第八十七夜
一夜が経過した。
銀の檻が破壊された事はルヴナンの耳に届き、事態の深刻さを悟る。
当時、看守として置いていた吸血鬼は皆殺しにされており、目撃者はいない。
銀の檻からはルーガルーの遺骸が失われており、ルヴナンはそれを狙ったヌーヴェル=リュンヌの仕業であると予想していた。
「その話は、確かなのじゃな。クリュエル」
闇の中、ベッドの上で身を起こしながらルヴナンは呟く。
「…ええ、ソルシエール卿は確かに言ってました。ヴィエルジに会ったと」
お気に入りのテンガロンハットをクルクルと手で回しながらクリュエルは答えた。
その視線は回る帽子へ向けられ、どこか落ち着きがないように見える。
ヌーヴェル=リュンヌのかつての盟主。
一度戦場でも会ったことがある敵の存在に、少なからず動揺しているのだろう。
「ヴィエルジが今のヌーヴェル=リュンヌの盟主と言う訳か。奴は人間上がりじゃが、ルーガルー以前より戦い続けた怪物じゃ」
純粋に重ねた年月では、ルーガルーよりも上だろう。
大きな実力差があるとは思わないが、元人間と油断できる相手でもない。
ルヴナンは不安を消すようにテーブルの上の瓶を取った。
中に入った血を一息に飲み干し、魔力を満たす。
「目標は決まった。すぐに奴を見つけ出し、この騒乱を終わらせるとしよう」
「…了解です。ルヴナン卿」
元気のない様子でクリュエルは答えた。
それを気付きながらも指摘することなく、ルヴナンは霧を纏った。
「あの、ルヴナン卿」
「なんじゃ?」
飛び立とうとするルヴナンは動きを止め、意識をクリュエルへ向けた。
クリュエルは何度か躊躇うように口篭もった後、重々しく口を開く。
「ルヴナン卿は、その………ラフレーズ様のことをどう思っていましたか?」
その質問に、ルヴナンは皺の入った顔を不思議そうに歪めた。
久しく聞かなかった名前。
かつての戦場で共にあった者を思い、素直な感情を伝える。
「―――――――友だった。彼女ほど平和を愛した者はおらん。願わくば、彼女に戦争の終わった世界を見せたかったな」
そう答えるルヴナンの顔は、今までに見たことがないくらい穏やかな物だった。
当時、ただ勝利することに固執していたルヴナンに平和の大切さを説いた少女。
生き急ぐルヴナンについてきたばかりに命を落とした少女。
その存在は、百年経った今でもルヴナンの魂に刻まれている。
「そう、ですか」
その答えにクリュエルは納得したような安心したような、複雑な声を出した。
回していた帽子を深めに被り、表情を隠す。
「クリュエル、お前は………む」
ルヴナンが何かを言おうとした時、暗闇に包まれた部屋が大きく揺れた。
地震、ではない。
連続して聞こえる破壊音は、この揺れが人為的な物であることを伝えている。
攻撃を受けている。
「………」
ここはルヴナンの肉体が安置されている場所。
ルヴナン派の多くの領地の中でも、秘中の秘であるこの場所に襲撃など百年なかったことだ。
「…出るぞ」
霧を纏ったルヴナンの肉体が宙に浮かぶ。
居場所がバレている以上、普段のように肉体を置いていくことは出来ない。
多少は不利になるが、肉体のままで戦うしかない。
「行くぞ、クリュエル。愚かな賊に、誅伐を下すとしよう」
「やっと出てきた……って、アンタがルヴナンの旦那か?」
外へ出たルヴナンの前に現れたのは、モールだった。
予想していたヌーヴェル=リュンヌの軍勢はなく、たった一人で呑気に佇んでいる。
「へえ。声の感じから予想していたけど、やっぱり肉体もジジイなんだな。下半身はどうしたんだ?」
「モール。貴様、やはりヌーヴェル=リュンヌの…」
「んん? 何を的外れなことを言っているんだ? 俺っちがヌーヴェなんとかと無関係だって、まだ知らねえのかよ」
片方しかない腕で杭槍を握りながらモールは不思議そうに呟く。
「俺っちはただプラニスフェルを拾っただけの一般人だ。アンタらの因縁とか、ヌーヴェなんて知らねえんだよ」
「馬鹿な。ならば、何故プラニスフェルについて知っていた?」
「プラニスフェルに聞いたんだよ…………その中に残っていたルーガルーになぁ!」
「なっ…!」
あまりの事実に硬直するルヴナン。
その隙を逃さずモールは杭を操り、ルヴナンを狙う。
壁に映ったモールの影より伸びる杭が、一直線にルヴナンへ接近する。
「…ッ」
しかし、その程度の不意打ちで純血を倒すことは出来ない。
ルヴナンの身体が纏う霧に触れた瞬間、杭は芯まで凍結した。
クッキーよりも脆くなった杭は、夜風に触れて崩壊する。
「貴様に、聞きたいことが増えたようじゃ………陽光を遮る霧よ。魂を拘束しろ」
ルヴナンの静かな詠唱と共に、冷たい霧が発生する。
赤い濃霧は、モールの逃げ道を塞ぐように周囲を包み込んだ。
「『ブルイヤール』」
あらゆる生物を凍結させ、その命を奪う冷たい檻。
