第七十三夜
数日後、事態は大きく動き出した。
ソルシエールの工作が実を結び、ヌーヴェル=リュンヌ内で反乱が起きたのだ。
その筆頭となったのはヌーヴェル=リュンヌの『前王』
八十年前にルーガルーにその座を追われ、恨みを抱いていた先代の王だ。
「攻めるなら今が好機か」
会議室で報告を受けたルヴナンは呟いた。
隣に座るソルシエールも大きく頷く。
「眷属からの報告では、現在ヌーヴェル=リュンヌは二つに割れて戦っているらしいわ」
ソルシエールはワインの入ったグラスを傾けながら笑った。
未だ忠誠を誓う者も多い前王。
その前王とルーガルー、それぞれに従う者が戦いを続けている。
ルーガルーに抑え付けられていたヌーヴェル=リュンヌに大きな亀裂が走った。
このチャンスを逃す訳にはいかない。
「ルーガルーは今どこにいる?」
「今は最前線から少し離れた場所………」
ソルシエールはテーブルの上に広げられた地図を指でなぞった。
純血の拠点である古城とヌーヴェル=リュンヌの拠点の間にある平原。
段差も特にない広い空間を指差す。
「ここね。フロンの平原で前王と交戦しているみたい」
そこは長年、純血とヌーヴェル=リュンヌが戦い続けた戦場だった。
両者が相手側に攻め込む際に必ずぶつかる地点であり、何度も大きな争いがあった。
「丁度、後方から奇襲しやすい位置にいるな。あちらもそれを予想しているのではないか?」
「どうかしらね。聞いた話では、ルーガルーは純粋な戦闘力は高いけど知略には欠けるらしいし」
「…既に我々のことなど脅威に感じていないのかもしれないな」
重々しい声でルヴナンは言った。
八十年前にルーガルーが裏切ってから、純血側は負け続きだ。
純血の王は死に、元老院も殺され、精鋭部隊も皆殺しにされた。
残る戦力でヌーヴェル=リュンヌを倒すには、油断している今攻めるしかない。
一度の成功で敵に危機感を持たれてしまっては、勝機が失われる。
「場所が分かったなら、すぐにでも向かおう! 余の隊はいつでも準備完了よぉ!」
興奮した様子でコカドリーユは立ち上がった。
その際に蹴り飛ばされた椅子が派手な音を発てて破壊される。
「椅子を壊すなと言っているだろう、コカドリーユ」
「そんなのどうでもいい! ルーガルーのいる場所は見晴らしの良い平原! 余も全力を出せる!」
闘志に燃えるコカドリーユにソルシエールはこれ見よがしにため息をついた。
「最初から切り札を切る軍師がどこにいるのよ。あなたは私の指示に従いなさい」
「余が空から攻める! それで終わりだ!」
「コカドリーユ、我々の軍師は彼女だ。将は軍師に従う物だろう」
窘めるようなルヴナンの言葉にコカドリーユは舌打ちをして黙った。
コカドリーユ自身も薄々理解しているのだろう。
この戦争は、個人の力でどうにか出来る物ではないと。
「では、戦える者を全て集めろ。殆どの戦力は足止めできているが、それでもルーガルーを相手にするには戦力が足りない」
「そうね。純粋な力押しでは『狼』には勝てない。だから、知恵を使いましょうか」
得意げに笑ってソルシエールは言った。
まだ幾つか策を用意してあるのだろう。
「………」
クリュエルはその場にいることを場違いに感じながらも、緊張を顔に浮かべていた。
戦いが、始まる。
純血の軍の先陣を切るのは、コカドリーユ。
クリュエルを含む多くの純血がその後に続く。
軍師であるソルシエールは総大将であるルヴナンと後方にいた。
純血の軍は重々しい空気を纏いながら、フロンの平原を行軍する。
この場にいるのは戦力にならない子供以外の全ての純血だ。
純血側の総戦力と言ってもいい。
この戦いに敗北すれば、純血側は完全に崩壊するだろう。
「…これが、フロンの平原」
コカドリーユと共に進むクリュエルは思わず呟いた。
特に死体が転がっている訳でも、燃え上がる炎が見える訳でもない。
しかし、戦場の空気と言うべきか。
地面に染み付いた血の臭いと、僅かに混ざった灰が死を思わせる。
『コカドリーユ。何か見えるか?』
その時、クリュエルの傍で声が聞こえた。
先を歩いていたコカドリーユが赤いガラス玉のような物を握っている。
声はガラス玉から聞こえているようだった。
「ルヴナンか。いや、まだ何も見えん。かなり退屈していたところだ」
『…そうか。お前の眼でも何も見えないか』
会話の相手はルヴナンだったようだ。
赤いガラス玉から小さな霧が漏れているので、ルヴナンの能力の応用かもしれない。
クリュエルが訝しげな顔で聞き耳を立てていると、ルヴナンの声が低くなった。
『妙だ。星の位置を見る限り、既に結構な距離を進んでいる』
「なのに、敵は見えず………おい、まさか」
コカドリーユが険しい表情を浮かべた瞬間、バチッと目の前に雷が落ちた。
