第七十一夜
「血よ。我が分身よ。罪を喰らう獣となれ!」
クリュエルの言葉に呼応し、床に付着した血液が凝固する。
細長い真っ赤な蛇の姿へ変わり、とぐろを巻いた。
「『ルキゥール』」
合図と共に蛇は鞭のように撓り、クリュエルの前に立つコカドリーユへ襲い掛かった。
コカドリーユはそれを興味深そうに眺めた後、片足を振り上げる。
「オラァ!」
地面を叩き割るような勢いで踵が振り下ろされた。
隕石にも似た衝撃は、的確に蛇の頭蓋を捉えて破壊する。
砕けた蛇の残骸が血に戻り、周囲に飛び散った。
「どうしたァ! もっと強い物は作れないのか!」
「…無茶言わないで下さいよ」
落ち込んだような声色でクリュエルは言った。
実力差は分かっているつもりだったが、自慢の能力があっさりと破壊されたことに自信を喪失したようだ。
「と言うか、あなた出所したてで貧血気味だった筈では?」
「そんなことは忘れた! それよりも訓練を続けるぞ、弟子一号!」
喚くコカドリーユを見て、クリュエルは深いため息をついた。
コカドリーユの訓練はひたすらに実戦だった。
ペアを組み、互いにイクリプスを使った真剣勝負。
この場にいるのはクリュエルとコカドリーユだけだが、違う場所では他の吸血鬼達も行わされている。
戦争中で悠長な訓練を行っている余裕がないことはクリュエルにも分かるが、実力が違い過ぎるコカドリーユとの模擬戦は為になるとは思えなかった。
「来ないのなら、こっちから行くぞ!」
「え…ちょっ、ちょっとそれは待って!」
不穏な言葉に慌てるクリュエルを無視し、コカドリーユは腕を振り上げる。
拳が握られた腕に魔力が集まっていくことを感じる。
サッと青ざめて、クリュエルは思わず蹲って衝撃に備えた。
「うおおおおおおおお………おォ?」
しかし、魔力が放たれる寸前にコカドリーユの身体が大きく揺らいだ。
集めていた魔力が霧散して、ふらふらと身体が揺れる。
それを見て、安心したようにクリュエルは息を吐いた。
「何だ? 何かおかしいぞ?」
「だから言ったじゃないですか。貧血ですよ。血が足りていないんです」
「ぐぬぬ………少し待ってろ! 食糧庫に行ってくる!」
苛立ったように叫ぶとコカドリーユはズンズンと去っていった。
貧血のせいか、その足取りも若干怪しい。
「………食糧庫、そっちじゃないんだけどな」
自信満々に道を間違える姿に、またクリュエルの口からため息が零れた。
相変わらず純血の相手は緊張するが、コカドリーユと話していると違う意味で疲れる。
ある程度の距離を置いて会話してくれるルヴナンとは違って、会話の距離が近い為だろうか。
或いは良くも悪くもマイペースな為だろうか。
「精が出るわね。坊や」
声と共にクリュエルの肩に柔らかい手が置かれた。
若い容姿をした魔女のような女、ソルシエールだ。
外見年齢だけならクリュエルよりも十は下に見えるが、実年齢はクリュエルの倍以上だろう。
「そちらの会議は終わったのですか?」
「ちょっと今は休憩。ルヴナンと二人きりで作戦会議って、結構疲れるのよ」
そう言って、ソルシエールはだらける様にクリュエルの肩に凭れ掛かった。
ソルシエールの妖艶な雰囲気にクリュエルは身を固くしたが、気にした様子もない。
この女も、マイペース加減ではコカドリーユに負けていない。
「…そう言えば、さっきヌーヴェル=リュンヌにスパイを潜り込ませたと言っていましたが」
気を紛らわすようにクリュエルは先程気になったことを口に出した。
「うん。それが?」
「よくバレなかったですね。向こうの吸血鬼の鼻を騙すなんて」
吸血鬼の嗅覚は人間を超えている。
その吸血鬼の纏う血の臭いによって、生きてきた年数をある程度推測することが出来る。
特に鋭い嗅覚を持つ者は、血の臭いだけで純血と人間上がりを嗅ぎ分けることさえ可能だろう。
まだ若い人間上がりばかりのヌーヴェル=リュンヌに純血を潜り込ませるのは、難しい筈だ。
そんなクリュエルの疑問にソルシエールは首を傾げた。
「いや、簡単なことよ。適当な人間を眷属化して、向こう側に送り込んだの」
「え? 純血ではないんですか?」
「こんな命を捨てるような任務を受ける純血はいないわ。その点、人間上がりは増長した命知らずが多いから少し誘惑するだけで、忠実になる」
得意げに言うソルシエールにクリュエルは暗い顔をした。
「…眷属が死んだら?」
「その時は別の人間を用意するわよ。どのみち、作戦が成功した時には纏めて殺すつもりだし」