あらゆる武器を寄せ付けず、その魂を削り取る鎌。
百年を超えた純血に相応しいイクリプスが、全力でモールに牙を剥いた。
「くはっ…寒いねぇ。人の身としては、この寒さは辛すぎるぜ」
災害のような魔力を前に、モールは不敵に笑う。
恐怖など、どこかに忘れてきたかのように杭を構えて立ち向かっていく。
「串刺せ『インペイルメント』」
『純血とは吸血鬼を守り、導く存在でなくてはならない! それを忘れた悪鬼に、屈してはならない!』
かつて、若きルヴナンは蛮勇に支配された。
耳障りの良い言葉を述べて多くの同胞を巻き込み、取り返しのつかない事態を引き起こした。
作戦は簡単な筈だった。
事前に情報を得た場所に奇襲し、ルーガルーを倒す。
それだけだった。
『…何故だ』
しかし、目的の場所へ到達した時に異変は起きた。
突然、地面から無数の『茨』が出現し、ルヴナン達を攻撃したのだ。
奇襲を仕掛ける側だった純血達の半分はその不意打ちで命を落とした。
残る半分も急な出来事に混乱し、抵抗する間もなくその身を貫かれた。
手足のように柔軟に動く鋭い茨。
その強力な能力をルヴナンは知っていた。
『何故だ、ラフレーズ!』
そう、それはルヴナンの傍に控えていたラフレーズの能力だった。
『戦争を、終わらせる為よ』
苦虫を噛み潰したような表情で平和を愛する少女は言った。
『この戦争は、ヌーヴェル=リュンヌの勝利で終わる。無用に抗って犠牲を増やす必要はないわ』
『だから、だから殺したと言うのか! 共に戦った仲間を全て!』
『あなたのような英雄がいるから戦争が終わらないのよ! 皆が希望を失わない! 誰が死んでも必要な犠牲だったと諦めてしまう!』
血を吐くようにラフレーズは叫んだ。
戦いを嫌いながらも、戦い続けた少女はもう壊れてしまったのだ。
多くの戦場から帰還する度に、多くの死を見続ける度に。
その痛ましい姿を見ながらルヴナンは全力で戦った。
二人の実力は拮抗していた。
二人に差があったとするなら、それは心。
心に迷いがあったラフレーズは最後の最後で判断を誤り、ルヴナンに倒された。
『…ああー………やっぱり、私に戦いなんて向いてない、みたい』
ルヴナンに魂を破壊され、ぐったりと倒れたラフレーズは呟く。
『ルヴナン。勝手な、こと言うけど…クリュエルのこと、お願い…あの子は、何も悪くないから』
『…他には? 何か言い残すことはないのか?』
『…やっぱりルヴナンは優しいね。それじゃ、一つ約束して………戦い続けるのなら、勝って平和を手に入れるって』
誰よりも平和を愛した弱い少女は言った。
ルヴナンはその閉じられた瞼を見つめ、自分自身に誓う。
『―――必ず』
「ッ!」
暴風のように吹き荒れる霧を操り、ルヴナンはモールを睨む。
その心は目の前の風景と同じように荒れていた。
ルーガルーが、生きている。
アレだけ多くの犠牲を払って倒した敵が、生きている。
かつてラフレーズの望んだ平和を手に入れた。
それを、壊させる訳にはいかない。
「インペイルメントォ!」
生身のルヴナンを狙うように杭が放たれる。
しかし、半身を失ったとは言え純血の肉体。
霧と共に空を舞うルヴナンを捉えられる筈もない。
得意の身軽さで霧を躱し続けるモールの身体にも疲労が見えてきた。
周囲の熱を奪う霧は、確実にモールを追い詰めている。
「終わりじゃ!」
動きの鈍ったモールに止めを刺さそうとルヴナンは右腕を振り上げた。
赤い球状に圧縮された霧が、放たれる。
その時だった。
「…が……あ…?…」
ルヴナンの口から苦悶の声と血が零れた。
その異変に疑問を感じる余裕もなく、身体から赤い棘のような物が突き出る。
まるで、身体の内側から茨が生えているようだった。
「…何だァ?」
戦いの手を止めたモールが疑問の声を上げる。
モール、ではない。
この異常事態を引き起こしているのは、モールではなかった。
だとすれば、この場に残る吸血鬼は一人しかいない。
「ルヴナン卿。俺の血の味はどうですか?」
感情を押し殺したような声で吸血鬼は言った。
ルヴナンは霞む目で相手を見る。
「クリュエル、貴様………儂の瓶に…血を」
「ええ。人間の血に混ぜておきました」
クリュエルは無表情でルヴナンを見る。
その眼には、かつての忠誠も尊敬もない。
あるのは無感動な殺意。
そして、微かに燃える憎悪。
「あなたが、ラフレーズ様を殺したからですよ」
クリュエルは腰からリボルバーを引き抜いた。
弾丸をセットして、それを空中に浮かぶルヴナンへ向ける。
「…そう言う、ことか」
「既に心臓を内部から破壊しました。もう身動き一つ出来ません」
自分へ向けられる銃を見て、ルヴナンは静かに瞼を閉じた。
「…すまない、ラフレーズ」
軽い破裂音と共に、弾丸が放たれる。
弾丸は寸分狂わずルヴナンの額を打ち抜き、彼の身体を灰に変えた。




