夢とゲンジツ
エロコメから始まって
いい夢ではないというか、少年の見るものでいい夢は滅多にない。夢の内容の大筋はだいたい決まっている。ストーリーとかではなく、仕様が決まっているという感じだ。カタログを見ているように定型的な悪夢。
あの瞬間は目にもとまらなかったリックの動き。それがなぜか、夢の中ではびっくりするほどにゆっくりしていた。高速度撮影のひとコマ送りのようなスローモーションの中、リックと自分が相対しているのが客観的に見てとれる。
(やっぱり、リックはすごい。こんな動き、とてもできないや)
正直、医者よりも兵隊のほうが向いているんではないかと思えるキレのある動き。本気だったら後頭部から地面にたたき付けられて意識を失っていただろう。それを少年の受け身のできる程度に速度を押さえ、背中から落ちるように調節している。
これは夢。現実感がない、ふわふわした感覚でそれがわかる。まるで動画撮影をしているような位置関係、お互いの動きがわかるような、自分ではない一歩引いた視点。こんな映像が見られるのは夢の中だけのはずだ。
ふっとある一瞬に集中した。足を崩される直前に伸びきった腕をとられている。
(でも、この少し前、腕をとられる時にこう動けば?)
腕が伸びきる前に、ひねりを加えていればリックに掴まることはなかったはず。そして、たとえ足を払われていたとしても、転び方と、倒れ込む場所をコントロールできたはず。
(いや、不可能だろ。どんなスピードだよ)
ジローにはとても無理な反応速度と技術。それがあれば電光のようなリックの動きにも対応できる。それだけはわかる。自分に無理なことを除けば。
なんでそんなことが理解できるのか、少年自身にはさっぱりわからない。夢の中ならではの理不尽さだ。結果はあるけど、理由はない。
マリカとの対峙でも同じだった。信じられないほとのバネと関節の柔らかさを生かした、軌道の変化するキック。その変化する範囲が夢の中でだけはわかる。その範囲にいないか、その範囲を狭めれば対応できる。マリカはリックほどには体重や身長がないから、組み付いてしまえばあのキックは怖くはない。加速させなければ、あの死ぬほど痛い衝撃は発生しないのだから。
(ま、まあ。マリカの蹴りは痛いだけだから)
といいつつ、キックのいくつかがピックアップされる。わずかにタイミングが遅れた数発は急所をわざと外していた。慎重な、少年の耐えられる痛さの最大値を狙った攻撃だ。愛情深い義姉のさすがの技術だった。
(仮に近づいても、捕まえる前に逃げられるか、逆にやられちゃうしなあ)
素晴らしい柔軟性と速度で金髪の美少女が接近戦に来たシミュレーションが行われる。一定以上に近づけば膝蹴りにショートアッパー。リックやマリカなら、ワン・インチ・パンチだってできそうだと正直思う。
そして掴まった場合は、関節を外される。動物の関節は一定以内の範囲で動くことを想定して進化しており、特定の角度では強度がある一方、別の角度では驚くほどにもろい。
(結論。……どちらとやっても、本気ならほぼ瞬殺される、と)
いつも通りの結果。それにしても、元兵士のリックはわかるにしても、なぜ虚弱体質のはずのマリカがあれほど強いのか。やはり虚弱体質詐欺である。
問題はそれからだった。リックやマリカは、夢の中でも圧倒的に強い。だが、そうでない登場人物は信じられないほどにもろいことだった。道を行くサラリーマンは、後ろからなら一瞬で肩関節を破壊できるだろう。
同級生程度なら、隙を探す必要すらない。相手の表情が驚愕から恐怖に変わる前に頭を地面にたたき付け、痛みすら感じる前に無力化できる。
(来るな、高志! 近づいちゃいけないっ──)
級友にして悪友。クラス内のバカ担当であり、つきあいのあまりよくないジローをいじってくれる貴重なクラスメイトはあまりに無防備だった。
一、膝に正面からのキックで足を破壊。二、相手が悲鳴を上げることすらできないように腹部に一撃。肺から空気を叩き出す。三、すでに抵抗力を失った高志の顔にようやく苦痛と恐怖が浮かんだ瞬間には、彼の後頭部が地面にたたき付けられている。四──。
(だめだっ! 殺すな! 高志は、高志は友達なんだ! 殺したら──!)
