第七十六夜
「………」
重苦しい沈黙が城を支配していた。
ヌーヴェル=リュンヌへの勝利を打ち消す程の悪夢。
凱旋の余韻に浸っていた彼らを襲った地獄。
たった一人の吸血鬼に敗走し、城へ辿り着いた時には………軍は半分以下になっていた。
生き残った者達の心も、既に死んでいる。
ルーガルーはそれだけ強烈だった。
あらゆるイクリプスを無効化し、吸血鬼を魂ごと喰らう怪物。
あの怪物を前では、吸血鬼など単なる餌でしかない。
それを理解してしまった。
「………」
クリュエルもまた、その内の一人だった。
彼は、何よりもルヴナンが敗北したことが衝撃だった。
ヌーヴェル=リュンヌの軍勢すら容易く撃退したルヴナンが、手も足も出ずに敗北した。
魂の半分を喰いちぎられたルヴナンは、現在別室で眠っている。
「俺は、どうしたら…」
「逃げれば良いんじゃないかしら?」
思わず吐いた弱音に、言葉が返ってきた。
一人俯いていたクリュエルの顔をソルシエールが覗き込んでいた。
重々しい雰囲気など気にした様子もなく、いつも通りの笑みを浮かべている。
「死にたくないなら逃げなさいな。元人間なら、人間社会でも上手くやっていけるでしょう」
「そんなこと…!」
「…ラフレーズのことを気にしているの? クスクス…死んだ者の為に戦うなんて馬鹿らしい。その上、それで自分も死ねば馬鹿の極みよ」
嘲笑の中に、僅かに真面目な色を匂わせてソルシエールは言った。
「言っとくけど、死者は何も思わない。望まない。感じない。死者が何かを語るように感じるのは、生き残った者達の勝手な妄想」
ソルシエールの言葉は真理だった。
未だラフレーズの死に縛られるクリュエルに現実を突きつける言葉。
復讐を果たしてもラフレーズは喜ばない。
そのことはクリュエルも理解していた。
理解した上で、心の支えにしていた。
「貴方は本当は、戦いなど望んでいない。ただ周囲に合わせて行動しているだけ」
何故ならクリュエルはそのようにしか生きられないから。
自分と言う存在に劣等感を抱き、他者に憧れることでしか行動できないから。
ソルシエールの言うように、何一つ自分では決められない。
「今ならまだ間に合うわ。だから…」
「若者を誑かすな、女狐」
蛇のように言葉を吐くソルシエールの肩をコカドリーユが掴んだ。
邪魔が入った、とソルシエールは露骨に舌打ちをする。
「あら、純血の英雄様じゃない。貴方みたいな男がいるから、若者が憧れて命を落とすのよ」
「ハッ、余は道を示してやるだけだ。選ぶのはそいつ次第。生き残れるかは努力次第だ」
「…これだから、戦争馬鹿は。と言うか、いつまで私の肩掴んでいるのよ。やめてよね、跡がついちゃう……って痛たたたたた!」
ギギギ、と肩が嫌な音を発ててソルシエールが悲鳴を上げる。
慌ててコカドリーユの腕を掴むが、ビクともしない。
「痛い痛い! 痛いってば! 放しなさい!」
「大袈裟な奴だ。少し力を入れただけだろう」
呆れたようにコカドリーユが手を放す。
瞬時にソルシエールは自分の肩を撫でながら、距離を取った。
まるで警戒した猫のようにフーッと息を荒げる。
「この馬鹿力! 乙女の肌を食い込む程に握り締めるなんて!」
「…乙女と言うには、少し歳を食い過ぎじゃないか?」
「歳のことは言うな!」
肩の痛みか、歳を指摘されたからか、少し涙目になりながらソルシエールは叫んだ。
その姿に、先程までの狡猾さは見えない。
コロコロと変わる雰囲気についていけず、クリュエルはぼんやりと二人を眺めていた。
ルヴナンもそうだが、彼ら三人は仲が良いのか悪いのか分からなくなる時がある。
「…二人とも、元気そうで何よりだ」
その時、喧嘩する二人の間を『霧』が通り抜けた。
赤み掛かった霧は一か所に集中して、人型の影を作り出す。
人型が生物のように動き、言葉を発した。
「お前たちまで心が折れていないかと心配したが………杞憂だったようだ」
「その声、ルヴナンか。霧だけを飛ばすなんて、傷が深そうだな」
「ああ、もう歩くことは諦めているよ」
表情のない人型の声に、悲し気な色が宿った。
ルヴナンの足は二度と戻らない。
半身を失ったルヴナンは、もう二度と戦場には立てない。
そのことを改めて思い知らされた。
「だが、戦いを諦めたつもりはない。まだ闘志は残っている」
「そう言うと思ったぞ。冷めた顔して意外と熱い奴だよ、お前は」
コカドリーユは嬉しそうにゲラゲラと笑った。
キョトンとした顔をしたクリュエルの背中をバシバシと叩く。
馬鹿力で叩かれたクリュエルは激しく咳き込んだ。
「それでどうする? どうやってアイツを倒す?」
「…ルーガルーの能力はシンプルだ。ただ『喰らう』…イクリプスも魔力も魂さえも喰らって自らの物とする貪食の能力」
「イクリプスを無効化されるのはキツイな。何せ、百年前から生きている吸血鬼だ。再生力も半端ないだろうからな」
膨大な魔力を持つ吸血鬼は、それだけ死を遠ざける。
吸血鬼には魔力がある限り、何度でも肉体を再生させる不死性がある。
