第五十八夜
「くははははは! 来た来た来たァ! 魂が! 魔力が! 満ち溢れているぜェ!」
『狼座』の中心でモールは叫ぶ。
その身体は黒い影に包まれ、膨大な魔力を放っている。
アンスタンに負わされた火傷も消え、狂気を宿す両目でプラニスフェルを見つめる。
『上手くいったようで、何よりだ』
モールの背後に黒い影が立ち上がり、声を発する。
濃密な魔力で実体化したもう一つの人格だった。
「あァ、クロか。今のところは計画通りだぜ。ルヴナンも既にこの中だ」
『奴は百年前の知識を持つ。先に狙って正解だったな』
「くふふふ…プラニスフェルを手に入れて、もう十年以上か。思ったより長かったな」
今までの苦労を思い出すように、モールは笑った。
十二年前、モールはプラニスフェルを手にした。
何の能力もない人間の子供が、純血達の求める秘宝を手に入れたのだ。
吸血鬼に襲われて死にかけていたモールを、運命が守った。
「…くふふ」
今までに何度も死ぬ機会はあった。
多くの強敵と戦い、敢えて苦しい戦いの中に身を置いてきた。
まるで自身を痛めつけるように、闘争の中で生きてきた。
だが、生き残ってしまった。
生き残ったと言うことは、運命がモールを導いている証。
『どうした? 早く仕上げを行え』
「………ああ、そうだったなァ」
モールは少しだけ気落ちしたような声で答えた。
実体化していたクロが影に戻ることを確認し、何故か残念そうなため息をつく。
膨大な魔力を手に入れたと言うのに、この虚しさは何だろうか。
全て計画通りに進んでいる。
何の問題もない。
それは嬉しいことの筈なのに。
「そこまでだ」
その時、モールの耳に声が届いた。
聞き覚えのある、愛すべき因縁の好敵手。
気落ちしていた顔を喜びに歪め、顔を上げる。
「待っていたぜェ、ルーセットォ!」
「何か、いつにも増してテンション高いじゃないか」
満面の笑みを浮かべるモールに若干引きながらルーセットは言う。
爛々と輝くモールの目からは狂気しか感じられない。
「上手く行きすぎて退屈していた所だ。ちょっと、暇潰しに付き合えよォ!」
手に握った杭槍を振り被り、モールは叫ぶ。
その大きな動作はブラフ。
モール自身が杭槍を武器にして接近戦を行うことはない。
ルーセットは懐から黒いナイフを取り出しながら、地面を見る。
モールの足元から伸びた影が、ルーセットへ迫っていた。
「ヴェガ!」
「分かってます!…『ヴォワ・ラクテ』」
隣に立つヴェガが、打ち合わせていた通りにイクリプスを発動させた。
モールの影が届く前に、星屑がルーセットを包む。
影から突き出た杭は、獲物を見失った。
「どこに……ッ!」
警戒して周囲を見渡したモールの肩に痛みが走る。
苦痛に呻くよりも先にモールは杭槍を地面に突き刺した。
背後を振り返ることすらせず、イクリプスを発動させる。
「インペイルメントォ!」
「チッ!」
モールの背後に立っていたルーセットが翼を生やし、飛び去る。
間髪入れずに次の杭が影から放たれた。
次々と地面から生える杭は、空を飛ぶルーセットを追いかけていく。
「相変わらず、厄介な能力だな!」
「厄介さではお前もそう変わらねえだろ。まあ、純粋な殺傷力では俺っちの方に分があるようだが」
背中に刺さったナイフを抜きながらモールは笑う。
変身能力しか持たないルーセットはモールのようにイクリプスだけで戦うことが出来ない。
吸血鬼でありながら、ナイフのような人間の武器を扱うのが証拠だ。
「今の俺っちに銀でもない普通のナイフが効くと思ったか?」
モールの背中の傷が見る見るうちに再生していく。
その左手に握ったプラニスフェルの効果だ。
高い再生力を持つ今のモールに届く攻撃は、そう多くない。
「なら、もっと強力な攻撃ならどうだ?」
不敵な笑みを浮かべ、ルーセットは空中からナイフを投擲した。
両手合わせて六本のナイフがモールへ向かう。