これは夢だ。そうわかっていても、戦慄を禁じ得ない。夢の中のジローは躊躇なく他者に攻撃をしかけ、その生命を、誇りを、尊厳を奪うことをなんとも思わない存在だ。
それは怒りも、使命感すらもなく、ただ道ばたの石ころを蹴飛ばすように、ドアをくぐるように他者に攻撃をしかける制御不可能な怪物だった。
そんな夢を見た朝の目覚めは最悪だ。頭が痛い。それもかなり。自分でも神経質になっていて、怒りっぽくなっているのがわかる。
リックが出してくれるクスリのおかげですぐによくなるけれど、一生飲み続ける可能性を考えると、ちょっと凹む。
アラームを発し続ける時計を軽く押さえて警告音を停止する。パジャマを脱ぎ、シャツと靴下、学生服を確認する。とりあえずはシャツまで身につければOKだ。
廊下の向かいの部屋の扉に向かうジローは、大きく深呼吸した。
「おーい。マリカ-。マリカお姉様。朝ですぞ。朝、アサーッ!」
だんだん声を大きくするが、反応がない。作戦は第二段階に移行する。扉には鍵はかかっていない。自分一人では起きられないことを部屋の主はよく知っているからだ。一人用には大きすぎる、ダブルのベッドのど真ん中で金髪の少女は眠っていた。低血圧気味とかで、もともと寝起きが悪いのだが、今日はまったく反応がない。外からはわからないが、真ん中でシーツをかぶって丸くなっているのがマリカで間違いないだろう。
「ちゃんと目覚まし鳴ってるじゃん。相変わらず意味ねーなー」
古風な目覚まし時計の華やかな音色が何度も繰り返されている。強弱おりまぜて、聞くものに目覚めを強制しようとしてくるのを、姉貴分の少女はまったく無視している。
マリカは睡眠体質だ。ほおって置けば何日も眠っていそうなくらいだ。本人曰く。冬眠だそうである。謎体質だ。
「気持ちよくお休みのところ悪いけど、起こしちゃいますよー」
棒読みでベッドの上を確認したジローの口元に悪い笑みが浮かんだ。シーツを巻き込むようにしてくるまっているマリカを食卓に連れ出すのは少年の任務だ。すーすーと規則正しい寝息を確認すると、シーツの端を手に取った。
(うん。ぼくにいい考えがある)
クラスの男子のバカ騒ぎにつきあうときの、ちょっと躁が入ったような独特なノリを感じた。普段は強く、高慢なマリカの鼻を明かせると思うとちょっとくらいのリスクは負えるような気がしてきた。
「それじゃあ、お姉様。朝食に向かいましょうか-。失礼いたしますー」
ぐいぐいぎゅっ。きゅっきゅっ。布地がこすれあう音。みるみるうちに金髪美少女(笑)のシーツ包みが完成した。いかに化け物じみた強さを誇る義姉といえども、シーツの中にくるみ込まれては身動きがとれないだろう。
(ふっふっふ。驚くがいい、マリカ! 笑ってやるぜっ)
ぐいっと持ち上げた瞬間、さすがに気づいたらしい少女がみじろぎした。
「ふにゃ……?」
ほくそ笑むジローが担ぎ上げた瞬間、マリカの悲鳴があがった。
「な、なによ、これっ。何も見えないっ。きゃあっ、きゃああっ」
「あー、そのままでいいよ。このまま一階まで運んでいくから……ぎゅぶうっ!?」
どうやって構え、どうやって繰り出したかすらわからないパンチが的確に少年の顎を捉えた。視界が揺れ、バランスが崩れる。
「ちょ、この状態で、待っ……」
「待たないわよ。バカッ! すぐに下ろしなさいっ。えいっ」
げしっ。先ほどの一撃でお互いの姿勢を把握したのか、さらに的確な一撃が入る。
「ぐはぁっ。か、階段で……うわわわわわっ」
ガタガダガタッ──!
