日常と非日常の間
義姉パワー!
意識が戻った時には、自宅の自室のベッドに寝かされていた。
「あ、目が開いた。ジロー君、あたしの名前、わかる?」
大きな瞳をうるうるさせているエレナの真剣さがなんだかおかしいくらいに意識は明晰だった。緑の瞳に自分の顔が映り込んでいるのまではっきりわかる。
「大丈夫だよ、エレナ。なんともない……と思うよ」
「まったく、受け身くらいとれなかったの?」
小さなため息をつきながら、マリカが肩をすくめて笑ってみせる。意地悪な微笑みのくせに、目元がちょっとだけ潤んでいるのがわかる。
「そんな余裕なかったよ。痛うううっ。触らないでくれよっ」
エレナがベソをかきながら帰った直後、それまで見栄を張っていた少年はベッドに倒れ込むようにして横になっていた。そんな彼を面白そうに見下ろす金髪の義姉が、椅子で脚を組んだまま、つま先でつんつんと脇腹をつつく。
「ま、骨に異常もないし、打ち身だけみたい。幸いだったわね」
「いや……気絶とかしちゃうのは、情けないかなあと……。て、痛いからやめてっ」
「くすくすっ。駄犬が駄犬なりに役に立ったから、ご褒美よ」
「駄犬いうなっ。マジに痛いからっ。やめてっ」
椅子に座ったままのマリカの攻撃を、もぞもぞとベッドの反対側に移動して避ける。それだけのことすら身体が硬直しそうだ。
「メシできたぞー」
階下からのリックの呼びかけは吹き抜けを通じて私室にまで届いた。
「そんなに大きな声でなくても聞こえるわよ」
「ありがと。今いくー」
ジロー・ハザマ少年の朝夕の食事は当番制である。大人であるリックが一週間のうち三日、マリカと彼が二日ずつを担当することになっている。今日はリックの番だった。
席についたリックの手元には自宅用の端末があった。
「えーと、まず報告するぞ。あの三人は外出禁止になった。それから……」
無法者たちは急行した港湾警備員に捕らえられ、現在は船に引き渡されている。そして、港湾施設のみならず、船から出ることそのものを禁止されたという。これはかなり厳しい措置といえるらしい。
「それから罰金が20流通単位。そのうち半分は被害者のジローに支払われる」
医療費は船会社が持ち、あとで慰謝料ももらえるらしい。細かいところはよくわからないけれど、船員の休暇の最大の楽しみである上陸を奪われたのは、けっこうな罰のはずだ。身体の痛みとひきあうわけではないけれど少しは溜飲が下がった。
「まあ、全体としてはよくやった。ちゃんと我慢できたな。お疲れ様だ。」
「そうそう。下手に手を出さなかったのはよかったわ」
「ただやられていただけだよ。気絶しちゃったし」
珍しく二人から同時に褒められると面はゆいというか、照れくさいというか。
「ただ、しばらくは港湾地区のゲートは警備が面倒になる」
警備体制の見直しがつくまでは、一定時間ゲートに警備員が立つ。普通の宇宙港なら警備員の常駐は当たり前のことなのだが、田舎も田舎のアシタカ港では外国船が来ることそのものがほとんどなく、地上でのバスやタクシーのような感覚で宇宙船が使われるため、今までは必要が感じられなかったのだ。
「あとは、念のため入国管理から事前審査データを送ってもらうことになったそうだ」
移民の受け入れが本格化するとともにこの港湾周辺も整備されていく予定だったが、今回の事件はそのスケジュールを早めるきっかけになるだろう。
「それで、パパからは、なんて?」
