第七十四夜
「『ルキゥール』」
獣に変えた血を操りながらクリュエルは戦場を突き進む。
数では圧倒的に劣る純血側。
しかし、ソルシエールの策でヌーヴェル=リュンヌは士気が下がっていた。
数の優位を崩してしまうほどにヌーヴェル=リュンヌは混乱している。
「月よ。我が声に応えよ!」
複数の吸血鬼を殴り倒した後、コカドリーユが叫んだ。
濃密な魔力がコカドリーユから放たれ、戦場の注目を集める。
「『アエロリット』」
瞬間、戦場の真ん中で大きな爆発が起きた。
それに巻き込まれたヌーヴェル=リュンヌの軍勢が、紙のように空を舞う。
地面に大きく広がるクレーターがその衝撃を思い知らせる。
「どうしたァ? もっと張り合いのある奴はいないのか!」
勝ち誇るようにコカドリーユは叫んだ。
あまりに圧倒的な力に、純血側の士気が上がる。
戦場の風は完全に純血側に向いていた。
「…言った筈ですよ。戦争の勝敗を個人が変えることは出来ないと」
沸き立つ空気を切り裂くように、鋭い声が上がった。
声を上げたのはヌーヴェル=リュンヌの軍師、ヴィエルジだった。
お淑やかに見えた笑顔も今は消え、冷静な目で戦場を睨んでいる。
「マサークル」
「応!」
ヴィエルジの近くに控えていた大男は叫ぶように答えた。
山のような肉体を持つ筋肉質な男は、雄叫びを上げながらコカドリーユへ向かっていった。
その進行上にいる者は敵味方問わず踏み潰し、まるで暴れ牛のようにコカドリーユへ突進する。
それを見たコカドリーユは好戦的な笑みを浮かべ、敢えて正面から受け止めた。
「ぐぐ…! 中々の馬鹿力じゃないか、褒めてやるぞ!」
「俺は闘牛のマサークル! ヴィエルジ様の敵はどんな相手だろうと…ぶっ潰す!」
マサークルと組み合うコカドリーユの足元に亀裂が走った。
背の高いコカドリーユを見下ろす程の巨体。
魔力で強化されたコカドリーユと並ぶ怪力。
突然現れた強敵にコカドリーユは獰猛な笑みを浮かべた。
「コカドリーユ様!」
「クリュエル! 手を出すなよ、余の戦いだ!」
コカドリーユは叫びながら足に魔力を込める。
弾けるように蹴りが放たれ、マサークルの腹に突き刺さった。
並の吸血鬼なら粉々になっても不思議ではない一撃。
「ふんぬ!」
それをマサークルは筋肉の鎧だけで防いだ。
攻撃が防がれたことにコカドリーユの笑みが深くなる。
戦いの高揚に支配され、更に魔力を全身に集める。
マサークルも応えるように全身に力を込めた。
「…これだから、知能の低い男は扱い易い」
熱狂する二人を冷ますような声が聞こえた。
声と共にコカドリーユの胸に衝撃が走る。
「グッ………」
呻き声を上げて、コカドリーユの身体がよろめく。
その胸に細い棘が突き刺さっていた。
毒々しい黒い液体に濡れた一本の棘。
棘の刺さった部分が変色していく。
「毒針、か…!」
「意趣返し、と言うやつですわ」
ソルシエールの策を仕返すように、ヴィエルジは笑った。
すぐにコカドリーユは棘を引き抜いたが、体内に入り込んだ毒は抜けない。
明らかに動きが悪くなったコカドリーユへマサークルは容赦なく拳を振り下ろした。
「さて、将は抑えました。後は雑兵のみ…」
「血よ。我が分身よ。罪を喰らう獣となれ!」
勝ち誇るヴィエルジを遮るように、クリュエルは前に出た。
「ルキゥール!」
左右に控えた猟犬に似た形の獣達が遠吠えを上げる。
その勢いに圧された様にヴィエルジは一歩後ろへ下がった。
それを見て、クリュエルは一つ確信を得る。
「やっぱりか。戦場の真ん中にいながら、アンタは一度もイクリプスを使っていない。推測するに、アンタの能力は一人で戦えるタイプではないんだろう!」
生きてきた年月も、戦ってきた経験も、全てクリュエルは劣っている。
本来なら、まともに戦うことすら不可能だろう。
だが、もしヴィエルジの能力が戦闘に不向きな能力なら話は変わってくる。
「行け! 血の獣達!」
獣達が大地を蹴り、ヴィエルジへ向かっていく。
荒い息を吐きながら駆ける獣達はすぐにヴィエルジへ追いつき、その口を大きく開けた。
ヴィエルジは襲い掛かる獣達を冷たい目で見つめた。
「…吸血鬼の成長とは自身の長所を活かすことではなく、短所を理解することだと知りなさい」