全て吸血鬼の猛毒である純銀のナイフだった。
「…おいおい、それが強力な攻撃だと?」
モールは地面から杭を生やし、それを壁にして防ぐ。
吸血鬼に対しては猛毒であっても、白木の杭に対しては見た目通りの強度しかない。
あっさりとナイフは弾かれ、地面に刺さった。
「俺っちを失望させるなよ、ルーセットォ!」
怒るように叫びながらモールは駆ける。
天井付近を飛ぶルーセットを睨むモール自身以上に、蠢く影が危険だった。
モールの剥きだしの殺気を受けたルーセットは薄く笑みを浮かべた。
「よし、そこだ。地雷起動」
瞬間、モールの足元から眩い光が放たれた。
遅れて聞こえてくる轟音。
足から感じる炎のような熱。
モールの立っていた床が爆発したのだ。
「な、何だとォ!」
爆炎に包まれながらモールが叫ぶ。
「俺の血を変化させた特注の爆弾だ。ヴェガの能力で床の中に転送させていたのさ」
燃え盛るモールを見下ろしながら、ルーセットは言う。
モールのいる場所も、戦いになる場所も予め分かっていた。
戦いの準備をする時間も十分にあった。
それで何も仕掛けないルーセットではない。
罠と嘘、騙し討ち………全てルーセットの得意分野だった。
「く、はははははは! やっぱりお前は最高だ! まさか吸血鬼の魔力で人間の武器を作るなんてなァ!」
炎の中でありながらもモールは楽し気な笑みを浮かべていた。
ダメージがない訳ではない。
傷自体は負った端から再生しているが、痛みがない訳ではない。
しかし、この戦いに比べればそれは些末なことだった。
「チッ、想像以上にタフだな」
「どうせ、これだけじゃないんだろ? 慎重なお前が目の前から現れたんだ、策の一つや二つ用意しているんだろう? 全部俺っちに試してみろ!」
長年を共にした相棒のように、ルーセットを理解してモールは叫ぶ。
地雷を警戒してか、地面から生やした杭の上を飛び移りながらルーセットに迫る。
「そこまで言うなら躱すんじゃねえぞ………月を隠す影よ。隠し偽れ」
静かに詠唱するルーセットに生える翼が騒めく。
黒く平らな形をした蝙蝠の翼が一部千切れ、黒い花弁のように宙を舞う。
ひらひらと舞う花弁は、やがて月光を反射する黒いナイフとなる。
「『シメール』」
その言葉と共にナイフが弾丸のように放たれた。
ルーセットの血肉から作られた黒いナイフは雨のように地上に降り注いだ。
「くはははは! 面白ェ!」
モールは躱すことも、防ぐこともせずに黒い雨をその身に受ける。
顔、胴体、手足、あらゆる所にナイフが突き刺さったがモールは余裕の笑みを崩さない。
その尖った刃は、確かにモールの肉と骨を抉ったがすぐに再生した。
変身能力を攻撃に使った応用力は高いが、所詮銀でもないナイフの破壊力など大したことはない。
「もう終わりか? それじゃ、次は何だ!」
「いや、これでもう終わりだ」
ルーセットは苦笑を浮かべて言った。
まさかこれで万策尽きたのか、とモールは僅かに失望する。
「こんなナイフ程度で俺っちを殺せると本気で思ったのかァ?」
「ナイフ? お前にはそれがナイフに見えるのか?」
「あァ?」
馬鹿にするようなルーセットの言葉にモールは首を傾げる。
モールの全身に突き刺さっているのは、どう見てもナイフだ。
黒一色で特に装飾もない、ナイフ。
ルーセットが能力で生み出した、単なるナイフだ。
「俺の能力は姿を隠し偽ること。そんな能力で生み出された物の見た目を信用し過ぎじゃないか?」
「……………」
コレはナイフではない。
最初にルーセットが握っていたナイフと同じ物だった為、モールが勘違いしていた。
そう勘違いすることを狙っていた。
黒一色に塗られたナイフ。
身体に刺さるナイフから、僅かに熱を感じた。
「………まさか!」
「それはナイフの形をした爆弾だよ。それ、起爆するぞ」
瞬間、先程よりも大きな光がモールを包み込んだ。