優雅にナイフとフォークを使いながらマリカが尋ねる。今日は週に一度の定時連絡の日だった。期待に満ちた差彼女の視線に、リックは肩をすくめてみせる。
「いや、今週はまだ連絡がない。珍しいな」
「そう。きっと忙しいのね」
マリカの瞳が寂しそうに翳る。まつげが長いので、目を伏せると本当に瞳が翳ってみえるくらいだ。そしてそれだけですごく絵になる。
「ああ。こちらからの連絡はいつも通りでいいか?」
「うん」「いいわ」
少年少女は頷く。メッセージはすでに入力すみだし、どうせ、少年への連絡は定型文にすぎない。彼から先方への変身も同じようなものだった。もう何年も前から、ずっと。
マリカとジロー、それに二人の保護者でもあるリックには血のつながりはない。三人とも、タロン・ロッツなる人物に支援されながら育ち、同じ家で暮らしている。それだけの関係だ。
ぼんやりとニュースの画面を見ていたら、横に気配を感じた。甘い香り。マリカだった。彼女はいつもよい香りをさせている。香料とかじゃなくて、ほんとうに体臭そのものが甘い香りとなっている気がした。
「ごめん……ちょっと、いい?」
いつもの彼女じゃない、自信のなさそうな、弱気な声。いつもなら挑戦的な瞳が弱々しく揺らめいている。普段なら明るい光輝を放つ金髪もくすんでしまっているようだ。
「うん。大丈夫」
そうとしか言えなかった。普段なら、義姉がリビングに来たらジローが場所を譲る。それが暗黙の了解であり、習慣だった。三人掛けのソファの中央から動いて、彼女の場所を作る。
「ありがと。しばらく、いさせて。それと、昼間はごめん。助かったわ」
「ううん。大丈夫だよ。何かあったんでしょ?」
こくり、と頷いたマリカの髪からの香りは、シャンプーなのか、リンスなのか。亡くなった実父の財産があるため彼女お金持ちだ。こんな田舎にリックと一緒に来ているのも、ジローを心配してくれたかららしい。ちょっと気むずかしいところもあるし、素直じゃないけれど彼女も、エレナやリックと同じくらい優しい。
(マリカにも、お世話になりっぱなしなんだよなあ……)
あれほど気にしているパパ……ロッツ氏とは年に数回会っているらしい。彼女が旅行に出かけているときがそうだ。それほど慕っている義父から離れて、リックと一緒に彼を気に掛けてくれている。これはすごいことだと思うし、感謝している。
少年が入院していた病院から出るときも手を引いてくれた。そのあとも、ずっと手を握ってくれていたのを覚えている。小さいころは頼りになるお姉さんであって、いや、今でも何も変わりはしない。
(こんなに落ち込んでいるマリカ、初めてかも)
彼女が消沈している姿を人に見せるのは珍しい。外ではいつでもきりっとして、完璧な自分を演出しているからだ。だからきっと、義姉は本当に、ひどく落ち込んでいる。
「嫌な、予感がするの。これ、当たる。わかっちゃうの……」
「うん。マリカがそう言うなら、当たるんだろうな」
彼女には様々な才能がある。予知能力もその一つだ。本当に予知なのかはわからないが、恐ろしいほどのカンの冴えがあって、彼女が起こるといったことは、かなり突飛なことであっても起こる。ほとんど外れない。本人が自制して秘密にしていなければ、美少女占い師とか呼ばれても不思議はないくらいだ。
「どんな予感か、聞いていい?」
「……言いたくないけど、言うわ。変えることができるかもしれないし」
