第五十九夜
チリチリとした熱気が部屋中を包み込む。
立ち込める黒い煙が視界を埋め尽くす。
爆熱で床が焦げた臭いと共に漂う異臭。
生物の肉が焼ける嫌な臭いだ。
「…殺したの?」
二人の殺し合いを見ていたリコルヌは呟く。
身体に刺さった杭の痛みすら忘れ、呆然とルーセットを眺めた。
「まだ生きているかもしれません。アレも結構しぶといので」
飛んだままのルーセットの代わりにヴェガが答えた。
至近距離からの全身爆破。
並の吸血鬼なら再生すら間に合わずに灰になるが、モールのしぶとさは良く知っている。
かなりダメージは負っている筈だが、まだ生きているかもしれない。
「それよりも、この杭をどうにかしないといけませんね」
リコルヌの身体に刺さった細長い杭を見つめ、ヴェガは言う。
地面から突き出る杭はリコルヌの体重で突き刺さっている為、簡単には引き抜けない。
「取り敢えず、身体の方を転送させますよ。杭が抜けたら、死ぬ前に急いで再生して下さい」
「ちょ、ちょっと待って! 再生とか得意じゃないからいきなり言われても…!」
「大丈夫、痛みは一瞬です。ちなみにあまり暴れると手足がもげますから」
「ちょっと待って!?」
サディスティックに笑いながら体に触れるヴェガにリコルヌは戦慄する。
何とか抵抗しようとするが、宙吊りになっている状態では何も出来ない。
「お二方、仲が良いのは結構だが、そろそろ来るぞ」
恐怖で震えるリコルヌの耳に上から声が届く。
首を無理に動かして空を向くと翼を生やしたルーセットが警戒するような目を前に向けていた。
その視線の先には、異臭が漂う黒い煙がある。
「…今までで一番死を感じた瞬間だったぜ」
杭槍で黒い煙が払われ、楽し気な笑い声が聞こえた。
流石に無傷とは行かなかったのか、右足と左肩には大きな火傷の跡が見える。
喉も焼けたのか、僅かに声が変質していた。
「プラニスフェルが取り込めるのは、魂だけじゃねえんだよ」
左手に握ったプラニスフェルを揺らし、モールはルーセットへ目を向ける。
「コイツは魂だけでなく、魔力やイクリプスも引き込めるのさ」
「なるほど、だから全身を焼き尽くされても生き残ることが出来たのか」
「まあ、一度の吸収量にも限度があるから少しくらっちまったが」
プラニスフェルから黒い影が噴き出す。
それは先程の光景と同じように、モールの傷を修復する。
吸収と再生。
コレがプラニスフェル………ルーガルーの魔力。
「…力押しでは、不利か」
小さくルーセットは呟く。
傷を瞬時に再生するなら、再生が間に合わない程の攻撃を行う。
それがルーセットの作戦だったが『吸収』の能力は想定外だった。
その吸収量を超えるダメージを与えれば殺し切れるかもしれないが、攻撃を苦手とするルーセットにそれは不可能だ。
ならば、狙うべきは…
(…左手。プラニスフェルを強奪する)
ルーセットは冷静な目でプラニスフェルを見つめながら、近くにいるヴェガを引き寄せる。
「ヴェガ、作戦変更だ。プラニスフェルの方を狙う」
「分かりました。隙を見て奪い取ればいいんですね」
「ああ、よろしく」
小声で言い残し、ルーセットは地面を蹴る。
再び黒いナイフを取り出し、真っ直ぐにモールへ向かっていく。
「今度は接近戦か? 受けて立つぜェ!」
杭槍を握り直し、モールは大きく振り被る。
無限の杭を操る能力を持つが、モール自身に槍術の技量はない。
故にその動きは素人臭く、動きも単調だった。
難なく杭槍を躱し、ルーセットは更にモールへ接近する。
もう杭槍の間合いではない。
ルーセットはモールの心臓を狙い、ナイフを突き出す。
「インペイルメントォ!」
「なっ!」
叫ばれた言葉にルーセットの動きが止まる。
既にルーセットとモールは手も触れそうな程に接近している。
その状況でイクリプスの発動。
プラニスフェルの再生力に期待して、自分ごとルーセットを串刺しにするつもりか。
「…なんちゃって! 嘘だよォ!」
思考に耽り動きの止まったルーセットの胸に衝撃が走る。
悪戯が成功したような笑みを浮かべたモールの杭が、その胸に突き刺さっていた。
破壊された心臓を急いで再生しながら、ルーセットは身を退く。
(…ブラフか)