あたりまえのように階段で転び、そのまま滑り落ちる。かろうじてマリカが下敷きにならないようにはするものの、二人分の重量と連続的な痛みと衝撃に意識が遠くなる。
「おいおい、おまえら、朝っぱらから何をじゃれてるんだ?」
朝食の準備をしながらリックが呆れた顔で大きく肩をすくめた。シーツの結び目がほどけたのか、ネグリジェにシーツの布地がまとわりついたあられもない姿のマリカが目をつり上がらせる。怒り狂った猫のように産毛が逆立っていた。
「じゃれてないかいないわよっ。ジローが悪いんだからっ!」
見ようによっては実に刺激的な姿の金髪の美少女が怒気も露わにし、その下では少年がじたばたともがいている。
「マリカが時間になっても起きないからだろっ。ぼくは親切で──!」
「ちょ、動かないでよ……きゃあっ、きゃあああっ! こ、この変態っっ」
悲鳴と同時に、むにゅむにゅと柔らかく弾力のある感触がジローの上で暴れる。それが何かは言うまでもない。マリカはミス・パーフェクト、などと言われるだけあって、身体の発達も実に見事なのである。
例えば胸。ふっくらと盛り上がる、お椀型の形のよい胸は、同時にボリューム感を両立していて、寝間着の薄い生地からぽっちりと持ち上がる可憐なつぼみがわかってしまうほどに二人は密着していた。
「離れなさいよっ、このっ、このおっっ」
絡みついたシーツの一部を切り裂いて、ようやくマリカが身体を起こす。真っ白な、雪白の太腿に腰を挟まれるのか実に気持ちいいが、格闘技で圧倒的なスキルを持つマリカにマウントを取られるというのは、かなりヤバい。背筋が寒くなるジローだったが、布地の拘束力が予想外に強く、義姉がジローの上に再び倒れ込んでしまう。
「うわっ。危ないっ。無理するなよっ」
あやうく家族とキスしそうになった二人が瞬間的に硬直し、同時にそっぽをむいた。
「このバカっ、変態っ。エロガキっ」
至近距離からの、脳みそを高速振動させる目にもとまらない往復ビンタ。
「い、痛いっ。わざとじゃないっ。シーツが絡まって、痛うううっ」
「この私を巾着みたいにして、どの口が言うかっ。このっ、このっ」
結局、一部破れたりしてさらに複雑に絡まったシーツをハサミで切り裂くまで二人は密着したままだった。
「ははは。朝から大惨事、お疲れさん。さっさとメシ食わないと、遅刻だぜ」
リックがすごくいい笑顔で絡まったシーツを切り開いていくと、ようやく二人を密着させる布地の拘束力が弱まってくる。さすがにおとなしくしているマリカだったが、胸元を押さえながら肩を震わせている。
「く、屈辱だわっ。こんな、こんなのっ」
ぷるぷると、しなやかな腕の、滑らかな白い肌の下で、柔軟性と瞬発力に優れた筋肉が震えている。正直、生きた心地がしないのだが、身体は正直だった。若いオスの本能が、異性の体臭と感触に思い切り反応している。
(しまった……マリカ、寝間着の下はパンツだけかよっ。あたりまえだけどっ)
今更ながら、少年は自分のうかつさを呪った。マリカが相手なら大丈夫だろうと思っていたが、全然大丈夫じゃない。いい匂いがするし、柔らかいし、意外と暖かい。それが自分の身体に、シーツの残骸で縛り付けられている。
(まずい。すっげーすべすべしてるのが、ズボンごしに伝わってくる)
思春期の春の意味を考えれば、無理からぬことかもしれない。男のコというのは、そういもものだ。身体の一部はあまりに過敏に反応してしまうのであって。
「…………ちょ、ちょっとあんた……!」
マリカのちょっと尖った耳が金髪の波の間で赤く染まっていくのを、少年は確かに見た。
「ごめん。ほんっとーにごめん。もうしない。絶対しないっ。いだだただっ」
「当たり前だわ。次があったら……あんたの存在を抹消してやるんだからっ!」
太腿を思い切りつねり上げる金髪娘がかすかに涙を浮かべているのを隠すように、リックの腕が少年の視線を遮っていた。