ということは、まだ彼女の中では確実ではない、ということか。当たる、といっているのに確実ではないとは、よほど当たってほしくないが、確度がかなり高いのか。怪訝そうな表情のジローの前で、流麗な曲線を描く金髪が深呼吸とともにかすかに動いた。
「あんたか……パパか……もしかしたら、両方、いなくなる気が、する」
目線を合わせたくないのか、顔をそむけたまま、小さく区切った言葉だった。
「ぼくはいなくなんか、ならないよ」
「あんたは……そうよね。でも、パパは……あの人は」
ロッツ氏の仕事は、空間航路清掃業者。掃除屋というと簡単そうな響きもあるけれど、空間航路清掃は、重要かつ危険な仕事だ。宇宙空間のさまざまな塵埃や小惑星を除去し、航路の安全を確保する。
元軍人が多く就職する理由の一つは、紛争地帯であっても航路は必要であり、軍部からの依頼も少なくないからだ。時にはゲリラや、自動迎撃システムなどと闘いながらデブリなどを回収しなくてはならない。
「今日、連絡なかったでしょ? この何年かで初めて……」
「うん」
そういえば、そうだった。リックやマリカは毎週財団を通じてロッツ氏と連絡をとっているはずで、ジローの知る限りでは毎週必ずあったのだった。
「パパ、この前、しばらく会えないって言ってたの。仕事の都合で……」
なぜだろう。マリカの言うロッツ氏と、自分の保護者のロッツが同じ人物とは思えない。彼女にとっては実の父と同じか、もしかしたらそれ以上に愛情を注いでくれる人物のようだった。
義姉が語るロッツはぶっきらぼうなところはあっても愛娘に愛情を注ぎ、それなりに気を遣ってくれる父親だ。保護者のくせに被保護者に一度も会おうとせず、定型文しか交わさない人とはまるで違う。
「父様が死んじゃって、……パパが迎えに来てくれて。それからずっと……なのにっ」
ぎゅっと握りしめる手。細い指がわずかに震える。ジローが手を伸ばすと、驚いたことに両手ですがるようにして握ってくる。いい香りがさらに近づいてきて、困惑気味に目をそらすジローの肩に、柔らかく暖かい身体が体重を預けてくる。
肩が震え、かすかな嗚咽が鼓膜につたわってくる。義姉の母親は早くに亡くなり、ロッツ氏の部下だった父親が一人で育てた。そう聞いている。かなりの資産家だったらしく、彼女は金銭的には何不自由ない生活を送っているが、家族の存在は大きかったらしい。
父親を事故で失って途方に暮れているところに現れた軍人がさまざまな手続を全部してくれ、自分のもとに引き取ったのだそうだ。
「父様の遺言だっていってたけど、パパはすごく優しくしてくれて……」
当時はまだ財団は存在せず、ロッツ氏の自宅には数人の子供が集められて共同生活をしていたそうだ。数年後に財団が設立されてからはロッツ氏は子供たちのサポートを財団に移していった。マリカやリックはその一期生のような感じらしい。
(そんな人が、ぼくには会ってくれさえしないんだからなあ)
複雑な表情をしているのが、金髪娘にはわかってしまったらしい。こわばった微笑みを浮かべながらも、まつげに涙がたまっている。
「ごめん。ジローにとってはいい人じゃないんだよね、パパは」
「うん。残念だけど。そうだな。やっぱり、ぼくは好きにはなれそうにない」
今はもう、好き嫌いを通り過ぎてしまって、関わりを持ちたくないとすら思う。
「わかってる。それはパパが悪いんだわ。ジローが悪いんじゃないもの」
服の袖をつかまれた。そのまましがみついてくる。普段なら邪魔などといって突き放すのが二人の関係だったけれど、今日は違った。
(あれ? マリカって、意外と小さい?)
