第六十三夜
ファミーユとルヴナンの戦争が終わってから数日が経った。
その功績でルヴナンやリコルヌの同胞と認められたヴェガは、コカドリーユの派閥に身を寄せていた。
以前から望んでいた『認められる』と言う夢が叶っても、ヴェガは何もする気が起きなかった。
「………」
純血として認められれば何かが変わると思っていた。
派閥を率いる他の純血のように、堂々と生きられると思っていた。
しかし、実際は何も変わらない。
立場が変わっても、ヴェガ自身は何も変わらない。
今のヴェガにあるのは、ルーセットを失った喪失感だけだった。
「………」
もし、彼が生きていたなら喜んでくれただろうか。
ルヴナンと対等の地位を得たヴェガを、褒めてくれただろうか。
今となっては、もう分からない。
「ここにいたの?」
外で黄昏れていたヴェガに声をかけたのは、フェーだった。
普段は気楽そうな顔を心配そうに歪めて、ヴェガを見ている。
「フェー。何の用ですか?」
いつもよりも平坦な声でヴェガは言う。
フェーも既にルーセットのことを知っている。
彼女もヴェガと同じくらいルーセットを慕っていた筈なのに、特に気落ちした様子はなかった。
それがヴェガにとっては不思議だった。
「どうして私は悲しまないのか、って顔をしているわね」
「………」
「…十年だったの」
フェーは悲し気に笑いながら言った。
その顔は、いつものフェーからは想像できない程に哀愁を帯びていた。
「…フロドゥールが突然いなくなって、殺されたって噂が流れて、十年が経ったの。私はあの日に再会するまで十年待ったのよ」
十年。
慕っていた者が姿を消し、生存すら知らないままフェーは待ち続けた。
たった一人、コカドリーユの下で。
「だから私は、まだ待てる。待つのは、慣れているから」
「…で、でも、ルーセットは死んじゃったんですよ!」
「十年前もそうだったわ」
「だからって!」
泣きそうなヴェガの声を聞きながらフェーは背を向けた。
それ以上、ヴェガに声をかけずに去っていく。
何を言っても無駄だとヴェガは思った。
ヴェガがどれだけ否定しようと、フェーはルーセットの生存を信じ続ける。
現実逃避だ、とヴェガは内心呟く。
ヴェガは確かに灰になったルーセットを見たのだ。
しかし、その考えが羨ましかった。
出来ることならヴェガも、ルーセットが生きていると思いたかった。
「ルーセットは生きている」
その時、ヴェガの耳に重苦しい声が響く。
声の主を思い出し、ヴェガはうんざりしたように顔を上げる。
どうして皆、そんなことを言うのだろうか。
何とか、ルーセットの死を受け入れようとしているのに。
「何のつもりですか、コカドリーユ」
睨むようなヴェガの視線を気にした様子もなく、コカドリーユは言葉を続けた。
「吸血鬼と言う者は、存外しぶとい生き物でな。魂さえ無事なら生きていられる物だ」
「…身体が灰になってもですか?」
「その通り」
自信満々に答えたコカドリーユにヴェガは訝し気な顔をする。
吸血鬼の本体は魂。
肉体はどれだけ崩壊しても、魔力で再生できる。
それはヴェガも知っていることだ。
だが、魂は肉体がなければ地上に留まることが出来ない。
故に灰になった肉体に魂は残らず、それを死と呼ぶ。
「…かつて余には親友が一人いた」
声色を変えてコカドリーユは呟く。
何かを思い出すような、後悔するような不思議な顔で口を開く。
「余の初めての眷属だった。誰よりも余の理解者だった。だが、そいつは歴史にしか興味のない老害共に殺された…百年も前のことだ」
憎しみを堪えるようにコカドリーユは言った。
「そいつの名はプーペ。お前の良く知る余の眷属だ」
「ッ! プーペって、それじゃあ…!」