チェスの駒でも動かすような口調だった。
事実、駒でしかないのだろう。
ソルシエールにとっては、人間上がりの吸血鬼など単なる駒。
数が限られている純血とは違い、人間上がりはいくらでも増やせる。
「………」
この場にいるクリュエルも替えが効く存在だ。
クリュエルを吸血鬼に変えたラフレーズが、そんな考えだったとは思いたくなかった。
「ラフレーズは私と違って優しかったみたいね」
にんまりと猫のような笑みを浮かべたソルシエールが視界に映った。
クリュエルの心を全て見透かしたような目を、楽し気に細める。
ソルシエールの言うように、ラフレーズはそんな冷酷なことは言わなかった。
ラフレーズは常にクリュエルに優しく、笑顔で接してくれた。
クリュエルはラフレーズの怒った表情や泣いた表情を見たことがなかった。
「でも、優しいことが『対等』なことなのかしら?」
「…!」
「怒りもせず、悲しみもせず、それって本当に友人に対する態度?」
クスクスと嘲笑う声に、クリュエルは沈黙する。
感情を向けないことは、本当に心を開いていると言えるのだろうか。
どんなことも笑って許し、優しく接する。
それは友人な存在に対する態度と言うよりは、まるでペットでも相手にするような…
「なんちゃって。キツイこと言っちゃって、ゴメンネ?」
クリュエルの沈んだ顔を面白そうに眺めながらソルシエールは言った。
「嘘、だったのですか?」
「嘘ではないわ。でも、嘘かもしれない」
言葉遊びのようにソルシエールは告げる。
「もう死んだ者の話だもの、答えなんて見つからないわ」
「………」
「クスクス………その苦悩に歪んだ顔、悪くないわ。存分に悩みなさい、若人」
笑いながらソルシエールは去っていった。
魔性の吸血鬼に心を乱されたクリュエルは顔を伏せる。
本人にとっては悪ふざけのつもりだろうが、クリュエルにはそう思えなかった。
ソルシエールの言葉一つ一つが心に突き刺さる。
「よし! 吸血完了だ! ん? 瓶入りの血を飲むことを吸血って呼んでいいのか?」
その時、陰鬱なクリュエルの雰囲気を壊すように大声が響いた。
騒がしくやってきたコカドリーユはズンズンと肩を揺らしながらクリュエルの下へ歩いてくる。
「…飲血? まあ、どっちでもいい! それよりもクリュエル、続きを…」
「…コカドリーユ様」
クリュエルは暗い目でコカドリーユを見た。
そこで初めて様子に気付いたのか、コカドリーユは首を傾げた。
「コカドリーユ様、人間が吸血鬼になることは出来ないのでしょうか?」
「………はぁ?」
「血を貰ったからと言って、ラフレーズ様と対等だと思ってはいけなかった。自分が吸血鬼になったと思ったのは勘違いだったのですか?」
自分でもよく分からないことを口走りながら、クリュエルはコカドリーユを見た。
その眼には、僅かな嫉妬の色があった。
元々吸血鬼として生まれてきたコカドリーユを羨む目だった。
人間として生まれてきた自分では得られなかった物を、妬んでいた。
そんな目を向けられて、コカドリーユは大きくため息をつく。
「この馬鹿者が!」
次の瞬間、コカドリーユの鉄拳がクリュエルの頭に命中した。
「ッ!?…なっ…何を…!」
頭を抑えて痛みに震えるクリュエル。
頭蓋骨がへこんだような衝撃だった。
「そうやって悲観して腐る奴が余は一番嫌いなのだ!」
激怒したコカドリーユはクリュエルを睨み付けた。
「いいか、生物は生まれた瞬間から自由だ! 吸血鬼も人間も関係ない! どんな道だろうと、どんな夢だろうと選べるのだ!」
「で、でも…」
「お前は望んで吸血鬼になったのではないのか? 吸血鬼となることを選んだのではないのか?」
「………」
「ならば後は実力をつけるだけだ。時間など、いくらでもある。自分の望む吸血鬼になればいい」
コカドリーユは堂々とした声で言い切った。
努力すれば、何にでもなれると本気で信じているのだろう。
単純故に、誰よりも純粋。
だからこそ、吸血鬼の王を倒すほどの実力を手に入れることが出来たのだろう。
(ルヴナン様と言い、コカドリーユ様と言い………皆、眩しいな)
「…なら俺は、あなた達の役に立てるような吸血鬼になります」
「ハッ、余を超えて見せる…くらい言えんのか!」
「それはまだ…恐れ多いです」
クリュエルの答えに呆れながら、コカドリーユは構えを取った。
訓練の再開だった。
純血に心から仕えることを決めたクリュエルに戦い方を教える為の訓練だった。