女性としては長身で、背の高さそのものはジローとあまり変わらないけれど、やはり骨格が違うのだろう。体重を預けてくる義姉は普段からは考えられないほどに小さくて、そして細くて対応に困る。
(体温低いとか言ってるくせに、温かいんだよなあ……)
怒らせるとあんなに強くて怖いのに、こうしていると折れてしまいそうに細く頼りない感じがする。
肩を震わせるマリカだけれど、声は決して出さない。その嗚咽は誰にも聞こえない。金髪の義姉が泣くところを、少年は今まで見たことがない。だから、今隣にいる少女が泣いているのはわかるけれど、どう対応していいのかわからなかった。
「紙、つかう?」
「……うん」
差し出した紙を、細く優美な指が受け取る。涙をぬぐい、鼻に押し当てる。
「警告しておくから。今の私の顔、見ない方がいいわよ」
ちょっとだけ声も震えている。普段はあれほど強気で高慢な彼女も、父親の危機にはこれほど脆いのは、少年にとっては大きな驚きだった。
「見るとどうなるの? やっぱり殴られるの?」
「そんなことしないわよ。きっと、幻滅するから」
察した少年がもう一枚紙を差し出すと無言でほっそりとした手が受け取った。かすかな水音がして、腕にかかる圧力と接触する面積と、そして体温と柔らかさが変化した。
「幻滅するような関係じゃないでしょ。家族だもん」
「……ん、そうね。ありがと、ジロー」
結局、マリカは泣き顔を直接見せようとはしなかったけれど、リックが夜の鍛錬から帰ってくる直前まで義弟の腕にしがみついていた。
彼女の予感は当たった。その日以降、ロッツ氏から連絡が来ることはなくて。マリカはどんどん沈んで行ったけれど、家の外ではいつも通りふるまっていた。
「いよいよか。ついにオレたちの番なんだな」
「あんまり気負うなよ、タカシ。操縦は交代なんだからな」
「わかってる。でも、ジローたって興奮するだろ、これは」
「まあな。シミュレーションでも自動でもない、マニュアルだからな」
訓練施設の小型宇宙船の操縦席で、二人並んだ男子学生が目を輝かせている。今日は彼らにとって待ちに待った、手動での操縦訓練だ。
コロニー近傍の宇宙空間で宇宙船が故障したという設定で、手動で推進剤を噴射してコロニーに帰還する、という設定だった。
「うふふっ。二人とも、実習の時だけはマジメというか、熱心だよね」
後ろの座席では動力確保や通信、保健を担当する女生徒たちが笑っている。エレナと、ハセガワというやはり小柄な女生徒だ。
「そうよねー。男子はみんなそうだけど、この二人は特にだね。エレナ」
「うん。ジロー君が寝ない授業って、少ないもんね」
「ちぇっ。どうせ、オレはほかに取り柄がありませんよ」
両手を広げてお手上げのポーズをしてみせるジローにタカシが笑いかける。
「くさるなよ。ジローは実技だけはいいんだからさ」
「実技だけって強調するなよっ。タカシには武士の情けというものはないのか」
「……五番艇、私語は慎むように」
「「「はーい」」」
さすがに見かねたのか、教師の声が割り込んでくる。今日は高校の選択科目である宇宙船の実習の日だ。
アシタカの人々にとって、宇宙船は地上でいう自動車のようなものだ。どこにでもあるといってもいいくらい身近で、扱える人もかなり多い。
実際にアシタカの住人の一割程度は日常的に宇宙船を操縦したり乗船を業務とする立場にあるくらいだ。
大きさとかを問わずに宇宙船免許を持っている、というレベルであれば人口の半分近くにもなるという。そんなだから、アシタカの学校では年少のうちから宇宙船や港湾関連の技能を学習することになっていた。
「さて、常に機械が正常に働くとは限らない。これより、自動機能をオフにする」
画面の中で、ヒガシ教諭の指が動いた瞬間、警告音が鳴り渡った。
ピーッ! ピーッ! ピーッ!
