例の5年間ですわ」
給与支払額に基づく標準報酬月額が最低等級の88,000円で設定された期間。
つまり、『国際法人』への出向期間だ。
まあ、海外出向は、偽装だったんだけどね。
その資料には、書庫に保管されていた賃金台帳よりも以前の古い期間、さらには粂川さんが当社に入社するより以前の勤め先の収入額まで含まれていた。
つまり、粂川さんの生涯収入の記録ということになる。
粂川さんが、当社に来る前に、どんな仕事をしていたのかは訊く必要のないことだが、収入はだいたい同じくらいだった。
出向で目減りしていた標準報酬月額の値を本来の値に戻して、再計算された結果も出されていた。
現在のリアルに受け取っている年金額は1,673,000円。
これを出向が無かった場合として再計算された年金額は、1,787,000円。
差額は、114,000円。月額にすると、9,500円になる。
「あの時、大嶋センター長の脅しのせいで、いらん契約をさせられましたんですわ。
あれさえなければ、この年金額ですわ。
大したことないように思えるかもしれんが、年金だけで生活しとるモンにとっちゃ、この差が大きいんですわ」
「つまり、これは」
函崎氏がマジメ顔で、粂川さんと向き合っている。
イケメンモードだ。
そのままでいて。
「当時、大嶋センター長の強迫により、『国際法人』への転属の同意をさせられた、と主張されるわけですね」
「そのとおりです」
函崎氏は、軽く頷きながら、私の方に視線を移す。
私は、ずっとイケメンモードを見ていたので、うっかり視線がぶつかっちゃった。
函崎氏は、イケメンモードを維持したまま、オホンと咳払いをした。
私としては、イケメンモードが続いてくれるのはうれしかったんだけどね。
こんな時に、ちょっと誠実さに欠けるかな、私。
「それで、粂川さんの要求と仰るのは、どんな内容でしょうか?」
函崎氏が問いかけに対して、粂川さんもキュッと表情を引き締めた。
高齢者版イケメンモード…と言いたいけど、顔のシワに影が入り、いくつもの濃い筋が浮き出できて、ちょっとコワイね。
『皺尉』の能面に似てるかも。
威圧をかけようとしているのかな。
「私ゃ、来年で80になりますが、今、平均寿命は81歳くらいだそうですな」
「男性の場合ですね」
と、函崎氏が平然と相槌を打つ。
相手は、精一杯のスゴみを仕掛けてきたと思うんだけど、全然、気にしていないみたいだね。
さすが社労士。
「65歳から年金をいただいております。
81歳よりも生きるかもしれませんが、まあ、81歳でエエですわ。
足らん分を払うてほしいんですわ。
年額の114,000円の16年分。
それが私の要求ですわ」
114,000 ✕ 16 = 1,824,000円か………
結局は、お金の要求か。
資本主義社会における当然の解決法ってわけだ。
さて、こちらは、どう出ようかな。