「あんた、昨日の夜薬飲み忘れたでしょう。ちゃんとしないとそのうち死ぬわよ?」
「ひいいっ。そのとおりですっ。ごめんなさいっ。気をつけますううっ」
薬を飲み忘れると、大抵よくない夢を見る。夢の中では、周囲の人全てが敵だった。そこで少年は必死に逃げ続ける。相手は知人のときもあった。追い詰められたら戦わなくてはならない。そうならないように必死に逃げる。
特に嫌なのは夢の中の自分が冷酷な殺戮者であることだ。相手をいかに効率的に戦闘不能にするかを知っている。一撃で殺さなくてもいい。腹部に銃弾を打ち込む。関節を破壊する。その方法を知っている。
もちろん実際の少年の技量はゼロだから無理だけれど、夢の中のジローは油断なく相手の隙を伺い、可能ならば実行しようとする。吐き気を催すような容赦ない、残忍な攻撃者だ。
(やっぱ……頭、痛い──)
今の少年なら、自分が大量殺人犯の生まれ変わりだと言われても信じてしまったかもしれない。それほどに、あの夢は生々しかった。
「新たに遺伝子保護法を制定した星系は以下の通り三カ国、四星系で……」
ニュース映像が壁面に映し出されているのを、マリカが面白くなさそうに見つめている。
「また民族大移動が起こるわね。まったくもう……」
輝きのある金髪に指をからめながら顔をしかめる少女は一緒に画面を眺めている男たちに視線を移す。二人ともやれやれといった表情で肩をすくめて見せる。
「そのうち、脱出した人たちが集まって独立国家とか作りそうだなあ」
「そういう動きは実際にあるみたいだぜ」
この家の三人には他人事ではない。財団の保護する子供達のかなりは遺伝子保護法の適用対象者で、制定された星系国家では差別的待遇を受けることになるからだ。
特殊遺伝子保持者。そんな言葉がある。特定の形質の遺伝をコントロールしようとする遺伝子保護法による被害者といっていいだろう。
ずいぶん昔に、特に宇宙開発初期には寿命が長いとか、耐久力、筋力等に優れるとかいろいろな形質を持った人類を生みだし、宇宙開発の前線を担ってもらうという計画があったのだそうだ。
その流れは実用化された超空間航路により断ち切られたが、いったん産まれた血筋は無くならず、今も続いている。遺伝子保護法はそういった血筋の形質、またそうでない形質をそれぞれ保護するためとして、届出、登録とともに特定遺伝子保持者に対して遺伝子の継承と散逸の防止を義務づけている。
「自由に恋愛、結婚、出産ができないんだもの。逃げ出すのも当然よね」
「そりゃそうだ。オレたちだってごめんだよ」
遺伝子保護法は差別につながるとして大きな反対派を持つ一方で、特殊な状況などで働ける人材の確保など一定の効果も残している。それでも、遺伝子保護法が成立した星系から脱出しようとする人々は一定数おり、遺伝子難民、遺伝子移民といった言葉を生み出していた。
「病気じゃないから遺伝子治療の対象にならないとかいうしなあ」
「財団」はそういった遺伝子を持つ部下を多く持ったロッツ氏が、その子女を守り育てるために作ったものだそうだ。そのため、財団の保護下にある多くの子供達は特定遺伝子保持者に該当する。
各国家の連合体である星間連合自体は遺伝子保護法に対して批判的だが、それぞれの星系国家の主権への干渉はしないことから、特に民族色の強い星系などでは制定されることが多かった。
ジロー自身は自分の遺伝子の特殊性の内容は知らされていない。よほどのことがないかぎり、成人年齢までは知らされないからだ。
自分の頭痛や夢がただの病気なのか、遺伝的特性によるものなのか。あの夢からは判断がつかないジローたった。
(マリカやリックもそうなのかなあ。だとしたらどんな力があるんだろう)
