第九十一夜
コカドリーユが飛び去り、その場にはルーセットとヴェガ、リコルヌの三人が残された。
ルーセットはコカドリーユが消え去った方向を一瞥し、リコルヌへ視線を向ける。
「どうやら、コカドリーユは『敵』の下へ向かったようだな」
リコルヌの話を聞いて血相を変えたコカドリーユ。
具体的な名前こそ出さなかったが、その敵の正体を薄々ルーセットも感じ取っていた。
「…ルーガルー」
ヴェガが小さく呟く。
そう、ファミーユを襲った怪物はルーガルーとよく似ていた。
かつてのヌーヴェル=リュンヌの盟主が蘇った。
それならば、ルヴナンを殺す程にヌーヴェル=リュンヌが実力をつけたことも納得できる。
「………」
どうやって蘇ったか、それは重要ではない。
目の前の怪物を否定した所で、命が助かる訳でもない。
現実に被害が出ている以上、対策を考える方が先決。
「…分からないことだらけだと言うのに、敵は待ってくれないらしい」
「え?」
ルーセットの言葉にヴェガが首を傾げた時、周囲から吸血鬼の気配を感じた。
狼座のローブに身を包んだ吸血鬼達。
ヌーヴェル=リュンヌの構成員にして、ヴィエルジの能力で蘇った死者。
意識も理性もない幽鬼が、ルーセット達を取り囲むように姿を現す。
「…数が多いな。一旦、退いた方がいい」
「そうですね。ならリコルヌも近付いて下さい、纏めて転移しますよ」
ヴェガは星屑を纏いながら告げる。
心の整理がついていないリコルヌへも手を向け、全てを星屑が包み込む。
「『ルキゥール』」
星屑に包まれたルーセット達の姿が消える直前、囁くような声が響いた。
何、と驚く暇もなく赤い棘が夜の空を駆ける。
弾丸のような速度で放たれたそれは、狙いが狂うことなく標的を貫いた。
星屑を展開していたヴェガの胸を。
「ッ! ヴェガ!」
ゆっくりと倒れ込むヴェガの身体を支え、ルーセットは叫ぶ。
すぐに棘を引き抜いて、魔力を送って回復を促した。
幸い、棘は心臓から外れており、命に別状はないようだ。
「ルーセット…?」
「はぁ…大丈夫みたいだな」
特に苦しそうな様子もないヴェガに、ルーセットは安堵するように深く息を吐く。
「ちょっとヴェガを見ておいてくれ」
「…分かったよ」
支えていたヴェガの身体をリコルヌの近くに寝かせ、周囲を睨む。
今の襲撃者の声には、聞き覚えがあったからだ。
「その子を心配するなんて、意外と人間臭い所もあるんだな、蝙蝠」
「そうだなァ。少し妬けちまうぜ、ルーセット」
「クリュエル、それにモールか」
リボルバーと杭槍を構えた二人の姿を見て、ルーセットは警戒を強める。
周囲を取り囲まれた上に、生半可な実力ではない吸血鬼が二人。
状況から察するに、この二人もヌーヴェル=リュンヌに加わったのだろう。
最悪の状況だ。
「ところで、先輩。俺っち一人でルーセットの相手をするってのは、やっぱり駄目か?」
「駄目だと何度も言っている。ルーガルーは確実に殺せと命じた筈だ」
「はいはい、了解だよ。ルーガルー様の為に、ってね」
少しの言い争いの後、クリュエルは手に握っていたリボルバーをルーセットへ向けた。
銃声にしては妙に水っぽい音と共に、弾丸が放たれる。
咄嗟に躱したルーセットの頬を掠めたのは、赤い棘だった。
最初に不意打ちでヴェガにも放った棘。
あの銃は、血の弾丸を放つことが出来るのだ。
(…奴の能力は血を操ること。無用に負傷させるとこっちが不利になるか)
躱し続けるルーセットへ次々と弾丸が放たれる。
自身の血を放つ特性上、弾切れがないのか弾丸が止む隙も無い。
なら接近戦を、と考えるがクリュエルの傍にはモールが控えている。
今は大人しくしているが、接近すれば確実に攻撃してくるだろう。
「…ルヴナンが死んだらしいな」
クリュエルの動揺を誘い、ルーセットは呟いた。
「死んで早々にルーガルーに鞍替えか、月でルヴナンが泣いているぞ」
「それはないな。ルヴナン卿の命は、この俺が断ち切った」
「何? ってことは裏切りか。忠犬が聞いて呆れるな」