「これが異常事態の際の警告音だ。銀河共通だからな。覚えておけよ。それから……」
指示に従って手動に切り替えると、音が小さくなり、間隔も変化した。
「生徒の宇宙船同士の通信は遮断されている。我々教師との通信は可能だ」
ただし、あまり教師にあれこれ聞いたりしていると減点されてしまう。トラブルへの対処の訓練だからだ。
「それでは、正確に、かつ早く、安全に宇宙船学校の港湾施設を目指すように」
それだけ言うと、通信はプツリと切れてしまった。こちらからの音声や各種情報は教師たちの宇宙船に伝達されている。
「ジャンケン、ポン」
操縦希望の男子生徒二人が古来から変わらない決定方法で順番を決める。
「ちぇー。先攻はジローか」
「先攻も後攻もねーよ。というか、美味しいのは接岸だからなー」
「でも、ジロー君。まずは姿勢から直さないとまずくない?」
エレナが割って入ると、もう一人の女生徒のハセガワも口を挟んだ。彼女たちは最初にハセガワが先で、エレナが後と決めていた。
「そうそう。まずは観測からだよ。どこを基準にするの?」
「うん。自動選択ができないみたいから、太陽と一番近い惑星を基準にしよう」
太陽系の恒星である恒星キタザト、開発コロニーであるアシタカの開発の対象である惑星エッチュウ。この二つを基準にする。この二つの方向と現在の時間がわかれば現在座標もわかるし、惑星の公転軌道の平面を確保できるようになる。目標の公転軌道面を外れないこと。これが星系内航行の基本だ。
「了解。恒星キタザトを第一基準、惑星エッチュウを第二基準に設定します」
ハセガワは宇宙船勤務志望だけあって手際がいい。エレナと同じで小柄だが、こちらは綺麗というよりは可愛い感じの女の子で、それが真面目な表情になっているとなんだか応援したくなる。
エレナは宇宙船勤務医を目指すために、操船の補助ができる程度を目指しているのだそうだ。
「基準設定確認。各軸ベクトルおよび姿勢制御バラメータ算出します」
ジローの指がコンソールを動くと、各軸制御のためのスラスタの噴射時間が計算される。まずは正しい位置と姿勢の確保をしなくてはならない。
「タカシ、パラメータ確認よろしく」
宇宙空間における宇宙船は、通常では自動で軌道平面を基準として姿勢を保つようになっている。しかし、今回の実習ではそれらの自動制御装置が使えない非常時を想定したものだ。訓練艇はすでに平面から外れ、複雑な回転をしてしまっていることが星の見え方から見て取れる。
「確認してるよ。各軸制御噴射バラメータ確認、二次噴射で安定の予定」
「燃料等に問題はなし。三人ともさすがね。私のやることないじゃない」
そういうエレナは船体情報の確認をしている。これはこれで大事な仕事だ。この中には四人の生命維持に関する情報も入っているからだ。
「それでは航路軸設定エッチュウで補正噴射、一次噴射開始。タカシ?」
「おう。各ノズル正常噴射確認。噴射時間オーケー。ハセガワ、補正値確認よろしく」
「補正値確認、問題ありません。エレナ、艇体情報に変化は?」
「艇体情報、予想の範囲内。ジロー君、二次噴射オーケーです」
四人の役割は、船長、副長、情報担当、機関等担当といった感じになっている。すでに何回か組んでいることもあり、息のあいかたもまあまあだ。いち早く軌道平面への復帰を果たしたジローたちは顔を見合わせた。
「もしかして、一番とれるかな?」
「もちろん、ねらうさ」
実際には正確さが重視されるため、目的となる繋留設備への接続の時間の早さは制限時間内であれば得点にはならない。だが、やはりそこは男の子。ジローとタカシが顔を見合わせた瞬間、ほとんど同時に二つの情報が交錯した。
「ジロー君、避けてっ。ぶつかっちゃう!」
エレナの悲鳴と同時に警告音が響き、その直後にきょとんとしていたハセガワが目を丸くして叫んだ
「後方から三号艇接近! ほぼ同軸で早い! ええと、百六十秒くらいで接触っ!」
「ばっきゃろ、三号艇、何してるっ!」
当たり前だが、宇宙船は接近にはシビアだ。船体の大きさにより違いはあるが、占有空間への侵入は衝突とみなされ、重大な警告や排除を受ける可能性もある。
「せ、先生っ、これっ」
「わかってるっ。三号艇の連中が調子に乗ってフカシすぎたんだっ!」