牙を抜かれた吸血鬼では、百年生きたルーガルーの再生を超えられない。
「だが、奴の能力にも例外があるようだ」
「どういう意味だ?」
「お前、自分がルーガルーに隕石を当てたことを忘れたのか?」
戦場で二度、ルーガルーは攻撃を受けた。
イクリプスを全て無効化する筈のルーガルーが、コカドリーユの攻撃を防げなかった。
「そう言えば………いや、アレは二回とも不意打ちだったぞ?」
その光景を思い出し、コカドリーユは呟く。
一度目も、二度目もルーガルーの隙を狙った攻撃だった。
正面から撃って命中させる自信がなかったからだ。
実際、一度は隕石を躱されてしまっている。
「奴は、隕石を躱したんだぞ?」
「そうだ。何故、奴は隕石を躱したんだ?」
「何故って………当たったら痛いからだろう」
痛いでは済まないと思う、とクリュエルは心の中で突っ込んだ。
しかし、コカドリーユは真剣な顔で頭を捻る。
彼にしては珍しく、頭を使っているようだ。
「当たったら痛い…何故だ?」
「何故って、そればっか……って、もしかして」
「ようやく理解したか、ルーガルーがお前のイクリプスを無効化出来ないことを」
ルヴナンは静かな声で突破口を告げた。
不死身と思われたルーガルー。
それに有効打を与えるのが自分だと知り、コカドリーユは目を見開く。
「どうしてだ。どうして余の能力だけが…」
「その答えは、クリュエルが教えてくれた」
「え?」
急に言葉を振られて、クリュエルが思わず声を出す。
突然、そんなことを言われても思い当たる節がない。
そもそも、戦場から戻ってからルヴナンに会ったのはこれが初めてだ。
「戦いを思い出せ。お前がルーガルーに喰われそうになった時、赤い鳥を見ただろう」
「あ、あー! そう言えば! アレはお前だったのか」
「咄嗟に作り出したのですが、役に立ちませんでしたよね」
コカドリーユを守る為に作り出した血の獣。
機動力重視の鳥を作ったは良いが、ルーガルーに触れる前に崩壊してしまった。
それがルーガルーの隙を作った為、結果的には良かったが。
「クリュエルの能力は、血を魔力で操ることだ。故に魔力を喰らうルーガルーの前に立った途端、血の獣は崩壊した」
「そうだったな。でも…」
「そう、血が残った。雷や炎のイクリプスは跡形もなく吸収しておきながら、ただの血を吸収することが出来なかった」
「…つまり?」
「つまり、奴が吸収するのはイクリプスを構成する魔力のみ。その結果、もたらされる血や隕石と言う物体までは吸収することが出来ない」
あらゆるイクリプスを無力化する能力と、あらゆる魔力を吸収する能力では話が変わってくる。
不死身、無敵の怪物としてのルーガルーが崩れ始めた。
考えてみれば、ルーガルーも同じ吸血鬼。
一つの魂、一つのイクリプスしか持たない吸血鬼であることに違いはないのだ。
希望が見えてきた。
「…ソルシエール様。どうかしたのですか?」
作戦会議が休憩となった途端、その場を離れたソルシエールが気になりクリュエルは声をかけた。
「え? どうかしたって…何が?」
いつも通りの笑みを浮かべ、ソルシエールは言う。
その顔に違和感を感じた。
クリュエルを逃げるように唆した時もだったが、どこか焦りのような物を感じる。
それはまるで、
「ソルシエール様は………ルーガルーが怖いのですか?」
まるで、クリュエルを言い訳に自分が逃げ出したような雰囲気を纏っていた。
クリュエルの言葉に驚いたようにソルシエールは目を開き、諦めたように笑った。
「…まあ、私は、ルヴナン達と違うから」
珍しく歯切れの悪い調子でソルシエールは言った。
「私は今年で八十八よ。ルヴナン達は、せいぜい七十か六十って所でしょう?」
自嘲するようにソルシエールは言った。
八十も七十もあまり年齢が変わらないように思えたが、ソルシエールにとっては違うようだ。
「分からない? 八十年前の千人殺しの時、私はもう生まれていたのよ」
ルーガルーの怪物性を表す有名なエピソード。
千人の純血を殺し、純血を裏切った悲劇。
今はもう、それを体験した者はいない。
目の前のソルシエール以外は…
「その千人の中には、私の両親も含まれていたわ」
悲しみを匂わすようにソルシエールは呟く。
「一瞬だった。まるで風が過ぎるようにルーガルーは私の家族の命を奪っていった」
「………」
「復讐なんて、私は考えなかった。ただ生きたかった。死んだ家族の分までと言う訳でもないけど、それでも家族の死を理由に自分も死ぬなんて考えられなかった」
それは、クリュエルとはまるで正反対の選択だった。
ラフレーズを失い、復讐を誓ったクリュエルとは考え方が真逆の道だった。
そして、それはソルシエールがクリュエルに示した道でもある。
「私が戦うのは私の為よ。私は死者や誰かの為に戦ったりしない。ルヴナン達には付き合うつもりだけど、本当に危険な時は、真っ先に逃げ出すような女よ。私は」
クスクスと自嘲するように笑いながらソルシエールは去っていった。