特定遺伝子保持者の持つ特性は様々で、高重力に耐える身体能力であったり、通常空間での宇宙旅行に備えた長命種などいろいろだ。それらの遺伝子は人類の共通財産と主張されるが、それによって実際に差別される人たちは猛反発している。
「そういえば、アシタカの本国のフジシロ星系では遺伝子保護法の動きってないの?」
少年の素朴な疑問に、年長の二人は目を見合わせる。
「うん。あるけどすごいソフトだな」
「義務づけられているのは登録および結婚、出産に関しての検査だけなのよ」
リックたちの話によれば産まれる子供に異常が生じる場合が高い場合を考え、国民全員に対して結婚前の検査が義務づけられているということだ。子供に問題が発生する場合は遺伝子治療が勧告されるらしい。
さらに、特保者(特定遺伝子保持者のこと)の登録は推薦であって、義務化はされていない。登録していると結婚や遺伝子治療をする際に補助が出るそうだ。
(子孫への影響か。祖先とか子孫とかいっても、実感わかないよなあ)
ロッツ氏自身が戦争孤児の出身で、ロッツという姓も彼を養子にした人物のものなのだそうだ。ジローもまた紛争地域で財団に見いだされた子供だったし、そのせいか家族の存在すらわからない。保護者であるロッツ氏すらが会おうとしないくらいだし、普通に探しても難しいだろう。
(実の両親とかも死んでる可能性は高いだろうけど、親族くらいなら……)
多少とも、自分とルーツを同じくする人々には会ってみたい気がする。ジローにとって血縁と出会う旅は数少ないやってみたいことの一つだった。
「それじゃあ、結果を返すぞー。端末確認しとけよー」
教師の棒読みのセリフとともに、手元の端末に小テストの結果がかえってきた。おおよそ、いつも通りの点数だ。チラリと横目で隣の机を見ると、小柄な少女と視線があった。二人とも不敵な笑みを浮かべると同時に端末を相手に向ける。
「あ……また負けたかあ」
「あー、ジロー君、ズルい。ほとんど同じ点数じゃない」
エレナがぷくっと頬をふくらませて不満そうな表情を見せる。こうしていると、本当に小学生のようだ。
「同じ点数でなんでズルいんだよ」
「あたしはちゃんと勉強してるけど、ジロー君はしてないでしょ」
「そ、それってズルいのかっ」
だいたい、期末とか大きな試験ではだいたいエレナの方がいい点を取る。彼女がしっかりと復習をし、また試験対策の勉強もしているからだ。
「勉強しないでその点数なんだもん。やっぱりズルいよ」
「そうかな」
「そうだよー」
いつもの会話だけれど、そろそろ進路のことも話題になる時期のせいか感じるものがある。だが、近くによってきた同級生が訳知り顔でウンウンと頷くのはちょっと腹がたつ。
「高志は勉強とかしないよな、同士だもの」
「誰が同士だっ。ちょっとだけど、始めてるぞ。港湾管理者の資格とか」
ぐっ、とジローがうめくのを、同級生はニヤリと笑う。しかも、知的キャラ風のメガネ直しジェスチャーまで披露してくれるのには少し殺意を感じる。
「波川君はそっちの方なんだあ。お父さんと一緒の仕事だっけ?」
「ああ。規定で同じ場所にはつとめられないけど、隣の港湾施設とかならね」
たまたま社会見学時に事故の応対をすることになった波川監督は、当時の子供たちのヒーローだった。確かに、てきばきと現場に指示を出して応対していく様子は子供心にグッとくるものがあったのは事実だった。
「くっ、くそっ。高志。君だけは信じていたのにっ」
「いや、そんな信頼いらねーから」
「だよねー」
当たり前だが、こんな状態で味方などほとんどいるわけがない。ましてや、ここは開拓最前線の街で、学生のほぼ全員が将来に夢を持てる環境だ。
惑星開発のための技術や知識は、普通に地上や港湾設備などでも役に立つ。将来は技能を使って首都であるフジシロ星系や大国の多い中央星域に進出してみたいという学生も少なくなかった。
