第六十四夜
空気の澄んだ夜。
虫の声すら聞こえない静寂の中、星屑の川が流れる。
ヒュッと軽い音を発てて、ヴェガは姿を現した。
その軌跡には星屑が光り、暗闇をぼんやりと照らす。
「うっ…続けて何度も転移しすぎましたか」
気分の悪そうに口を抑え、ヴェガは呟く。
慣れない転移を連続して使用した為か、乗り物酔いのような気分だった。
一度深呼吸をして、近くの石に座る。
「…少し焦り過ぎましたか」
ルーセットが生きている。
それが分かるとヴェガは居ても立っても居られなくなった。
魂の繋がりを手掛かりにルーセットの魂を探し続けた。
具体的な場所が分かる訳ではない。
ただ、漠然と地上に存在していることだけが感じ取れるだけだ。
コカドリーユは五十年掛かったと言った。
ヴェガも五十年、それ以上の時間が掛かるかもしれない。
それでも、ヴェガにとっては希望だった。
希薄だが、確かに感じる。
ルーセットがどこかにいる。
それだけで、ヴェガは勇気が出た。
「…よし」
気分が落ち着いた所で、ヴェガは腰を上げる。
ヴェガも闇雲に転移している訳ではない。
希薄に感じるルーセットの気配がより強く感じる方。
それを探しながら、あちこちに転移しているのだ。
少し、ほんの少しずつだが、居場所を掴んできている。
進展はある筈だ。
ヴェガは詠唱を唱え、再び転移する。
その時だった。
「…何ですか?」
ヴェガの前に複数の影が現れた。
灰色のローブを纏い、狼骨を被った不気味な者達。
体格から男だと言うことは分かるが、それ以外は何も分からない。
仮面のように顔を隠した狼骨から、赤い瞳が覗いていた。
「……………」
ローブの男達は懐から武器を取り出す。
それはナイフだった。
鉄や銀ではなく、骨を削って作られた原始的なナイフ。
(ナイフ…?)
ヴェガは男達を見て、訝し気な顔をした。
ローブの男達は皆、同じナイフを握っている。
これだけ吸血鬼がいながら、誰もイクリプスを使わない。
男達はまるで人形のように、声もなくヴェガを見ているだけだ。
「…………」
ゆらりとローブが動いた。
男達が全て同時に地面を駆ける。
ヴェガは星屑を展開して、いつでも転移できるように身構えた。
「貪れ『ルキゥール』」
瞬間、夜の闇の向こうから声が響いた。
荒い息と共に現れるのは、赤い獣。
赤黒い体を持った血の獣。
人形染みた男達に尚不気味な、本当の獣が襲い掛かる。
ナイフしか持たない男達は成すすべなく、獣に喰われていく。
「殺される瞬間に悲鳴さえ上げないとは、この雑兵はやはり単なる吸血鬼じゃないな」
獣が吸血鬼を咀嚼する音の中、平然とした顔でクリュエルは言った。
男達が絶命し、灰に変わるのを見届けると視線をヴェガへ向ける。
「護衛も連れずに夜遊びは不用心だな、純血様」
「クリュエル…何の用ですか」
警戒した声でヴェガは言った。
その態度も当然だろう、クリュエルには一度殺されかけている。
星屑を展開したままヴェガはクリュエルを睨む。
「そんな顔はしないでくれ、おじさん傷付くよ。ルヴナン卿は君を同胞と認めた。ならば、君にも忠を尽くすのが俺の流儀だ」
被っていたテンガロンハットをクルクルと回しながらクリュエルは呑気に言った。
胡散臭い、とヴェガは呟く。
元人間でありながら大戦を生き抜いた実力者。
妄信的に純血を慕い、躊躇なく同族を殺す非情な男。
油断は出来ない。
「…何でここに来たのですか?」
「さっきの奴ら、ヌーヴェル=リュンヌの討伐と調査さ………あ、ヌーヴェル=リュンヌってのはルーガルー派の残党のことな」
聞いてもいないことを説明しながらクリュエルは灰の山に手を突っ込んだ。
先程絶命した男達が着ていたローブを引っ張り出し、描かれた模様を確認する。
「やっぱりこいつらもか。同じ模様だ」
「ルーガルー派って………ルーガルーはもう死んだ筈では?」
「死んだよ。だけど、ヌーヴェル=リュンヌはルーガルーが作った組織じゃない。ルーガルーを失っても組織自体はなくならない」
そもそもヌーヴェル=リュンヌと言う組織の歴史はルーガルーよりも古いのだ。
数百年続いた戦争の中で、ルーガルーが何代目かのリーダーになっただけ。
ルーガルーを滅ぼしても、組織全てが崩壊する訳ではない。
「とは言っても、百年前の戦いで殆どヌーヴェル=リュンヌは壊滅。残党もその時に一掃した筈だったんだけどな」
「その生き残りがコレ、ですか。どうして私を」