(三号艇、制御不能ですっ)
(まず落ち着けっ。減速装置の点検だっ)
あわてて教師たちに通信をつないだが、パニックを起こしている三号艇の状況がわかるだけで、対応策は指示されない。その間にも後方から同型の小型の訓練艇が近づいてくる。
「なあ、ジロー。三号艇ヤバくないか?」
「なんか制御不能警告とか聞こえたな、今」
「ちょ、ちょっとやめてよ、二人とも……ハセガワさん?」
「う、うん。計算終わったけど……占有空間警告、やっぱ出てる」
少年のような短髪にメガネが可愛いハセガワのおでこに汗が浮かんでいる。宇宙船には全て安全を確保するための占有空間情報があり、一定以上の接近が予想される場合は、相互に警告が出る。
「くそっ。タカシ、計算っ! 20、5、5でいけるか!?」
細かい数値を入力しているヒマはない。頭の中で、回避できる方向ベクトルだけをざっと確認する。
「お、おおっ。た、多分……いけそうっ」
すでにお互いの占有空間に侵入するのは確実で、衝突の可能性も決して低くない状況になっている。
「だめよっ。二人とも、プラス10.04、マイナス5.21、マイナス3.09でお願いっ」
「だめよ、エレナ、それじゃぶつかるかもっ」
ハセガワはジローと同様の計算をしようとしていらしく、エレナの示した数値の異常さに気づいたらしい。だが、エレナはいつもの彼女らしくもない激しさで叫んだ。
「いいからぶつけるのよっ! だって、このままじゃ……」
エレナ以外の三人が目の前の画面を確認する。表示エリアを切り替えると、全貌に大きな輝点が表示される。そこにつながる赤い点線と、緑の点線が同時に表示される。
「お、おい、これって……衝突コースか? アレに?」
赤い点線は、十分回避可能だがこのままでは占有空間に干渉することを意味している。
「そうよ。アレにぶつかるのよ。本国からの物資運搬船に!」
前方の軌道面にあるのは大型の無人運搬船。そして、訓練艇の性能では十分な方向転換ができずに、異常接近ないし衝突の可能性が示唆されていた。
(ただでさえ、こんな小さな訓練艇同士でもぶつかるかもしれないくらいだ)
大型の無人輸送船は有人船に対して被害を出さないために艇体の分割、切り離しをするかもしれない。その場合、訓練艇の生徒達に対処できる状況ではない。そう思う。最悪の場合、複数の訓練艇が操船不能状態になるかもしれない。
「……やるぞ、タカシ。全員、ベルト再確認! 」
爆発ボルトでのキャビンの射出は、当たり前だが衝撃が大きい。小型船のコックピット部分には義務づけられている装備だが、子供や老人は予め姿勢を整えていることが推薦されている。
「マジかよ。ハセガワ、エレナ、補正値いつでも出せるようにしてくれよ」
男子生徒二人が手動操作画面を出し、いくつもの警告を解除していく。
「馬鹿者、五号艇、何してるっ! 自動に切り替え……や、やめろっ、おいっ!」
指導官の教師が悲鳴にも似た声を上げる。マニュアルに切り替えた訓練艇が本来選択するべき回避経路の反対、衝突コースへと移動する。
「うわ、マジ衝突コース。大破モノじゃない?」
タカシが顔を引きつらせて同乗者を見渡した。同様に顔を引きつらせているジローが画面を指さして解説する。
「いや、多分こっちの船体がクッションになるから、向こうは大丈夫というか……」
「こっちは大丈夫じゃないじゃん!」
「はあ……最悪、キャビンを射出、ね」
やはり警告を解除しながら、手動での脱出機能をアクティブにするハセガワの顔からも血の気が引いている。ただの実習なのに、なんでこんなことに、という表情だ。
「うう。ごめんないっ。でも、ほっといたらっ」
「「「わかってるっ」」」
エレナの泣きそうな声に、全員の返事がハモっていた。大型運搬船が船体コンテナの非常分離をしたりすれば、惑星開発に大きな遅れが出るばかりか、分離したコンテナの確認や回収にも天文学的なコストがかかるだろう。そして、何より、同級生たちの訓練艇が今以上の危機にさらされる可能性もある。
誰もエレナを責めるつもりはない。彼らが通っているのは開発コロニー唯一の、技術者を育てるための学校で、惑星エッチュウの開発はコロニーの住民全員の願いだ。その仲間の安全を守る、というのも幼い頃からたたき込まれている。