(そうだよな。ここなら、まじめにやりさえすれば、何かになれる……)
その何かが、少年には見つからない。ピンと来ない。考えてみれば、将来の夢というのもよくわからない。いや、もともとなかったのかもしれない。少年には、マリカやリックと会う前の記憶がほとんどないからだ。
(何になればいい? ぼくには親はいない。憧れる職業もない)
いや、あった。小学生のころ、覚えている限りの古い記憶では宇宙船乗りになりたかったはずだ。初めて乗る宇宙船でこのアシタカに向かいながら、まだ幼いジローは宇宙船に乗って旅をすると、熱っぽくリックやマリカに語ったのだ。
(きっとなれるわ。あんたが思うなら)
あのときマリカはそう微笑んでジローの手を引いてくれた。それなのに、ここにいるのは夢もなく、ただ生きて学校に通っているだけの空虚な学生が一人だ。
今の少年が持っている資格は港湾周辺での小型宇宙船の運転などだ。結局宇宙船に関係する仕事に近づいているのは確かだった。
(確か、資格としては一年でコロニー周辺に、三年で惑星圏までだったよな……)
宇宙船はそのスペックも必要なする資格も様々にわかれているが、大きく区別して恒星間を移動するための超空間航行船と、それ以外の宇宙船となる。超空間航行船はそうでない船に比べて大きく資格の難易度が大きく上がる。
(普通の人間では、操縦するのはなあ……)
コロニーでは隣の都市も宇宙にあるのが当たり前なので比較的宇宙船についてはハードルが低いが、それでも超空間航行を可能とする外洋船は遙か向こうの世界だった。
「ちょっと、大丈夫? ジロー君?」
「い、いや。何でもないよ。高志の勉強発言にショックを受けていただけさ」
「バカ言ってんなよ。おまえだって、いざとなればやるにきまってんだからさ」
「お、おう。高志だけには負けられないからな」
「ちぇっ。言ってろよ。それじゃあ、またな」
級友が手を振って去っていくのを、ジローは羨望を込めて見つめる。机の上に顎を乗せてバカっぽいポーズをとりながら。隣でエレナがどんな表情をしているかはわかっている。不安そうな、心配そうな顔。
(しばらくは、この姿勢を解くわけにはいかなそうだなあ)
幼馴染みの少女の不安そうなところなど見たくもない。なんとか話題が変わるまでは視線を合わせられそうになかった。
放課後。ジローは港湾ブロックの外周にいた。本国からの直行便が来る日は、マリカはここで船を見ている。ロッツ氏の側近であるミリア女史はフジシロ星系からの直行便にしか乗らないからだ。彼からの荷物も、この便でしか届かない。
今日はゲート近くの待合スペースで彼女と合流して帰路につく予定だった。
(ロッツ氏は、みんなには優しいらしいんだよなあ……)
なぜかわからないが、ジローだけ彼に会ったことがない。十八歳、成人年齢になるまでは会わない、と言われてから何年たつだろう。
(世間的にはすっごく立派な人物なのは確かなんだけどなー。ぼくには……)
金銭的な不自由はないものの、動画どころか画像ひとつですら自分の姿をみせようとしないロッツ氏に、ジローは嫌悪すら覚えている。
小さい頃、会ってお礼をしたいとリックに泣きついていた自分を笑ってやりたい気分だった。
(それでも、マリカにはいい父親……なんだよな。きっと)
義姉はロッツ氏との生活が長かったらしく、彼のことをパパと呼んでいる。実の父親のことはお父様、と呼ぶ。かなりの名士で、財産家だったらしい。
そんな人物がなぜ軍隊に入って、ロッツ氏の同僚だか部下だかになっていたのかジローにはわからない。多分事情があったのだろう。
(それは、リックやマリカを引き合わせてくれたのはロッツ氏だけどさ)
彼らは、元軍人だったロッツの同僚や部下の子供で、ロッツ氏はそうした子供たちを何人かずつ、信頼できる人物に預けて援助しているらしい。
(ロッツさんは、ぼくが嫌いなの?)