瞬間、獣達の身体が弾けた。
その身体から突き刺さるのは、無数の棘。
まるでハリネズミのように獣達を串刺しにしているのは、コカドリーユに刺さった毒針と同じ物だった。
「全弾命中」
いつの間にかヴィエルジの傍に立っていた黒ずくめの男が呟く。
その手には棘が数本握られており、感情のない目で崩れる獣を眺めていた。
戦闘向きでないヴィエルジを守るように横に立つ。
ヴィエルジの護衛は、マサークルだけではなかったのか。
「これが戦争と言う物です。坊や」
笑みを浮かべながらヴィエルジは言った。
既にその顔に毒で苦しんでいる様子はない。
純血側と戦っているヌーヴェル=リュンヌ達も、段々と勢いを増してきていた。
「もう毒も抜けてきた頃ですわね………控えさせていた伏兵を全て出しなさい」
ヴィエルジの声と共に戦場に雷が走る。
最初にヴィエルジ達が現れた時と同じように、何もない所から吸血鬼達が出現した。
「まだ兵を隠していたのか…!」
「策を出し惜しむのが軍師と言う物です。全てを札を切ってしまうと軍師は終わりですからね」
伏兵から毒が抜けるのをヴィエルジはずっと待っていたのだ。
純血側のアドバンテージがなくなり、更にコカドリーユと言う将を失うタイミングを狙っていた。
そして、ヴィエルジは最後の札を切った。
それは既に勝利を確信したと言うこと。
『全軍! 軍を反転して後退しろ!』
どこからともなく、ルヴナンの声が聞こえた。
その命令は、撤退。
つまり、この戦いの勝利を諦めたと言うこと。
「潔いのは良いことですが、逃がしませんよ」
命令に従って撤退を始めた純血を、ヌーヴェル=リュンヌが追いかける。
伏兵も含めたヌーヴェル=リュンヌの数は、純血の約三倍。
混乱する純血の動きは遅く、既に追いつかれかけていた。
それを妨害したのは、戦場にかかる『霧』
前も見えないような濃霧がヌーヴェル=リュンヌを包み込んだ。
「これは、ルヴナン様の…」
「くっ、悪あがきを。ここで逃げた所で無駄に戦いを延ばすだけだと何故分からないのですか」
苛立ちながらヴィエルジが呟く。
応えたのは、周囲に漂う霧そのものだった。
『戦いなら今夜終わる。我々の勝利でな』
その時、霧に包まれたヌーヴェル=リュンヌの中から怒号が響いた。
続いて悲鳴と戦闘音が響く。
『全ての軍の位置を把握するのには時間が掛かったが、クリュエル達が十分に時間を稼いでくれた』
「何を…」
『お前達は私の霧から逃れられない。無明の恐怖を味わえ』
霧の中で次々と声が上がる。
ヌーヴェル=リュンヌしかいない筈の霧の中で、断末魔が響き渡る。
一つの悲鳴は、周囲の心に恐怖をもたらす。
軍の中に敵が混ざっている。
しかし、霧の中でそれを見つけ出すことは不可能だ。
「最初に姿を隠していた時から、まだ出していない伏兵があることは予想していた」
霧となったルヴナンの横に立つソルシエールは笑みを浮かべて言った。
敵の軍師と初めて向かい合い、不敵に笑う。
「だから、勝ち誇って全ての伏兵を出すまで待っていたのよ」
「撤退したのは、こちらを油断させる為……そして、自分の軍を霧に巻き込まない為ですか!」
「霧だけじゃないわ」
チカ、と夜空が明るくなったことにヴィエルジは気付いた。
暗い夜に走るのは、無数の流れ星。
空より落ちる流星群。
「月よ。我が声に応えよ」
空に浮かび、両手を広げたコカドリーユが叫んだ。
その背後に無数の星々が光る。
「そんな馬鹿な! 毒の回った身体では不可能な筈…」
「余の辞書に不可能の文字はない!………落ちろ『アエロリット』」
霧と混乱で動きが止まったヌーヴェル=リュンヌに無数の隕石が降り注ぐ。
一つ一つが大地を抉って爆発を起こし、多くの吸血鬼が灰と消える。
純血側の三倍近くの数がいたヌーヴェル=リュンヌが、次々と数を減らしていく。
「さあ、コカドリーユの弾切れ前に決着をつけるわよ」
『そうだな。全軍、イクリプスを使って遠距離からコカドリーユを援護しろ!』
破壊力はあるが、狙いが緩いコカドリーユの攻撃。
そこから運良く逃れた者を、離れた距離から狙い撃ちする。
地上には霧、空からは隕石。
その地獄を前に、ヌーヴェル=リュンヌはただ殺されるだけだった。