「奴らの目的は『純血の根絶』…それは百年前から何も変わっていない。もう戦いは終わったのに憐れな連中だよ」
難しい顔で唸りながらクリュエルは言う。
独り言なのか、ヴェガに言っているか迷う所だ。
「………」
さっきから割と重要なことをべらべらと喋っている気がする。
ヴェガに敵意がないことをアピールしているのか。
それとも単にお喋りさんなのか。
「百年前の戦いは苦しい物だった。あの戦いに勝てなかったら、恐らく吸血鬼と言う種族は絶滅していただろう」
「絶滅?」
「そうだ。ヌーヴェル=リュンヌはルーガルーを盟主に置いていたが、奴に敵味方は関係なかった! あのまま戦いが続いていたら全ての吸血鬼が奴に喰い尽くされていただろう!」
「…へえ」
「それを止めたのが、ルヴナン卿を含む純血の方々さ! あの方々の活躍で世界は救われたんだ!」
コレは語りたがりかもしれない、とヴェガは確信した。
曖昧な返事をするヴェガを余所に、クリュエルは熱が入ったように言葉を続ける。
外見は若いが、孫に武勇伝を説明する祖父のように見えた。
「…でも、プラニスフェルはルーガルーの魔力だったんですよね?」
英雄伝を聞きながらヴェガは思ったことを呟く。
ルヴナン達の手によってルーガルーは倒された。
ならば、モールの持っていたプラニスフェルは一体何なのだろうか。
「…そこがよく分からない所なんだ。アレは確かにルーガルーの魔力だった。しかし、死んだ吸血鬼の魔力だけが残るなんて有り得ない」
急にクールダウンしたようにクリュエルは難しい顔で言う。
百年前から生きているクリュエル達でも、分からないことなのだろう。
「そもそもルーガルーの能力って何なんですか?」
「『共食い』さ。同族を喰らって魂を奪う能力」
悪食、と呼ばれたクリュエルさえも忌むべき行為。
同族を殺し、魂すらも穢す所業。
「…奴が純血を裏切ったことに深い理由はなかった。ただ単純に純血を喰らいたかっただけなんだ」
「モール、まだ話す気は起きないか?」
同じ頃、ルヴナンはある廃墟の地下室にいた。
長い時を生きるルヴナンが幾つか所有している場所の一つ。
かつて人間が作り上げた刑務所の廃墟だった。
「お話なら昨日もずっとしたじゃないッスかァ。もうおボケになったので?」
「…この刑務所は戦時中に作られた非公式な物じゃ。ここに備えられた拷問器具は、お前の想像を超えていると思え」
「それは楽しみだ。最近退屈だったからさァ」
「口の減らないガキじゃ。また銀でも飲ませてやろうか!」
「なら今度は水もくれよ。飲みにくくて仕方ねえ」
独房の中でへらへらと笑うモールに弱った様子は見えない。
何度も銀を飲まされ、イクリプスどころか再生すら満足に行えない筈なのに、気にした様子すらない。
死や痛みに対する恐怖心が欠如しているとしか思えない。
「お前がヌーヴェル=リュンヌと手を組んでいることは知っている。奴らを今、率いている者は何者じゃ」
「だから、俺っちは知らないっての。その、ヌーベルさん? 会ったこともねえよ」
「…ならば、どうやって遺物を手に入れた」
「拾ったんだよ。偶然見つけて、綺麗だったから拾ったんだ」
「戯言を。ただ拾っただけなら何故起動方法まで知ることが出来た」
霧の身体が殺気立つように鈍く光る。
全身を刺すような殺気を受けても、モールの調子は変わらなかった。
「プラニスフェルが教えてくれたのさ。ほら、道具は主人を選ぶって言うだろう?」
「…………………」
ルヴナンは無言で右腕を振り被り、突きを出すように大きく振るった。
独房の壁をすり抜け、霧の腕はモールの胸を貫く。
途端、苦悶の声を上げて倒れるモールを確認すると少し痰飲が下がった。
一度大きく息を吐いた後、ルヴナンはその場から立ち去る。
どれだけ拷問を施しても、モールの余裕は崩れない。
恐怖心を持たないモールに苦痛による拷問は効果がない。
もっと別の方法で情報を聞き出せない物か…
「…そう言えば、ソルシエールは尋問が得意だったな」
懐かしいことを思い出しながら、ルヴナンは呟く。
大戦時代、捕虜にしたヌーヴェル=リュンヌから情報を聞き出していたのはソルシエールだった。
ルヴナンとコカドリーユと比べ、戦力に優れない代わりに策略や交渉に長けていた吸血鬼。
今でも定期的に連絡は取っているが、最後に会ってからどれくらい経つだろうか。
同じ純血であるコカドリーユとも、今では壁が出来てしまった。
「………」
百年前、共に戦った日々が懐かしい。
ルヴナンは一人、そう思った。