「ああ、余は五十年かけて奴の魂を見つけ、新たな器に入れた。主人と眷属だったからこそ出来た芸当だ」
「そんなことが…」
「そしてそれは、お前にも出来る筈だ」
主人と眷属の魂は繋がっている。
主人であったコカドリーユが眷属であるプーペの魂を探し出せたように、
眷属であるヴェガにも、主人であるルーセットを探し出せる筈。
「集中して感じろ。お前には分かる筈だ。ルーセットの魂が未だ地上に留まっていることが」
言われるままにヴェガは目を閉じ、意識を魂に集中する。
ルーセットから血と共に与えられた魂の一部に意識を向け、世界中を探す。
胸の中にある温かな感覚。
それと同じ物を、遥か遠くに感じた。
「…見つけた」
希望が、見つかった。
人間社会の一角。
数多に存在する人間の中でも、多くの成功を収めた男がいた。
歴史に刻まれる程の人物。
富、名声、地位、全てを欲しいままにしていた男は自分の屋敷を歩きながら笑みを浮かべた。
たった十年で世界でもトップクラスの大富豪になった彼を『悪魔の力を持っている』と評する者もいた。
そして、それは事実だった。
中世貴族のような服に身を包んだ、裕福さを表すような贅肉。
男は屋敷の中でも最も良い部屋の扉を開ける。
天蓋付きのベッド。
高価な絨毯。
絵画や壺、挙句の果てには甲冑や剣まで飾ってある。
どの部屋よりも贅沢の限りを尽くした部屋は、男の私室ではない。
「魔女様、お帰りでしたか! お食事の用意が出来ておりますよ!」
男は人間相手なら誰に対しても傲慢に振る舞っていたが、彼女の前では別だった。
人間でない彼女に対し、男は下僕のように低姿勢だった。
「食事? あーパス。私ちょっとやることがあって忙しいのよ」
それは人知を超えた魅力を持つ女だった。
心をかき乱す笑みと毒婦のように豊満な肉体。
頭にはサイズの合っていない大きな三角帽子。
暗色のスカートを履き、男物の黒いマントを羽織っている。
開かれたマントの内側には、幾つか人形が縫い付けられており、不気味な存在感を放っている。
外見年齢は二十歳程だが、その眼には深い知性が宿っていた。
「んー。コレは困ったわね。魔力が足りな過ぎる」
魔女は蓋をした小瓶を傾けながらぶつぶつと独り言を言った。
既にその意識は男には向けられていないようだ。
「一体何がお困りなのでしょう? 私にご協力できることはないですか?」
「んー?」
「貴女は私に成功を与えてくれた恩人です。貴女が望む物なら、何であろうと差し出しましょう」
男の言葉に魔女は考え込むように首を捻った。
小瓶を手の中で転がし、金色の眼を男へ向けた。
「うん。じゃあ、死んで」
「……………………………は?」
男は耳を疑った。
魔女が悪質な冗談や悪戯をするのはいつものことだが、今回は度が過ぎていた。
「いやね、魔力が必要なのよ。だから血を貰おうと思って」
「で、でしたら、また人を集めましょう。すぐに奴隷を購入してまいります」
「駄目。今すぐ必要なのよ」
「そ、そうですか。ならば、使用人を呼んで…」
「足りない。あなたも含めて屋敷中の人間から血を貰うわ」
魔女は寝そべっていた身体を起こす。
金色に光る眼を見て、男は一歩下がった。
「じょ、冗談ですよね?」
「そう思う?」
「わ、私は十年も貴女のパートナーとして尽くしてきました!」
「そんなの私からすれば、刹那に等しい時間よ」
魔女が指を鳴らすと飾られていた甲冑がカタカタと揺れる。
まるで命を吹き込まれたように飾られていた剣を握り、歩き出す。
「初めて会った時に言った筈よ。私は人間も吸血鬼も何者も嫌わないけど、何者も愛さないって」
「た、助け…」
「ま、乞食を大富豪に成長させる遊びは悪くなかったけど」
魔女は小瓶を弄びながら呟く。
手の中で揺れる小瓶の中には、少量の灰が入れられていた。




