第七十五夜
「はぁぁぁ…疲れた」
地上へ降り立ったコカドリーユは長く息を吐きながら言った。
既にヌーヴェル=リュンヌは壊滅状態であり、直撃を免れた者も息絶え絶え。
霧が晴れた時点で、まともに戦える者は残っていなかった。
「…お疲れ様です。コカドリーユ様」
「おおー、クリュエル。お前も生きてたか」
同じくらい疲弊した様子のクリュエルにコカドリーユは笑いかけた。
クリュエルはそれに苦笑いで応える。
「結局、コカドリーユ様達の活躍だけで終わっちゃいましたね」
戦いの決着をつけたのは、コカドリーユとルヴナンだ。
クリュエル達もソルシエールの作戦通りに動いたが、それだけだ。
自分達がいなくても二人がいれば、戦いには勝てた。
「それは違うぞ」
少し暗い気分になっていたクリュエルの肩をルヴナンが叩いた。
「霧で覆う為に必要な時間を稼いだのはお前達であり、それ故にコカドリーユは最後まで魔力を温存することが出来た」
「そう言うことだ。皆の勝利ってことでいいじゃないか! なあ!」
コカドリーユもゲラゲラと笑いながらクリュエルの背中をバンバン叩いた。
それに軽く咳き込みながら、クリュエルは安心したように笑みを浮かべる。
「…汗臭い男の友情は結構だけど、コカドリーユ」
「ん? 何だ、ソルシエール。勝利祝いに抱擁でもしてやろうか?」
「断固拒否するわ。私は男臭い男よりも、線の細い子の方が好きなの………って、それはどうでもいいのよ」
そう言うとソルシエールは目の前を指差した。
地面が抉れ、月面のようにクレーターだらけとなったフロンの平原を示す。
「滅茶苦茶じゃない。どうせならヴィエルジを捕縛したかったのに」
「余の辞書に手加減の文字はない!」
「威張るな!」
青筋を浮かべたソルシエールが叫ぶ。
ソルシエールの言うように、流星群が激しすぎて戦場は粉々だった。
ヌーヴェル=リュンヌの先頭に立っていたヴィエルジの姿も、霧と爆発の中に消えていた。
恐らく死んだと思われるが、吸血鬼は死体を残さない。
クレーターの中に無数の灰が埋まっているが、そのどれがヴィエルジであるか判断することは出来ない。
「我々はヌーヴェル=リュンヌを打倒した………これは大きな一歩だ」
その事実を噛み締めるようにルヴナンは言った。
様々な不安は残るが、それでも純血は勝利したのだ。
絶望的とも言える戦いに勝利し、第一歩を踏み出した。
「我々はこのまま勢いに乗って敵の本陣に………」
言いかけてルヴナンは空を見上げた。
いつも変わらず、空に浮かぶ月。
それを囲むように、空に赤い線が走った。
「………?」
星と星を結ぶ赤い線。
空と言うキャンバスに、線で結ばれた『図』が描かれていく。
点と線で夜空に浮かび上がるのは『狼を模した星座』だった。
「月は狂気を意味する」
空から落ちてくるような重苦しい声が聞こえた。
「夜闇を照らす淡い光は人に安心を与えるが、同時にその神秘的な光は人の精神を刺激する」
声を発することが出来ないルヴナン達の前に、一人の男が歩いてくる。
「月に魅せられた人間は獣へ成り果てる。姿形が変わるのではなく、その精神が理性のない獣へ変質する」
それは、大柄な逞しい肉体を持った男だった。
素肌の上から分厚い毛皮のマントを羽織った大男。
「人狼とは獣の皮を被った人間ではなく、心が獣と化した狂人のことを言うのだ」
上半身は剥き出しで、狼の皮のベルト付きのズボンだけを履いている。
頭に被せられた狼骨の王冠は、蛮族のように野性的だった。
「月に魅せられ、その魂が人の域を超えてしまった存在。月に近付きすぎた結果、太陽から嫌われた夜の住人。そのような生物を人は………吸血鬼と呼ぶ」
たった一人で現れた男は表情のない顔で言った。
その赤い瞳に見られるだけで、クリュエルは足が竦んだ。
これが、そうか。
直感的に全ての吸血鬼が理解した。
これが、吸血鬼を喰らう吸血鬼。
吸血鬼を超える怪物
「我が名はルーガルー。吸血鬼達よ、我が糧となって消えろ」
「ッ! 気をしっかり持て! 目の前にいるのは、ヌーヴェル=リュンヌの総大将だ!」
叫びながらルヴナンは霧を展開した。
ルーガルーの重圧に怯む者達が立ち直る時間を稼ぐ。
その為に霧を発生させ、ルーガルーへ向けて放つ。
「ウオオオオオオオオオオオォ!」
瞬間、狼の遠吠えが響いた。
身も心も揺さぶるような声。
ビリビリと大地が揺れ、大気さえも震えさせた。
その衝撃でルヴナンの放った霧が、全て掻き消えてしまった。
「そん、な…」
