第七十八夜
純血の本拠地となっている古城。
その古城へ向けて、ヌーヴェル=リュンヌの軍勢が展開されていた。
ヌーヴェル=リュンヌの全戦力が集い、その先頭にはルーガルーが佇む。
明らかな過剰戦力。
それだけで、ルーガルーの本気が伺える。
「行くぞ。我ら、純血の実力をヌーヴェル=リュンヌに見せてやろう」
肉体を捨てたルヴナンが鼓舞するように言った。
「いつまでも純血派、だと格好つかないな。何か名前ないのか?」
その後ろに立つコカドリーユが不満そうに言った。
ヌーヴェル=リュンヌに対し、自分達を示す名前がないことを不満に思ったのだろう。
いつも通りの態度に苦笑し、ルヴナンは空を見上げた。
「そうだな………では『プレーヌ=リュンヌ』で、どうだろう?」
「満月(プレーヌ=リュンヌ)か。よし、それで行こう!」
夜空に浮かぶ満月を見上げながら、コカドリーユは何度も頷く。
城門がゆっくりと開いていくのを眺め、拳を握り締めた。
恐怖はない。
数で劣り、能力で劣る。
しかし、ルーガルーは一人だ。
一匹狼に信頼できる仲間はいない。
確かな絆を持つプレーヌ=リュンヌが、それに敗北する筈がない。
「では、改めて行くぞ。我らプレーヌ=リュンヌの勝利を!」
瞬間、城から空を覆うような霧が放たれた。
血のように真っ赤な濃霧が戦場を包む。
それが、開戦の合図だった。
「また霧か。鬱陶しい」
戦場を覆い隠す赤い霧を見て、ルーガルーは無感動に呟いた。
視界を塞がれ、霧に恐怖する他の者には目もくれず、腕を振り上げる。
どれだけ薄く散らそうと、魔力は魔力。
ルーガルーの『トゥルノワール』は全ての魔力を吸収する。
「霧の中に見える月と言うのも、風流だろう?」
「!」
イクリプスを使おうとしたルーガルーを止めるように、目の前の霧が濃くなる。
人型となった霧が口を開いたことを見てルーガルーは手を止めた。
「流石に、魂だけの吸血鬼を見たのは初めての経験だったようだな」
「…そうだな。ルーガルーは少し驚いた」
そう言うと、ルーガルーは振り上げた拳を思い切り地面に落とした。
大地がひび割れ、衝撃が大気を振るわせる。
人型を保つ霧が、僅かに崩れた。
「だが、それだけだ。まさか肉がなければ喰われないと勘違いしていないだろうな」
「…お前のトゥルノワールは、単なる暴食ではない。血肉を喰らい、魂まで吸い寄せる」
本来、死して月に帰る筈の魂すら地上に繋ぎ止め、奪い取る力。
月の引力を超える引力。
ルーガルーを中心とした巨大なブラックホール。
地上の頂点に立つ能力だ。
「そこまで理解していながらルーガルーの前に立つとは、愚かな羊だ」
「フン、生憎と私は羊と呼ぶには凶暴でな。大人しく喰われるつもりはない」
「餌の意思など、聞くつもりもない」
ルーガルーの身体が風のように駆ける。
巨体にあるまじき速度でルヴナンに接近し、その腕を横に薙ぐ。
「『トゥルノワール』」
腕が黒い靄が包まれ、人型となっていた霧を抉り取る。
首のあった場所を失った人型は、粉々に霧散した。
それを冷たい目で見て、ルーガルーは無感動に息を吐く。
「流石だな。まるで反応できなかった」
腕を振りぬいたまま、ルーガルーの動きが止まる。
聞こえたルヴナンの声に初めて、ルーガルーが顔色を変えた。
「この身軽な身体なら躱せると思っていたが、お前の動きは全く見えないな」
霧が集まり、もう一度人型を形成する。
確かに殺した筈のルヴナンが、再び出現した。
「少し驚いたか?」
「…この霧」
挑発するようなルヴナンの声を無視して、ルーガルーは周囲を包む霧を見た。
「そうか。この霧全てがお前の魂。その人型も単なる一部に過ぎない」
目の前で会話する人型を指差し、ルーガルーは呟く。
魔力を薄めて、霧と言う形で広げている。
同様に、ルヴナンは自身の魂も霧として広範囲に拡散しているのだ。
戦場全体に広がる霧はただ敵を錯乱させる為だけでなく、ルーガルーから逃がす為でもある。
「ならば、全て喰い尽くすまでだ………月の犬よ」
ルーガルーは腕を振り上げ、空へ向ける。
静かに呟かれた言葉と共に、その全身が黒い靄に包まれていく。
ルヴナンの霧を一声で蹴散らしたイクリプスが発動する。
「――――――――――――――――ッ!」
その直前に、空から流星が降り注いだ。
空を覆い隠す濃霧を突き破るように、隕石が降り注ぐ。