眩い光に目を焼かれ、クリュエルは思わず目を閉じる。
「すべては過ぎる、すべては壊れる、すべては飽きられる」
光の中から歌うような声が聞こえた。
未だ目を閉じたクリュエルは、傍にいるコカドリーユの殺気を感じた。
少しずつ回復する視力。
「この世に永遠はない。地上のあらゆる物は、やがて崩壊する物ですわ」
まるでカーテンコールのように光の中から現れたのは、先日クリュエルが会った女だった。
女はベールの下で清楚な笑みを浮かべ、丁寧にお辞儀をした。
「今夜。純血は終わる………吸血鬼の戦いは終わるのです」
「お前は、誰だ?」
「ヴィエルジと申しますわ。名も知らない純血さん」
見知らぬ女の名前を聞いたコカドリーユは首を傾げた。
その名前を最近、聞いた覚えがあったからだ。
『前王のヴィエルジですって……どうしてこんなところに…!』
コカドリーユの持つガラス玉からソルシエールの声が聞こえた。
通信機のようにこちらの会話を聞いていたのか、ソルシエールは驚きの声を上げる。
前王、と言う言葉にクリュエルも驚愕した。
ソルシエールの情報では、前王はルーガルーと戦っている筈だ。
その隙を狙って奇襲を仕掛ける。
それがこの戦いの作戦だった筈だ。
『まさか…』
「貴女の眷属のことなど、とっくに気付いておりましたよ。なので、偽の情報を流して罠に嵌めたのです」
ヴィエルジはお淑やかに笑いながら手を軽く振った。
その合図と同時に、あちこちで雷が走る。
イクリプスで姿を隠していたヌーヴェル=リュンヌが次々と出現していく。
「見晴らしの良い平原に伏兵はないと思いましたか? これは人間の戦争ではなく、吸血鬼同士の戦争なのですよ?」
各々武器や能力を使って戦闘態勢に入るヌーヴェル=リュンヌの軍勢。
その数は、コカドリーユ達の倍以上だ。
『…クーデターが起きたと言うのも嘘、ね。懐柔しやすい人間を使ったのが間違いだったみたいね』
「信頼のない部下など、何の役にも立ちません。損得で、あっさりと寝返る」
嘲笑しながらヴィエルジは大きく腕を上げた。
これは合図だ。
次の合図でヌーヴェル=リュンヌは攻撃を開始し、純血は終わる。
「劣勢か。ハッ、腕がなる!」
「ふふふ。戦争の勝敗は個人では変えられない………」
ヴィエルジがそう言った所で、言葉を止めた。
振り上げられた腕が、いつまでも下されない。
ヌーヴェル=リュンヌの軍勢は合図を待って一歩も動かないままだ。
「…?」
恐れた顔で軍勢を眺めていたクリュエルは訝し気な顔をした。
ヴィエルジに従って微動だにしなかった軍勢が微かに震えている。
武者震いとは違う。
色のない肌を更に青ざめて、苦悶の表情で震えている。
「な、何が…起きて…?」
ヴィエルジもまた、痙攣するように震えていた。
自分の身体を眺め、異常に困惑している。
クリュエルはコカドリーユを見たが、特に何かをした様子もない。
これはコカドリーユ達の攻撃ではない。
『…クスクス』
その時、ガラス玉から笑い声が響く。
「ま、さか、貴女が…!」
『私の使い捨てのスパイを懐柔したみたいだけど、私の駒がアレだけと言った覚えはないわよ?』
「そんな筈は…眷属は三人共見つけ出した筈…!」
『私のスパイが全て眷属だと誰が言ったの?』
「ッ!」
ヴィエルジは驚愕したように、言葉を失った。
姿は見えないのに、相手が嘲笑する姿が見えているようだった。
『私から分け与えられた血の臭いを纏い、お粗末な態度を取るスパイ。囮には最適だったわ』
クスクスと嘲笑が聞こえる。
『私の新しい駒は、ちょっと弱みを握って味方に付けたそちら側の吸血鬼よ』
「馬鹿な。他に外部と連絡を取っていた吸血鬼なんて…」
『そうね。目立つ行動はさせなかったわ。私が彼に命じたことは一つだけよ』
勿体ぶる様にソルシエールは言った。
『ねえ。水銀入りの血は美味しかったかしら?』
「なっ…まさか、貴女は…!」
『純血であろうと人間上がりであろうと吸血鬼である以上、血は飲むでしょう。その血にちょっと毒を仕込ませて貰ったのよ』
純粋な銀では、吸血鬼の裏切り者に混入させることが出来ない。
なのでソルシエールは水銀を使った。
水銀なら体内に取り込まない限りは特に異常は起こらないだろう。
しかし、体内に取り込めば純銀同様の毒素となる。
純銀よりも遅効性の毒に。
それだけで死に絶える程の猛毒ではないが、この場では意味が変わってくる。
ここは戦場だ。
単なるコンディションの違いでも、生死を分ける。
「性悪さでは、ウチの軍師が勝ったようだな」
「くっ!」
「全軍! 好機だ! 戦いを始めるぞ!」
コカドリーユは地面が震えるほどの大声を上げた。
それを合図に、クリュエル達は大地を駆ける。
全てを終わらせる戦いの火蓋が、切って落とされた。