昔、リックに聞いたことがある。
(いいや。そんなことはないさ。ロッツさんは、ジローに会うのが怖いのさ)
(そんなのおかしいよ。ぼくは、ロッツさん怖くないよ。嫌いじゃないよ)
そう言い張ったけれど、幼いジローは自分の真の保護者である人物について、ほとんど知らなかった。写真の一枚も見たことがなかったのだ。
リックやマリカは少なくとも一時期は彼と生活をともにしていたそうだ。マリカはパパと呼ぶほどに懐いているし、リックもロッツ氏への敬意を隠そうとしない。でも、ジローにとっては彼は顔も見えない、冷たい無機質な存在に過ぎなかった。
(ぼくは、ロッツさんがキズだらけのお顔でも気にしないよ)
(ぼくは、ロッツさんを嫌いになったりしないから)
小さな男の子は彼なりに必死にアピールした。学校で作ったものを宇宙のどこかにいる保護者に届けて欲しいと、医師としてフジシロ政府に申請したばかりのリックに頼み込んだものだ。
(ジロー。君が成人するまでは会うつもりはないということだ)
何度目かの面会の要請に、リックが悲しそうな表情で答えたときから、少年の世界は灰色になったのかもしれない。
ロッツ氏について調べてみたこともあるが、職業や各種事業の登録情報は参照できても、元軍人だからか信じられないほどに情報が少ない。特に画像はほぼ残っていない。画像のほとんども『秘匿情報』とされて一般人には閲覧できないようになっている。とにかく自分の情報を流さないことを重視している人らしい。
(そんなアヤシイ人物が、ぼくの保護者、か。なんだってんだよ、まったく)
こんなことを思いながら港湾ブロックを進んでいく。まだ空き地がいっぱいだけれど、いくつかの区画ではビルが作られ初めている。惑星開発が本格化したら、船員達のための歓楽街や、大量の宿泊施設が必要だからだ。
この区画では特に輸送のための道路等と人間のための移動道路がしっかりと分離され、それぞれ通路は歩行レイヤー、輸送レイヤーと呼ばれている。
本来コロニーでは当然に完全分離することができて、実際そのためのレイヤー(この場合輸送レイヤーは地下構造)も準備されているのだが、なるべく惑星表面での生活環境を再現するという方針から、アシタカ市では住宅街でも宅配便やバスにトラック、タクシーが通っている。
(日本民族の心象風景をどんな環境でも再現する、か。さすがだよなあ……)
ニッケイの都市や惑星は、農業では必ず稲作を主とし、里山を作り、神社仏閣を作る。そして、わざわざ遠くの星系から「ゴシンタイ・シンボル」を運び込み、四季の折々にお祭りをする。これを銀河のそこかしこで守り続けているのが、ヤマトダマシイらしい。
一応遺伝的には、ジローにもかなりの割合で日本民族の血が流れているのだそうだ。まったく実感はない……のだが、コタツやおモチなどのジャパニーズ・ライフにはあらがいがたい魅力を感じるのも事実だった。
「それはおいておいて、入港管理エリアの中央ゲートに……」
中央ゲート脇の送迎、待合スペース。マリカはいつもここで入港した船の乗客の予約番号をチェックしている。ロッツ氏やその側近のミリアたちは必ず特定の記号を用いるので、すぐにわかるらしい。
(なんだよ、あれ?)
頭の中に疑問符が浮かんだ瞬間には駆けだしていた。二人の女の子が絡まれている気配だ。一緒に行動することの多い、彼がこの世で一番よく知る二人だ。
(マリカとエレナじゃないか!)