まるで砲弾の雨のような星々はルーガルーと後方に続くヌーヴェル=リュンヌに直撃した。
「おらおらァ! まだまだ弾薬は尽きないぞ!」
上空に浮かび、両腕を広げながらコカドリーユは叫ぶ。
その後方からは次々と隕石が飛来し、地上で爆発を引き起こす。
フロンの平原と同じく、地上には月のようなクレーターが広がっていた。
「しかし、少し離れすぎたか? どこにルーガルーがいるか全然見えないぞ」
能力の性質故か、並の吸血鬼よりは視力が良いと自負しているコカドリーユ。
そのコカドリーユの眼を以てしても、遥か遠くにある地上は見えなかった。
取り敢えず、味方がいそうな所は避けて攻撃しているが、状況は全く見えない。
「これいつまでやればいいんだ? さっさとルーガルーが止めを刺してくれれば…」
言いかけて、コカドリーユは空の異変に気付いた。
コカドリーユが隕石を引き寄せている星空。
その星々が不気味に赤く光り、線で結ばれていく。
夜空に描かれる赤い星座。
それをコカドリーユは一度見ていた。
「コレはルーガルーの………奴も本気を出したってことか」
地上へ隕石を放つ手を止めず、コカドリーユは獰猛な笑みを浮かべた。
「勝負はここからだ! そうだろ、ルヴナ…ン……ッ?」
叫び声を上げたコカドリーユの手が止まる。
同時に、延々と降り注いでいた隕石も止まった。
身体が僅かに震える。
眩暈がする。
ルヴナンとの戦いでも味わった症状。
魔力切れの症状。
「何で、だ。魔力は…まだまだ…あった筈…」
苦し気に顔を歪めながらコカドリーユは空を見上げた。
そこには変わらず、赤い『狼座』があった。
「まさか、この星座に…魔力を吸い取られて…」
「馬鹿、な…」
魂だけの身体を揺らし、ルヴナンが呆然と呟く。
戦場を包む霧が段々と薄れていく。
空に赤い星座が刻まれた瞬間から、ルヴナンの魔力が急激に失われていった。
「このルーガルーの能力を、見誤っていたようだな」
ルーガルーは感情のない声で言った。
そこでようやくルヴナンは思い違いを悟る。
トゥルノワールの中心はルーガルーだ。
ルーガルーから離れる程に影響は少なくなり、十分に距離を取れば無効化出来る筈。
それは間違いだった。
天空に刻まれた狼座は、地上から魔力を吸い上げる。
つまり、上空へ逃げたコカドリーユや空へ広がったルヴナンの霧は、それだけ早く魔力を奪われる。
作戦が全て裏目に出てしまった。
人型を作っていた霧が崩れていく。
「最早、それすら保てないか」
ルーガルーは静かに近づいてくる。
ルヴナンはどうすることも出来ない。
直接ルーガルーに触れることが出来れば、魂を引き剥がすことも出来る。
だが、それよりもルーガルーの方が早い。
少しでも不審な動きを見せれば、瞬時に魂を奪われる。
敗北する。
「――――――?」
ボコボコ、と奇妙な音がした。
ルヴナンとルーガルーが同時に訝し気な顔をして、辺りを見回す。
その音の発生場所は、ルーガルーの足下だった。
「何だ…?」
ボコォッ! と大きな音と共に地面が隆起する。
盛り上がった大地から黄土色の手が二本生え、一本がルーガルーへ振り下ろされる。
不格好な土人形の一撃をルーガルーは訝し気な顔のまま受け止めた。
「今が好機よ! ルヴナン!」
土人形の後ろに立っていた女が叫ぶ。
手を翳し、人形を操っている女の正体はソルシエールだった。
冷や汗を流し、珍しく焦った表情で叫ぶ。
「早く!」
「ッ!」
弾かれたようにルヴナンはルーガルーへ向かっていく。
赤い霧状の腕が、土人形を受け止めるルーガルーの胸を貫いた。
「引き裂け『ブルイヤール』」
「ぐっ…!」
ルーガルーが苦悶の声を上げて、ルヴナンを殴りつける。
それは魔力すら込めていない単なる拳だった。
霧散して回避したルヴナンを睨み、ルーガルーは貫かれた胸を抑える。
「き、貴様ら、ただの餌の分際で、このルーガルーを!」
表情のなかった顔に憎悪の表情を浮かべ、ルーガルーは怨嗟の声を上げた。
「許さん…このまま、では、終わらん、ぞ………必ず、ルーガルーは…お前達、を……!」
「………」
「喰い殺してやるからなァァァァァァァァ!」
パキン、と軽い音が響いた。
その瞬間、ルーガルーの身体は力なく地面に倒れ動かなくなった。
静寂が戦場を支配する。
全ての戦いが終わった瞬間だった。




