第八十二夜
「来なさい。闘牛のマサークル」
灰が集い、山のような巨体が形成されていく。
その筋肉に覆われた肉体に色がつくと、巨漢は暴れ牛のような声を上げた。
「そいつは、見たことがあるな」
「む…マサークルのことは覚えていたのですね」
少し不満そうに声を漏らしながら、ヴィエルジは巨漢の吸血鬼『マサークル』の隣に立つ。
獣のような獰猛な息を吐く狂戦士は、彼女を守るように前へ出た。
その顔に感情は見えないが、主人の命には従うようだ。
「ならば、彼の強さも覚えているでしょう。例え命を奪われようとも、それは何一つ奪えない」
荒々しい声を上げ、マサークルは突進する。
正しく闘牛のような一撃を、コカドリーユは正面から受け止めた。
百年前と何一つ変わらない力。
ヴィエルジは見せかけだけでなく、本当に生前の力を再現できるのだとコカドリーユは思い知る。
「だが、この程度では…足りないな」
ゴッと空気が震える。
振り抜かれたコカドリーユの拳が、マサークルの胸を捉えていた。
その衝撃は筋肉の鎧を突き破り、心臓を貫く。
「なっ…」
百年前、コカドリーユの拳を防いだ筋肉の鎧が容易く砕けた。
急所を破壊されたマサークルは呻き声を上げ、崩れ落ちる。
偽りの生命が再び壊され、その身は瞬時に灰に変わった。
「あれから百年が経った。余が、いつまでも同じステージに立っていると思ったか?」
得意げな笑みを浮かべたコカドリーユは、人差し指を月へ向けた。
「月よ。我が声に応えよ」
「ッ…!」
「『アエロリット』」
声と共に天より流星が降り注ぐ。
消費魔力を度外視した、最大級のイクリプスがヴィエルジに降りかかる。
「成長したのは、何もそちらだけではありませんよ!」
ヴィエルジは降り注ぐ隕石を躱しながら、灰へ手を翳す。
すると、マサークルの遺灰が再び起き上がり、ヴィエルジを守るように包み込んだ。
「…?」
その行動に首を傾げながら、コカドリーユは追撃を放つ。
放たれた隕石はヴィエルジの従える吸血鬼に直撃し、その身体を灰に戻した。
「集まりなさい」
まるで磁力に引かれる砂鉄のように、その遺灰もヴィエルジの下へ集まる。
集まった灰はヴィエルジの手で色を取り戻し、再び偽りの生を得た。
最初よりも数を増した吸血鬼の軍団が、ヴィエルジの周囲に展開された。
空よりも落ちる隕石が直撃し、数名の吸血鬼が灰となるが、それは無意味だ。
次々と現れる吸血鬼がヴィエルジの盾となり、壁となり、防ぎ続ける。
更に、失われた吸血鬼達もすぐに灰より蘇る。
「無駄です。我々に終焉はない。何度殺されようと、灰の中より復活する不死鳥なのですわ」
「ハッ…『灰かぶり』が不死鳥とは、大きく出たな」
「状況を理解していないのですか?…相変わらず、頭の方は弱いようですね」
呆れたように言いながらヴィエルジはベールで隠された顔をコカドリーユに向けた。
状況は拮抗しているように見えるが、コカドリーユとヴィエルジでは魔力の消費量が違う。
このまま決着がつかずに消耗戦に持ち込めば、コカドリーユは魔力切れで敗北する。
それを理解していない相手を、ヴィエルジは勝ち誇るように嘲笑した。
「そもそも、ルヴナンを殺したいのなら我々と手を組めばいいのです。利害が一致するなら、敵だろうと利用するのが優れた吸血鬼と言う物ではないですか?」
「…分かってないな」
唆すようなヴィエルジの誘いをコカドリーユは一蹴した。
嘲笑するヴィエルジを逆に馬鹿にするように鼻で笑う。
「苦労せずに得た物に何の価値がある? 戦わずして得た勝利に何の意味がある? この身で手に入れてこその勝利、この手で掴み取ってこその栄光だろうが!」
コカドリーユは攻撃を止めて、宙へ浮かび上がった。
空を掴むように両手を広げ、天を仰ぐ。
「星よ。我が声を聞けェ!」
瞬間、夜の闇が消えた。
眼を開けていられない程の光の奔流。
膨大な熱を持つ光が降り注ぎ、地上の吸血鬼を焼き尽くす。
「光の、雨…?」
太陽の下のように光に焼かれて消えていく姿を見ながら、ヴィエルジは呟く。
霧雨のように細かい光の雨。
その正体は、無数の小さな隕石だった。
コカドリーユの重力に引かれ、地上へ落ちる過程の摩擦で燃えた小型の隕石。
それを同時に一か所に集中させることで、点よりも面を重視した攻撃を可能にしたのだ。
「…流石に、一筋縄ではいかないようですね」
光と灰に隠れながらヴィエルジは呟く。
「しかし、これだけでは終わりませんよ。ヌーヴェル=リュンヌは復活する。新たな戦いは、もうすぐそこまで来ているのですから」
そう捨て台詞を残し、ヴィエルジの気配は完全に消えた。
夜の繁華街。
星々の光さえ霞む様なネオンの明かりに彩られた夜道を少女は一人で歩く。
「こっち…? いや、こっちかな?」
町を歩く人間には目もくれず、少女は呟く。
キョロキョロと辺りを見回す姿は挙動不審。
まるで都会で迷った箱入り娘のようだった。
整った容姿も相俟って、それは人々の注意を引いた。
そして、注目を浴びれば良くない物に目を付けられるのは必然。
「こんばんは、お嬢ちゃん。誰か探しているの?」
明らかに軽薄そうな男が声をかけるが、少女は無視して前に進んだ。
「ちょっとちょっと無視は酷くない? 誰か探しているなら手伝うからさ」
「………燕尾服と山高帽を着た、女顔の男を見ませんでしたか?」
そこまで言って、少女は探し人が自由に姿を変えられることに気付いた。
外見特徴は当てにならない。
最初に出会った時と同じように、直接会って血の臭いを見つけるしかない。
そう思い至り、少女は再び歩き出す。
「…さっきから、その態度…俺を舐めてんのか!」
少女の態度に怒ったように、男は叫んだ。
荒々しく少女に近付き、肩を掴もうと手を伸ばす。
「き易く触れないで下さい」
一瞬、光が男の身体を駆け抜けた。
男の動きがぴたりと止まる。
「さて、困りましたね。ルーセットはどこにいるのか」
それを気にした様子もなく、少女『ヴェガ』は人間社会を歩いて行った。
ヴェガが去って数秒後、星屑に引き裂かれた男の身体が血飛沫を上げて崩れ落ちたのだった。