すでに客が通過したあとらしく人がほとんどいない、だだっ広い待合スペース。軽薄そうな若い三人組の男が、少女達を囲むようにして話しかけている。ベンチを背にした形になっているため、彼女らの逃げ道はない状態だ。
明らかに制服姿の女の子を囲むのは、このアシタカではありえないマナーだ。ほとんどの住民が技術者や専門職のアシタカ市では治安はかなりよく、少年犯罪も少ない。
(まずいな。多分、船員か……)
停泊中の宇宙船の乗組員だろう。特に物資輸送の船は長距離を厳しい日程で運ぶことがあり、乗員達は新鮮な娯楽に飢えている。そして、治安がよすぎるほどによいアシタカ市では、まだそうした人々への娯楽を提供できるほどの施設が少ないのも事実だった。
「大丈夫。夜までには帰すからさ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
かすかに聞こえてくる声すら、なんという決まり文句。彼らのちょっとが本当に少しですむはずもない。
人類の生活圏を維持するために必須の流通、交通網の担い手である宇宙船乗組員は一般に優遇されている。それだけに増長する者も多かった。
(マリカなら別に助けなくても……なんてことはないよな)
ジローとリック以外に、マリカが実力を行使するのは見たことがない。リックと同じように、目立たないように非暴力に徹するのが外向きの彼女だった。あんなことをしているのが少年相手だったら、すでに気絶すら許されずに悶絶させられているだろう。
「ジロー君!」「あんた、遅いっ!」
二人の表情も言葉も、こんな時まで対照的だ。安心と喜びを浮かべるエレナに対して、むしろ怒りすら浮かべているマリカ。
「ごめんごめん。さっさと帰……」
最後まで言うことすら許されないらしい。いきなり胸元を掴んで吊り上げられた。すごい力で、喉元が締め付けられて声も出ない。
「ごめんな、ボク。俺たちこの女の子たちと話してるから、黙っててくれる?」
腕の太さが尋常ではない。どうしても人力の部分が多い仕事では、やはり筋肉がモノを言う。吊り上げられて一瞬で呼吸ができなくなった少年の顔が苦悶に歪む。
「や、やめてよぉっっ。ジロー君を離してよっ」
ただでさえ大きな目が見開かれる。今にも泣き出しそうな顔。
「それじゃあ、街の案内を頼むよ。ボランティアしてくれるんだろう?」
ガタガタと揺すられたあげくに地上へと下ろされ、げほげほと咳き込む。まるでクレーンのような力を発揮した腕力に、寒気すら感じていた。
「それは案内所に行ってください! ジロー、大丈夫?」
さすがに心配げな表情を浮かべるマリカに頷いて見せながら、男達を見上げる。
「なんだ。まだ何かあるのか、ボク? んー?」
男子高校生が逆らうことなどまったく考えていない、圧倒的な自信。普通ならそうだろう。まともにやってはとてもかなわないだろう。
「二人とも逃げてっ。そして叫んで! 大声を出すんだっ」
ジローが来たことで、三人の男とベンチの間の空間が大きくなっている。マリカがエレナの手を引いて駆け出すのを背にするように、男たちとの間に割ってはいるしかない。
「しまった! 口をふさげ! やっかいなことになるぞっ」
一人目の男がエレナに伸ばす腕を下から突きあげる。バランスを崩した男の足下で身体をかがめると、巨漢は大きくたたらを踏んでかろうじて転倒を避けた。
「ジロー君っ。逃げてっ! 逃げてよぉっ」
「バカっ。助けを呼ぶのよっ。声を出すなら、悲鳴を上げなさいっ!」
エレナの泣き出しそうな声。ひ弱な男子高校生など無視して少女達を追いかけようとするのを、思い切り手を伸ばして男たちの服を掴む。巨体にふさわしい力で、少年の体重もスピードを落とす程度でしかない。
「このガキ!」「離しやがれっ」
優に体重百キログラムを超えるだろう大男たちを止められるとは思っていないが、それでも重りくらいにはなれる。そう思っていた少年の背中に、先ほどバランスを崩した男の腕が伸びていた。
「おらあっ」
気がついた時には世界が一回転していた。フロアに倒れ込んだ衝撃で横隔膜が痙攣し、声にならない悲鳴とともに身をよじらせる。
「ジロー君! ジロー君を助けてっ、マリカさんっ!」
警報が鳴り響くのが、衝撃と苦痛の中で聞こえたと思ったときには、少年の意識は途絶え、痛みを感じない暗く平穏な世界を感じていた。
主人公活躍で終る。フラグ創建中。