「エレナちゃん、大丈夫。おれも知ってる。あの事件とそっくりなんだな、これ」
「うん。多分、うまくいくと思うから、そんな顔しちゃダメよ、エレナ」
そう言われて、ジローも思い出した。同型宇宙船同士の体当たりで進路をズラしてより大きな事故を防いだ例は、実はいくつかある。ただ、それらはもうちょっと時間をかけて、いろいろ検討をした結果であって、こんなにいきなりのことではなかったはずだ。
「うまくいけば、というか、うまくいくはずだよな、この進路なら……」
ジローも手元の画面で何度も確認する。こちらの推進器には大きなダメージがあるが、三号艇は減速し、衝突コースを回避する。こちらの宇宙船は衝撃で加速するが、やはり輸送船との衝突コースには入らない。はすだ。
「まだちゃんとした免許もないのに、いきなり射出かよ。赤点かなー」
「高志、ボヤくな。みんな一緒だ」
「ううっ。みんな、ごめん……」
エレナが目に涙を浮かべながら手を握ったり開いたりしている。当たり前だがひどく緊張している様子なのをなんとかしてやりたいと思うが、今はシートベルトにガッチリと固定されていて、立つこともできない状態だ。
「でも、すげえな。この設定なら、三号艇もほとんど損害なしだぜ」
「こっちは推進器オシャカで補習決定だけど、運搬船は無事のはず……か」
先ほどのエレナの出した設定はドンピシャリという感じで被害を最小化できそうなポイントを示している。
「後部ノズルへの燃料、遮断するよ?」
「ハセガワさん、お願い。燃料が漏れたり、着火したら厄介だもんな」
位置を合わせたあとの四人は緊張で口の中を乾くのを感じながら衝撃のくるのを待っていた。
「あと四十秒、三十秒……あら?……三号艇、逆噴射……併走状態に移行」
衝撃に備えて肘掛けを掴んでいたハセガワが大きな丸い目をさらに大きく見開いた。信じられない、といった表情だ。
「は、ははっ。先生たちの遠隔の逆噴射、間に合ったんだ……よかった……」
タカシがぐったりとうなだれながら制御盤の上で拳を握りしめていた。息をつめて画面上の数字を見守っていた四人は身体から力を抜き、大きく息をついたのだった。
「ばかもんっっ! 君たちの安全を考えていないとでも思ったかっっ!」
結局発端になった三号艇とジローたちの五号艇はどちらも不合格となりと、補習としてもう一度同じ実習をすることになってしまった。
四人が肩をすくめる上からの怒声は一度だけだった。こわごわ目線を上げた教官たちの目が笑っている。もっと信用しろ、と教官達が肩をすくめてみせた。
「まあ、試験は不合格だが、プラス評価になる行動もあったしな。補習と再試験だ」
実際に同様の体当たりでより大きな事故を防いだ前例があり、それから一時期、宇宙船にバンパー構造を装備するのが流行ったらしい。皆がそれを知っていたのが大きかった。
不完全ながらも咄嗟に概算を入れて計算しようとしたジロー、安全確保のためにキャビンの射出までセットしていたハセガワもプラスの評価をもらえることになった。
「本来は生徒には秘密なんだが、試験艇の性能はずっと高いのさ」
生徒達に与えられていた情報では衝突不可避と出ていても、実際にはもっと接近してからも回避できたらしい。三号艇の制御不能は司令船の教師たちが制御を掴んだからだそうで、むしろジローたちの行動の方が予想外のトラブルになりかねなかった、という状況らしい。
「……納得しました。我々が軽率でした」
もしかしたら、自分たちの操作で教官達の遠隔操作の足をひっぱってしまった可能性もあった。だとすれば、進路変更はただの命令違反だったわけだ。
ジローとエレナが深々と頭を下げるのにも教官達が手で制止する。
「君たちが使う場合は本来の半分以下の性能しか出ないからね。与えられた情報を考えれば間違いだけじゃないさ」
「それでは、補習ではしっかりと本来のやりかたでやってくれたまえ」
結局ほぼ無罪放免となったジローたちだが、三号艇の同級生たちは適正評価を大きく下げられ、その上で補習となってしまったらしい。多少気の毒であるけれど、やむをえない。
しでかしちゃったけど、無罪放免。
いや、実際にはあったら困るけど。体当たり事故回避。