「違う。裏切りではない。奴が俺の忠誠を裏切ったんだ」
必死に感情を抑えようとしているが、クリュエルの眼には激情が見えた。
裏切られた憎悪と、裏切った後悔。
その二つが入り交じり、ドロドロとした色をしている。
「なら、どうしてコカドリーユがいなくなってから顔を出した?」
「…何だと?」
「襲撃のタイミングだ。どうして俺達だけになってから姿を現したんだ?」
単純に考えれば、コカドリーユと言う実力者との戦闘を避ける為。
リスクを避け、敵戦力を分散させる為。
そう思えるが、それだけではない筈だ。
「純血を裏切ったことが後ろめたかったからだろう? コカドリーユに会うことを避けたかった」
「違う! でたらめを言うな!」
ルーセットの指摘から逃れるように、クリュエルは頭を振る。
抑えきれない激情を表すようにクリュエルの身体が不自然に蠢く。
「後悔させてやる!」
ブチブチ、と繊維が千切れるような音と共にクリュエルの身体から無数の棘が突き出た。
クリュエルの操る血液が、自ら皮膚と肉を貫いて下界へ放たれる。
体外へ排出された無数の棘はクリュエルの意思を待つように虚空で静止した。
後は号令一つでいつでも敵を串刺しに出来る。
そう考え、クリュエルはルーセットの姿を探した。
心のトラウマを抉る憎い怨敵を。
「クリュエル、何を苦しんでおるのじゃ?」
そこにいたのは、ルーセットではなかった。
霧の姿をした吸血鬼。
かつて自分が信じていた純血。
ルヴナンの姿がそこにあった。
「ッ! うわああああああああああああァ!」
動揺し、決壊した心に従って棘がでたらめに放たれる。
それは目の前の敵ではなく、ただ地面に突き刺さるのみ。
棘の雨が降り止んだ時、その霧の吸血鬼は元の姿へ戻った。
「アンタ、まだ迷いがあるみたいだな」
「黙れ、ガキが! モール! お前もこいつを殺せ!」
「はいよ…『インペイルメント』」
命令に従ってモールは影から杭槍を出現させる。
やる気のない様子でその杭槍を無造作に振るう。
目の前に立つクリュエルの背中へと。
「なっ…かっ…貴、様…!」
「選手交代だ、先輩」
「裏切るのか、たかが、人間風情が…!」
「後は俺っちに任せて貰おう」
大量に血を失ったショックで倒れるクリュエルを蹴り飛ばし、モールは周囲を見渡す。
「こいつらも目障りだな。消えろ」
有無を言わさない宣告に従い、周囲に控えていた吸血鬼達の影から杭が出現する。
心のない吸血鬼達はそのローブを杭に貫かれ、灰となった。
「…仲間じゃなかったのか?」
「元々、大勢で一人を嬲り殺すのは気が進まなかったんだよなァ。分かるだろ?」
「まあ、な。それとクリュエルが気になることを言っていたな」
「んん? ああ、俺っちが人間だってことか? それがどうした?」
特に隠すことでもないようにモールは平然と言った。
「吸血鬼のように自身の魔力を使うことが出来る人間もいる。ただそれだけの話だ」
元々吸血鬼の使う魔力は、人間から奪って得た物だ。
人間には血液と魂がある。
もし仮に、吸血鬼が魔力を使う方法を知った人間がいたなら、それは吸血鬼と何も変わらない。
『吸血が出来ない吸血鬼』となるのだ。
「プラニスフェルを拾い、俺っちの運命は決まった。ルーガルーを復活させると言う使命に支配された」
「随分と殊勝なことを言うんだな。もっと自分勝手な奴かと思っていたが」
「ルーガルーに会えば分かる。逃れようもない、運命ってやつが」
あまり感情を込めずにモールは言った。
それを悲観しているのか、受け入れているのか、分からなかった。
「何をしようと俺っちの運命は変わらない。ならばせめて、その中で幸福を見つけることが俺っちに出来る唯一のことだと思わねえか?」
杭槍を強く握り締めながらモールは言う。
それが、戦い。
ルーガルーと言う運命に縛られ、その為だけに生きてきたモールが見つけた幸福。
ただこうして戦っている時だけは運命を忘れられる。
その戦いの間だけは、運命から解放される。
「行くぜ、ルーセット。俺っちの最期の戦いに付き合ってくれ」