ルーセットは血が零れる胸を抑えて渋い顔をする。
先程の叫び声はルーセットの動きを止め、杭槍を当てる為のハッタリ。
こんな単純な騙し討ちを受けてしまうなんて。
「…ッ」
再生中の心臓が痛む。
いくら再生に特化したルーセットと言えど、急所である心臓は何度も再生できない。
これだけ完全に破壊されてしまっては、魔力の消耗も激しい。
次も耐え切れるかどうか。
「おらおらァ! 俺っちの番はまだ終わってないぜェ!」
「くっ!」
破れかぶれにルーセットは黒いナイフを投擲した。
顔に目掛けて飛んできたナイフをモールは杭槍で弾く。
「戻れ!」
「何…」
ルーセットが念じると共に黒いナイフが液状化する。
黒いナイフはルーセットの血が変化して作られた物。
能力が解除され、元の血に戻ったのだ。
赤黒いルーセットの血がモールの顔に降りかかる。
「目潰しか! おまけに血で臭いも探らせない気だな! くははは! 抜け目のない!」
視界を潰されたモールは楽し気に笑う。
余裕があるから笑っている訳ではないのだろう。
ただ楽しくて。
これだけ強大な力を手に入れたモールに、様々な手で対抗することが嬉しくて。
モールは目についていた血を拭い取り、回復した目で前を見る。
倒すべき好敵手を見つける為に。
この戦いを続ける為に。
「こんばんは、モール」
「…あァ?」
好敵手を探すモールの視界に映ったのは、羽衣を纏った華奢な少女。
ルーセットはいない。
冷笑を浮かべた少女がその手を静かに動かす。
羽衣の少女が纏っていた星屑が、一点に集中する。
その狙う先は…
「…ッ! プラニスフェルを奪う気か!」
それはあらゆる物体を空間ごと削り取る軌跡。
一度放たれれば、杭を盾にしてもその軌跡を妨げることは出来ない。
「インペイルメントォ!」
瞬時にそれを理解し、モールは素早くイクリプスを発動させた。
星屑が放たれるより先に杭が少女の腕を貫く。
華奢な少女の腕はそれだけで千切れ飛んだ。
手から放たれようとしていた星屑は不発。
「作戦通りだ」
その時、片腕を失った少女が男のような声で笑った。
黒い影が少女を包み、姿を変える。
先程のモールと同じ笑みを浮かべたルーセットを見て、モールは咄嗟に後ろを向いた。
「『ヴォワ・ラクテ』」
背後に立っていた『本物のヴェガ』から星屑が放たれる。
防御不能の星屑が綺麗な軌跡を描き、プラニスフェルへ向かう。
ブワッとモールの全身に冷や汗が浮かんだ。
気付くことが出来ても、最早動けない。
もう間に合わない。
『触れるな』
瞬間、暗く冷たい声が響いた。
モールのみならず、ヴェガとルーセットの耳にも確かに届いた。
暗いモールの影が立ち上がり、ヴェガの星屑を弾いたのだ。
「く、クロ…」
『何をお前まで呆けている。隙だらけだぞ』
影の声にルーセットはハッとなる。
星屑を防いだ者の正体は分からないが、作戦は失敗した。
この状況はマズイ。
ヴェガもルーセットも、モールの射程範囲内にいる。
「インペイルメント!」
モールを中心に円を描くように杭が展開されていく。
杭の山は内側から外側へと次々立ち上り、ヴェガとルーセットを飲み込んだ。
「え…」
ヴェガの口から声が零れた。
杭の山に貫かれた筈なのに、ヴェガの身体には傷一つなかった。
周囲に杭はない。
近くにリコルヌがいた。
「…ルーセットが逃がしてくれた?」
疑問が口が零れる。
先程、ルーセットはヴェガの姿をコピーしていた。
咄嗟にヴェガを転送し、リコルヌの傍まで逃がしてくれたのだろう。
「………」
だが、ヴォワ・ラクテは自分を転送できない。
だからルーセットが逃げるには、ヴェガが能力を使うしかない。
そして、ヴェガは能力を使っていない。
「…あ、あああ………」
ヴェガは声を漏らしながら顔を上げた。
モールの展開する杭の山。
その中に、ルーセットの姿があった。
手足も胴体も、全身の至る所を杭に貫かれていた。
ぴくりとも動かないルーセットの身体に、亀裂が走る。
その身体が、灰色に染まっていく。
「…ま、待って!」
泣き叫ぶような声は届かず、ルーセットの身体が砕けた。
風に乗った灰がヴェガの手を掠めた。
熱を失った冷たい灰。
その姿は、吸血鬼の死を意味していた。