ヌーヴェル=リュンヌの軍勢を沈めた霧。
総大将であるルヴナンのイクリプスが、一瞬で無力化された。
「――――――――――――――――――――月の犬よ」
ルーガルーの声に呼応して、空に浮かぶ星座が輝く。
「死者の血肉を喰らい、月へ至る狼よ」
血のように赤々と輝く星座から、赤い光が放たれる。
それは赤い雨となって地上へ降り注いだ。
「天空を染めろ『トゥルノワール』」
ルーガルーの姿が黒い靄の中に消える。
まるで人狼の纏う黒い毛皮のように、ルーガルーを包み込む。
元々巨大なルーガルーの身体が更に膨らんだように見えた。
「コレ、は…」
最初に気付いたのは、ルーガルーの正面にいたルヴナンだった。
身に纏う魔力、発動させたイクリプスが消えていく。
魔力を込めた分だけ、それは霧散する。
イクリプスが発動しない。
「お前の能力は、まさか…」
血の雨に打たれながら、ルヴナンは呆然と呟く。
自身の信頼するイクリプスが無力化される絶望。
思わず、頭が真っ白になり立ち尽くしてしまう。
そして、それはこの場で致命的な隙だった。
「『トゥルノワール』」
短い言葉と共に、ルーガルーは腕を横に薙ぐ。
それだけだった。
それだけで、ルヴナンは腰から下を失った。
「あ………ああああああああああァ!」
上半身だけとなって地面に叩き付けられたルヴナンが絶叫する。
灰となって消えた半身が再生しない。
血肉のみならず、魂まで斬り取られてしまった。
魂を失った部位が二度と戻ることはない。
「さて、食事の時間だ」
ベロリ、と手に付着した血を舐めとりながらルーガルーが言った。
総大将が敗北した。
それは純血達の心の支えが崩壊したことを意味する。
「うわあああああああ!」
「来るな、来るなァ!」
歩み始めたルーガルーへ恐怖した者達がイクリプスを放つ。
雷や炎がルーガルーへ向かっていくが、それは全て触れる前に消滅した。
ルーガルーは傷一つ負わない。
いや、むしろ…
イクリプスを吸収するだけ、魔力を増しているように見えた。
「イクリプスを失った吸血鬼と言うのは、羽根を捥がれた蝶も同然だな」
狼のように四本足で大地を駆けるルーガルー。
その黒い腕が触れる度、純血の命が失われていく。
戦いは、終わっていた。
先程まで凱旋の余韻に浸っていた者達が、悲鳴と断末魔を上げる。
たった一人の吸血鬼相手に、一つの軍が追い詰められていた。
「潰れろ『アエロリット』」
その時、阿鼻叫喚の戦場で声が響き渡った。
間髪入れずに一つの流星が地上へ落ちる。
それは餌を喰らっていたルーガルーに直撃し、その身体を吹き飛ばした。
「ぼさっとしてるな、ルヴナン!」
地面に倒れるルヴナンの隣に立ちながら、コカドリーユが叫ぶ。
「お前は仮にも余の大将だろうが! それがいつまでも呆けているんじゃない!」
「…!」
コカドリーユの叱責に我に返ったルヴナンは身体を起こした。
上半身だけの身体を魔力で浮かせて、傷口を止血させる。
「撤退だ! 全軍、城まで撤退しろ!」
血を吐きながらルヴナンは大声で叫んだ。
ルーガルーの恐怖に震えていた者達もハッとなって、撤退を始める。
「狩られるだけの羊の分際で、このルーガルーから逃れられるつもりか」
身を起こしたルーガルーが呟くように言う。
「そのつもりだ! アエロリット!」
再び隕石が降り注ぐ。
ルーガルーは狼のように大地を駆けながら、それを躱した。
「狙いが甘い。こんな物、不意打ちでなければ当たらん」
恐るべき速度で走るルーガルーはすぐにコカドリーユの目前に迫った。
その腕が振り上げられる。
触れるだけで吸血鬼の命を奪った黒き腕が、コカドリーユを狙う。
「『ルキゥール』」
瞬間、割り込むように赤い鳥がルーガルーの前に出現した。
魔力で生み出された血の獣。
それはすぐにルーガルーの能力で、崩壊する。
「…………何」
しかし、目の前で形を失った血液はルーガルーの顔に降り注いだ。
赤く粘つく血がルーガルーの眼を防ぎ、流石のルーガルーも思わず足を止める。
その隙を逃すコカドリーユではなかった。
「アエロリット! 全力で押し潰せ!」
ルーガルーの立つ位置に、一瞬で無数の隕石が落下する。
その余波は、コカドリーユ自身をも吹き飛ばす程だった。
赤く燃え盛りながら飛んでいくルーガルーを見ながら、コカドリーユはルヴナンと共に撤退した。
大きなダメージを与えた筈だが、今はまだ決着の時じゃない。
恐らく、まだ勝てない。
「…チクショウ」
それを悟ったからこその撤退だった。




